過去と幼さは心に巻きつき(4)
――『シェルターの歴史Ⅰ』を閲覧します。
『人類の歴史は、【大崩壊】と呼ばれる全世界を巻き込んだ核戦争を発端として、暗黒の時代へと突入した。
暗黒の時代……地上に人類が存在しなかった時代のことだ。
存在しなかった。その理由はどうやっても地上の環境が人類の生存に適さなかったからだ。
地上のすべては例外なく高濃度の放射能に覆われ、オゾン層は完全に崩壊し、大地から一本残らず植物が絶滅した。
水棲生物の死骸が海に大量に浮かんだ。海面が上昇し、島や大陸が海に沈んだ。
人類どころか、ほとんどの生物の生存が望めなくなった世界に人々は絶望し、生存は諦められた。
だが、諦めなかった者たちがいた。
突如世界全体に、当時の国家には秘密裏に建造された、総数が百を超える巨大地下シェルター群が現れた。
その建設を主導したのは当時の大国ではなく、とある世界的大企業と数百名の科学者たちだった。
その企業によって国籍や国境や人種や有名無名も性別も格差も関係なく集められた研究者たちは、当時の世界において最高の頭脳を所有する集団だった。
彼らの構築したシェルターは凄まじく強固だった。
一歩間違えた結果、自滅するほどに発達した科学技術を無節操に用いて建造されたシェルターは採算など度外視されたものであり、その中にはゼネラウスシェルターのような、大崩壊後の人類にも再現不可能な科学技術で造られたものまで存在した。
ゆえに同盟暦後に新設されたシェルター、俗に『開拓シェルター』と称されるものは、過去の人類の科学力で建造されたものと違い、モンスターの襲撃によって壊滅することがままある。
それは過去の人類と現在の人類との間に、いまだ超えることのできない技術的格差が数多に存在することの証明だろう。
◆
(中略)
◆
開拓シェルターは例外なく、その地域一帯のモンスターを駆逐し終わった安全地帯に作られる。
故に駐屯する軍は突発的なモンスター発生などに対応できる戦力が配置される。
作業員などの安全を考慮すれば多くの戦力を配置したいところではあるが、いまだ人類の支配領域外を危険なモンスターが数多く跋扈する以上、貴重な戦力を安全地帯に建造する開拓シェルターに貼り付けておくわけにもいかないのが人類の実情だ。
だが何事にも例外は存在する。単騎でも開拓シェルターを陥落させられるようなモンスターに襲われれば、開拓シェルターはひとたまりもない。つまり、この問題の解決には――』
浩一はウィンドウに表示されていた記事の端を指先で叩いた。
タップに反応し、ページが捲られ、ああ、そういえば思考操作に切り替えてたんだよなぁとどうでも良さそうな表情で考えた。
(……これもあまり参考にはならなかったな……)
浩一の目の前に映るウィンドウには科学史や、雑誌、新聞などから呼び出した該当記事が並べられている。
それらの内容は様々だが、一貫して一つのことが書かれていた。
『開拓シェルター【ヘリオルス】一夜にして壊滅』『駐屯ナンバーズ、五名全員死亡か!?』『駐屯軍の不祥事。違法な研究か?』……――。
どれだけ記事を読んでもそこから真実は汲み取れない。見えない。何もわからない。
(生きてるわけがないってのは、わかってたんだが……)
浩一の頭の中には、最強だった恩人たちの姿がある。彼らが簡単に死んだとは思えない。どこかで生き延びている可能性を考えたが、当時の雑誌にはそのようなことは書かれていない。
(無駄とは思いたくないが……)
ようやく見られるようになった記事には、記憶のことも、恩人のこともなんら手がかりがない。
――レベル3機密、『下層資料室』。
このような記事でさえ、
あまりな事件だったために、一般に緘口令が敷かれてしまったからだ。
