煉獄原城魔王召喚編 第四幕 天下大乱の幕開け その四

 江戸城に「原城に『自称』織田信長公が蘇り、乱戦の中、島原を脱出して島津家に合流した。拙者は引き続き九州に留まり、小笠原忠真・細川忠利とともに九州外様諸将の反乱の芽を潰して回りたし」との松平信綱からの伝令が届くや否や、幕府は騒然となった。


 三代将軍家光に誰よりも忠実な「知恵伊豆」こと松平信綱ほどの能吏が、法螺を吹き偽りの報告をするはずがない。つまり、自称ではあれ、織田信長公の出現は事実だということだ。なによりも、薩摩の島津が信長公を迎え入れたということが衝撃だった。


「島原の百姓一揆が、まさかこのような騒動に広がるとは。織田信長公を名乗る人物が忽然と現れ、島津と組んだ。このままでは九州は大乱になる。伊豆守のもとには立花宗茂がついているとはいえ、神君家康公の従兄弟・水野勝成が信長公側に寝返ったとも。なにが起きているのか、わけがわからない……余は、どうすればよい?」


 三十代半ばの若き将軍・徳川家光は早速、幕府の「要」とも言うべき重臣たちを招いて、極秘裏に話し合いの場を設けた。大名家の二代目・三代目に多いが、家光もまた生まれつきもともと身体が強くない上に、ストレスにも弱かった。幕府が「鎖国」路線へと完全に舵を切ったのも、家光がキリシタンそしてイスパニアの侵略を極度に恐れていたためだ。


 本来、なにごともまず老中・松平信綱に相談するのが家光の日課だが、その頼みの信綱が九州「戦線」から離れられない今は、江戸に詰めている首脳陣を頼るしかない。


「『武家諸法度』で大名の自領外への無断出兵を禁じたばかりに、細川や島津は一揆を速やかに鎮圧できなかった。初動で手間取ったのが過ちだった。余が九州へ派遣した一人目の上使・板倉重昌は原城攻略に失敗して討ち死に。かくなる上は、余の片腕たる伊豆守に託すしかなかったのだが……まさか、信長公が出てくるとは」


 家光はきりきりと痛む胃を押さえながら、冷や汗を流し続けている。


「上様、自信をお持ちください。織田信長公が生きているはずがございません。原城に追い詰められた天草島原のキリシタンたちが苦し紛れに替え玉を立てたまでのことですわ。伊豆守どのならば、島津と交渉して偽信長公の首ひとつでことを収められるはず」


 気弱だった家光を育て上げ、家康に掛け合ってまで強引に将軍の座に就けた豪腕の女傑・春日局が、家光を励ます。


「御局様。信長公が偽者だとしても、水野どのの出奔は徳川にとって一大事。また、早急に一揆を鎮圧させるため九州の外様大名たちを江戸から国元へ送り返したことが、今となっては痛恨の失策となり申した。信長公の再臨など誰にも予想できぬ事態であったため、責任は問えませぬが……」


「但馬。み、水野勝成は、お祖父さまの従兄弟どのなのに、いったいなにを。乱心したとしか思えぬ。か、改易せよ!」


「伊豆守どのいわく、戦場で父と決別し幕府に忠義を貫いた嫡子勝俊に藩主の座を継がせたいとのことです、上様。島原で切り崩されかけた九州外様どもの離反を防ぐためです。藩主が乱心した場合、家臣団が藩主を押し込め、あるいは追放して嫡子に藩を相続させてもよい。こたびの水野家を手本とし、諸大名にそう知らしめたいと」


「……なるほど。さすがは伊豆守じゃ。しかし余を嫉む者は多い。油断はならぬな」


「はっ。今後はこの但馬が、より徹底した情報の統制と諸大名の監視を行います。伊豆守どのが飴なれば、拙者は鞭でございますれば」


 一介の剣客から大名を観察する惣目付にまで出世した辣腕政治家・柳生但馬守宗矩が、動揺している家光を落ち着かせようと現状を説いて聞かせる。


 家光が九州に「一人目」の上使として板倉重昌を派遣する際に「九州の外様大名たちを統制するお役目は、伊豆守どのでなければ難しいでしょう」と予言したのも、この柳生宗矩である。


 宗矩は全国の大名を甲賀者・伊賀者・柳生に監視させる独自の諜報機関を持っており、家光政権では「内政は松平伊豆守、他藩との外交は柳生但馬守、大奥のことは春日局」という役割分担が為されていた。


 しかし――この密談に、予期せぬ人物が加わっていた。かつて徳川家康とともに幕府創設と江戸の都市計画に奔走し、すでに隠居して寛永寺に籠もっていた、齢百歳を超える怪僧・南光坊天海が、久々に江戸城を訪れて、家光のもとに現れたのだ。もはや政務には耐えられない老いさらばえた身体となり、静かに隠居していたはずの天海の登城に、春日局も柳生宗矩も驚きを隠せない。


 とりわけ、春日局は。

 天海がなにを告げに来たのか、彼女にはわかるのだ。なぜなら――。


「て、天海僧正。まさか、織田信長公はほんものである、と言いに来たのではありませんよね? 上様を悩ませる妄言は、いくら僧正でも許されませんわよ?」


「そのまさかである。拙僧にはわかるのだ。織田信長公は、ほんものである。拙僧が本能寺にあの大逆非道の魔王を包囲し火を放った夜のこと、今でもありありと夢に見るぞ。拙僧はついに、本能寺で信長公の首を見つけることができなかった――! 拙僧がサル如きに天王寺でむざむざ敗れたのも、信長公の首を探すことにこだわり続け、しかも発見できなかったため。サルはそれをいいことに、『信長公は生きておわす』と言いふらして畿内の諸将を味方につけたのだ」


 なぜなら南光坊天海こそは、本能寺で信長を討った惟任日向。明智光秀その人だったからである。別府隼人の唱えた「異説」は、この世界では「真実」だったのだ。


 光秀の政権は、秀吉に敗れて「三日天下」に終わった。からくも逃げ切った光秀は頭を丸め僧侶姿となり、秀吉と天下を巡って対立していた徳川家康のもとに逃げ込み、以後、天海僧正に「変身」して秀吉が興した豊臣氏を滅ぼすことと、自分を拾ってくれた家康の恩義に報いて江戸幕府を盤石のものとすることに熱中してきた。幕府の南蛮嫌いも、天海の信長嫌いが一因である。


 二度と「明智光秀」として世に出られないという鬱屈が、天海に妖怪じみた政治力とそして寿命を与えた。毒殺を恐れて生涯医師を近づけなかった家康から、長寿のための鷹狩り・水泳などの運動療法及び薬の調合について学んだことも、彼の長命の一因である。


 家光ももちろん、天海の正体を知っている。将軍位を継いだ時、父・秀忠から打ち明けられた。かつては初代将軍徳川家康、二代将軍徳川秀忠、本多正信・本多正純親子もこの秘事を知っていたが、彼らはすでに鬼籍に入った。今、天海の秘密を共有する者は、光秀の重臣・斎藤利三の娘である春日局、その春日局に育てられた家光、家光の片腕・松平信綱、「惣目付」の柳生宗矩の四人のみ。


 いずれにせよ、織田信長公の時代ははるか遠い過去となり、天海も豊臣氏の滅亡と「徳川の都」江戸の建設という生涯の事業をやり遂げて隠居したため、天海の正体を気に懸ける者などすでにいなかった――島原に、織田信長公が現れるまでは。


「そ、僧正。そなたは、織田信長公がほんものだと申すか? だが余は生まれながらの将軍であるぞ、日本は徳川のものじゃ。今さらかつての天下人に舞い戻ってこられても困る!」


「上様。信長公は、神仏よりも己のほうが偉大であると増長した真の外道。安土の摠見寺に己を神として祀らせた仏敵にして第六天の魔王。きゃつはキリシタン伴天連の外法を用いていずれ戻ってくる、必ずこの日が来ると、拙僧はこの五十余年ずっと信じておりました。故に、魔王を封ずるべく江戸の町に風水技術の粋を尽くした霊的な『結界』を施し、織田信長公が万一江戸へと攻め寄せてきても討ち果たせるように備えていたのです――たとえあの者が人外となっていても、江戸におびき寄せれば殺せます。こんどこそ。拙僧がかくも老いさらばえてなお生き続けてきたのも、我、必ずや信長公の首を獲らん、この魂が地獄に堕ちようとも、と誓いを立ててきたため」


 今まで家光が敬愛してきた温厚な老僧とはまるで別人。天海がはじめて見せた凄まじい妄執を前に、どちらが魔物かわからぬ、と家光は震えた。江戸城の鬼門の方角に「比叡山」にあたる寛永寺を建てるなど、天海の都市計画はたしかに奇門遁甲や風水、陰陽術の類いの技術を駆使したものだった。だがそれは、天海がかつて信長公の命令で叡山を焼いたことへの罪滅ぼしの一種だと信心深い家光は信じていた。しかし、事実は違ったのだ。江戸は、「蘇った織田信長公を討ち取る」ための巨大な結界都市だったのだ!


「そ、僧正。信長公を擁した島津軍に、江戸へ攻め込まれては困る! 余は、かような化け物との戦など嫌だ! 必ずや九州で防ぎ止め、信長公を本州へ上陸させてはならない。よいな?」


「その道を選べば、天下は大乱となりますぞ、上様」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます