第十話 革命

 食べ終えた食器を片付けて、わたしはソファの定位置に座っていた。キリはベッドルームで出掛ける支度をしているようだ。原宿に行かれることになったけれど、よく考えたらわたしは外に出られるような服は何も持っていなかった。ここへ来た時は、施設を飛び出したままのパジャマだった。キリの服を借りることしか選択肢はない。でも、いくらキリが小柄で華奢だといっても、わたしが彼の服を着たら完璧にサイズ違いだ。わたしの身長は、女子中学生の平均を大きく下回っている。不自然な格好だと怪しまれやしないだろうか。


 どうしようかと頭の中の糸が絡まりそうになっていた時、ガラガラとベッドルームのドアが開く。いつもよりそっと開いたドアから、キリがゆっくりと出て来る。


「これに着替えろ」


 その言葉とともに、わたしの顔に向かって何かが飛んで来た。もっと優しく渡せないの、と思いながら頭からお化けのように被ってしまったそれを両手で取る。

 広げてみて、驚いた。


「……かわいい」


 ワンピースだった。スカートの部分はAラインというのだったか、ふわりと広がっている。白地に小さく控えめな花柄が散っていて、腰から下は部分的にベースの花柄とは違った赤い生地があしらわれており、スカートが揺れると見えるようになっている。どこのブランドだろう、初めて見るデザインだ。わたしが知らないブランドのものだろうと思った。

 かわいいワンピースに見惚れていたが、ふと、おかしいと思った。ワンピースを眺めるわたしをどこか澄ましたそうにじっと見つめていたキリに向けて、感じた疑問をそのまま口にする。


「なんでこんなの持ってんの?」


 キリは一度大きく目を開けた後、ぱちぱちと瞬きをしてわたしから目を逸らした。何か言えない事情でもあるのか、と思った。


「昔、仕事で」


 いつもの強気な口調が少し弱まったようにそう言うキリに、わたしは捲し立てるように新たな質問を投げる。


「キリ、あんたどんな仕事してたのよ」


 軽蔑したような目でじとっと彼を睨んでやると、お前が思っているような仕事じゃねえよ、と口の中で言いながら、キリはドアをがたん、と閉めてそそくさとベッドルームに戻って行った。

 閉まったドアをもう一度睨んでから、わたしはそのワンピースに着替えて、くるりと一周回った後、顔を下に向けてワンピースを見た。本当にかわいい。わたしの身長のせいでスカートはデザイナーの目論見より少し長くなっているのかもしれないが、サイズが合っていないようには見えないだろう。

 ふわふわとスカートを揺らしてみたり、身体を捻って後ろ側を見たりしていると、またベッドルームのドアが開いた。キリはそんなわたしの姿を、無表情だがどことなく満足気な顔で一度見た。少し頬の辺りが熱くなったのを感じて、わたしはソファにどすん、と座る。

 彼は大きなポーチのようなものをわたしに差し出しながら言った。


「メイク、自分で出来るか? そんな童顔丸出しで一緒に歩かれたら、子持ちだと思われる」


 馬鹿にされたような気がして、頭の方に熱いものが上がって来るような感覚がした。童顔というのはわたしの一番のコンプレックスだった。小学生に間違えられることもよくあった。頭の中はほかの子よりもとっくに冷静なのに、容姿だけで判断されるのが心から嫌だった。

 出来るに決まってるでしょ、とポーチをキリの手から引っ手繰る。少しでも大人っぽく見られるように、いつも買っている雑誌のメイクのページをよく読んで勉強していたので、メイクは得意だった。ベッドルームのドアを閉めてリビングのソファに座る彼を見ることなく、わたしはポーチを開けて、その道具の多さに目を見張る。本当にキリはどんな仕事をしてたのだろうか。もし女の子を利用するような仕事だったらどうしよう、と考えて、突然背筋を指でなぞられた時のような感覚を感じた。それとも、元彼女の置き土産か。それもそれで良い気がしなかった。木々のようにざわざわと心が音を立てる。

 わたしは躊躇いながらもポーチの中身をがさがさと探って、今日のワンピースに合うよう、且つ大人っぽく見えるようメイクを始めた。久しぶりだったが、やり始めるとさらさらと手が動く。

 そろそろ完成、という頃になって、真ん中の席を空けて同じソファの端に座るキリが、立ち上がりながら言う。


「髪、やってやるよ。黒髪ストレートロングの前髪ぱっつんはそのワンピースに合わない」


 女の子のヘアセットまで出来るのか、と大きな溜息が呆れるわたしの口から出て行った。女の子を使ってお金をもらうような仕事をしていたのだろう、と思い、身体がひんやりするような気持ちになった。ベッドルームに一度戻る彼を横目に、わたしは最後にリップを完成させてメイク道具を片付けた。ガラガラ、とドアを開けて、鏡とヘアアイロン、スプレーを持って来たキリを不機嫌な顔で見つめる。そんなわたしに視線をくれることなく、彼は先ほど座っていたソファの端に再度腰掛けた。


「ここ座れ」


 キリは自分が座っているソファの前、カーペットの上を指差すと、鏡をテーブルに立ててヘアアイロンを手に取った。そういう関係の仕事をしていたということは、腕は確かだろう。もう、諦めた。やってくれるというのなら拒む必要はないと思い、わたしは彼をちらりと見てから言われた通りに座った。

 彼はそっと、壊れ物を触るかのような躊躇いがちな手つきで、わたしの髪を触った。まるで、殺人をするような人のそれではないように感じた。彼の手の温もりが髪からわたし自身に伝わって来るような感覚で、ふわっと優しい気持ちが心に毛布を掛けるようだ。それが何だか心地良く感じて、わたしはほかのものに邪魔されないように目を瞑り、その感覚を味わった。


 最後にしゅっとスプレーの音がして、完成、と無機質なキリの声が聞こえた。目を開けると、そこには綺麗な巻き髪になったわたしがいた。目の上で切り揃えていたのが伸びて中途半端になってしまっていた前髪は、緩く左側に流れるようにセットされていて、メイクを映えさせている。すごい、と素直に思った。今思っていることをそのまま言おうと思ったが、言葉が喉の奥に詰まってうまく出て来なかった。


「こっち来い」


 鏡に視線を蜘蛛の糸のように貼りつけたままのわたしに、キリが立ち上がって声を掛けて来た。

 何とか視線を彼の背中に移すと、キリがベッドルームのドアを開けた。その部屋に、わたしは入ったことはなかった。禁止されているわけではないけれど、キリのプライベートスペースにずかずかと入って行くのは気が引けたからだ。

 ドアを初めてくぐると、まずはベランダに出られるようになっているのだろう、大きな窓が目に入った。アパートの前に広がっていた駐車場がよく見える。次に綺麗に片付けられた部屋を一望すると、リビングと同じようにダークカラーで統一されたチェストとダブルベッド、机、本棚が置かれていた。相当衣装持ちのようで、一部屋分あるのではないかと思えるくらい大きなクローゼットの引き戸が見えるほか、それでも入り切らなかったのか、ハンガーラックに服がたくさん吊るされている。本棚にはずらり、と数多くの本や雑誌が綺麗に並んでいた。机の上のペン立てには、カラフルな色鉛筆とペンが立てられている。リビングとこの部屋とを隔てる壁に、大きな姿見が掛けられていた。キリはその前を指差すと、こっち、とわたしを促す。

 わたしはその姿見の前に歩いて行き、それに映し出された自分の姿に息を呑んだ。わたしではないみたいだった。かわいいワンピースを着て、綺麗に髪を巻いた、大人の女性。こんなに自分が綺麗になれるなんて、塵ほどにも思っていなかった。鏡に映る息を止めたまま吸い込まれるようにこちらを見つめるわたしの後ろに立つ、澄ました様子のキリに気づくまでにかなり時間が掛かってしまったと思う。鏡越しに彼の目を見ると、キリは目線を下げて、スカート長すぎたかな、と呟いた。その後すぐに向き直ってクローゼットに向かうと、中から革のジャケットを取り出して言う。


「それだけじゃ寒いから、上にこれ着ろ。男物だけど、前がジッパーになってるから合わせも関係ない」


 わたしはそれを受け取り、姿見の前で羽織った。甘いイメージのかわいらしいワンピースに、少しハードな革のジャケット。良いバランスになった。サイズは大き目だが、それがまたオシャレに見える。

 わたしは大人の女性になったような自分の姿をもう一度見て、身体がふわっと軽くなるのを感じた。

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