獣の唄(3)
鍛錬の成果は決定的だった。
闘争の場に身を置いた浩一は咆え、大太刀で
暴力と暴威が支配する場に立ち、真正面からそれらを受け止め始めている。
――それこそは、まさしく人の力の結晶。
アリシアスが、四鳳八院が人類救済のために切り捨てざるを得なくなった――■計画の……。
(……やはり、浩一様こそが……)
浩一がミキサージャブをこの場に連れ、闘争を始めた。
木の陰で経過を眺めていたアリシアスは、浩一が走ってきた道に椅子を転送し、堂々と座って見物に回る。
傍らには小さな純白のテーブルも転送された。湯気の立つティーカップと有名店の苺のショートケーキも現れる。
――だが、アリシアスはそれらに口をつけない。
陶然としながら頬に手を当てていた。胸の奥から次から次に熱が湧き出てくる。堪えられぬように吐息を零す。
「あぁ……素敵ですわ。浩一様」
アリシアスの熱は身を焼くようだった。心は熱を孕んだまま、燃え上がる。冷徹そのものの少女に見えるアリシアス・リフィヌスは、その実、烈火のごとく燃え上がる執念で作られている。
だからこそ、アリシアスには
この熱を発散するには、今見てるものこそを用意しなければならないと思っていたのに。
――さらなる熱が、アリシアスの身体から湧き出てくる。
ミキサージャブが戦斧を振るう。浩一が掻い潜る。改造を受けているアリシアスでも認識のし難い斬撃を浩一が放つ。ミキサージャブの身体に傷がつく。
浩一の斬撃は速いわけではない。
ミキサージャブの血が舞う中、ミキサージャブの極太の脚が浩一を薙ぎ払うべく放たれる。それを跳躍を用い、浩一は回避する。
だが全ては避けきれない。オーラを纏ったミキサージャブの蹴りによって、浩一が攻撃の余波だけで弾き飛ばされる。
すかさず拳が追ってくる。空中で浩一が斬撃を振るい、ミキサージャブの指の一本に深い傷を与えるも、構わず振り抜かれた拳によって浩一の身体が勢いよく吹き飛んだ。
「……ッ!!」
アリシアスの心臓がドクドクと血流を早くする。
傷を与えることによって威力を軽減したとはいえ、浩一の身体は
受身を取りつつもバウンドして地面を転がる浩一に、思考操作したのか途中で射出された回復剤がかかる。
途端、跳ねるようにして両足で立ち上がった浩一は直後に来た拳を蹴り上げながら飛び跳ね、ミキサージャブの懐へと入る。獣の咆哮。浩一かミキサージャブかわからない咆哮だ。血が舞い。牛鬼の胸板から血液が飛び散る。
――火神浩一は歓喜の中、獣がごとく咆哮をあげている。
アリシアスは強く胸を押さえた。ああ、苦しい。なんだろうこの感情は。
一ヶ月前まではB+だった男。いや、今も国家ゼネラウスが制定し、このシェルター間を通じ、大崩壊世界に広まったランク制度では、ランクB+より上位に
回復、罠、地形、それらによる補正が存在している? 馬鹿な。違う。それを使いこなしているからこそ、火神浩一という男は評価できるのだ。
猪ではモンスターと同じ。そして、地力が低く、強くなるのに愚直な努力しかできない彼だからこそ、アリシアスの心の炉に火を灯し、氷のごとく固まっていた感情を溶かしたのか。
「はぁ――浩一様……」
燃え上がる胸の熱を押さえるようにしてアリシアスはようやく紅茶に口をつけた。
だが、瞳は一秒たりとも闘争から逸らされてはいない。
わくわくするような。
ドキドキするような。
遥かな幼きころに、祖父の語る英雄譚に心を振るわせたかつての自分を思い出す。
十二年前、主君たる聖堂院の当主をアリシアスが殺めたときに、捨てるしかなかった
この闘いはなにを持って終わりとするのか。ここまで浩一がやるとはアリシアスも思っていなかった。まさか、やるのか。
アリシアスがその相貌を歓喜に振るわせつつ、蒼眼を凝らす。
闘い自体を楽しむ趣味はアリシアスにはない。熱を震わすのは、火神浩一という男が何を魅せてくれるのかだ。
あの時の、Aランクを一蹴した姿を思い出す。
あれが始まりだった。アリシアスにとって、この熱はその出会いから始まっていた。
――それは灰をかぶせた火種がごとく、消えることのない熱情だ。
恋でも愛でもない。ただただ甘く接してしまうそれに震えながら、アリシアスはティーカップをソーサーへとゆっくり下ろし、杖を振った。
「邪魔をしないように」
カツン、カツン、とミキサージャブへと放たれていた
広場を覆うようにして作られた薄い、本当に薄いそれは、アリシアス・リフィヌスの保持魔力の半分ほどを使用した大結界だった。
「
安物の車椅子に座り、憎悪に全身を焦がし、片腕でクロスボウを構えていた少年が叫ぶ。
「負け犬ほどよく吠えますわね」
少年をちらりとだけ見たアリシアスは、その憎悪を容易く踏み散らせる静かな激昂で迎え撃った。