ゴシップじみた雑誌でさえ機密レベル3以上に分類される、通称『
関係者の多くが口を噤み、外に漏れることのなかったそれを、浩一はそのとき現場で、ヘリオルスシェルターで見ていた。
開拓シェルターが崩壊する、その様を……。
――だが記憶は途中で途切れている。
浩一の指がウィンドウを叩く。表示が変わる。
『竜の襲撃、防衛体制の不備』『警報の遅れ。レーダー管制のミス』『EXモンスターにナンバーズ手も足も出ず』……――。
新たな記事を見るたびに溢れる感情を押さえつける。
ナンバーズ、幼馴染の兄、
『EXモンスター』について書かれたこちらの情報は、市井に出回っていたものではない。
ゼネラウスの軍人だけが読める会報のものだ。
その中には、適当なことしか書かれていないものもあれば、正確に事態を推測していたものもある。
どちらにせよ、すべてが終わった後では難癖をつける記事が多い。
浩一は苛立ったように頭をがりがりと掻くと、それを丁寧に元のケースに戻し、別の資料を探しに立ち上がるのだった。
◇◆◇◆◇
那岐の認識において、火神浩一という男は奇妙に過ぎた。
無防備過ぎる、というわけではないが、どこか無用心であったり、進んで危険に突っ込みたがるところがあるわりには英雄願望がない。
――火神浩一は
本来、那岐のようなものに四六時中自身をサポートしてもらえる状況は、大抵の学生が喜ぶものだ。
いや、大抵ではない。八院に
それは八院とて例外ではない。
那岐を自由にできるとなれば同格の八院であっても喜々として
なのに火神浩一は那岐に価値を見出そうとしない。
個人として接し、その家の力を利用しようとしない。
複雑な事情を抱えたアリシアス・リフィヌスがあれほど簡単に誓約を行ったのはこのためだったのだろうか?
那岐は人のいない、資料用の背の高い書架に挟まれた通路で小さくため息を吐く。
現状は那岐にとって良くない方向に進んでいる。
火神浩一、あれは四鳳八院に意味を見出していない人間だ。
稀にだが、存在するのだ。そんな人間が。
あくまで自力。価値を知っていながら手を伸ばさない。
宝石が手に入っても、いらないと路傍に捨てる。そんな人間だ。
ふふ、と小さく嗤いが漏れた。酷く侮辱された気分だった。
――那岐の、浩一に対する好感度は低い。
誰が自分を軽く見る人間を好むというのだろうか?
恩はある。誓約もした。だが好悪は別だ。
(アリシアスと私の何が違うんだろう……)
アリシアスはあれだけ簡単に誓約を果たしてみせた。それが、那岐とアリシアスの
だがそれをアリシアスに聞くわけにもいかない。那岐自身がこの謎を解かなければならない。
なんとかして、浩一が那岐に価値を見出すように自分で状況を作らなければならない。
(ミキサージャブみたいな奴がいれば一番なのよね……)
敵だ。名誉ある敵を見つけなければならない。
―――火神浩一に必要なのは、
武具は月下残滓がある以上受け取らない。
地位はダメだ。浩一が欲しがらない、ではなく、浩一は地位を渡されても扱いきれない。
例えば様々な施設を扱えるパスを与えたとしても浩一の処理能力の限界を超えるのだ。
そして『体質』とやらも問題だ。
最高の肉体改造を施してやろうとしても、その体質が邪魔をする。
身体改造や超人研究で天才と呼ばれる峰富士智子が解決できない問題は那岐の手には余るのだ。
四鳳八院が肉体改造技術の本家大本とはいえ、那岐たちは家の特性に特化した改造技術しか所有していない(回復の聖堂院、魔法の戦霊院といったように)。
こういう特殊ケースにおいては、八院以外の研究者の方が優秀なこともある。
――ならば那岐が用意できるものはなんだろうか?
