第九話『タイムリミット』

 ――女の子が、泣いている。


 綺麗な銀色の髪の女の子。雄二のどろどろした液体で覆われ、曇った視界でも、はっきりとその姿が分かる、数少ないひとの一人。夜空にかかる天の川、あるいは、お屋敷に立てかけられた鏡みたいに、きらきら輝く綺麗な瞳を、今は髪の毛の影に隠して、彼女は俯き、泣いている。


 お屋敷の大きな壁が、雑草の一つに至るまでが完璧な庭に、黒い影を落としている。粘液の向こうから垣間見える、傾いた夕日は炎のよう。

 

 炎。そう、炎だ。この国で一番偉かった人と、それと同じくらい偉かったはずの人を燃やして、真っ白な骨に変えてしまった炎。人は死んだらあんな風になるのだと、初めて知った。真っ黒こげになって、それで終わりかと思っていたのに。


 きっとどっちも、遺された人には大きな悲しみをもたらすのだ。見知った人の姿が消えてなくなる、というのはとても悲しい。流石の雄二もそれは分かる。この視界から、形あるものが全てなくなる――そんな日を、いつも恐れて生きているから。


 だから、この銀色の少女が、涙と共に溶けだして、消えてしまうのではないかと。このとき、ずっと不安だったのを覚えている。子供ながらのわがままな心。唯一無二の存在に、いなくなってほしくないという願望。


 それは彼女も、同じだったようで。しばらくすると、涙にぬれて充血した、純銀色の瞳を向けてきた。


「雄二……雄二はどこにもいかないで。お父さまやお母さまみたいに、どこか遠くへいってしまわないで。ずっとずっと、私のそばにいて」

「……それが、おまえの幸せなのか?」

「ん」

「――わかった」


 確か、即答したと思う。

 珍しく、すらすらと言葉が出たのだ。音が出ているのか出ていないのかも分からない、ひっかかるような粘性はどこにもなかった。この体が、瞳に映す景色だけは霊質界にも踏み込むような肉体が、彼女にこう返すことを、望んでいるのだと思えるほどに。


 消えてほしくない、一番大切な女の子。彼女が、自分に傍にいてほしい、と願うのなら。それが自分の幸せになる、というのなら。

 幸福というものに人一倍敏感だったあの頃の雄二は、突き動かされるようにこたえたはずだ。


「約束する。俺がおまえのそばにいる。どこにもいかない。それでおまえが幸せになるなら、俺はいつまでもいっしょにいる」


 感覚の薄い手で、小さな体を引き寄せる。どろどろに溶けた全身で包むように……あるいは、彼女と一つになるように、包み込んで抱き締める。


「俺たちをはなればなれにさせるような世界なら、俺がぶっこわして、創り直してやる」


 少女は柔らかそうな頬を、僅かに桃色に染めて、その表面を濡らす透明な涙をそっと拭う。それから、桜の花が開くような、甘く、可憐な笑みを、顔いっぱいに咲かせて。


「ん」


 小さく、頷いたのだった。


 ――ああ、そうだ。これが神凪雄二の原点。起源の記憶と言っても良い。

 あの日、溶け落ちる世界の中で天孫東子と出会い、『人』になった少年が、その在り方、存在理由を決定づけたワンシーン。この命の使い道が、明確になった瞬間だ。


 東子が幸せになれる世界を創る。彼女の幸せは、嬉しいことに「ずっと雄二と一緒に生きること」。お安い御用だ、と言えるほど、魔鉄暦は甘くない。ただ安らかに暮らしているだけでは、繋いだ二人の手は引き離されてしまう。

 だから変える。強くなって、いろんな敵を倒して、それで戦わなくても手を繋いでいられる、そんな世界に再創造するつくりなおす


 この時間があったからこそ、雄二は製鉄師を目指し、手始めに結んだ六皇爵家との契約の果て、この国の平和を守るために戦うことで、『東子の傍にいられる時間』を報酬として受け取り続けているのだ。

 ルートヴィーゲと以前、こんな話をしたことがある。正直な話、雄二と東子の戦績を考えれば、もっと高い報酬が出てもおかしくはないらしい。十五歳でここまで長く、そして数多の敵を鎮圧した前例はない。プロ・ブラッドスミス制度は徹底した実力主義だ。その功績を鑑みて、プロ・ブラッドスミスの中でも上位層、有事の際、『天孫』の指揮のもとにこの国、そして『彼』自身を守る近衛たち――彼らに順ずる給金が出てもおかしくない、と。

 しかし雄二の懐には、プロとしての最低限……節約に節約を重ねて、ようやく一か月を生きていけるかという程度の額しか振り込まれてこない。理由は分かっている。雄二にとって東子、その兄の青仁……つまり『天孫』に続く、もう一人の幼馴染み。あの天児屋の当主が、契約延長の証として、給金の増額を却下し続けているのだ。


 不当だ、と思う。ふざけんなこっちにも生活ってもんがだな、と抗議もしたくなる。ぶっちゃけいかな六皇爵家とはいえ、健康で文化的な必要最低限の生活を送るための条件を脅かすのは色々とどうかと思う。

 要するにそれだけ、六皇爵家全体としては、この

OI能力者を、天孫家の長女、その契約者にしておきたくはないのだ。


 全ては、東子の隣にいるために。

 彼女を無表情のままでも、怒り顔でも、ましてや泣き顔でもなく、笑顔にするために。

 これまでその抑圧に耐え、乗り越えてきた。これでも往生際の悪さには定評がある方だと自負している。なんせぐちゃぐちゃに溶けていく世界で十二年間も過ごしてきたのだ。保護されたときなんて「よく生きてこられたな」と驚かれたくらい。


 だから今回も、乗り越える。乗り越えなくてはならない。


 こんなところで、無様に死ぬわけにはいかないのだ。そうとも、こんなところで終わるわけにはいかない。飢え死にするならまだしも、海外の製鉄師との戦闘の果て、力尽きる……などという展開はあってはならない。あってはならない。


 自分にはまだ役目がある。やらなくちゃいけないことがある。東子を幸せにしないまま、彼女を置いて逝くだなどと、そんなことは許されない。自分自身が許さない。許せない。


 世界を変える旅路は、まだ始まったばかり。

 立ち止まっている場合ではない。


 目を覚ませ、神凪雄二。

 眠っている時間は、もう終わりだ。



 ***



 思考が微睡みから浮上する。どうやら大分長いこと休眠していたらしく、うぅん、という間抜けな声が、唇の隙間から漏れる。

 その僅かな呻きを聞きつけたのか、近くで椅子が蹴飛ばされる音。直後、勢いよく首元に何かが激突してきた。


「……雄二っ!」

「東子……ぐえっ」


 衝撃。カエルの潰れたような変な声が出る。驚いて目を開けば、すぐ近くに輝くような銀色の髪があった。ぎゅうっ、と背中が締め上げられる感覚。若干の痛みは、下手人の怒りを反映しているせいだろうか。

 まだ寝ぼけ半分の五感を刺激する、女の子特有の甘い香りと柔らかさ。いかに相棒が魔女体質で、幼児たいけ……いや、小柄な体躯だといっても、こういう根本的な部分にはどうしても『女性』を感じてしまう。


 相棒はは肩と声を震わせながら、頬をそっと刷り寄せて来る。高い体温が服の布越しにも伝わって、じんわりと雄二を温めて来る。真綿のように優しいそれが、逆に抗議の念の象徴に思えてならない。

 その証拠に、東子が飛ばしてきたのは、涙混じりの怒声だった。力のない小さなそれが、どれほど心配をかけたのかを物語っていた。あとで時計を見てみるしかないが……どうやら、ガルムと一戦交えたあと大分長いこと寝ていたらしい。

 

「なんてことするのよ馬鹿雄二……! ほんとのほんとに、し、死んじゃったかと思ったんだから!」

「……悪い」

「ばか……ばかぁ……っ」


 えぐ、えぐ、としゃくりあげる音……彼女のなど久しく聞いていなかった。ここまで過敏に反応するとは、という驚きの方が先に来て、冗談と言い訳の風呂敷を広げられない。いつもの自分なら、場を和ませるためとかなんとか言って、そういうことをしては怒られそうなものなのに。