――この奇跡的な戦いに余計な茶々を入れさせるわけにはいかない。
この少年に何ができるわけでもない。ただ死ぬだけだとしても、あの場に踏み込ませるわけにはいかない。
火神浩一が戦っているのだ。アリシアス・リフィヌスに魅せてくれているのだ。
だから、アリシアスは遥かな高みから正炎を嘲う。
もはや視線すら向けずに。
「良き憎悪ですわ。力量と身体への労わりがそれと同等であれば、貴方もあの場に立てたでしょうに。藤堂正炎。全てが終わった遅れ人」
◇◆◇◆◇
青の修道女、アリシアス・リフィヌス。ミキサージャブと同じSランクの位階を得ている者。
学園都市でその存在を知らない者のほうが少ない少女が正炎たちの邪魔をしていた。
藤堂正炎の車椅子を支え、少年と同じようにクロスボウを構えていた少女が抑えきれぬ憎悪を持ってアリシアスを睨みつける。
遅れてやってきた二人の男女が、二人同時に恐怖で腰を落とした。
――四人は、動けなくなっていた。
彼らには何もできない。この領域をアリシアスの殺意が満たしていたからだ。
浩一が初めてアリシアスと出会った63番区画の商店街のときと同じだった。
故に四人は動くことができない。
アリシアスの殺意、それは濃密だが威圧で言うならばミキサージャブの方が遥かに上だ。
だが、と正炎は身体を屈辱に震わせる。これは威圧というよりも絶対的な命令に近い。
動くな、と魂を掴まれたようなそれ。それが身体を動かさせない。指先一つ動かすことができなくなっている。
ミキサージャブと既に相対するためにこの場にやってきた正炎は、如何なる威圧であろうとも立ち向かえる自信があった。
ミキサージャブは圧倒的だった。ゆえに、あの威圧に耐え、戦うための気概をもってこの場にやってきた。
副作用の残る強い薬や、道具を残った金で手に入れ、恐怖を克服してこの場にやってきた。
だが、アリシアスに睨まれ、動けなくなる。
――だが、この殺意はなんなんだ!?
ミキサージャブは圧倒的だが、どこかそこには納得のいく、憎悪や奮起につなげられるものがあった。
しかし寒気というよりも怖気の走るアリシアスの鬼気は、向けられた対象に、人間としての何か大事なものを腐らせられるような感覚を覚えさせる。
力を振るわれてしまえば最後。そこから先には、どこにも行けないような、人としてまともな死に方さえも否定させられてしまうような、そんな終幕を喚起させられる。
とうとう耐え切れなかったのだろう。二人の男女と正炎へと付き添っていた少女が膝をつき、反吐を吐きつつ地面へと転がった。
そうして眠ることが安息だとでも言うように、気絶してしまう。
身を焦がす憎悪によって唯一意識を保っていた正炎が呻くように、願うようにアリシアスを睨みつけた。
「
「その声。少し、耳障りですわね――『治癒』」
アリシアスが闘いから眼をそらさずに杖を地面へと叩きつけた。
無詠唱神術。小さな魔法陣が正炎の喉に
アリシアスの殺意に包まれ、怖気が全身を満たす中、正炎は喉だけが温かさを感じるという奇妙な感覚に襲われつつも全身から怒気と憎悪を搾り出した。
「じゃ、邪魔を、する……? あ、うそ、だろ」
喉から出る声は、ミキサージャブに出会う前の健全なもの。この一瞬で治療が終わったという事実に正炎は言葉を失う。
だが治療してほしいと願ったわけではない。
そうだ。自分の望みは別にある。
圧倒的な理不尽の前には、力を振り絞らなければならない。ミキサージャブに蹂躙された憤怒の記憶を想起し、それを
「藤堂正炎。さぁ、そこに座って見てなさいな。今行われているのは世にも奇妙なB+ランクがSランクを正面から打倒する場面。『
「B+……な、あ、ば、馬鹿、な」
それは奇しくも己と同じランクだ。刀を握り、怪物と戦う男を遠目に見ながら正炎は目を見開いた。
「彼が死んだら復讐でも仇討ちでも好きなだけしてくださいな。ただ、それまではそこで黙って、見ていなさいな。ふふふふ。あははは。あははははははは。さぁ、浩一様。どうぞ、貴方様の強がりを現実に、本物にしてくださいませ」
うきうきとしたアリシアスの態度。そこに正炎は嘘を見つけられない。
「そんな、馬鹿なことが……」
そうしてアリシアス・リフィヌスは悠然とカップに口をつけた。
聞かされたランク。そう、自身が所属していた、尊敬していた男たちよりも遥かに実力の劣っているはずの男が、あのミキサージャブと互角に戦っているという現実を突きつけられた正炎が愕然とした表情で闘いを見ていることなど、瑣末なことだといわんばかりの態度。
既に終わっている少年に、アリシアスは興味の欠片も抱かなかった。
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