少女は獣とワルツを踊り(1)
――『【スプンタ・マンユ】 第二階層【ウォフ・マナフ】』
「痛ぅ……」
身体に痛みはない。だが、耐え難い屈辱に那岐は思わず苦鳴を吐き出した。
天井を確認する。自身が落ちてきた穴は既に塞がれ、飛翔魔法を発動させることに意味はない。
那岐は落下速度を軽減していた重力魔法を解除すると
「ったく、これはどういうことかしら。というかせっかく見せ場ができたってのに、アイツはいないし」
浩一の位置を確かめようと探査針を起動するも、先ほどまで使っていたものはすでにレジストされていた。
おかげで把握できていた浩一の位置は定かではなくなっている。
探索用の装備である『探索者ギリィの方位磁石』を転送しなおし、新たに探査針を打ち込むも、強力な魔力防壁で対処されてしまう。
(流石に構成を把握されたかな? でもちょっと対応が早い……施設の自己防衛機能に加えて尋常じゃないサポート専門の人材がいるのかしら? それとも、この施設が
そこまで那岐を浩一と合流させたくないのか。
それともこれがこの空間が持つ特性なのか。
何がどうなっているのかと那岐は考えるものの、あたりを見回す。
この空間、先ほどの場所と違い那岐の探索魔法を持ってしてもその一端すらつかめない。
――人の手で対策が打たれた、というより施設内部の構造そのものが……。
浩一の居場所がわかればこんな場所すぐに出ていくのだが、居場所を特定する手段がない以上、魔力と時間の無駄だろう。
探索魔法を改良し、出力を上げればできなくもないが――探索の最中は防御魔法の維持が不安定になる。
(どこか安全を確保してってのは……改良にどれだけ時間がかかるかわからないし、私を落とした人間がいる以上、警戒は解けないわね)
那岐のPADは主席専用の為、元々ハッキング対策などはなされているが、PADの設定を対人向けに変更し、セキュリティレベルを上げておく。
(構造の基礎は一般シェルターというより……確かに壁の色が……ただそれにしてはセキュリティが
那岐は周囲に感覚を研ぎ澄ませ、施設内部での通常魔法の行使には問題がないことを確認すると、威勢よく声を上げた。
「ねぇ、一応監視ぐらいはしてるんでしょう?
――EXランク魔杖『
血の如き色をした赤い枝と夜闇の如き鉱石が螺旋状に絡まりあった強力な魔法用の杖を那岐は掲げると、その先端に極小の魔法陣を詠唱なしで大量に浮かべていく。
通常、魔法陣の展開に詠唱は必須だ。
如何に熟達した魔導の徒であろうと魔力の展開にはそれを外界に発するための言葉が不可欠である。
それが魔法陣構築のための『詠唱』と魔法名たる『
しかし、永き時を掛けて戦霊院家が研究開発した魔法専用の肉体改造技術によって、魔法行使に特化した専用の肉体を那岐は持っている。
加えて、戦霊院家が持つ
ゆえに完成された人間魔導兵器『戦霊院那岐』は一部の高位魔法を除き、魔法に対する詠唱を必要としない。
――魔法を使うためだけに造られたのが戦霊院那岐という少女だ。
もちろん、那岐と同じ改造をしたところで同じ性能を持つことはできない。
常人では精々この肉体の二割程度の力しか引き出せないだろう。
魔法に関する特別な感覚を持つ那岐だからこそ、この完成された肉体の性能を引き出すことができるのだ。
那岐には、現戦霊院家当主にして、那岐の父である戦霊院
故に、那岐と比べなければ、天才と言ってもいい弟を圧倒的に引き離して、次期当主に定められたのだ。
――たとえ未だ精神が未熟であろうとも。
「『碑石の持つ刃・改』」
『碑石の持つ刃』。本来は長大かつ巨大な刃を杖の先端より発生させ、重い金属系装備を嫌う魔法使いにも近接戦闘を可能とさせる魔法だが、那岐はこれを即興で改変し、魔力刃の
(さぁて、どの程度かしらね)
ドライアリュクをくるくると回しながら、壁に何度も何度も軽快に叩きつけていく那岐。
しかし魔力の刃は壁を削ることなく那岐に手応えを与えない。
これほどの出力の魔力刃であれば、学園迷宮や通常の軍施設の壁の強度ならば、容易く那岐の刃は貫通していただろうに。
しかしこの施設の壁は易々と受け止め、那岐の攻撃による侵食を許さない。
「硬いわけじゃなく……なにこれ?」
那岐がよくよく壁を見れば、壁と刃の間に薄い膜が発生し、魔力が解体され、刃の接触部分が消滅していることが確認できる。
「へぇ、建造物タイプの魔力殺しってわけ? ……んー、それにしては妙ね。探査は通るし、PADの転送も阻害されるわけじゃないみたいだけど」
魔力を練り、魔法を維持し続ける那岐。
魔法にも
