過去は足跡を隠し忍び寄る(2)


 警戒しつつも気を張り過ぎない程度に緊張を保った浩一は、階段エリアから出たあと、階層へと侵入を果たした。

(ここは……)

 浩一の視界に、PADが階層情報を記載したウィンドウを表示する。


 ――『【スプンタ・マンユ】 第三階層【ハルワタート】【アムルタート】』


(階層名が二つ? ボスが二体いるのか?)

 前回のアシャを思い出す浩一。

 おそらく階層の名称に対応したボスがいるのだ。

 ならばこの階層は門番たるボスが二体いることになる。

(番人という性質上、相互作用を持つ敵だろうか? 戦ったことはないが……)

 かつて大蛇と呼ばれる巨大な蛇を操っていた狐の亜人型モンスターたちがいたが、ああいう形式ではなく、相互を高めるタイプの敵が番人のはずだ。

 そういった敵は個々のランクが低くとも群体としてのランクで判断されることもある。学生がダンジョンでの評価を個人の戦技ランクではなくクランのランクで判断されるように、だ。

 とはいえ浩一は首を横にかしげながら進んでいく。精霊にはそう詳しくはない。これらの個体名は聞いたことがなかった。

(情報が欲しいが、探している暇はないか……)

 しかし、このダンジョンにはありとあらゆる学園都市の情報が存在している。

 当然この階層の精霊の情報があるのかもしれないが、浩一には悠長に情報を探している暇はなかった。

 二階層の番人が浩一ではない誰かに倒された以上、この階層の番人も倒されてしまうのかもしれないのだ。

(それは、もったいない)

 浩一の顔に凶相が浮かぶ。浩一は自分が番人を倒したかった。

 せっかく精霊などという珍しいモンスターと戦えるのだ。ぜひとも自身の経験に加えたかった。


 ――死ぬかもしれないが、だからこそだ・・・・・・


 浩一は自分の弱さを理解している。ならば、一戦でも多く他の人間より闘わなければならない。

 いずれ限界は来るだろうが、何もしていないのに、終わりを想像してどうなるというのか。

 駆ける気力がある以上は限界まで走り、倒れたその場で気づけばよいのだ。

(少し、急ぐか)

 一階層と二階層の様子を思い出す限り、トラップのような無粋なものは存在しなかった。

 書庫である以上、利用者がかかるようなものはないということだろうか?

 最低限の注意はするが、この階層も同様と浩一は考える。

 どちらにせよ本格的なトラップを仕掛けられれば前衛職である浩一では回避できないのだ。警戒は最低限で十分だった。

 浩一は自身の身体を見る。先程の戦闘もアリシアスから貰った強力な回復薬のおかげで八割方回復している。

 全身大火傷しているかとも思ったが終わってみればそれほど深い傷を負わずに済んでいた。

 気力の消耗が浩一から戦意を奪いかけていただけで、あの戦闘で失ったものは白夜が一着、マスクがひとつだけだ。

 今は予備の白夜を着ているが、また破れるのだろうなと苦笑する。

 ここを出たらミキサージャブの報酬金でもう何着か購入しておくべきだろう。

(全ては外に出てからだが)

 浩一は、行くか、と小さく呟くと走り出した。


                ◇◆◇◆◇


 大量に増殖していく木々。それらはすべて魔力で形成されていた。

 那岐の前に現れた、この階層のボスも精霊だった。

「あああッ! なん、なんでよッ! なんでなのよッッ!!」

 大小六枚の翼を『天翼』の発動によって背に生やし、空中を高速飛行する那岐の目の前には階下へとつながる螺旋階段と、それらに絡みつくようにして蠢いている人面・・の浮いた巨大な樹木の精霊。

(なんで敵に、人の顔が……こんな、ときにッ……!!)

 そして空中を遊泳する、水でできた魚の精霊がいる。


 ――名前のわからぬ二体の精霊。


 この施設と規格が合わない那岐のPADでは正確な階層情報が入らない上に、固有ユニークな精霊は情報が少ない。

 この二体の情報を那岐は知らないために、敵の名称すらわからなかった。

 だが何をしているのかはわかる。

 二体の精霊は、お互いがお互いを補助しあうことで力を増幅し合いながら那岐へと攻撃を仕掛けてくるのだ。

『『LALALALALALALALALALALALALA』』

 上の階で戦った獅子の精霊と違い、それは言葉ですらなかった。

 いや、言葉なのかもしれない。だが、それらが示すものを那岐は知らない。

 それらが何を言いたいのかは那岐にはわからない。

 この精霊に言葉は通じず、この精霊も人の言葉を理解していない。

 それでも戦闘が始まる前に樹木の精霊が差し出してきた若木の枝を魔法で弾いたのは那岐だ。

 那岐の心は散り散りに乱れていたが、それでもやるべきことはわかっていた。


 ――火神浩一を助けること。つまり敵を殺せ、ということ。


 それが那岐がやらなければならないことだ。

 自身の生存ではなく、他者のために、いや、家のためにやらなくてはならない。

 自分が壊れてでも……!

「『飛瀑』ッ!『縛炎』ッ!『炎冠』ッ!!」

 連続詠唱によって那岐が掴む螺旋状の魔杖より繰り出されるのは三つの炎の魔法だ。

 樹木の精霊を焼き尽くすために、瀑布のごとく津波や鞭の形をした炎が迫っていく。。

 しかし焔に焼き尽くされようと敵の攻勢は緩むことはない。

 巨木が伸ばす触手、泳ぐ魚も水の鞭を飛ばしてくるも、那岐が手元に留め置いていた、空中に出現した焔の冠が自動的に迎撃し、悉くを蒸発させた。

 爆炎が空間を埋め尽くす。

 ミノタウロス程度ならば一撃で殺しかねない百を超える鋭い枝も、四方八方より迫る水の鞭も全てが跡形もなく蒸発していた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 だが疲労は濃い。たった一人の少女を殺すに余りある猛攻に次ぐ猛攻。

 防いだだけでもまさしく一流の魔法使いに相応しい働き……――ではない。

 那岐の肉体が完全な性能を発揮すれば、この程度のモンスターを殺すのに十秒も掛からない。


 ――だが、那岐は本調子ではなかった。


 那岐が魔法陣に与えた魔力を使い切ったためか、周囲一帯を照らす焔が消えていく。

 聖堕杖ドライアリュクを振るい、那岐はぜぇ、と息を荒げた。

 いつもならば一息ですむ魔力行使も、心が足かせになれば精神を縛る巨大な鉛へと変わっていく。

 那岐の心に、どうしようもない感情が、処理できないほどに詰まっていた。

 知性ある者を殺したくない。でも殺さなくてはならない。

 その感情が那岐の心を圧迫する。意味もなく殺したいわけではない。

 いや、違う、殺さなくていいのに殺すのが嫌なのか。そもそもどうして殺したくないのか。

 それは何故か。わからないわからない。那岐には何もわからない。


『モンスターと人間は共存できる』


 獅子の獣によって表出させられた呪いの言葉が、那岐の心を縛っていく。

『LALALA』

 那岐へと迫る触手の表面に、大量の人面が浮かんだ。那岐の身体にぞわりと鳥肌が立つ。

「く、ぐぅぅ……!」

 那岐の心を読んだのか――否、読まれたのだ。

 樹木の精霊に存在する、巨大な人面。それへの攻撃を頑なに避けた那岐の動きを。

 ゆえに、増やした・・・・。増殖する大量の人面。

「い、いや」

 那岐が魔力の操作を誤った。超精密な高等魔法たる『天翼』の制御が疎かになり那岐の飛行が不安定になる。

 それを見越したのか泳ぐ魚の精霊が雨雲を発生させ、大量の水が滴り落ち、フロアを豪雨が満たし始める。

 フロアを水没させかねないほどの水の奔流。

 それをすぐさま樹木が吸収し、樹木は成長を始めていく。

 制御を失いかけていても、那岐はまだなんとか空中にいた。

 だが、その真下で太く、節くれだった根が、フロアの床を破砕しながら、ミキミキと音を立てて太く、大きく成長していく。

 ただの根にしか見えないそれらからは毒々しい芽が生まれていく。芽は蕾へと育ち、蕾は花開く。

 花からは茎や枝が絡み合い、人の顔にも似た、人の形をした何か・・が現れた。


「あ、ああぁ……ぁああ……」

『『LALALALALALALAAAALALAALAALAAAAA』』


 人の声とは思えない重奏。

 魚と樹木の奏でるそれに『『『LALALALAALALALAAAAA』』』と花々も合唱する。

 明らかな悪意を持ったそれは確実に那岐の心を抉っていた。

 なんということだろうか。那岐にはそれらが、無形の、顔のない人々のように見えていた。

 自身に掛ける戦霊院の期待。人の寄せる心の大きさ。

 それとも、今まで那岐が殺してきた、亜人型モンスター――知性ある敵の姿か。

「あぁぁぁあぁあぁあぁああああああああ」

 精神的な衝撃で那岐の身体から力が抜けた。

 杖を掴む力すら失い、聖堕杖ドライアリュクが地面へと、いや、人面へと落ち、飲まれていった。



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