これを解決しなければ、戦霊院はリフィヌスに負けたと世間は取るだろう。
何も渡さずに済んだ、なんてけち臭い言い訳をしても世間はそう見ない。恩を渋る馬鹿がどこにいる。
失敗は今後の那岐の評価にもつながる。
(面倒なことになったなぁ……)
ミキサージャブに勝てなかった自身の無能に、那岐は内心で深くため息を吐いた。
(ミキサージャブか……)
結局、今になっても魔力殺しに対抗する手段は見つかっていない。
魔法の術式を破壊されては、那岐のような魔法使いでは攻撃や防御する手段を用意することができない。
高位の魔法やアイテムならばどうにかできるかもしれないが、それでは根本的な解決には至らない。
もし武具ではなく、スキルとして魔力殺しを持ったモンスターが大群で現れたら那岐の手に負えなくなるからだ。
浩一と魔力殺し。那岐の目の前に、二つの難題が道を塞いでいた。
書架に挟まれた狭い通路で、那岐は周囲への警戒は忘れず、深く思考に潜り込む。
今回は自身の失点を狙う連中については考えない。
何も問題が解決していない今、抵抗することに意味はない。
自身の無能が故に那岐が失敗するのなら、戦霊院の家督は弟にくれてやる。
四鳳八院に惰弱な当主はいらないのだ。
那岐本人でさえ、そう考えている。考えてしまっている。
『
敗北した反乱軍の将に吐き捨てていた父の言葉が思い出される。
(ふふ、私もその惰弱さに敗北するみたいです。お父様)
思考を弄ぶも、そもそもが未だ那岐の心を蝕む疑念を解決しない限り、那岐が当主として立つことはできないだろう。
浩一の件がなくとも結局は破滅するわけだ、と思考を弄ぶ中で、ふと思うことがあった。
迷いなく出所の不確かなアンプルを自身に使用した男は、モンスターを殺すことに躊躇はあるのだろうかと。
那岐はモンスターと人類が共存できると断言した、かつて死んだ男を思い出す。
(ああ、でも馬鹿な考えか)
それは、アックスという人型のモンスターを大量虐殺した浩一に投げる問いではない。
(そもそもあの男が死ぬ間際に言っていた共存ってのは。ホントにできるのかしらね)
人とモンスターの共存。
もちろん、それが優しさだけの考えでないことはわかっている。
人類はもはや闘争に飽いている。故に、争うことなく今の状況を治められるなら、それはひとつの解決ではないのだろうか?
振り上げている拳を、殴りあう環境を、どうにかできるならば、それを選ばないことは罪悪なのでは?
だが、それが無意味だと判断されたから聖堂院は潰された。
――那岐は戦霊院を潰すつもりはない。
そもそも、共存という道を選ぶとしても、那岐はそれがどういう道を辿ればいいのか、道筋に想像がつかない。
モンスターと対話することはできない。あの反乱を起こした連中はいったい何を知っていたのだろうか。
(調べようにも、調査を始めた時点で獄門院あたりに始末されそうだしね)
十二年前の内乱をシェルター国家ゼネラウスは忘れていない。
だから戦霊院さえも離反したならば、民衆に惑いが生まれ、民衆は四鳳八院体制を疑い出すだろう。
長い時をかけ、やっと戦争が起きている状態を日常だと信じたのだ。
戦うことに忌避感を抱かれたら共存どころではない。
シェルターの中で大規模な内乱が起きるに決まっている。
そんな状態で大規模なモンスターの襲撃があったならばゼネラウスは滅びてしまう。
(アイツは重責なんかなくて、ずっとずっと身軽なんだろうなぁ)
あのスタンスを見る限り、きっと、そんなもの捨て去っているのだろう。
だが那岐は生まれたときから耐えられないほどの重責を背負っている。
持っていないことに対して覚える羨望は、少しばかりの苦痛を那岐に与えた。
◇◆◇◆◇
窓から入る夕闇が小さなフロアに穏やかな光を落としていた。
「こんなところにいたのか」
浩一は資料室の片隅で何かの情報に目を通している那岐を見つけ、声を掛けた。
那岐の表示ウィンドウには部外秘の赤い文字が浮かび、浩一のいる角度からでは中身を見ることはできない。
アリシアスが浩一との修行中にやっていたように那岐が管理している企業や研究所のものなのだろう。
声を掛けられた那岐はウィンドウを消し、立ち上がった。
「アンタ、探し物は終わったの?」
「いや、明日もここだ。まだわからないからな」
「そ、欲しい資料とかある?」
「いや、ないな」
特に残念そうにもせず那岐は頷いた。
「なら今日もご飯食べに行きましょうか。せめて奢らせなさい」
那岐と取る食事は味が良いことは良いが、格式ばっていて肩が凝る、なんて言ったら怒鳴られるかもしれない。
(流石にいらない、とは言えんか)
浩一は気安く食べられる店をいくつか脳裏に思い浮かべた。
自分が飯を食う店ぐらいは自分で決めたかった。
「何よ? なんか言いたいことでもあるわけ?」
「ん、ああ、気にするな。それより今日は俺がいつも行ってる店にしよう。安いが量が多くてな」
「別にどれだけ頼んでもいいのだけれど」
「高級料理は肩が凝るんだよ」
貧乏性ねぇ、と那岐は呆れた表情をしたが、なら案内しなさいよ、と浩一に先を歩くよう促すのだった。
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