煉獄原城魔王召喚編 三幕 原城脱出戦 その三

 一万五千の一揆衆すべてが、にわかに狂ったと言っていい。

 戦場は、大混乱に陥っていた。

 しかも、大坂の陣で豊臣方をさんざんに撃破した猛将・水野勝成率いる精強な水野軍団二千が、前線を割って本陣の松平信綱をめがけて特攻をかけてくる。


「どういうことだ!? 天草四郎は、自分は転んだ、信仰を捨てたと告白した。それなのに、なぜ……? どうして、一揆勢が天草四郎のために死兵と化して押し寄せてくる? 宗茂、小笠原、いかに」


「織田信長公を名乗るあの者の掌の上で、四郎も一揆衆も、そして水野勝成も転がされております。ですが、本陣は私と小笠原どのが死守しております故、ご安心を。それに、戦力差は圧倒的。幕軍は十万超え、一揆勢は一万五千。海も陸も大戦力で塞いでいる以上、信長公が生きてこの島原を脱出できる可能性は……」


「いやいや。ないとは言いきれませんぞ、立花どの。これはまずい、最悪の事態だ。こりゃあ、あの織田信長公はほんものだと認めざるを得ませんなあ。なによりもまずいのは、諸将の戦意の差ですなあ。妙ですぞ。ご覧ください。主力のひとつ、鍋島勝茂軍がまったく動いておりません。昨日は抜け駆けまでやって功を焦ったお方が、いかにも不審。まるで関ヶ原で日和見に奔った毛利吉川の如き怪しさですなあ」


 他にも、この本陣壊乱の危機を前に動いておらぬ大名がいくつか、と小笠原忠真が遠眼鏡で戦場を見渡しながら報告する。


「馬鹿な。それほど日和見している者がいるのか?」


「おりますな。細川忠利ほそかわただとしどのは『ひええええええ! 信長、来るな、来るなあああ!』と必死で防戦しておりますが、動かぬ者がぞろぞろと」


 日向延岡藩主・有馬直純ありまなおずみ。彼は旧島原領民を殺すに忍びなく、苦悩しているのだろう。これは、まだ理解できる。

 しかし、黒田・細川と並ぶ主力の鍋島が動かないのは奇妙な上に致命的だし、平戸の松浦重信まつうらしげのぶもまた動いていない。


 そして、その黒田の挙動も、不審だった。戦場にいる半数しか戦っていない。残りの半数は、沈黙を守っているではないか。どうやら、藩主・黒田忠之くろだただゆきは交戦を拒否し、沈黙。家老の黒田三左衛門が半数の兵を率いて必死で戦っているらしい。


 立花宗茂が「しまった」と声をあげた。


「……まさか、小笠原どの。内通……?」


「おそらくは。われらが昨夜、水野の爺さんの申し出を受けるか否かこの本陣で相談している隙を衝かれた模様。あの時は忍び衆の大半を、この本陣の警護に回しておりました。関ヶ原で大御所さまがやった手ですな」


「だが、調略には時間がかかる。よもや一晩でできるはずが」


「もともと、幕軍内に一揆勢の間諜がおったのでしょう。今までは知恵伊豆どのの監視の目が厳しく、また間諜のみの力でやれることもなく、隠れていたのでしょう。そこに、織田信長公が現れた――さすがは尾張半国の当主から一代で日本の大部分を統一した天下人。すかさず、一夜で複数の内通者を作りだした。そんなところでしょうな」


 松平信綱は瞬時に考えた。有馬直純はもともと旧領に連れ出されて領民と戦わねばならないという拷問を受けていたようなもので、織田信長公からの「不戦」の調略にはすがるように飛びついていただろう。松浦重信は、幼いが松浦党の海賊大名の血を引いている。平戸のオランダ利権を拙者に嗅ぎつけられたことを悟り、幕軍が島原で勝てば次は自分が危うい、と「利」で転んだ。黒田家は、うかつ者の当主と名将として名高い家老がそもそも対立していたため、そこにつけ込まれて傍観派と交戦派に分断された。鍋島は……鍋島は、たとえ幕軍が勝ってもこのままでは上様のご不興を買い、昨日の「抜け駆け」の罪を問われて下手すれば改易。あの食えぬ男は、保身に走り幕軍と織田信長公を天秤にかけておるのだ。自分を高値で「買う」ほうの味方をするつもりだ。



 昨夜、松平信綱が立花宗茂・小笠原忠真とともに極秘に軍議を開いていたその時間帯。

「許してくれ。許してくれ」と今日の城攻めと明日の総攻めの地獄絵図が頭から離れず眠れない有馬直純のもとに、一人の巨漢が忍び込んでいた。


 現地で登用した雑兵、小物である。名も顔も覚えていない。が、とてつもない武術の達人であることはその肉体と面構えを見ればわかった。


「な、な、何者だ、そちは?」


「俺は、森宗意軒の間諜。忍びだ。通り名は、丸橋忠弥。キリシタンではないが、島原一揆衆の一人。そして俺の本名は、長宗我部盛澄」


「長宗我部? 関ヶ原で西軍に加勢して改易された、土佐の長宗我部家のご落胤かっ? しかし、長宗我部家の世継ぎ・盛親は大坂の陣に参戦して討ち死にしたはず!?」


「盛親は俺の父親だ。俺は側室の子であった故に、幕府の目を逃れて生き延びられた。もはや長宗我部家の再興などは考えておらん。長宗我部家など、父の代で綺麗に終わったわ。しかしながら、大坂の陣を終えたのちも執拗に外様大名を取り潰し牢人を弾圧しことごとく干し殺そうとしている幕府に義憤を感じ、こたびの一揆に間諜として参加した――」


 許してくれ。私は気が弱い。もう戦えない。御公儀に弓引くなど無理だ。ああ。だが、かつての領民たちを殺戮するのも嫌だ。どうすれば。


 涙目で狼狽える有馬直純に、丸橋忠弥は告げた。


「明日、われらは投降と見せかけて幕軍に城外で総攻撃をかける。その間、不戦を貫いてくれればそれでよい。織田信長公さえ原城から脱出できれば、九州は戦国乱世となる。そちの心痛はこの信長もよくわかる、日和見を許す、九州の情勢が定まってのちにわがもとへ来い、と信長公は仰せだ」


「だが明日、信長公が討ち死になされたら?」


「その時は、遠慮せず一揆勢を攻めればよい。関ヶ原にもいたではないか、大勢が決してから東軍へ寝返った連中が。だがお主が不戦を貫いてくれれば、信長公は必ず逃げ延びられる。ともかく明日は大勢が決するまで決して動くな。よいな」


 有馬直純が、「こくこく」と頷いていた。



「知恵伊豆さんが、オランダ商館を平戸から長崎へ移す? ほんとうに?」


「ええ、間違いありゃしませんぜ! 松浦の旦那! なにしろこちとら、邪法の術式を用いて召喚した人間は過去から蘇ってきた織田信長公だけじゃねえ。実はここだけの話、三百年以上の未来からやってきた未来人も召喚されてるんでさあ。あっしの主君・森宗意軒によれば、偶然の産物だそうですがね」


「ほんとうかなあ。嘘臭い話だなあ」


「この金井半兵衛、幕府に関して嘘をついて人を騙すようなケチな男じゃありやせん! あっしは若い頃、毛利のお殿さまにお仕えしていた男だ。知っての通り、毛利家は関ヶ原以来徳川幕府から虐め抜かれていて、あっしのような小物を食わせる余裕がなくなった。それで、あっしは刀剣商として国を渡りながら、森宗意軒の親分とともに幕府転覆を謀っていたってわけでさあ」


 有馬直純が丸橋忠弥の調略を受けている同時刻、松浦陣営の一室。

 よくも知恵伊豆の監視の目を逃れて今まで松浦の陣中にいられたものだ、と少年海賊大名・松浦重信は金井半兵衛の面長の白い顔と細い目を眺めながら感心していた。まさしく絵に描いたような「長州顔」だった。毛利家に仕えていたことは事実だろう。


「ではその未来人が、知恵伊豆さんが松浦からオランダ交易の利権を丸ごと取り上げると言っているんだね?」


「ええ。自分が知っている歴史では、そうなってると。今回のキリシタン一揆を理由に、長崎に商館を構えているポルトガルとは国交断絶。代わりに、オランダ商人を長崎の出島に押し込めると。松浦家は以後、世界交易の歴史からは姿を消して、単なる徳川幕府の一大名家として存続するので精一杯になりやすぜ、と」


「でも、改易されやしないんだろう? オランダ交易の利権さえ奪えば、松浦家にはもうないもできないからね。平戸藩はせいぜい数万石の弱小大名さ」


「仰る通り。幕府にこのまま従ってりゃあ、平戸藩は改易されねえ。あと二百年、藩は存続するそうですぜ。ただしそれは、織田信長公が再臨しなかった場合の歴史の話だ。ここから先は、どう転びやすかねえ?」


「それは、誰にもわからないな。丁半博打だ」


 だが、幕軍が勝てばオランダ商館を長崎へ移され、松浦家は「死に体」となる。能吏・松平信綱は、将軍家光の忠実な片腕だ。今回の一揆戦においては、将軍から「白紙の朱印状」を託されている。つまり松平信綱は将軍そのものなのである。


 その松平信綱に、僕は目を付けられている――。


「知恵伊豆さんには九州から去ってもらえれば、助かるなあ。できれば討ち死にしてほしいけれど、それはさすがに高望みかな。ただ」


「ただ?」


「信長公が九州に割拠すれば、幕府もオランダ商館移転などやっている場合じゃあなくなるね。徳川と織田との間で、大戦になる。戦になれば」


「あっしも商人だ、わかりやすぜ。戦で飛ぶように売れるものは、武器、そして船だ。松浦の旦那」


「ああ。平戸藩は、濡れ手に粟だ。『第三者』として傍観させてくれると約定してくれれば、以後、信長公にオランダからの武器や船を売ろう。ただし、兵を率いての助太刀はしない。小さい藩だからね。信長公が島原から生きて脱出できるかどうかを、明日、戦場で傍観させてもらうよ」


「それで充分でさあ、ありがてえ!」


 松浦重信もまた、「不戦」を決めた。

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