第十五話 廻瀾

 リョウの店を出た時、十八時を回ったところだった。平日だったため帰宅ラッシュを避けた方が良いというキリの判断と、ぐうと鳴ったわたしのお腹の機嫌により、わたしたちは夕食を食べてから帰ることになった。太陽が沈み始め、雰囲気が少しずつ変わって来た原宿を歩いて店を探した。道沿いにはたくさんオシャレなカフェやレストランが並び、原宿ならではのパンケーキ屋もある。わたしはそれらの前を通る度に指を差してここはどう、と提案したが、すべて即却下となった。


 結局わたしたちがやって来たのは、リョウの店がある道を抜けて大通りを渡った反対側の脇道にある、チェーンのアメリカンレストランだった。店のメニューは関係なく、店内で煙草が吸えるということが、キリの頭の中で決め手となったようだ。

 ちょうど夕食時だったので、少し外で待ってから案内された。左側の「喫煙席」と書かれたスライドドアを開けた先に八つくらいテーブルがあり、一番手前の右側の席に座るよう指示される。奥がソファ席、手前が椅子となっていたが、キリは迷うことなくソファに座った。こういう時、普通は彼女がソファ側に座るのではないだろうか。もちろん、そんな気遣いを彼がしてくれることに期待していたわけではなかったが、当然のことようなその態度に、わたしは彼の顔を睨むように一瞥する。

 わたしたちは会話することなくメニューを開き、自分が注文するものを選んだ。店員を呼ぶようキリがわたしに目配せする。それぞれメインと飲み物を注文し、わたしにはオレンジジュース、キリにはビールが先に運ばれた。飲みに行っているということはお酒が好きなのだろうとは思っていたが、普段家では飲まないので、キリがお酒を飲むところを見るのは初めてということになる。


 肘の手前までパーカーの袖を捲くったキリの白く細い腕が、ビールのジョッキに伸びた。彼がそれを持ち上げると、腕全体の筋がくっきりと浮き上がる。ジョッキの重みで折れてしまうのではないかと思うくらいだった。そのままビールを飲もうとするキリを見て、わたしは急いで自分のオレンジジュースが入ったグラスを手に取り、彼が持つジョッキに当てて乾杯、と言った。

 二ヶ月間ずっと同じ家で暮らしているとはいっても普段はほとんど会話もなく、こうして外の環境で向き合ってみると何を話したら良いか分からなかった。わたしたちには共通の話題なんてなかった。でも、周りの席の人たちはみんな楽しそうに会話しながら食事をしている。何か話さないと明らかに不自然だ。そんなことを頭の中で巡らせているわたしとは対照的に、いつも通りまったく表情も言葉もなくビールを飲むキリに、今頭に思いついたことをそのまま伝えることにした。


「あんたのこと、いろいろ誤解してた」


 キリはわたしを一度上目で見ると、ジョッキを置いて煙草に手を伸ばした。一本取り出して火を点け、煙を吐き出す。


「お前は何でも勝手に決めつけて、思い込みが激しすぎる」


 わたしは眉間に皺を寄せて、俯いた。まだ出会って二ヶ月で、ほとんどまともに話すらしたことがない彼にそう言われるのは少し引っ掛かった。でももしかしたら、そう、なのかもしれない。

 自分で考えて答えを出すことと、勝手に決めつけて思い込むことは、実は紙一重なのかもしれない。でも、それを天秤に掛けてうまい具合に軌道修正する術を、わたしは持ち合わせていない。どうすれば出来るのだろうと考えてみたが、頭の中が丸めた紙でいっぱいになった。

 わたしは顔を上げて話を戻した。


「ファッションデザイナーだったなんて、知らなかった」


 キリは煙草の灰を灰皿に落とし、その手元を見ながら答える。


「そのワンピース、俺が学生の時にデザインした。スカート丈がちょっと長かったな」


 キリが自分の話をすることは今までほとんどなかった。というより、皆無だったかもしれない。わたしが聞いても無視されたり、はぐらかされたりしていたので、なんだか新鮮だ。わたしは下を向いて、着ているワンピースを見た。何度見てもかわいかった。


