35

 ボクはボストンバッグに、教科書や参考書を詰め込んだ。別宅に移り住むつもりで制服や着替えも詰める。


 それ以外の荷物は兄と女性が外出している間に、少しずつ持ち出せばいい。


 もしもこのことを旅行中の両親が知れば、泣いて暴れるに違いない。


 兄は不倫の挙げ句に年上の女性と同棲、ボクは担任教師と同棲。両親は半狂乱になるかも。


 荷物を持ち出し玄関まで行くと、兄と女性がリビングから出てきた。


「アリッサムさん、ごめんなさい。私のせいで別宅に住まわせるなんて……。何と詫びればいいのか……」


 兄を上目遣いで見上げ、申し訳なさそうに彼女が頭を下げた。年齢は兄よりも上だけど、その仕草は上品で妙に色っぽい。兄は彼女のこんなところに魅了されたのかな。


 その証拠に兄は満足げに微笑んでいる。

 ボクよりも彼女を『愛している』と、その目が語っている。


「……いえ、気にしないで下さい」


「兄弟の血は争えない。アリッサムも年上が好きなんだな。しかし、アスターとアリッサムがもうキスをすませていたなんて驚いたよ。でもアリッサム、お前はまだ学生なんだ。パブリックスクールを卒業するまでは、一線を越えてはいけないよ」


 一線って何なんだよ。

 自分はとっくに越えてしまっているくせに。


「アレはアスターに挨拶をしただけだよ。お兄様も一線を越えないようにね」


 兄はボクの指摘に、若干動揺している。


「アリッサム、俺達は大人だ。彼女も独身に戻ったわけだし、一線も二線もどうってことはない」


 国王陛下に睨まれているくせに、よくいうよ。


「では、お兄様、しないようにね」


 ボクに手を振る兄をギロリと睨み付け、そのまま本宅を出る。大きなボストンバッグを抱えて広い庭を横切る。


 ボクは公爵なんだよ。こんなに重い荷物を持たせて、別宅までは数十メートルもある。使用人に全員暇を出すなんて信じられない。


 別宅の前で、息を切らしながらボクは呼吸を整える。


 アスターはボクのことを受け入れてくれるのかな?


 ボクの制服姿を見て以来、アスターはボクを無視しているんだ。完全に男の娘だと勘違いしている。


 アスターの意思は固い。露骨に迷惑がるか、ボクを玄関でシャットアウトするかのどちらかだ。


 最近のアスターの態度を考えると、少し不安だった。玄関でシャットアウトされる可能性が高いからだ。そうなったら、本宅に出戻りだよ。


 ――ドンドンドンドンドンドン……。


 玄関ドアを叩くと、案の定無視された。


 こんなことには負けないよ。

 今夜は強い意思でここに来たのだから。


 ――ドンドンドン……。


 ――ドンドンドンドンドンドン……。


 ――ドンドンドンドンドンドンドンドンドン……。


 ていうか、ボクの手は鼓笛隊のバチじゃないんだからね。


 ドアを叩きすぎで、手がジンジンしている。白魚のような美しい手が、腫れて河豚みたいになったらアスターに責任とってもらうんだから。


 カチャッと小さな金属音を鳴らし、ドアが開いた。


 やっと、アスターが現れた。

 不機嫌な顔だったけど、ボクは心から安堵したんだ。

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