だが那岐は気にしなかった、自身が万全であれば、この施設に如何なる罠やモンスター、または人間の敵や戦闘用の機械が存在しようと打ち破れる確信があるのだ。
どんな化け物がこの強烈な魔力を嗅ぎつけても問題はない。
むしろ戦闘の気配で浩一が気づいてくれるならば、浩一を探す手間も省けるというものだ。
四鳳八院が一家、戦霊院。その次期当主である戦霊院那岐に、
那岐が現在抱く、深刻な精神の失調と矛盾するかのように那岐の中には幼少から築き上げられた強烈な自尊心が存在するのだ。
「じゃ、ちょっと別のでやってみようかしらね! 『
鮮烈な魔力の刃、連鎖する炎の爆発、何者をも芯から凍らせる氷塊、金属板でさえも容易く侵食する岩の茨、数多の生物を焼き焦がすことのできる雷撃、『二重詠唱』など既に通り過ぎた場所と言わんばかりに、那岐は休むことなく魔法を連続して放っていく。
――それは、現在の魔導理論からすれば異様な光景だ。
魔法陣の構築に詠唱は必須だ。魔力というこの世界に新しく
だが、しかし、これが四鳳八院なのだ。
――理不尽。生きた災害。真性の化け物。
そして那岐に、それを可能にさせるのが、四鳳八院の作り出したスロットである。
スロット――人間の脳に埋め込まれた後付の
アリシアスに搭載されている聖堂院が作り出した魂を見る特別なスロットと同じく、戦霊院にも二つの特別なスロットが存在する。
スロット『四番ノ杖』、機能の
そしてスロット『魔天ノ法』、機能の
那岐が連続して魔法を放て、かつ魔法陣の発生に詠唱を必要としない理由がこの二つだ。
――加えて、那岐には連続詠唱を可能とする、もう一つ強力な
ただの魔法使いなら体内の魔力が枯渇し、脳がオーバーヒートしかねないほどの連続魔法を那岐は疲労一つなく、淀みなく行っている。
魔法を使えば体内魔力が減る。それは当たり前のこと。
だが那岐の纏う防具が、消費され、散った魔力を周囲から掻き集め、那岐に供給していく。
それが聖堕杖ドライアリュクと同じく、EXランクの格を持つ装備。
那岐の肉体をぴったりと覆うボディースーツ。EXランク防具、
次々と行われる魔法による暴虐。蹂躙するかのように壁や天井、床へと放たれる数々の魔法。
それらの威力も通常の魔法使いの使う魔法から逸した異常なものだ。
魔法詠唱を省略すれば当然、威力は低下する。
『詠唱』を『短縮』するということは、その魔法から精彩さを取り上げるに等しき、魔法使いにとっては当然かつ飲み込むべき苦汁だ。
東雲・ウィリア・雪がミノタウロスとの戦闘で、火神浩一が危険に陥っているのを眼前にしながら魔法を詠唱していたのはその絶対法則と無関係ではない。
雪の魔法ではあのクラスのモンスターを短縮詠唱で相手どるには威力が不足していた。
そのために雪は安全圏で詠唱を全て行い、威力を高めるべく努力を尽くした。
だが那岐が持つ肉体と財力と歴史はそんな努力をたやすく踏みにじる。
完全に詠唱を排した魔法を行っているにも関わらず、ただの魔法使いを超える威力の魔法を連続して放っていく。
それらは那岐の魔法の腕が完全に常人を超えているため、という才能の差もあったが、何より那岐のもつ魔杖、聖堕杖ドライアリュクの機能だった。
『詠唱補助SS』『魔導強化SS』『
短縮した詠唱を、詠唱が為されたように威力補助を行う詠唱補助。
発動する魔法の効果を強化して発動させる魔導強化。
そして何より、所持者が攻めている、攻撃していると感じているときのみ、術者の攻撃魔法の効果を増幅し、かつ敵を蹂躙すればするほど威力を上昇させていく『暴力強化』。
これらの効果によって那岐の魔法は、威力を損なうことなく、かつ、威力を増強して放たれていた。
しかしそれでも加減しているのか、本来の四割程度の威力で魔法を放っていく那岐。
彼女は魔法の種類を攻撃、補助、回復、特殊などへと変化させ、その効果のほどで施設の構造を確かめていく。
目的は破壊ではなく、魔法に対する反応から施設の構造や年代を測定しているのだ。
「なるほど、綺麗に施設に対する破壊効果だけを殺してるわね。なのに魔法の無効化はされない、と。なるほど。大体理解したわ。しかし、こんな施設がまだ未確認のまま残ってたのね……」
使用した魔力を『星厄』の効果で回収しながら那岐は呟く。
そうしてマップの表示されないPADを見ながら、マップが出ないのも当然かと諦めの息を吐いた。
そもそものデータがなければ表示のしようもない。
現在、シェルター国家ゼネラウスが学園都市として運営している『アーリデイズ』シェルター。
これは大崩壊時代以前に建てられたシェルターを基礎の土台にして建てられたされたシェルターだ。
――大崩壊時代のシェルターは、この時代においても特別だった。
ロストテクノロジーで造られた大崩壊時代のシェルターには、どういう理由か、シェルターを破壊するような危険なモンスターは近づかない。
また、大崩壊時代の管理AIなど、いくつもの特別な機能が残っている。
しかし、現在の人類がその全てを利用できているとは言い難かった。
AIの多くは機能を停止しているし、利用ができないために放棄された施設や、利用方法がわかっても管理のできない施設がいくつも存在する。
那岐が内壁から推測したところ、ここは基礎シェルターに元々備わっていた施設の一つだろうと思われた。
流石に解析のための道具などはないため、何の為の施設かはわからなかったが、浩一を罠にかけるために使うには、上等すぎる餌に思えた。
「ここに
どうやって釣られたのかはわからないが、こんなところに浩一の探す資料があるわけがないのだ。
那岐は浩一のプロフィールを思い出す。
特筆すべきことなど何もない。それでも、たった一つの疑念はあった。
(破壊されたシェルター、ヘリオルス……か)
現代の人類が新設する開拓シェルターには基礎に大崩壊時代のシェルターを使うような贅沢はできない。
だが、それゆえにモンスターに襲われて壊滅してしまったのがヘリオルスシェルターだ。
那岐は思い出す。火神浩一に対して親しげな笑みを浮かべていたナンバーズたちを。
(あれだけ親しければ遺品の一つぐらい受け取っているかもしれないわね……)
敵の目的は、火神浩一をおびき出し、ナンバーズが預けたかもしれない何かを奪うことなのだろうか?
だが馬鹿な、と那岐は内心で自身の考えを否定した。
これほどの力を持つ相手ならばそんな迂遠なことをせずとも、浩一を殺して奪えばいいだけだ。
(敵の目的がわかれば、それを阻止するために動けるんだけどね……)
浩一について、書類以上のことを那岐は知らない。
しかし浩一の経歴の多くは不明だった。
ならばあれこれと考えず、本人に聞くのが一番だろう。
「まったく、手間かけさせないで欲しいわね」
那岐は発動していた魔法の多くを消し、目の前に広がる通路の奥を見る。
淡く光を放つ乳白色の通路のために、視界は通っている。
(移動するにも万全にしておいた方がいいか……)
そこまで消費してはいないが、万全を期すために那岐は消費分の魔力を補給するための魔力回復薬を転送すると、小さな小瓶に詰められた液化魔力を那岐は飲み干した。
那岐の使うそれは戦霊院製の強力な魔力回復薬だが、味は市販品と同じだ……というより味は変えられない。
それは魔導士が魔力を摂取する際に感じる味は舌ではなく、精神に直接与えられる苦味だからである。
那岐の服用したものは、戦霊院製であることから肉体との親和性の高いものであるが、苦味自体が消えるわけではない。
ゆえに反応は即座だった。
同時に転送していた、ギネリウス商会甘味処部門謹製『メロンくんキャんでぃー』を口に放り込む那岐。
手で口元を隠しつつの、この場に誰がいても那岐がメロンくんキャんでぃーを口に入れたとはわからない早業だった。
(誰もいないというか、まぁ私をここに放り込んだ奴らの監視はあるだろうけど……)
しかし堂々と飴を舐めるのもそれはそれで恥ずかしかった。
四鳳八院が魔力の苦味に耐えられないというのも外聞が悪い。
アリシアスなどはその辺り堂々とイチゴちゃんキャんでぃーを舐めていたりするのだが、と思い出したところで那岐は不快な顔になる。
主席パーティー
それ以前の那岐は魔力回復薬を飲んでも、苦味に耐えるだけで、その苦味をキャんでぃーで解消しようとは思わなかった。
いや、解消できるなんて知らなかった。
父、戦霊院静峡は苦味など気にしない風情であったし、幼い頃、那岐に魔導の手ほどきをした御付のメイド、イーシャ・魔道・スロブも顔色ひとつ変えなかった。
だから那岐はアリシアスに会うまでそれが普通だと思っていたのだ。
飴一個であの苦味から開放されると知り、那岐は唖然としたことを思い出す。
アリシアスはそんな那岐をくすくすと微笑ましく見ていたが、それを思い出すたびに那岐は、
それでも、止められないのはやっぱり那岐の中に甘えがあるからなのだろうか?
それとも――心に深く刻まれた死者の言葉を思い出し、那岐は小さく頬を叩いた。
今は、思い出に浸る時でも、何かを思い悩む時でもない。
誓約を果たすときだ。
那岐は体内で摂取した魔力が血流に乗って循環し始めたことを確認すると口内の飴を噛み砕いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます