煉獄原城魔王召喚編 三幕 原城脱出戦 その四

 同時刻、黒田忠之の本陣。


「ああもう。おのれだけうまうまと抜け駆けしおって。なぜじゃ。なぜ御老中は鍋島を罰せんとね。鍋島の奴、許せんターイ!」


 騒ぎながら深酒に填まっていた藩主・忠之のもとに、 総髪の痩せた男がやってきて、怪しげな笑みを浮かべていた。まだ若い。青年と言っていい。


「その鍋島勝茂と信長公との間で、明日の『不戦』の約定が成りましたぞ。わが同士・熊谷直義が、やってくれました。鍋島勝茂は、このまま幕府が順当に勝てば自分は改易されるだろうと幕府を恐れておりまして。明日は織田信長公と幕府との間で二股を掛けよう、洞ヶ峠を決め込もうと請け負ってくれたそうですよ」


「なんじゃ、おんしは? 誰じゃ、誰? ぬな? どこかで見たことが……」


「牢人の軍学者、由井正雪ゆいしょうせつにございます。黒田軍の片隅に臨時雇いの牢人として置いていただいております――が、実は森宗意軒の弟子にて、牢人を弾圧する幕府の転覆を謀る軍師でございます」


「間者かっ? その話を御老中に報告すれば、にっくき鍋島を改易に追い込めるタイ!」


「お待ちあれ。鍋島を罪に落としたところで、明日の黒田軍を率いて武功を挙げるは、あなたではござらん。家老の三左衛門ござろう? 同士討ちをやらかしたあなたが動かせる兵は、せいぜい黒田軍の半分」


 ううむ。なんだか、妙な術にかけられておるような。魔性の男タイ、こいつは。

 黒田忠之は脇差しに手を伸ばそうとしたが、「喝!」と由井正雪が指を切りながら一喝すると同時に、身体が金縛りにあったかのように動かない。


「お、お、おんしは、俺を殺しに来たとね?」


「いえいえ。人体に無害な忍術にござる。お聞きあれ。すでに鍋島をはじめ複数の九州外様大名が、明日の『不戦』を誓い、信長公に内応しております。あなたには、明日黒田軍の半数を率いて『不戦』を貫いていただきたい。残りの半数は三左衛門に従い戦うでしょうが、半減させられればしめたもの。今は亡き黒田家の始祖・黒田官兵衛如水どののご無念を晴らす絶好の機会。今こそ、黒田家が九州に割拠する絶好の好機ですぞ」


 黒田官兵衛。号して如水。


 姫路播磨の出身。若くして織田信長に仕え、秀吉の軍師として活躍。信長が本能寺で横死した際、中国戦線にいた秀吉に「天下をお盗りなされ」と畿内への大返しを提案。秀吉が明智光秀を討って天下を統一できたのは、ほぼすべて黒田官兵衛の知恵のおかげだった。


 だが、その知恵が、官兵衛の不運となった。天下を盗った秀吉は「自分が死ねば官兵衛が天下を奪う」と官兵衛を冷遇して、九州に左遷したのだ。


 秀吉の死後、天下分け目の関ヶ原の合戦がはじまると、隠居していた官兵衛は「最後の機会が来た」と九州で蜂起し、たちまちのうちに九州の半ばを平定して「割拠」を謀った。東軍・西軍どちらにも属さない「第三勢力」として九州の兵を束ね、京へ進撃して天下を盗ろうとしたのだ。


 だが、あろうことか関ヶ原では息子の黒田長政が徳川家康とくがわいえやすの手足としてまめまめしく働き、父親譲りの調略の策を用いて東軍をたった一日で勝利に導いてしまったため、官兵衛は九州を家康に返還。天下盗りを諦めねばならなかった――まさしく「無念の人」だった。


 黒田家が福岡藩という大藩に封じられたのはこの黒田長政の功績のおかげだが、その息子・忠之は狡猾に幕府のために立ち回った父親よりも、一か八かの天下盗りに賭けて暴れ回った祖父に顔も性格も似ていた。普段の衣装も、官兵衛の肖像画に似せてある。


 今日の戦では隣国佐賀の「好敵手」鍋島に抜け駆けされて激怒し、鎧も兜もつけずに城内へ突撃しようとしたところを、家老の三左衛門に「いけませぬ」と叱られてまた大喧嘩となった。


「信長公は必ずや明日、島原しまばらを脱出して九州を戦国乱世に戻します。見て見ぬふりをなされませ。さすれば、官兵衛どのがやれなかった天下盗りの戦いに、参戦できますぞ。幕府への恭順を説く黒田三左衛門たち家老どもから実権を奪い、福岡に割拠なさいませ」


「……誠か。信長公は、黒田家を討ちには来ぬか」


「ええ。信長公曰く、なにやら官兵衛どのには大きな借りがあると仰せで。官兵衛どのが荒木村重の人質にされていた時、官兵衛どのの寝返りを疑って息子を殺そうとしたとか……その息子こそが」


「……わが父、黒田長政ではないか! おお、そうじゃった! その時に、家康に阿ることになるわが父を殺しておけば、今頃黒田家は天下人だったタイ! 口惜しいとね!」


「ふふ。そうなっていれば、あなたは生まれておりませんよ。今の黒田家の藩主はあの官兵衛の再来だそうだな、また一緒にやっていこう、元亀天正の昔のように、狸の開いた幕府なぞはともに捻り潰そうぞ、と信長公は官兵衛どの直系の血を引かれるあなたに期待しておられますよ」


 爺さまの話では、信長公はそんな人のいいお方じゃなかったばい、博多の町の経済力が目当てとね、と忠之はすぐに悟った――彼は短絡的でうかつ者だが、知謀は祖父譲りで、ほんもののバカ殿ではない――が、「わかったタイ」と頷いていた。


「わが祖父の無念、この俺が晴らすタイ! ただし、俺が目指すは天下。信長公の家臣にはならんとね。あくまでも対等の同盟者タイ。それでいいなら、明日は三左衛門を邪魔して黒田軍を機能不全に陥らせて信長公をお逃がしするタイ!」


「よろしいでしょう。これで、信長公の割拠は確定したも同然。閉塞したこの日本に、大きな嵐が吹き荒れましょう――」


 黒田忠之、「不戦」を約定。黒田軍の半数が、この時点で戦力から外れた。



 このような「調略」が、一夜のうちに同時に行われていたのである。

 松平信綱もさすがの知恵伊豆、彼の推理はおおよそ当たっていた。


「しかし小笠原どの。信長公の調略ことごとく成功し、誰も当方に調略ありと訴えでなかったと? そのようなことがあるだろうか?」


「左様。兵法の常識では考えられぬことですが、敵方によほどの事情通がいるのでしょうなあ」


「必ず調略に成功する者のみに間者を送り、失敗する可能性がある者は捨て置いたということですか。だとすれば、恐ろしい知恵者だ。旧小西家や有馬家の家臣たちの中に、それほどの人物がいるとは思えぬが……」


 立花宗茂が「思い当たらぬ」と呻くように呟く。

 が、もはやそのようなことを考えている猶予はなかった。


「小笠原家客分・宮本武蔵みやもとむさしどの、寝返り! 迫り来る水野勝成の軍勢に呼応し、二刀を構えて、この本陣めがけて駆けて参ります! 近寄る者はことごとく斬殺されております! 御老中、ただちにお逃げください!」


 さしもの小笠原忠真も、「参った」と頭を叩いていた。


 日本に知らぬ者はいない剣豪・宮本武蔵は、舟島での佐々木小次郎との対決以来、細川家と親しくなり、九州に活動拠点を移していた。武蔵が育成した養子の宮本伊織は有能な官僚で、小笠原忠真は伊織を寵臣として雇い、この島原にも総奉行として連れてきていた。面倒な仕事はすべて、伊織に丸投げしていたと言っていい。そして牢人の武蔵は、伊織の縁で小笠原家に客分として加わっていた。「一軍の将として兵を率いたい」という老武蔵の念願を叶えるため、伊織が奔走したのである。


 が、その武蔵の願いは叶わなかった。


 小笠原忠真は武蔵に一軍を与えようとしたのだが、門閥主義の家老たちに「いくら伊織どののお父上とはいえ」「牢人に徳川譜代の兵は与えられませぬ」と反対され、断念したのである。


 柄にもなく家老どもの顔色を窺ったのが裏目に出たか、と小笠原忠真は自分を笑い飛ばしたい気分だった。

「いやあ。天下無双の武蔵どのがまさか調略されるとは! これは参った。息子の伊織を切り捨ててでも、なんとしても一軍の将として兵を率いたいご様子! ここにいてはわれら全員あの剣の化け物に殺されますぞ。逃げましょう!」

「殿(しんがり)は、この立花宗茂にお任せあれ。亡き太閤殿下より『西国無双』とお褒めいただいた武は、まだ錆び付いてはおりませぬ。武蔵と相打ちいたす所存」

「――いや。宗茂、死ぬな。この戦で信長公の首を盗れねば、キリシタン全員を討っても幕府の負けだ。そなたに生き延びてもらわねば、九州全土が戦国の世に逆戻りする――!」

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