第十三話 反抗心

「まさか、キリが女の子と一緒に来るとは思わなかった。今日来てくれて良かったよ。お客さんも全然来なくて暇だし、店長もデザイナーもいないから」


 その男性は、少年のような笑顔で言った。店内のアクセサリーを眺めながらふらふらと歩いていたキリが、目を細めてじろりとこちらを一瞥する。

 わたしが入ろうとした店の店員であるその男性は、キリの知り合いだった。店のイメージを壊さない、ロックテイストのライダースジャケットを着て、細身のジーンズに大きなバックルの付いたベルトをしている。身に着けているアクセサリーはこの店の商品なのだろう、すべてがごつごつと大振りだ。しっかりと筋肉がついた健康的な体形で、身長も小柄なキリと比べて頭ひとつ分、と言ったら大袈裟だろうか、だいぶ大きく見える。流れるように綺麗に整えられた茶色の短髪に、細く切れ長な目をしているが、笑顔があどけなかった。


「オレはリョウ。キリの友達、というか親友。彼女さん、お名前は?」


 いきなり差し出されたリョウの右手を見て、わたしは一瞬どうするべきか分からなかったが、そうか、と思い彼の手を握った。初めて会って握手をするなんて、何だか外国の人みたいだ。キリにこんな友達がいたのか、と思った。いつも無表情で何を考えているか分からないキリとは、まるで月と太陽みたいに真逆な、笑顔が明るくて気さくな人だ。


「ニコっていいます」


 わたしは笑顔を作って答えた。何も言っていないのに、勝手にわたしはキリの彼女ということになっている。やっぱりわたしの考えは当たっていた。年頃の男女が二人で歩いていたら、付き合っていると誰もが思う。

 リョウはにっこりと、夏の太陽のような笑顔でわたしを見る。


「ニコちゃん、かわいい名前だね。オシャレだしかわいいし、オレもこんな彼女が欲しい」


 惜しげもなくわたしを褒めちぎるリョウの言葉が聞こえていないかのように、キリは店の商品を観察している。少しは彼にもこの人を見習って欲しいものだ。

 わたしは口角を上げたまま俯き、恥ずかしいです、と言った。別にそんなことは思っていなかったが、施設の指導員や友達と話す時と同じようにした。


「服のセンスもめちゃくちゃ良いね。自分で選んだの?」


 わたしは顔を上げて、一度キリの方を見た。特にこちらの話には興味はなさそうに、相変わらずショーケースの中身を見つめている。自分で選んだことにしても問題なさそうだったが、なんだかキリに悪いような気がして事実を言うことにした。


「これはキリが選んでくれたんです」


 すると、リョウの顔がぱっと今まで以上に明るくなった。彼は大袈裟に頷きながら、やっぱり、と言う。


「さすが、元ファッションデザイナーだね!」


 わたしの視界に入るところにいた後ろ姿のキリが、押さえるように自分の頭に片手を当てた。わたしは頬を上げるのを忘れ、真顔になる。今まで一緒に過ごして来ておかしいと思っていたキリの言動が、ひとつずつ目の裏に浮かんで消えて行った。

 すべての点を一点一点繋ぎ合わせて納得した後、わたしは急いでまた笑顔を作りリョウの目を見た。そんなわたしの中途半端な笑顔を見たリョウは、一度首を傾げるとキリの方を振り返って、彼の後ろ姿に質問を投げる。


「キリ、もしかしてニコちゃんに話してなかった? ごめん、言っちゃった」


 キリは返事どころか、こちらを見ることすらしなかった。

 そのままリョウはこちらへ向き直り、わたしに近づいてから少し小声になって続ける。


「結構有名なところでデザインしてたんだよ。いろんなブランドを統括してる親会社みたいなところ。その中にはたぶん、ニコちゃんが知ってるブランドもいっぱいあると思う」


 そうだったんですか、知らなかった、とわたしも声を小さくして言った。リョウは上を見上げて、少し頭を掻いてから話を続ける。


「オレ、高校卒業してからずっとショップ店員やってるんだけど、キリに憧れてデザイナー目指すことにしたんだ。七月からロンドンに留学して、頑張って勉強するって決めた」


 なんだ、キリはすごい人だったのか、と思った。コミュニケーション能力なんて皆無だし、人に気を遣うことだってまったく出来ない彼がそれほどの人だとは夢にも思わなかった。人に「憧れ」と言われるなんて。すぐ近くにいるはずのキリの背中が、望遠鏡で眺めている星のように遠く感じる。みんなより秀でているキリは、みんなより劣っているわたしをどう見ていたのだろう。だめなやつってこんな感じなんだ、と心の中ではいつもわたしのことを笑っていたのではないだろうか。

 大きな岩がどしっと落ちて来たかのように、心が重たくなった。海に沈められたみたいに息が出来ない。


 リョウはわたしの息苦しさに気づいていないのか、笑顔で問い掛けた。


「ニコちゃんは、キリのどこが好きなの?」


 分からなかった。わたしはキリの彼女でもなんでもない。それに、今は頭が梅雨の曇り空のように重たくなってしまっていて、軽快に嘘を吐ける状況ではなかった。わたしは作り笑顔のまま、何も話せない石のごとく固まった。


「リョウ、これ見たいんだけど」


 キリがショーケースを指差しながら、そう言った。リョウは、はいはい、と言いながらカウンターから鍵を取り出してそちらに向かう。

 リョウがわたしの前から離れてくれている間に、わたしは頭の中の曇り空を息で吹くように追い出して行く。しっかりしろ、と自分を励ました。この二ヶ月間であったことを、頭の中でスライドショーのように順番に再生する。もしかしたらキリは、わたしがだめなやつだから、合わせて違う自分を演じていたのかもしれない。わたしが知っているキリは、本当の彼なのだろうか。

 ぐるぐると頭の中を掻き回して、最後に思いついたのは、自分でも意外な答えだった。もしそれが本当の彼ではなかったとしても、わたしがキリと過ごして感じたことは何も変わらない。


 二人はショーケースの前でしばらく話をしていたが、そのうちリョウがわたしの方に歩いて来た。彼は先ほど自分がした質問をもう忘れてしまったようで、ニコちゃんも良かったら見てね、と言ってわたしの近くにある飾り棚を手で指す。


 わたしは大きく息を吸うと、リョウの目を見て言葉を押し出した。


「わたし、わたしが作ったオムライスをおいしそうに食べてくれるキリが好きです。特に何か言うわけではないですけど、一番自然な顔を見せてくれるので」


 言い終えた後、わたしはふうっとまだ肺に残っていた息を吐く。先ほどの後ろ姿のまま、金髪を掻き上げるキリが視界の隅に見えた。

 リョウは突然のわたしの発言に少し驚いたような顔をしていたが、素敵なことだね、と細い目をさらに細くして温かい笑顔をわたしに向けた。


 別にわざわざ言わなくても良かった。でも何だか、自分でもよく分からないけれど、言いたかった。わたしが吐き出した言葉は嘘ではない。本当だ。

 わたしはキリの後ろ姿を見つめて、心の中でべっと舌を出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます