炎の偶像(2)
楽しい時間というものは早く過ぎる。
他の門下生が帰り、無人となった道場を歩いて行く浩一。
修練をつけてやる予定だった下級生の姿もなく、悪いことをした気分になる。明日早めに来て指導してやるべきだろうか。
(自意識がすぎるか……)
本気で指導してほしかった後輩があの中に何人いたか浩一にはわからない。ただ早朝に呼びつけてまで指導されたい後輩が何人いることか。
先輩の強権ととられても面白くない。考えを自分の中で転がしてから放り捨てると浩一は自分のことに意識を向けた。
「ああ、本当に良い時間だったな」
桐葉の指導は過酷だった。常人ならばいっそのこと殺してくれと願うような時間で、あらゆる学生が無駄だと切り捨てるような拷問行為だった。
だが、浩一の中には楽しげな感情が存在している。新しい技術に触れられた喜びだ。
もちろん疲労はある。度重なるオーラの行使によってか、集中力がいくらか尽きている。
気力などは殺害志向のお陰で多少の時間が経てば湧いてくるものではあるが、疲労は隠せない。
薬で
「しかし針……針か」
『相原流口伝・身体気穴図』――桐葉に命じられた新しい技術に関して浩一は頭を悩ませる。
(戦闘ではなく、医療用だと思えば……俺でも使えそうだが)
自分に使う分には
(桐葉さんの考えることはわからないが、対人技術をそこまで学ぶ必要があるのか?)
師の意図に悩みながら浩一は相原館を出る。
「む……?」
そして敷地と相原館を隔てる門前に見知らぬ誰かが立っていることに気づく。
――瞬間、それが尋常ではない人物だと気付かされる。
身体の内側から隠しきれない魅力を放つ、腰まで伸ばした美しい銀の髪に、金色の瞳の少女がいる。
美しすぎて、人間味がない。四鳳八院に特有の絶対的な容姿の持ち主だ。
最近は頻繁に遭遇するので見慣れている
浩一は即座に『殺害志向』の熱で
「おっそーい! おそい! おっそすぎ! 何やってんの? 他の奴らはとっくに帰ってるわよ!?」
「おそいって……なんだそれは? 俺に言ってるのか?」
少女の様子に浩一は念の為、警戒態勢をとるもそこに敵意や害意は見えない。
だが、この容姿、美しすぎる人間への警戒心は高まる。
「ごめんごめん。べっつにアンタを刺激しようってんじゃないのよ。私ってそんな感じなのよ烈火が如く侵略せよ! ってね!」
どういう信条だよ、と突っ込みたくなるが、目の前の少女はニコニコと笑っている。
作り物のような笑顔だが、そこに敵意は欠片も見えない。
否、否、と浩一は否定する。そうではない。その顔には
「見覚えがあるな。アンタの顔は。どっかで見た」
「ラ~ヴァ! いい感じねアンタ! っていうか遅いおっそい! 反応おっそい!」
少女は火のように明るい。そう火。火のような女。銀髪金眼の気持ち悪いほどの美貌。
そうだ。この少女については見覚えがあった。そのツインテール。メリハリのある豊満なボディ。なによりその、他者を魅了する
「
「プロミネンス! 流石私! 田舎侍でも知ってるさいっこうの知名度! ついでに言うと天門院秋水がリーダーを務めるクラン『天の門兵』の副リーダーやってまーす! ちなみに今日はアイドルとしてじゃなくて『天の門兵』の副リーダーとして来ましたー。ちゃららっちゃらーん」
バカみたいな声にも聞こえる軽い声だが、そこに含まれた韻律に浩一は脳を揺らされる。声に
そう、エンジェル・クリムゾン。
ゼネラウスに住む軍人民間人ほぼ全てに信仰されるレベルで有名なアイドルバンドだ。
浩一も雪に勧められてその曲を聞いたことがある。
ポップな雰囲気だが、込められている熱量はまるで魂を焦がすかのようで、純粋に良いと思った記憶もあったぐらいのもの。
とはいえ、エンジェル・クリムゾンがアイドルバンドと言っても、有名なのは浩一の目の前にいるヴォーカルの天門院春火、二つ名『
彼女が光り輝いている分、他のメンバーの影は薄い。
もちろん他のメンバーもスタッフも一流の人材だ。ソロでやっても通用する人材達であるが、超一流である春火の前では何もかもが霞む。
専攻科『アイドル』。モンスターをも魅了する美声とダンステクニック、公式ランクSSにして、戦技ランクSの『
――つまり、浩一を殺せる人間兵器である。
息を整える。戦場と同じ気分で相対せねば生命を失う。背後に一瞬だけ視線を戻す。Sランク相手だ。浩一ではまともに戦えば何もできずに殺される。
桐葉はどうだろうか、呼び出せば応じてくれるか?
否――たかがアイドルぐらい、自分でなんとかしろと言うだろう。
まずは様子を探るべく、浩一は春火へと問いかける。
「で、何のようだ? 那岐に説得は効かないぞ?」
ゼネラウスのナンバーワンアイドル相手とはいえ、さっきまで傾国の美女と手取足取り修行をしてきた浩一だ。
春火の美貌に特に動揺もせず、来訪の理由を推測して問いかける。天門院秋水とは那岐の件で先日やりあったばかりだ。天門院春火が出てくるならそれが理由だろう。
「不正解! 私の目的は貴方です、火神浩一くん! あ、素敵な名前ね。私的に結構ポイント高いわよ。火神ってのは」
褒められたので、どうも、とだけ浩一は返した。
どこまで本気かわからない。浩一の前で春火は軽快なステップを踏むと指をつきだして言う。まるで映画かなにかのワンシーンかのように。
「貴方の勧誘に来ました! どう? 私の個人的な部下として『天の門兵』に入らない? あ、私の部下ってことならお兄様の許可いらないから大丈夫よ! ちなみにお兄様っていうのは天門院秋水のことよ。リーダーのね!」
「わかってるよ。それで、俺を餌に那岐を『天の門兵』に入れようってことだろ?」
「プロミネンス! 正解正解大正解! いや、天門院と戦霊院が争うとかよくないし。あ、大丈夫よ? 私の部下って言っても無茶なことはさせないし、忙しすぎる私は貴方と一緒に探索とかできないけど『天の門兵』の優秀な人材が弱っちい貴方を全力サポートするから! 貴方は気にせず今より環境がよくなるぐらいに捉えてくれればいいから!」
かつての最強クランであった勝利の塔が崩壊したことで、名実ともにアーリデイズ最強のクランとなった天の門兵が探索のサポートをしてくれる。
それは浩一にとっては最高の話だろう。
アリシアスが全力でサポートしてくれた時には劣るものの、きっとそれに匹敵する待遇を受けられるに違いない。
雪と二人で探索するよりも何倍も何十倍も効率の良いものになる。それぐらいは浩一にも理解できた。
それに天門院春火は全てを正直に語っている。変に隠し事をせず、浩一に真摯に接している。
秋水よりはずっと好感の持てる女だった。だから浩一は
「よし! よし! やっぱりゼネラウス最強のアイドルが頼めば一発解決よね! ねぇ、私ってお兄様より有能って噂が立っちゃうかしら!」
豊満な胸を見せびらかすようにして腰に手を当て、ほほほほほ、と笑う春火。そんな彼女に浩一はうんと頷いてみせた。
「ダメだな。俺は入れない」
「なんでよ!? はぁ!? はぁー!? なんですけどー! 信じられない! 理由! 理由を言いなさいよォーーーーー!!」
「天の門兵は好みじゃない」
誰にだってプライドはある。いかにそれが効率がよかろうとも、天門院秋水は一度浩一を散々に見下した。
立場だけとはいえ、そんな人間の下に付くのは御免こうむる。
「好みじゃないって……ああ、もう、ぐぬぬぬ。めんどくさいなー! 君はーー!!」
そして天門院春火はそういった
浩一の本音が何なのかわからずとも浩一が天の門兵に入らないことだけをその嗅覚で嗅ぎとる。
もちろん浩一も鬼ではない。明らかな格下である浩一が、格上の誘いを断ったというのに、激怒せずに殺さずに済ませたのだ。
つまり、春火は礼を尽くしてくれている。
浩一としては多少の融通を聞いてやるつもりがあった。
(そうだな。もし那岐が雪に食らいついたなら、雪は
それに火神浩一としては、この少女に大いに興味がある。
戦技ランクS、二つ名は『
ゼネラウスの民衆全てを虜にしているナンバーワンアイドル。
胸ぐらを掴んできそうなほどに接近してきた春火に対し、浩一は言ってやった。
「クランには入らないが、那岐の説得はしてやらんでもないぞ。ただし――」
ただし? と呼吸音さえ聞こえそうな距離にまで詰め寄ってきた春火に浩一は告げた。
「――お前の身体を今晩貸してくれたらな」
「へ、変態変態変態ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
当然、浩一は烈火の如くキレられた。
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