第八話 思い出と無

「あのさあ」


 朝食の片付けを終えて、着替えるために一度移動した洗面所から廊下を通り、リビングのドアを開けたわたしに、ソファの上のキリが言葉を投げて来る。彼はアルバイトに出掛けるため、すでに着替えを済ませて時間を潰しているのだろう、パソコンを開いていた。キリが家を出る時間まで、まだ一時間ほどあった。わたしは男性のファッションには詳しくないけれど、キリの服装はオシャレだ、と思う。色は基本的に黒で統一されているが、服のデザインが良い意味で個性的で純粋に格好良い。俗にいわれるアヴァンギャルドという言葉があるが、そういう表現が良いだろうか。新しいものを積極的に取り入れているようなイメージだ。先ほどまでぼさぼさだった金髪は、綺麗に整えられている。

 わたしは何ですか、と言って後ろ手にドアを引き、もう片方の手に持っていたものをポケットに閉まった。


「今ポケットに入れたやつ。いつも持ってるけど、何?」


 キリはパソコンの画面から目を離し、わたしの方を見て言った。わたしはポケットの中にもう一度手を入れて、それを出しながらソファへと向かう。


「これ? リボンだよ。髪飾り」


「お前は馬鹿か。そんなの見れば分かる。なんでそれを肌身離さず持ってるんだってこと」


 キリはわたしの手の中にあるリボンを一度だけちらりと見て、溜息混じりに言う。

 嘘を吐こうか、と心に問い掛けてみたが、出会った日の夜に散々身の上話をしておいてここで嘘を言う理由はない、と返って来た気がした。わたしは自分の定位置、ソファのキッチン側にわざとどすん、と座って少し長めに息を吐く。反対側の端に座っているキリにその振動が伝わり、彼がじとっとしたいかにも迷惑そうな、昼寝中に起こされた猫のような視線をわたしに向けているのが分かった。

 わたしは彼の方を見ずに、リボンを見つめて話を始めた。


「家族で出掛けた時に買ってもらった、らしい。覚えてないんだけどね。お世話になってる施設の指導員さんがそう言ってた。自慢してたって。わたしと両親の繋がりってこれだけだから、覚えてないけど一応、大事に持ってるの」


 話をしながら、何だか縛りつけられているかのような、窮屈な感覚があった。

 実際に髪に着けたことは一度もなかったけれど、わたしはそれを必ず持ち運ぶようにしていた。寂しくて家族の温もりを感じたいから、とか思い出を大切にしたいから、とかいう気持ちはなかった。ただ、両親のことをまったく覚えていないわたしは、それが無くなったら両親との繋がりが無くなるということになる、だから大事にしなくちゃいけないんだ、と思い込むようにしていた。繋がりが無くなったらどうなるというのは特にないし、困ることもないのだが、何となく両親に悪いような気がしていたからだ。

 キリは少しこちらに身体を傾けて、真っ白くごつごつと骨ばった手をわたしの方へ差し出すと、手のひらを上に向けた。彼は何も言わなかったが、わたしはその上にリボンをそっと載せた。それを自分の方へ持って行き、顔を近づけて観察しながらキリは言う。


「花の遊園地じゃん」


 わたしはこくん、と頷く。赤地に白い花柄が入り、髪を縛れるようにヘアゴムが付いたそのリボンには小さなタグが付いていて、知らない人はいないであろう有名な遊園地のロゴが刻まれていた。そこは花をテーマにした遊園地になっており、世間では「花の遊園地」と呼ばれている。四季に合わせた花がたくさん咲いていて、観覧車などの乗り物もたくさんあると学校で誰かが話していたのを思い出す。


「そう。家族で行って、そこで買ってもらったみたい。花の遊園地に行ったのは、その一回だけ」


 ふーん、とキリは小さく呟いてから、わたしにリボンを差し出した。自分から聞いておいて興味がなさそうな反応をするのは、前回わたしが身の上話をした時と同じだった。わたしがリボンを受け取ると、キリは立ち上がった。リボンを見つめていると、上から声が降って来る。


「もうそろそろ死ぬんだから、その時が最初で最後の遊園地ってわけだ」


 冷たい人だ、と思った。そして、自分から死にたいと言っているのに、わたしはわがままなやつだ、とも思った。リボンから目線を外し、どこを見るともなく、わたしは空間を見つめながら呟いた。


「死ぬ前にもう一度、行ってみたかったな」


 わがままついでにそう言った自分を、わたしはとてつもなく醜く感じた。何を言ってるんだ、と自分で自分を笑ってやりたい気持ちだ。どうしてそんなことを言ってしまったのか、自分でも分からない。自分自身が憎くて、惨めに思えた。さっさと死んでしまいたかった。

 わたしの頭の中で巻き起こる葛藤に気づいたかどうかは分からないが、キリは大袈裟に溜息を吐いてパソコンを閉じ、持ち上げた。アルバイトなんて行ってないで、今すぐにわたしを殺してくれれば良いのに。出掛ける支度をするのだろう、パソコンを持ってベッドルームに向かうキリの背中を睨みながら、わたしは強くそう思った。

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