戸惑いの循環(2)
――その少女が頭を下げる意味を、金髪紅眼の少女は正確に理解していた。
「戦霊院さん、自分の立場わかってるの?」
雪の目には那岐の後頭部が見えていた。
那岐が頭を下げていた。腰を折って、きちんと頭を下げている。四鳳八院としてあり得ない光景。やってはならぬ仕草。
当然、雪は何を願われているかを理解している。
雪は鼻で笑いたくなる気分を必死で堪えた。この試験は中継されている。流石に四鳳八院を嗤うような真似はまずい。自分の振る舞いは巡り巡って火神浩一の不利となる。
那岐は言う。
「わかってる。これが学園都市中に放送されていることも。この後、私がお父さまに叱られることも」
「だったら戦霊院さん、私の立場も考えてよ。ここで頭を下げられても――」
「わかってる! でも!!」
雪の言葉を那岐は大声で遮った。そして言う。
「私は浩一と一緒にパーティーを組みたいのよ。東雲さんの意図はわかったし、納得もできた。だからお願いします。もう一度試験をしてください」
雪の感情は即座にダメだと断じた。
火神浩一はこれから尋常ではない戦いを行うことになる。
その時に察しの悪い愚者を傍においておくわけにはいかない。
置けば必ず浩一の害となる。如何に優秀だろうとも本質を捉える力が弱い人物を傍に置く訳にはいかない。
だが、と理性が雪にその判断を堪えさせた。
(この女は愚かだけど、覚悟と力と財力はある。上手く
なにせ、判断を間違えたとはいえ、ここまでできた者は過去にもいなかった。
常人ならば力を制限する首輪を嫌がり、ああだこうだと反論して有耶無耶にしようとする。
だが那岐は自らの力を制限される首輪を素直につけたし、こうして
――その点のみは加点しても良い。
だが果たしてそれは再試験を行うのに相応しいだけの加点かと言えば、そうでもない。
雪の基準で言えばそれは当たり前だからだ。
だが理性――世間一般の価値基準を有する雪の脳が、このような人材、再び巡り合うこと自体が奇跡だろうという判断をする。
苦渋の決断だった。
浩一のためにも、ここで切るべきだったと後悔する未来があるのかもしれなかった。
だけれど、と雪は迷う。
(戦霊院那岐の
四鳳八院の名の重さを理解しながら、雪に頭を下げられるというのは少し以上に、
雪とて浩一のためだけに生きているわけではない。雪の本性、肉食獣が如き個人的な好奇心が疼く。
この女はどこまで自分を保っていられるのか。
追い込んで、追い込んで、その澄ました顔の一枚下を覗き込めればあるいはそれも理解できるのかもしれなかった。
妖しい奴らがこのダンジョンに何か仕掛けをしていることはわかっていたが、それを使って見るのがよさそうだった。
無論、己も危地に立たされるし、死の危険も膨れ上がるが、最終的に浩一のためになるのだと思えばなんの躊躇も湧かない。
那岐の本性を暴ければ、パーティーに加えるにせよ、加えないにせよ、浩一にそれを報告できる。
雪は深い、深い嘆息をする。そうしてから那岐へ問いかけた。
「戦霊院さん、顔を上げて。それで浩一のダンジョン実習の目的は?」
「戦闘経験の蓄積」
「そのために私達がすべきことは?」
「火神浩一のサポート。火神浩一が最大限に戦闘経験を蓄積できるよう、必要なことの全てを私達が行う」
「そう……そう、だね」
那岐は今、浩一のためにプライドを捨てている。あらゆる意味で不合格な那岐だが、雪はその点を評価しても良いと思った。
そして那岐はこの試験の趣旨を理解した。浩一に必要なことを知ったのだ。
那岐が自分で気付いたのなら雪は、この時点で合格を出してもよかった。
だが那岐は気づけなかった。
(さて、どうするかな……本来は既に失格、というかもう失格にしてるんだけど)
こうしてプライドを捨てた那岐を見て、雪の興味は疼いている。
やはり、その言葉を吐き出すには勇気がいる。
那岐を追い込むことに興味はあれど、雪だって浩一のいない場で無茶をするのは避けたい。
この天体迷宮、宇宙空間のようなダンジョンは雪ならば簡単に生命を落としかねない上位の戦場だ。
失敗すれば本当に死ぬのだ。こんなところで死ぬのは雪とて御免だ。
だけれど、この女が本当に浩一に必要なのか。
見極められるのは雪だけなのだとしたら――義務と興味が心を後押しする。
だから、言った。
「わかったよ。試験を再開しよう。失格は取り消すよ」
「あ、ありがとう! 東雲さん!!」
ぱぁっと顔を喜色に染める那岐を見ながら雪は心中で呟いた。
(じゃあ、どこまでできるのか見させて貰うよ。戦霊院さん)
この先の死闘を想い、雪は小さく唇を噛んだ。
◇◆◇◆◇
火神浩一は会場に浮かぶ巨大ウィンドウを見ながら言う。
「なにをやってるんだ。あいつら」
再試験。禁止されているわけではないが天門院がごちゃごちゃと言ってきそうな項目だ。
だがそれよりも周囲のざわめきの原因は、戦霊院が公然と頭を下げたことに対する反感だ。
東雲・ウィリア・雪はただの女生徒だ。かつての人類最強を要した東雲家の娘として名声を持っていたが、今は権力など一欠片も持っていない。
