第48話「祈り」
ザッザッザ
哀香がリュックを背負いながら、時計広場の階段を登ってきた。自宅から戻ってきたようだ。
「哀香……」
「言われた通り色々持ってきた」
哀香はリュックを地面に置き、ぽんぽんと叩く。
「凛奈はまだ来ていないようね」
「あぁ……ん?」
哀香はリュックから救急箱を取り出した。箱を開け、中から包帯や消毒液を出す。
「蓮、腕出しなさい。怪我してんでしょ」
蓮太郎は城でギャング達の襲撃に遭った時、剣で右腕を斬りつけられていた。暗くても確認できるほど血が溢れ出ている。攻撃されそうになった哀香を庇ってできたものだ。彼は左手で傷口を押さえる。
「こんなのかすり傷だよ。大したことないって」
蓮太郎は苦笑いで答え、右腕を遠ざける。
「馬鹿!!!」
哀香の怒鳴り声が時計広場に響き渡る。蓮太郎は萎縮する。近くにいた花音も思わず震え上がる。
「アンタ昔から臆病者のくせに、私のことになるとすぐそうやって無茶するんだから! 心配するこっちの身にもなりなさいよ……」
「……ごめん」
「ほら、さっさと見せなさい」
蓮太郎は無言で傷口を見せる。哀香はティッシュで血を拭き取り始める。こびりついた泥や砂利を落とし、水で綺麗に洗い流した。消毒液を塗り、包帯で包んで終了。彼女の手慣れた治療は、たった3分で済んだ。
「ありがとう……哀香」
「もう無茶なんてするんじゃないわよ」
「あぁ……」
笑い合う哀香と蓮太郎。凛奈と陽真だけではない。この二人も中学生の頃からの幼なじみなのだ。目には見えない特別な絆で繋がっている。何やら良さげな雰囲気に、花音も思わず笑みがこぼれる。
ザッザッザ
「……!」
三人は階段に目を向ける。凛奈が這いずりながら登ってきた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「凛奈!」
驚いた。プチクラ山の時計広場から清水家の自宅まで、最低でも一時間はかかるほどの距離を、約20分で往復したのだ。陽真を思う愛が、凛奈の凄まじい力を呼び覚ました。
「アンタどこに行ってたのよ!?」
哀香達は凛奈に駆け寄り、地面に這いつくばる彼女を抱き起こす。彼女は荒れた息遣いで答える。
「自分の……家……」
「どうして……走って行く必要なんてないのに」
「ダメ……間に合わない……から」
「え?」
「哀香ちゃん……今……何時?」
再び現在時刻を尋ねる凛奈。哀香は時計台を確認して呟く。
「8時58分……」
「間に合った……」
凛奈は脅威の力で一瞬で息を整え、自力で立って歩いた。先程霧が消えていった柵の奥に続く森を見つめる。
「9時に何かあるの?」
「うん。哀香ちゃんはもう分かった? どうやって二つの世界を行き来するか。どうやってあの霧を発生させるのか」
凛奈は後ろを振り返らずに哀香に尋ねる。
「えぇ……。理の書に書いてあったあの暗号みたいな文が答えでしょ」
「そういうこと」
「お互いの世界にいる二人の人間が同時に神様に祈りを捧げる。そうすれば近くの山で二つの世界を繋ぐ霧が出てくる」
哀香は淡々と説明する。異なる世界に隔てられた二人が、同じタイミングで神様に祈りを捧げる。すると、お互いの一番近くにある山に、二つの世界を繋ぐゲートとして霧が現れ、その霧を潜って異世界へ行くことができる。
理の書に書かれていたことは、そういう意味だったのだ。哀香は密かに気づいていたようだ。
「これで向こうの世界に行く方法はばっちりだね」
「でも、向こうで誰かが祈ってないといけないんでしょ? しかもこっちと同時に。向こうの世界で誰かが祈ってるかどうかなんて分からn……あっ!」
哀香は途中で何かを思い出したかのように、再び時計台を確認する。時計の針は丁度午後9時ジャストを指し示していた。
「そっか! 午後9時になれば!」
「そう、アンジェラが祈りの儀式を始める」
アンジェラが毎晩9時に行うという祈りの儀式。凛奈はそれを見越し、午後9時に間に合うように時計広場に戻ってきたのだ。最近はサボり気味で、他の騎士にやらせているとアルバートは言っていた。
しかし、この際誰でもいい。フォーディルナイトで誰かが祈ってさえいれば、後は自分達も祈りを捧げて霧が発生するはず。
また一つ謎が解けた。今まで行方不明になった人達は、みんな午後9時に何かしら神様に祈りを捧げていたのだ。それが偶然にもアンジェラの祈りとタイミングが重なって霧が発生し、フォーディルナイトに転移していた。
陽真も、優衣も、豊も、花音も、もちろん凛奈達も……。まさに神様が起こした奇跡のような偶然だ。
「確かに! 転移した時、向こうの世界は夜だった! こっちの世界と同じように……」
「つまり、二つの世界は並行して時間が流れている。向こうの時刻も午後9時。それなら今頃、アンジェラが祈りを捧げてるはずだ」
花音と蓮太郎も理解する。
「それじゃあ……みんな、いくよ!」
凛奈は手を組み、目を閉じて祈る。
“かみさま……お願いします。もう一度陽真君に会わせてください……”
「……」
大広間でアデスが描かれた壁画を眺める陽真。彼はこの世界で記憶を無くしてから、毎晩祈りを捧げる度に心に引っ掛かっるものがあった。何か大切なものを忘れている棘のような感覚が。
「凛奈……」
もし、その謎の感覚の秘密を、あの少女が握っているのだとしたら……。
“アーサー、よく考えてね。自分が本当に守るべきなのは何なのかを。選ぶのはアナタなんだから……”
アンジェラの先程の言葉が心に響く。まるで自分が本当の自分でないような、そんな感覚にも襲われる。自分が一体何を失ってしまったのかは、未だに謎のままである。
しかし、全能神であれば知っているのだろうか。この世に生きる全ての人間のことも。自分のことも……。
時刻はちょうど午後9時を迎えた。儀式の時間だ。
「よし……」
陽真は儀式を行うと同時に、神様に問うことにした。あの時、凛奈が自分を呼ぶ姿が必死に思えた。あそこまで必死になるということは、やはり自分と彼女には何か特別な関係があるのか。果たしてそれは何なのか。
それは、この世界に来る前の記憶の中にある。陽真はもどかしさを感じていた。彼は心に引っ掛かる感覚の正体を、神様に尋ねた。
“教えてください。俺は一体誰なんですか? 俺はどこから来たのですか? 俺はここにいるべき人間なのですか? どうか、俺の正体を、本当の居場所を教えてください……”
祈りが重なった。
シュー
霧は見事に発生した。凛奈達は歓喜の声をあげる。
「すごい!」
「やったわね、凛奈!」
「うん! さぁ、行こう!」
凛奈は霧に向かって歩き出す。蓮太郎も彼女を追って立ち上がろうとする。
「待って。蓮はここに残りなさい」
「え?」
哀香が蓮太郎を言い留めた。
「アンタ怪我してんでしょ。無理しないでここで待ってなさい」
「で、でも……」
「こっちに帰ってくる時に、誰か祈る人が残ってないといけないじゃない。ここで待ってなさい。そして、ずっと祈ってなさい。私達がまた戻ってこられるように。これはアンタにしか頼めないことよ」
「……分かった」
哀香は本気で自分のことを心配しているのであれば、受け入れるしかない。自分は自分のできる役割を果たそう。蓮太郎は悔しそうにその場に座り込む。哀香は背を向け、霧の中へと歩き出す。
「待って!」
哀香が進もうとすると、蓮太郎が彼女の上着の袖を掴む。
「すべて終わらせたら、話すことがある。だから……絶対に戻ってきてほしい」
哀香は蓮太郎の覚悟に満ちた瞳を見つめる。
「……分かったわ。絶対に連れ戻してくる」
哀香は凛奈、花音と共に霧の中へ飛び込んだ。蓮太郎は三人の後ろ姿を眺めながら、手を合わせて祈る。
「行くわよ! 二人共!」
「うん!」
「えぇ!」
三人の姿は霧の奥へと進んでいった。絶対に陽真達を連れ戻す。その覚悟を胸に抱きながら。
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