9、遠い目

 ――――かくして俺は、自由を追い求めて冒険者ギルドに行ったはずが、なんかよう分からん事に巻き込まれて今に至るわけだ。


 ふぅ、思い返すだけで泣けてくるぜ。泣ける要素なんてまったくないくらいに歓迎されてたはずなのに、おかしな事もあるもんだ。


「ほ、豊穣神サマ!? どこかお体が痛いのですか!?」


 遠い目で涙を浮かべる俺を見てレイナさんが血相を変える。俺は慌てて涙を拭った。


「いや、気にしないでください。別に痛くとかはないんで」

「気にします! 豊穣神サマを泣かせるようなヤツは、豊穣の巫女であるこのレイナがボッコボコのタコ殴りにしてやりますから!」


 いや、だから、その論理で行けば自分をタコ殴りにしないといけませんよ? レイナさん。ヘンリエッタさんもだけど、どうして発言がいちいち不穏なんですか? それも豊穣神が絡んでる時に限って。


「だから、そういうんじゃなくて。この世界に来たばかりの事を思い出して、なんかちょっと色々考えちゃって」


 俺の説明に、けれどレイナさんはしかめ面を崩そうとしなかった。




 宮殿に拉致されて何やかんやあったあの後、ようやく俺が待ち望んでいた情報をレイナさん達に話して聞かせてもらった。


 この世界は、やはり俺にとって異世界と言える存在で、目の前にいる豊穣の巫女、レイナさんが俺を召喚した事。


 召喚された時点でその人間は〝豊穣神〟となる事。だから俺は人間でありながら豊穣神でもある、という事になるらしい。


 その豊穣神はこの国、レーヴェスホルンを豊かにする存在として崇められている。そのきっかけになったのは、50年前に起きたという大地震だ。


 その地震を境に、レーヴェスホルンは様々な天変地異、天災、畑の不作などに見舞われるようになった。その対策として、当時の巫女は封じられた技術を用いて異世界の人間を召喚し、豊穣神として崇めた。


 人間を豊穣神、って無理があると思うんだが、実際に天変地異などは全く起きなくなったので、豊穣神としてのご利益は確かにあったんだろう。そして、先代の豊穣神はほんの一ヵ月前までレーヴェスホルンで暮らし、天寿を全うしたのだそうだ。


 あれから50年。もう豊穣神無しでもどうにかなる……なんて事もなく、再発する天変地異。そこで再度召喚の儀式が執り行われ、俺が新たな豊穣神としてこの異世界に降り立った……というのが事の顛末らしい。




 どうにも荒唐無稽な話だが、まぁ異世界だから仕方ないと思えば納得できてしまうのはいかがなものか。


 で、俺は今豊穣神として、この宮殿で暮らしているわけだ。特に何をしているわけでもないし、何が出来るとも思えないが、俺の降臨を節目に先代の死から再発していた天変地異はピタリと治まっているらしい。


 逆に言えば俺がこの国から出ていこうものなら、天変地異が再再発する事も十分考えられるって事になるわけだ。……やっぱり実感沸かねぇなぁ。


「来たばかりの頃……も、申し訳ありません!」


 と、何やら考え込んでいたレイナさんが勢いよく頭を下げた。その体格に見合わない膨らんだ胸元が派手に暴れる。


「え……な、何が?」

「本来なら宮殿の中にご降臨いただくはずだったのに、巫女であるボクの力が足りないばかりに豊穣神様を草原などに野ざらしに!!」


 ……ああ、なるほど? 俺は宮殿でのドタバタ劇の事を思い返したんだけど、レイナさんは俺が草原で目覚めた事についてだと解釈したのか。


 儀式は確かに成功して天変地異も治まったのに豊穣神が現れない、という事で宮殿側はかなり慌てたらしい。豊穣神らしき姿を見つけたら連絡を、国中にお触れが出され、結果ギルドのお姉さんによって俺の存在が知らされたんだ。


 うん、まぁ、しかしですよ。目の前でウルウルと目を潤ませてるレイナさんを見てると、無駄に心が痛んでくるぜ。俺は何も悪い事なんてしてないはずなのにだ。


 仕方ない。フォローくらいしておこう。


「あ、いや、だからその事は別に気にしてないってこの間言っ」

「いえ、これは明らかにボクの不手際! やっぱりボクの全身全霊を以て償わさせてください!」


 フォローくらいさせてくれませんか、レイナさん。


「いや、償うと言われても」

「何でもします! ボクの事をどうしたって構いませんから!」


 ずいずいっ! と前のめりで俺に近づくレイナさん。何で謝られている俺の方がこんなに詰め寄られている感じになっているんだろうか。


 ……って言うか近い近い! 今勢い余ってキスしかけたろ! あとそのでかい胸が当たってるから! 


 当ててんのか? それか自分の胸のでかさを認識できてない天然系小悪魔か!? どっちにしても性質が悪いわ!


「あぁ、えーと、とりあえず落ち着いてレイナさん。あと、女の子がさっきみたいな発言を、特に男相手に軽々しくしない方が良いと思う」

「? さっきみたいな発言って、どれの事ですか? 豊穣神サマ」

「えーと……」


 全身全霊を以て償うとか、ボクの事をどうしたって構わないとか……あぁくそ、なんか俺の方が恥ずいわ! 


「とにかく! 俺は気にしてないので、レイナさんも気にしない事! 豊穣神命令です、分かった?」

「むぅ……はい、豊穣神サマがそう仰るなら」


 なんとか納得させ、胸を撫で下ろす俺。一昨日から終始こんな調子だ。


 くつろいで欲しいと言ってくれている人達が、俺を全くくつろがせてくれないというこの矛盾。これはもう一種の拷問ではなかろうか。


「……豊穣神様、ようございますか?」


 と、生温い目で俺達のやり取りを見やっていたヘンリエッタさんが、メガネを指先でくいと上げつつ言葉を継いだ。


「あ、はい。どうぞ」

「朝食をご用意しておりますので、ご案内いたします」


「分かりました。えっと、その後は……?」

「それにつきましても朝食の場でお伝えいたします」


 ……なんかもう、貴族とかが食事の途中にやってるイメージの『爺や、今日の予定は?』『はっ、本日はこの後伯爵様との会合を――』みたいな感じだな。まぁ、俺は一応神様って事になるんだからそれよりも上なのか?


 まぁいいさ。腹はが減ってるのはマジだし。寝起きから無駄にエネルギーを浪費したからな……。


 と、レイナさんが俺の顔を覗き込みながらどこか嬉しそうに言う。


「えっと、豊穣神サマ。朝食の後、お着替えをお手伝いし」

「しなくていいです。しなくて、いいんです」


 大事な事なので2回言った。分かりました……としゅんとなるレイナさん。


 俺は今パジャマ姿なわけだが、転移してきた時に来ていた学生服は『聖衣ガクセイフク』などという大層な名前を賜り厳重に祀られてしまったので、今はいかにも異世界だな、と思うゆったりとしたシャツとパンツを着る事がほとんどだ。


 それはまぁいいとしよう。けど、『豊穣神サマのお着替えを手伝うのも巫女の務めですから!』、というのはさすがに……違うよな。


 百歩譲って、それはメイドの仕事だ。そして俺は、女の子に手伝って着替えが出来るほど羞恥心がない男じゃないのだ。


 まったく、油断も隙も無い。次にレイナさんがどんな口撃を仕掛けてくるのか警戒しつつ、俺は無駄に広い宮殿を歩き始めるのだった。

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