熱の在り処(3)
――「ごめんね。こればっかりは私も譲れない」
雪に言われた直後に、那岐はがりがりと乱暴に頭を掻き、どすんと音を立てて椅子に尻を落とした。
治療を終えた雪が隣の席からずるずるとテーブルを引きずってきて自分たちの前に置いた。そして自分もまた椅子に座り、那岐に向かって、だからね、と言った。
「そういうわけだから諦めてくれると嬉しいな。戦霊院さんは浩一には
「いらないって、気に食わないわね。なによそれ、浩一の交友関係を貴女が決めるわけ?」
「んーん、そんなことないよ? 浩一の個人的な友人としてならいくらでも付き合えばいいんじゃないかな? そこまでは私も制限しないし」
でもパーティーメンバーには加えられない、と。雪は微笑みながら騒動で砕け、地面に落ちたカップを残念そうに見下ろす。
店員を呼ぶのも面倒なのだろう。那岐がPADからグラスとワインを転送した。
貴女もいる? と雪に聞けば頷かれたので那岐はグラスに注ぎ、差し出す。
二人とも通常のアルコールぐらいは体内で容易に分解できる。
肉体改造済みの学生に限り、アーリデイズの法では飲酒はなんら問題がない。
那岐はグラスに口を付け、中の赤い液体を飲み干しながら言う。
「東雲さん。私はどんなに言われても諦めきれないわ。この胸の奥の熱を昇華させたい。浩一と一緒に戦いたい。パーティーに入れてほしい」
真摯に言おうとも雪は応えない。那岐が差し出したグラスを揺らし、中の赤い液体を格別美味そうに味わっている。
その姿は浩一が語っていた雪の像からかけ離れている。
東雲・ウィリア・雪とはダメな幼なじみに付き合う、甘いだけの女ではなかったのか。
だが、那岐は思う。
この女はそもそもからおかしい。
先ほどの殴り合い――後衛職同士とはいえ四鳳八院製のSランクと市井の研究者が作ったAランクが殴り合いをしようとするのか?
治癒魔法の手際――下手すぎる。魔法使いだというのに、最新の理論を学んでいる様子が全くない。初めての行使とはいえ経験などいくらでも学習装置で読み込める筈。手を抜いているのか?
そして、今渡したワイン。ドネ・ジュレモの2038年物。年代は違うが、モノの成分は以前浩一と一緒に食事に行った時に飲んだものと同じだ。
これはSクラスの改造でもなければ、飲んだ瞬間に昏倒してもおかしくないものだった。
――雪は顔色を変えずにワインを飲み干している。
「うん。おいしいね。さすがお金持ち。イイ物飲んでるね」
「………………――――」
雪がにこやかに笑って、鎮静剤の入った注射器のケースを新しく転送し、那岐の方へとそっと押し出す。
それを那岐は両手で掴むと素手で握りつぶした。金属や魔導強化プラスチックが粉となってテーブルに山を作り、ぴちゃぴちゃと薬剤が手からこぼれ落ちる。そっと雪がハンカチを差し出してきたのでありがたく手のひらを拭く。
はぁ、と雪がため息を吐いた。むすっとした顔で那岐がそれでと続けようとした所で。
「
雪の返答に、ぱっと表情を明るくした那岐へ手のひらを向ける雪。まだ入れるとは言っていない。話はこれからだ。
「試験をしてあげる。ただし、いくつか条件を付けさせてもらうけどね。これ以上の譲歩はなし。受け入れられないって言うなら素直に諦めて」
そういって雪が告げた条件を聞いた那岐は、再び拳を振り上げた。
そして、なにをするとばかりに雪も拳を振り上げ――がっしぼっかがつんがつん。
「何よそれ! 私、この
「せっかく試験を出したのに! 私だって貴女のことは嫌いだよ!」
拳を振り上げ、叫ぶ那岐に。答える雪。
周囲は絶句し続けるのみだった。
◇◆◇◆◇
結局那岐はその条件を受け入れた。
受け入れるしかなかった。
東雲・ウィリア・雪は頑迷で、揺るがない。彼女の中には一本の巨大な柱があって、それは決して動かない。
それは四鳳八院という巨大な政治組織の頂点たる那岐の言葉でも微動だにしないことから明らかだった。
だから欲しいものがある那岐は受け入れるしかない。
その狂った条件を。そのイカれた条件を。
東雲・ウィリア・雪。かつての人類最強の妹。火神浩一の幼なじみ。金色の髪の紅い瞳の少女。
火神浩一がそうであるように、この少女もまた、正しく狂っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます