煉獄原城魔王召喚編 三幕 原城脱出戦 その六

 一揆勢と幕軍の戦いは、開戦当初、一方的に一揆勢が推していた。乱の発端となった領主、寺沢・松倉の軍勢は小勢であり、水野勝成率いる決死隊によって撃破された。水野勝成がそのまま松平信綱の本陣へと遮二無二突入していった後、織田信長と森宗意軒は一揆勢を指揮して次々と幕軍の各部隊を各個撃破していた。


 当初よりここを死に場所と定めていた寺沢・松倉の軍勢は完全に瓦解。


「ひいいいい。信長公に殺される!」と青ざめながら細川忠利が指揮を執っている熊本軍、久留米藩の有馬豊氏軍、父の出奔によって半数に減った水野勝俊軍の三隊が、かろうじて一揆勢を防ごうとしているが、幕軍最大戦力の鍋島が動かないことと、黒田軍が分裂して二手に分かれ統制が取れなくなっていることが、決定的だった。


「うわはははは! 敵は伊勢長島の門徒どもの暴れぶりを知らぬ連中じゃ、みな驚いて腰を抜かしておるわ! 鍋島軍と黒田軍の半数が戦を傍観している今じゃ。松平信綱の首を奪う好機は今しかない! 総大将を盗れば、戦は勝ちじゃ! その勢いで九州を席巻できるわ!」


「信長公。ですが、一揆勢が振り絞っている最後の力は、長くは保ちますまい。細川の大軍を撃破するは困難。これ以上戦場に留まるは危険ですぞ。そろそろ、昨夜定めた計画の通りに脱出する頃合いかと」


「宗意軒、しばし待て! 松平信綱の首を獲ってからじゃ! 奴は将軍家光の片腕であろう? 今殺さねば、江戸へ逃げ込まれる。そうなれば、易々と殺せぬぞ!」


「なりませぬ。松平信綱を討つ役目は水野どのと武蔵どのに任せて、信長公は脱出を!」

 ちっ。デアルカ。思い起こせば、本能寺では蘭丸の勧めに従ってともに女装してそそくさと逃げておればよかったのじゃ。キンカンブッ殺すと頭に血を上らせて戦ったのが運の尽きであった、やむを得ぬの、と信長が馬上で舌打ちする。


「金ヶ崎の時の素早い逃げっぷりは最高じゃったが、儂も年を食って短気さが増したのかの。キリシタン百姓衆を島原に捨て置くことになるが、四郎よ、耐えられるか」


「耐えがたいことですが……この戦に勝利できれば……必ずや、根切りの運命は免れると……そう信じて……」


「松平信綱の首、儂抜きでは獲れぬ気がする。桶狭間の時の如く、儂自身が本陣へ突入すべきじゃったかもしれぬ。が、あの頃の儂はまだ若かったからの。ここは、未来から来たモヤシ小僧の言うことを聞いておくとするか。奴の献策はどうにも手堅くて苛々させられるがな」


「しかし信長公。見事、別府隼人べっぷはやとどのによる調略相手の人選は成功しておりますぞ。同時代人の拙者や由井正雪だけでは、ここまで諸将の心中と動向を正確に読み切れませなんだ」


「デアルナ。ということは、この先の展開もモヤシ小僧の想定通りになるということ。ならば、早々に逃げるにしかずじゃな」

 しかし、馬上で信長が決断するよりも一手早く、別府隼人の「予想」通りの「戦況一変」が起きた。


 昨夜、森宗意軒が「実は開戦当初より、幕軍に間諜を忍び込ませております」と信長に告げた瞬間、信長は「儂が閃いた調略の策に使えるのう」とほくそ笑み、別府隼人が「でしたら俺に、考えがあります!」と「信長脱出作戦」の絵を描いたのだった。


『この一揆がキリシタン一揆だった昨日までなら、間諜は敵陣の情報を探る以上の働きはできませんでした。しかし、再臨した信長公と水野勝成さまのご威光をもってすれば、相手を慎重に選びさえすれば調略は成功します。


 明朝、投降すると称して幕軍を奇襲し、内通者たちが戦を傍観しているうちに総大将・松平信綱の首を素早く獲れれば、幕軍は潰走します。


 ですが初手で獲れねば、「知恵伊豆」松平信綱は必ずや幕軍を「立て直します」。それも、強力な一手をもって。瞬時に、戦況がひっくり返ります。


 故に、戦がはじまれば信長公は速やかに「脱出」計画の実行へと移られること。干殺しを受けてきた一揆勢の気力体力は長続きしません。どうか血気に逸って戦場で粘らないでください。必ず、四郎さんを無事に島原から逃がしてくださいね。お願いします』


 別府隼人は昨夜、そう信長に告げていた。

 この第六天魔王ともあろう者があのモヤシ小僧の言いなりになるのは癪じゃな、と信長が僅かばかりに戦場に「長居」したことが、危機を招いた。


 信長には、平時には武田信玄や上杉謙信に平身低頭してひたすら強敵の死を待つという狡猾で臆病な面もあるが、いざ戦場に立つと全身の血液が沸騰したかのように目の前の戦に熱中するあまり、自分自身の危機に無頓着になる癖がある。そのため金ヶ崎や天王寺で死地に陥り、本能寺でついに命を落としたのだが、こればかりは性分で懲りない。