「たぶん、一般的な女の子の身長だったらちょうど良いんじゃない? わたし、背ちっちゃいから」


 わたしは学校でも背が小さい方だ。わたしの身長に合わせてしまったら、平均身長の人が着た時のイメージは変わって来るだろう。その辺は、わたしなんかよりキリの方がよっぽど詳しいはずだ。

 キリは煙草の火を消して、ビールをごくごくと飲んだ。もう一杯頼もうか、と聞くと、彼は小さく頷く。その後、大きく息を吸って言った。


「着せたかった人が、お前と同じくらいの身長だった」


 なんだか、意外だ。キリが女の子のために何かしてあげるなんて、想像がつかない。でも、その人のために彼がこんなにかわいいワンピースを作ったということは、とても大事な人なのだろうと思った。


「わたしくらいの背の人と付き合ってたの?」


 彼に彼女がいたなんて考えたこともなかったが、学生の頃はもっと明るく話せる人だったのかもしれない。もしくはその元彼女が、彼の整った顔立ちだけで選んで中身を見ていなかったか。そのどちらかだ。大事に思う彼女がいたくらいだから、彼にもわたしが知らない人間らしいところがあるのだろう。わたしは何となく心の奥に、隙間を通るような風が吹いた気がした。

 片手で頬杖をついてつまらなそうにわたしを見るキリの大きな目と視線が合って、急いで逸らす。


「そうじゃねえよ。妹」


 キリには妹がいるのか。逸らした視線をもう一度キリの方に向けると、今度はちゃんと目を合わせることが出来た。ちょうど通り掛かった店員に、ビールをください、とわたしは言った。


「妹がいるんだ。なんでこれあげなかったの?」


 わたしは自分が着ているワンピースの胸の部分に手を当てて、キリに問い掛けた。すらすらと言葉が口から出て行く。

 キリは合っていた目線を一度降ろして小さく溜息を吐いた後、鋭い目つきでわたしをしっかりと見て言った。


「完成する前に、死んだから。骨肉腫って知ってるか? 骨のがん」


 あまりにもさらりと言うので、わたしはそれを理解するのに時間が掛かった。彼の言葉を咀嚼した後も、わたしの周りだけ時が止まってしまったかのようになる。

 キリは何事もなかったかのように、また煙草を手に取る。


「変なこと聞いて、ごめん」


 わたしはとにかく謝ることしか出来なかった。どうしたら良いのか、分からなかった。酷いことをしてしまったような気がして、罪悪感がわたしを追い掛けて来る。きっと、思い出したくないだろうことをずかずかと、キリの気持ちも考えないで掘り下げてしまった。キリが「着せたかった」と過去形で言った言葉の意味をちゃんと汲み取って頭を使えていれば、こんな質問しなかったのに。

 キリの気持ちが、不思議なくらいわたしの中に流れ込んで来るのを感じた。わたし自身はその気持ちを感じたことはないし、今も分からないけれど、何だか息苦しかった。


「なんで謝る。お前が両親のことを何とも思わないように、俺も何とも思ってない」


 キリの顔はいつも通り、無表情だった。

 妹のために、こんなに素敵なワンピースをデザインした。でも、妹はそれを着ることなくこの世を去ってしまった。キリは今でも大事に、このワンピースを持っている。何とも思っていないなんてきっと嘘だ、と思った。でも、わたしの両親への気持ちと本当に同じだったとしたら、彼はわたしが思っているほど辛くないのかもしれない。わたしが両親にもらったリボンを今でも持っているのと同じように、キリも何となくそうしているのかもしれなかった。そうだとしたら、わたしが感じた息苦しさはキリの気持ちが流れ込んで来たのではなく、自らの話をしたがらない彼の過去に踏み入れてしまったことへの罪悪感から来たものか。やっぱり人の命は、それほど重いものではないのかもしれない。


 わたしは、胸焼けのような感覚を感じていた。心の中が渦を巻くように複雑に絡んで、居心地の悪さのようなものがわたしの周りを囲んだ。それは頭が重たいような、それでも少し浮遊感があるような、不思議な感覚だった。

 店員が運んで来たビールを受け取ってキリの方へ差し出しながら、わたしは彼に心の渦を悟られないよう、ジョッキの上の方へと上がって行く泡をただ、見つめることしか出来なかった。

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