 しばらくそのままでいれば、ようやく落ち着いてきたか。東子がそっと体を離す。

 目じりを真っ赤にした相棒は、右手を上げると、そのまま小さな小指をずいと突き出してきた。


「ん」

「え、なに」

「だから……ん」


 どうやら指きり、ということらしい。一体何を約束させるのかは知らないが、有無をいわせぬ相棒の迫力に負けて、鉄暦時代からの伝統的な例の小唄を口ずさんでしまう。


「これで約束」

「唐突過ぎて状況理解できてないんだけど……東子さん? 一体なんの約束なんですかね?」

「私の許可なしで戦わない、って約束」

「仕事が干上がる!!」

「冗談よ」


 口角が僅かに上がっていた。こ、こいつ……。

 けれどまだ、頬は僅かに濡れたまま。拭う様子も見せない。そんなことをする余裕がないのだ、と雄二が気付けたのは、鈍感なりに相棒の気持ちが分かるようになってきた証だろうか。


「……でも、もう今日みたいな真似はしないで」


 うつむき気味に、東子が抗議する。


「雄二だって、魔女の方が製鉄師よりも頑丈なことくらい知ってるでしょ」

「そりゃぁ……そうだけどよ」


 戦闘向きの製鉄師として、まず最初に習うことは、『魔女を狙うことの非効率性』だ。


 鉄脈術は、製鉄師と魔女の契約がなければ発動できない、二人で一つの超異能。そしてこの契約、製鉄師と魔女が『一生もののパートナー』と言われるだけあり、当事者の意思以外では切ることができない。六皇爵家が執拗に雄二と東子の契約を解除させようとしてくるわりに、実力行使にでることがないのはそういう部分も関連してくるのだが……何ごとにも例外はつきもので。

 たった一つだけ、両者の意思に関係なく、契約を切る方法が存在する。


 ――『死別』である。魔女か製鉄師、そのどちらかが死んだとき、強制的に二人の契約は解除される。


 故に本来であれば、異能によって強化された製鉄師と正面切って戦うより、体が小さく、対抗手段も少ない魔女を積極的に狙う、大変絵面のよろしくない戦術こそが至高とされるはずだ。

 しかし、歴史はそうならなかった。

 製鉄師の敵は製鉄師。互いの鉄脈術がぶつかり合う、いっそ前時代的とさえいえる激突が、今の戦争の最もよくある姿だ。


 その理由こそが、先の『魔女を狙うことの非効率性』。言葉通り、非効率的なアプローチなのだ。魔女を優先して攻撃することは、目の前の敵に勝利する、という目標にとって。


「あの一撃は私が受けても構わなかった。実際、ちょっと熱いくらいで済んだはず」


 のである。

 鉄脈術は発動している間の魔女は、パートナーのOWを引き出すため、霊質界との繋がりが強固になる。ただでさえ見た目の年齢が変わらなくなったり、風邪をひきにくかったり、と物質界の法に強い魔女が、より霊質界の存在に近くなればどうなるか、想像するのは簡単だ。


 つまるところ、魔女というのは製鉄師よりもずっとずっと頑丈なのである。雄二が大怪我を負うような攻撃でも、東子は無傷で耐えられる――そんな展開の方が多いほどに。


 けれど。


「へいへい、悪うござんした……お前が火だるまになりそうなのを黙って見てられなかったんだよ」


 いくら魔女が強固だからといっても、彼女たちの防御は絶対ではない。魔女を戦場で亡くし、そのショックでOWが悪化した製鉄師の話は枚挙にいとまがない。

 受け止められた、というのは言葉のあやで、本当なら東子も、火球の直撃を受ければ無事ではなかったはずだ。下手をすれば本当に、それこそ死んでしまった可能性まである。


「お前のこと、わざわざ傷つけさせる道理はないだろ。製鉄師と魔女の契約関係だとか、相棒だからだとか、それ以前の話だっつーの」

「――っ」


 大切な女の子を、みすみす危険な目に合わせる男があるか。少なくとも雄二は、そんなことをするくらいなら自分が丸焦げになったほうがマシだと思っていた。


「……ばか」


 俯いたままの相棒から、短い罵倒が飛んでくる。うーん、この回答もお気に召さなかったか。しかたない、今回は、若干不本意ではあるけれど、悪者のそしりを甘んじて受けることにして――。


「ほんと、ばかなんだから」


 頬に柔らかく、甘やかな感触。それから、ちゅ、という瑞々しい音。

 ……何をされたか理解するのを、多分脳の方が拒んだ。理解したらショートする自信があったのだと思う。

 ぶっちゃけ過程に関わらずショートはしたので、あまり意味のない対策であったわけだが。


「え」

「お礼」


 反応も、それに対する返答も、一言だけ。雄二の喉から出たそれに至っては一文字である。


「……ああもうっ、一回で理解しなさいよ!」


 もう一度、左の頬に、東子の唇が押し当てられる。おいおいおいどういうことだこれは。どこでそんなこと覚えたんだお前、などと色々と言いたいことが山ほど溢れては決壊寸前の川のように荒れ狂う。


「……実はなんもかんも全部死後の幻覚で、ここは既に天国とかそういう展開だったりする?」

「安心しろ、現実だ。お前は生きている。そして状況は限りなく地獄だ」


 結局出たのは、やたら間抜けな問いだけだったが――宙に向けて放ったつもりのそれに、応える声がひとつ。


 真っ赤なポニーテールの穂先を弄る、見知った顔。

 いつもなら保険医兼カウンセラーの先生が座っているはずの椅子に腰掛け、行儀悪く足をいたのは、授業の時以外は戦術研究室に籠っているはずのルートヴィーゲ・玉祖・ヴァインだった。


「先生」

「随分遅いお目覚めだったな、神凪。気分はどうだ」


 アイスブルーの瞳に見据えられると、自然と姿勢を正してしまう。何だかんだいって彼女は雄二にとって、世界史の担当教員である以前に製鉄師としての師匠で家庭教師のお姉さんなのである。正直、今でも時たま彼女の憤怒を見ると背筋がひやっとする。

 ただ、今回に関してはそればかりではないというか。ぶっちゃけ、もっと背が冷たくなるような事実が待っているというか。


「最高と最悪がいっしょくた、って感じだ……先生が保健室にいる時点で嫌な予感しかしない」

「珍しく冴えてるじゃないか。その通り、お前が今寝そべってるのは、先日我が校が……というか、理事長がフェニキウス財団から借り受けた『グレナディン』の最新機種だよ」

「やっぱり……」


 壁にかけられたデジタル時計の日付は変わっていた。要するにまぁ、そういうことなのだろうなと。


「おいくら?」

「んー、試験利用の協力費として大分まけて貰っていた記憶があるが……それでも、向こう五年ほど無給労働だな」

「死ぬ! ここで命繋いでもその先の人生で死ぬよ俺!?」


 ライオニア商業国を率いる、十三の大企業――『元老院』。

 その最古参の一角であり、世界最先端の医療技術を持ったフェニキウス財団の医療用ポッドともなれば、『死んでさえいなければ半日で完治』と謳われるほどの圧倒的な再生治療が施せるはず。全世界で見てもまだ十数台しか販売されていないというそれが、何故極東の一製鉄師養成学校、それも保健室なんぞにあるのかは極めて不明だが……まぁこの学校の理事長はコネクションがいろいろとおかしいと風の噂に聞いたので、その流れなのだろう。


 そんな「おかしい」コネでもなければ手に入らない貴重品。当然、利用のためのお値段がふざけた額になるのは予想していたが……まさかそこまでとは。

 というかそんなに凄い額なら一言同意ぐらい取って欲しかった。いや、今の今まで気を失っていたのだから、そんなことできたはずもないのだけれども。ジレンマである。


「騒ぎすぎよ雄二」

「落ち着いていられるかっての。そりゃ確かに真っ黒こげになった俺が悪いけどさ」

「馬鹿。話は最後まで聞きなさい」


 脇腹をつねられる。痛い。病み上がりになんてことを、と上げかけた悲鳴は、しかし衝撃と共に上書きされてしまった。 


「治療費、私が払っといたから」

「は?」

「だから。『グレナディン』の使用料金、私が払ったから雄二は心配しなくていい、って話」


 むすっとした表情のまま、しかしどこか得意げに胸を張る東子。一方の雄二と言えば、またまた現実が受け入れられず、フリーズした。受け入れたくても受け入れられない、と言った方が正しい気がするが。


「……え?」

「何よその顔。不満? 言っとくけど、国家予算が私の財布、なんてこと、私にもそうそうできないんだからね」

「いえ、なんでもございません!! ありがとうございます東子姫殿下!」

「よろしい」


 どうやら雄二に同意確認が無かったのはこのためらしい。なるほど、東子が自分の懐を切って、パートナーの治療を依頼した……そういった形であればたしかに不思議なことではない。いや、何かがおかしい気もするけれど。というか色々とおかしいけれど。


 国家予算並みの金額を動かせる女の子、実在したんだ……しかもそれ俺の相棒なんだ……と、ファンタジーも真っ青な現状に冷や汗が出る。いや、そもそも鉄脈術なんていうものを扱っている時点でずいぶんとファンタジーな日常ではあるのだが。


「そこのプリンセス、お前を心配するあまりに泣いたりわめいたりやつれたり怒り出したりで大変だったんだぞ。『目を覚まさなかったらどうしよう』だとか『私のせいだ』だとか、いつもなら見せんような悲嘆にくれた表情でえんえん泣かれたこっちの身にもなってみろ。色々と疲れたわ」


 びくり!

 相棒の肩が大きく震える。東子は油の切れたロボットみたいなかたい動きで、ルートヴィーゲの方を振り返る。


「そ、それ……言わないって約束じゃ――」

「馬鹿貴様、教え子に目の前でいちゃつかれてこの私が何の報復もしないと思っていたのか? 愛しの彼氏が目を覚ましたときにどんな言葉をかけるべきかについては延々悩めるくせに、こういうところには考えが回らないあたりが実にお前らしいな東子」


 顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまった相棒。彼女に代わって、雄二は一つだけ訂正をしておくことにする。


「いや、彼氏じゃないって」

「神凪ィ、さてはお前もう一回昏睡したいらしいな」


 どうしてかは知らないが、東子の機嫌の程が二トーンほど低くなる気配。ルートヴィーゲからもデリカシーがない、とお叱りを受けてしまった。一体何が悪かったのだろうか。解せぬ。

 

 とにかく、この話題はずっと続けているとまずいやつだ。東子からは不満を、ルートヴィーゲからは『リア充死すべし』の怨念を叩きつけられてしまう。さっさと反らすに限ると見た。


「こ、昏睡と言えば。先生、さっき状況は地獄だ、って言ってたよな。教えてくれ、俺が寝てる間、何があったんだ?」

「……ふん。いいだろう。お前がぐーすかと眠りこけてるうちに、状況がどう動いたかを教えてやる。心して聞け」


 ルートヴィーゲの、僅かにルージュの引かれた唇が、すうと一息をつく。タバコでも吸っていたら大分サマになった様な気がするが、生憎、彼女が口にくわえるのは、大抵の場合契約者お手製の棒付きキャンディーである。丁度腰のホルダーからひとつ取り出し、ラベルを剥いていた。今日は桃味らしい。


「昨夜、警察はガルム・ヴァナルガンドの潜伏先を突き止めた。情報自体は前々から掴んでいたらしいな。あの用意の良さ……恐らくは、お前が最初に邂逅するより前から、あの男の入国を察知していたんだろう。チッ、こちらに情報を寄越さないあたりが腹立たしいな」


 皇国警察は、六皇爵家が主導で管理するプロ・ブラッドスミス制度と仲が悪い。梨花や奈緒はプロの製鉄師に対して悪感情を持っていなかったが、警察の中には六皇爵家の息がかかった製鉄師を「自分たちのなわばりを荒らす外敵」と見ている者もいる。ガルムが日本に侵入したことを突き止めたのは、きっとそんな内の一人だったのだろう。

 

 平和を守るのにそんな私情を入れてる場合か、と思わなくもないのだが……警察もあんな形でガルムが関わってくるとは、恐らく想定していなかったのだろう。駅前のときも奈緒が随分吃驚していたし。


「だが、手際が良かったのはそこまでだ。突入した対OI犯罪者用の部隊は、二部隊とも返り討ちに遭ったそうだ。当然ではあるが 虎の子の警察所属製鉄師も敗北したらしい。今頃本部は、責任追及でてんやわんやの大騒ぎだろうな」

「それって、まさか」

「ああ、そのまさかだ。第一機動部隊イチバンタイ第三機動部隊サンバンタイは壊滅した。今、魔鉄課で動けるのは第二機動部隊ニバンタイだけだ」

「――!」


 一昨日の朝、廃工場を取り囲んでいたOI能力者たちを思い出す。武装した彼らの数は中隊規模。あれで一部隊なのだとすれば、二部隊に製鉄師も加わって相当な人数だったはずだ。

 それを、あの白髪のヴァンゼクス人は、たった一組で蹴散らしてみせた、と。


「たとえ警察所属のペアがもっと多くても、結果は同じだっただろうさ。正直、OI部隊の足止めも全く効果がなかったようだ。それだけガルム・ヴァナルガンドが凶悪ということだ……正直、残った部隊で奴を拘束できるかといわれれば」


 ルートヴィーゲが言葉を切る。その先に何が続くか、想像に難くない。沈黙の重さは、きっと額面以上の意味をもっている。


「その第二機動部隊から、神凪雄二・天孫東子ペアに依頼が届いている」

「依頼?」

「間抜けな顔をするな、馬鹿め。流石のお前でも分かるだろう」

「……作戦への協力要請か」

「そうだ」


 流石の皇国警察も、ここまで来ると外部に手助けを求めなければならないらしい。一度作戦を共にした実績があるからだろう。お呼びがかかっているようだ。

 

 これはチャンスだ。梨花や奈緒とそれなりに良好な関係を築いておいて正解だった。ここで今度こそ、ガルムを仕留める。そうすれば、六皇爵家もこの功績をカウントして――。


「『玉祖』からも、お前たちに同様の依頼を出す、と言いたい所なのだが……六皇爵会議では難色を示す家が現状過半数だ。『天孫』と『玉祖』以外は、此度は別のペアに任せてはどうか、という意見を推している」

「な」


 ――硬直。絶句は無意識のうちにひび割れていた。


「そいつは困るぜ、先生! あいつを倒さないと、俺は……」

「なぁ神凪。言うは易く行うは難し、って言葉、知ってるか?」

「え? あ、ああ。流石に」

「つまりそういうことだよ」


 思わず、下唇を噛んでしまう。

 寝言は寝て言え、ということらしい。正直、先の戦いは完敗だったといっていい。対応こそできていたが、ガルムとヘレナにはまだまだ余裕がありそうだった。あれを追い詰め、撃破するためには、もっと――それこそ、同じ振鉄位階の力が必要だ、と言われても不思議ではない。


「……正直、私も同じ意見。このままだと、もっと無理する気がするし」

「東子まで!」

「でも、あなたを信じる、って言ったから。まだ勝つための道筋、あなたは見せてないわ。相棒としてあなたを止めるかどうか決めるのは、それを見てからにする」

「……悪い」


 雄二は東子に、この依頼を続ける理由を話していない。勘の良い彼女のことだから、多分気付いてはいるのだろうけれど……言葉に出すのと出さないのとでは、色々と違いがある。


 探そうと思えばきっと、別の形で六皇爵に認められる方法はある。それでも『戦う』形でそれを満たそうとするのは、雄二のわがままだ。

 にもかかわらず、こうして危険な戦いに付き合ってくれている――どうにも頭が上がらない。


 そんな教え子の『茶番劇』に、ふん、と鼻を鳴らす赤毛の教官。


「まぁ、何にせよ警察はお前達を指名している。どちらにしても、貴様らが参加することに変わりはない。変わるのは、だけだ」


 つまるところ、雄二は暗に、こう言われているのだ。

 六皇爵家が雄二と東子を指名しなければ、皇爵家直属の、別の製鉄師たちが作戦に介入してくるだろう。その中にはルートヴィーゲと同等クラス……『近衛』の製鉄師が混じっている可能性もある。彼らの力は国内の製鉄師から見れば別格だ。もしも本格的に彼らが参加するのなら、雄二がガルム討伐の名誉を得られる可能性は極めて低くなる。


 そうなった場合、雄二は六皇爵家に認められるほどの多大な功績を上げるチャンスを失うことになる。

 それは六皇爵家が……特に天児屋が、雄二と東子を引き離す決断をする、その切っ掛けとして充分すぎる、と。デスレースはもう始まっているのだ。


「結果を示せ、神凪雄二。タイムリミットは思いのほか近いぞ」

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