 信長が計画通りに「逃走」を開始しようとしたまさにその時。

 それまで戦を傍観していた鍋島軍が、「敵は織田信長!」と一斉に信長目指して攻め寄せてきたのである。


 鍋島勝茂は昨夜、信長方の調略に「待っていましたよ、ふ、ふ、ふ。このままでは私は抜け駆けの罪を咎められて改易ですからね。信長公に割拠していただかねば困るのです、明日の戦は傍観いたしますよ。不戦を誓います」と舌なめずりして二つ返事で応じたのだが、その掌を瞬時に返したのだ。


 立花宗茂が武蔵の足止めを謀っている隙に、松平信綱は小笠原忠真と伊賀甲賀忍者たちに守られて本陣からからくも脱出した。そのまま鍋島勝茂のもとへと転がり込み、「昨日の抜け駆けの件は一切不問に付す。ただちに織田信長公を自称する偽者を討て」と鍋島勝茂を懐柔してしまったのだ。もしも鍋島勝茂が断れば、小笠原忠真が彼の首を落として軍権を奪う手はずだった。


 鍋島勝茂は、躊躇することなく「よろしいでしょう。偽者であろうがほんものであろうが、信長公が戻って来た今、もはや幕府に鍋島家を改易する余裕などございませんからね」と再び幕府側に寝返ったのだった。むろん、当初からこうなることを彼は想定していた。そして、別府隼人も。「松平信綱の首を獲れなかった場合、鍋島勝茂はまた裏切ります。ですから開戦したら速やかに逃げてください」と昨夜信長に伝えていたのだ。


「……くけっ……! モヤシ小僧の忠告通りになったとは! 知恵伊豆を討ち損ねたな、水野勝成め! 権六の代わりになれ、などと言うたのが間違いじゃった! 権六も、いつもいつも上杉軍に負けておったからのう。権六は頑張っとるよ、うん、頑張っとる、などと無理矢理に奴を擁護する言葉もつい小さくなったものじゃ。それに武蔵とやらも、口ほどにもない……!」


「おおかた、義理堅い立花宗茂が壁になって武蔵どのの追撃から伊豆守を逃がしたのでしょう。あれは別府隼人どのも言っていた通り、絶対に調略できない『武士の中の武士』です故。それに、武蔵どのは剣士として無双の強さを誇りながら、不思議なほどに武運がない御仁ですじゃ」


 あーいるいる、そういう奴、と信長はぼやいていた。


「逃げるぞ! 四郎よ、宗意軒よ! 鍋島軍に包囲されては、落ち合う予定の浜辺まで生きて辿り着けぬ! 松平信綱め、やるではないか! 狸幕府の力は侮れぬな、これは!」


「ま、魔王。み、水野さまは、どうなるのでしょう?」


「儂が知るか! 生きてりゃ勝手に幕軍の包囲網を切り抜けてきて合流するわ! 松平信綱を深追いして死んでおったら、それまでよ! いいから逃げい、娘! お前に死なれては、あのモヤシ小僧が使い物にならなくなるわ! 奴をぼろぞうきんの如く酷使せねば、百姓一揆の頭目にまで落ちぶれた儂の天下布武は成らん! 桶狭間の頃ならいざ知らず、儂はもういい歳じゃぞ!」


 わしらに任せてくだせえ、信長公と四郎さまは必ず生きて逃がしますわい、と口々に叫びながら一揆衆の男たちが続々と二人のもとに集まり、血路を切り開く。もはや死を恐れぬ者たちの捨て身の突貫を前に、幕軍の兵士たちはみな及び腰となる。


「おう。キリシタン百姓ども、種子島もないのになかなかやりおる! 一向宗門徒よりも強いではないか! この調子では存外に多くが生き延びそうじゃのう、これも儂を魔王と崇めたご利益というやつよ。わははは!」


「おお、信長公! われら、どうせ死ぬのならば、原城で飢え死にし無抵抗のまま斬り捨てられるよりも」


「前のめりに戦って華々しく散りとうございます!」


「四郎さま。天草島原にて『神の子』としてわれらを導いてくださりましたこと、信長公に巡り合わせてくださったこと、感謝しておりますぞ!」


「どうか、四郎さまはこれよりご自身の人生を。お幸せに……!」


 信長と四郎を守りながら一心不乱に前へ前へと進む一揆衆の男たちが、次々と幕軍の包囲網を突き破る。

 それでもなお、鍋島軍の寝返りは信長一行にとって危機的なものであった。


 倒せども倒せども次々と新手の幕軍兵が押し寄せてきて、信長の首を獲ろうと「槍襖」を作り、あるいは種子島を撃ちかけてくる。


 細川と鍋島に挟撃されつつある、いかん、と信長はカン高い声で叫んでいた。


「ええい。あと少しというところで。奇襲と同時に躊躇せず逃げなんだとは、儂もいささか衰えたか……! いやいや、キンカンへの怒りがまだ覚めやらぬのよ。宗意軒、なんとかせよ。オランダ仕込みの妖術でも使え!」


「へ、兵を攻撃する類いの殺傷術は、拙者、持ち合わせておりませんで」


「かーっ、たわけが! 四郎は!?」


「……て、手から鳩なら、飛ばせますが……」


「鳩なんぞで死地から逃げられるのならば、儂は本能寺で焼かれておらぬわ! いかんぞ。種子島隊に、間合いに入られる!」


 万事休すかと思われたその時。

 大地を切り裂くかのような馬蹄の音が、戦場を揺るがしていた。

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