そんななんの力もない少女に対して、国家を統べる四鳳八院の一家たる戦霊院、その次期当主が頭を下げたのだ。
四鳳八院の自覚がないのか。
それとも頭を下げさせた火神浩一という存在が問題なのか。
ざわつく周囲の人間の声には戸惑いとともにそういった批判が混じっていた。
「所詮は色呆けした戦霊院と火神の幼馴染――お似合いだな。さて、そろそろいいか」
ざわめきの中、グランが呟く。
ダンジョンアタックを中継するディスプレイに皆が集中している中、ただの男を意識している存在などいない。
ゆえに、今からされるやり取りを見ている者などいない。
「なぁ、火神」
はい、と隣席へ視線を移す浩一。
そこにいるのはグラン・忠道・カエサルだ。
火神浩一の道場での先輩。もちろん道場に入った時期は浩一の方が早いが、その圧倒的な戦技と面倒見の良さからあっという間に主将へと駆け上がった逸材。
火神浩一よりも圧倒的に戦士として熟達している男。
その男ががしりと浩一の肩を掴んでいた。
「いろいろとな、お前を殺す方法を考えてみたんだよ俺は」
「…………」
突然のグランの語りにも浩一は無言だ。唐突な殺害宣言。驚きはもちろんある。悲しみもまた。ただ、不思議なほどに
(そうか。今日
「単純に暗殺ってのは無難だな。改造してないお前なら即効性の毒を使えば解毒する暇もなく昇天するだろう。そして運ばれたお前の死体は天門院所属の病院で解剖を受ける。証拠は残らない」
グランが手を振ると、指の間に針が現れる。
また、グランが売店で買っただろう軽食も傍にある。
暗殺宣言の前に勧められていたら、浩一は迂闊にも食べてしまっていただろう。
――火神浩一に暗殺を防ぐ心得はない。
ゆえに、グランの立ち位置で火神浩一の暗殺は容易だ。
同時に容易に捕まることにもなるが、グラン自体が治安機構と繋がっていれば浩一は事故で処理され、グランは無罪、真実は闇の中となるだろう。
「だが、それじゃ俺の心は晴れない。春火様の名誉も取り戻せないしな。俺たちにはお前を
無言の浩一にグランは告げる。
「しかし、真正面からの戦いになったらお前は逃げるだろう」
天門院春火単体にも浩一は負ける。これにグランが加わるなら必敗は確定だ。
浩一が激戦を好む性質を持とうとも、やる前から自らの必敗がわかっていれば浩一としてはなりふり構わない逃走に移るしかなくなる。
そして浩一を政治的に保護できるだろう東雲家の本拠地である衛星シェルターである『ウィングラン』は遠い。
ゆえにその場合、浩一としては不本意だが、聖堂院家を継ぐアリシアス・リフィヌスの保護下に入ることになるだろう。
逃走経路を横目で確認している浩一にグランは言う。
「だからよ火神、小細工をさせてもらったぜ」
見ろよ、とグランが巨大ウィンドウに映るダンジョンの風景を指さす。
そこには試験を再開した那岐と雪が人形を先頭に立ち、早足に進んでいる。
「あれが何か? ただのダンジョンにしか見えませんが」
敵と認識しても敬語が抜けない。浩一は心中で呻く。まだ敵だと思っていないのか?
そんな浩一の様子に気づかずグランは話し続けている。
「そう、今はただのダンジョンだ。だが、通路とボスに細工をした。元々の設定じゃA+ランクの奴が出てくる道に繋がっているんだがな」
あいつらが行く先に控えてるのはSSランクの化け物だよ。そう言って、くはッ、とグランは歯を剥いて嗤った。
「天門院が用意したモンスターって奴だ。万全の戦霊院ですら死ぬような相手。お前がここで逃げるなら、あの二人はそれと衝突し、確実に逃げられもせずに死ぬことになるだろう」
「言いますがね、そんなことをして那岐が死んだら天門院秋水の目的も果たせないのでは?」
「理由は知らないが、死ぬなら死ぬでいいだろう。所詮は戦霊院の力不足。運がなかったのさ」
そもそもとグランは言う。
「俺は受けた指示はお前を殺すことだけだ。秋水様のお考えを推察するなんてのは俺がすべきことじゃない」
だが、とグランは付け加える。
「救いがないわけじゃない。そうじゃないとお前が乗ってこないからな。いいか、俺と春火様をお前が倒せればその仕掛けも働かない。わかるだろう、火神。お前がすべきことが」
浩一が死ねばこの試験自体が無意味になる。行き場所を失った戦霊院那岐を天門院秋水は勧誘するだろう。
ああ、と浩一は嘆息した。
迷いはあった。しかしすべきことは決まっていた。
雪も、那岐も、浩一にとっては大事な人間だ。
できることがあるならば、躊躇はない。
「ええ、わかりますよ――いや、わかったよ。グラン・忠道・カエサル」
お前を倒せばいいんだろう、とグランの手を振り払い、浩一は立ち上がった。
その目に宿るのは殺害志向の熱を孕んだ戦意。
じりじりと火傷しそうな浩一の目、それを見たグランは満面に喜色を浮かべた。
「くはッ、良い目だ。さぁ、移動するぞ。ちゃぁんと戦場は用意してやってる」
そうして会場より二人の男が消えていく。
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