第三話 懇願

「お前どこまでついて来るんだよ。俺、子どもには興味ないんだけど」


 わたしの決死の提案を無視して、現場から去ろうとする彼の背中を追い掛けて市街地まで出て来た。とはいえ深夜の街だ。人はほとんどおらず、たまに酔っ払いがふらふらと巣を目指す蟻のように家路についているくらいだった。


 あの場に一人取り残されるなんて、絶対に避けたかった。犯人と疑われたくないからというのもあるが、とにかくあの場に横たわっていた死んだ人と二人きりになるのが心底嫌だったのだ。

 それに、わたしはもう、決心している。彼に殺してもらわなくてはいけない。わたしには帰る場所はもうない。死にたい。わたしは決意を、絡まった糸のように固結びしていた。


 彼はというと、ずっと無表情を貫いていた。黒いロングコートに身を包み、中に着ているのだろう、パーカーのフードを頭に被っている。男性とは思えないほどの白い肌とコートが対照的で、顔だけが浮き上がって見えた。中性的な整った顔立ちをしていて、どこか爬虫類を連想させるような大きく鋭い目が印象的だが、その目の奥に表情はまったく感じられない。年齢は二十代前半といったところだろうか。身長は小柄で、酷く痩せており、黒いスキニーパンツを履いた脚はまるでマッチ棒みたいだ。遠くからこの華奢な体形だけを見れば、わたしと同じくらいの歳にも見えるかもしれない。

 彼の容姿でわたしが驚いたのは、被ったフードからちらちらと揺れる金髪だった。普通、殺人犯というのは目立たない容姿を好むのではないのだろうか。それとも、わたしは刑事ドラマの見過ぎなのだろうか。


「ストーカー罪で訴えるぞ。これ以上ついて来るな。誘拐だと思われたら心外だ」


 人殺しに言われたくない、と思った。そもそも人殺しのくせに、わたしの立候補を無視するなんて許せない。殺人犯の気持ちはよく分からないが、女子中学生を殺められるなんて、きっと二度とない素晴らしい機会だ。それもこちらからお願いしているくらいなので、途中で逃げられてしまったり失敗してしまったりすることがないのは確実だ。拒否する理由はないだろうと思った。


「ねえ、なんでだめなの? 人殺しのくせに」


「俺は死にたいって言ってるやつは殺さない。プライドが許さない」


 彼は後ろからついて歩くわたしを振り返りもせず、速足で歩きながら言った。

 人殺しに選択の権利なんてあるのだろうか。殺人をしているくせにどんなプライドだよ、と思った。まったく理解出来ない。

 しかし、分かりました、と引くつもりは毛頭ない。追い詰められた蛙のように、わたしにはもう後がないのだった。


「殺してくれないなら、このまま交番に行って今日見たことを全部話す。あんたの顔、しっかり見たからね。あんたは刑務所行きね。かわいそうに、もう人を殺せない」


 わざとらしく強気な口調で、彼の背中に向かって言葉を投げる。


「脅しか? どうぞご勝手に」


 まったく声色を変えることなく、青白く、骨が浮き出た右手をコートのポケットから出してひらひらと振りながら、彼はそう言った。その小馬鹿にしたようなセリフに、頭の辺りが熱くなるのを感じた。

 わたしだって、馬鹿じゃない。それなら彼のプライドを紙切れのごとく、ズタズタにしてやれば良い。わたしの決意は固かった。ここまで来ると、引くに引けない。


「それじゃあ、あんたに誘拐されて逃げて来ましたって証言するよ。それでも良いなら、わたしはこのまま交番に向かう」


 彼は突然振り返り、無表情のまま言った。


「機転が利く子どもだな。そろそろ本気で帰らないと、家出したこと親御さんにばれるぞ」


「わたしの親は死んじゃったの。親御さん、なんてのはいないから安心して。心から心配する人なんて、いないから」


 嘘ではなかった。わたしが飛び出してきたのは、両親のいない子どもたちを世話する施設だ。

 わたしが四歳の時、両親は深夜に自宅へ忍び込んだ通り魔に殺害された。犯人はすぐに逮捕されたが、両親とは一切面識のない人物だったと聞いている。恨まれていたならまだしも、通り魔に殺されるなんて運の悪い人たちだ。

 わたしはそれきり、施設で育っている。まだ小さかったので両親のことは何も覚えていないし、殺した犯人も恨んでいない。両親がどんな人たちだったのか、わたしにどれだけの愛情を注いでくれていたのか知らないのに、なんだかうまく恨めなかった。温かい家族に囲まれて、なんて生活をしたことがないので、それが良いことかどうかも分からない。施設でも温かい指導員や友達がいることはいるし、家族だろうが何だろうが同じことだ。第一、わたしは感情というものを感じる心が壊れている。


 わたしの存在を一切無視するかように、今にも走り出しそうな速足だった彼の歩みが少し緩んだ。溜息とも深呼吸とも取れる、長めの間を置いてから彼は言った。


「親を殺すような作り話をするほど悩んでるって言いたいわけだ。分かったよ。こんな時間にパジャマで山道を帰って凍死でもされたら、死にたいやつが死んだってことになる。そしたら俺のルールにそぐわない。朝までうちでかくまってやるよ」


 意外な言葉に少し怯んだが、わたしは急いで返事を返す。


「じゃあ、殺してくれるね?」


 今のわたし自身が出来る、最高の笑顔で言ったつもりだ。きっと、これまでの彼との会話の中で一番明るい声だったと思う。

 親がいないというだけで同情するような人が殺人をするとも思えないので、彼がどうわたしの話を歪曲させて取ったのかは分からないが、とにかく考えが変わったようだ。もしかしたら、ただ単にプライドがこの冬空のように高いだけかもしれない。嘘じゃない、と否定しようかとも思ったけれど、別に信じてもらえなくても良い、と思い直す。わたしにとって、それほどに大きな問題ではないと感じた。


「俺はお前を殺せないって言っただろ。頭冷やして、明日の朝には帰ってもらう」


 彼は振り返って、無機質な目でわたしを見て言った。

 彼のルールは簡単に曲げることは出来ないようだが、とにかく、今夜一晩時間が出来たことで一山超えた。あとは明日の朝までに彼を殺る気にさせれば良いのだ。連続で殺人をするような人だ、その気になれば蝿を殺すように簡単にやってのけるだろう。


 わたしは返事を返さず、置いて行かれないように、暗闇と同化する黒いロングコートの酷く痩せた背中をしっかりと見つめながら力強くついて行った。

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