煉獄原城魔王召喚編 二幕 原城攻防戦 その三

「水野の諸将よ! 兵士どもよ! この水野勝成、鬼日向は旧主・織田信長公とともに戦うと決めたああああ! わが敵は、江戸徳川幕府にあり!」


 驚愕したのは、遅れて本陣に突入してきた息子の水野勝俊である。

「ち、父上……? いったいなにを? 錯乱されたのですかっ?」


「お前は知らぬのだ。ここにはほんものの織田信長公がおわす! 一揆の首謀者は幼い少年・天草四郎ではなく、織田信長公! お前は信長公の家臣ではなく、最初から徳川の家臣。わが子故に首は盗らぬ、旗本を連れて島原から早々にいね! 福山へ帰れ! 俺は、わがただ一人の誠の主君・信長公のもとで戦う! うわっはははははは!」


「……の、の、信長公……ですって……? まさか。まさかあああっ? た、た、た、大変だ……! 父上のかぶき者の血が、こんなところで、こんなかたちで沸騰するだなんて……!」


 目の前に傲然と立ちはだかっている信長がほんものかどうかは、勝俊にはわからない。だが、父がそう言うのなら、ほんものなのだろう。牢人時代から、寝ても覚めても「信長公以外に俺の主君たる英傑はおらぬ」とぼやき続けていた父なのだ。人違いのはずがない。そんな父が徳川家に渋々仕えたのも、主君の横死によって水野家臣団が改易されことごとく牢人になる運命を見かねてのことだった。不本意だったのだ。


「俺とともに織田家に帰参する者は、原城に残り幕軍と戦え! 徳川に忠義を誓う者は、勝俊とともにさっさと福山に帰れ! 一刻だけ猶予をやろう! 一刻のちなおも島原に居座る者は、すべて俺の敵とみなす! よいな! 俺は、殺ると言ったら必ず殺るぞ!」


 水野家の老臣はことごとく、「なんという良い笑顔!」「それでこそ」「殿でござる」「われら老骨も」「ことごく、下天に歌い踊って華々しく死にましょうぞ!」と迷わず水野勝成側についた。


 織田信長を知らない若い武士たちは、半ばは勝成側に。半ばは息子の勝俊側に残って、「御曹司」「ともかく原城から逃げるのです」「お父上と戦えば、みな殺されます」「ご存じのように、あのお方は尋常の人間ではありません!」「大坂の陣で日ノ本一の強者・真田幸村を撃破した戦の化け物です!」と勝俊をひっつかむかのように拉致し、慌てて本丸から敗走を開始していた。


 原城攻城戦の戦況は、殺到する幕軍の兵士たちを掻き分けながら逃げ惑う水野勝俊軍の将兵たちが口々に「水野勝成、寝返り」「織田信長公、本陣に出現」という「噂話」を叫び続けたことで、一転した。


 幕軍十二万は、九州諸藩の寄せ集め部隊で、もともと統制が取れていない。そもそもの作戦を無視して鍋島軍が「抜け駆け」して、大混乱のうちに出鱈目な総攻撃がはじまってしまったことからもわかる。将軍家光は、頑強に抵抗する一揆衆を恐れるあまり、兵を集めすぎた。幕軍の総指揮を委ねられた老中「知恵伊豆」松平信綱をもってしても、一癖も二癖もある九州の諸藩を束ねるのは困難だったのだ。


 そこで、敢えて備後福山から神君徳川家康の従兄弟にあたる伝説の猛将・水野勝成を島原に投じたのであるが、これがまさかの裏目に出た。


 熊本から来た細川軍。

 福岡から参じた黒田軍。

 佐賀の鍋島軍。


 この主力三雄藩の軍勢が、「水野勝成が寝返り、本丸には織田信長公がご生還」という噂を耳にしてたちまち大混乱に陥ったのだ。


 織田信長公が生きていれば百歳を越えているはずだが、なにしろあの天下の「覇王」だ。生きていてもなんの不思議もない。なにより、高天神城戦以来の戦歴を誇る伝説のかぶき者・水野勝成が信長公に限って人違いするわけがない。


 最初に恐慌を来した者は、二万八千の大軍を率いて原城を総攻撃していた肥後熊本藩主・細川忠利ほそかわただとしであった。


 というのは、細川忠利の母は、明智光秀の娘にしてキリシタンの姫、細川ガラシャだったからである。

 つまり細川忠利は、明智光秀の「孫」にあたるのだ。


 細川忠利の父親は、変人で名高い細川三斎ほそかわさんさい。妻ガラシャに異常な愛情を持ち、ガラシャの姿を覗き見した小物を斬り殺したという逸話もある。明智光秀が「本能寺の変」を起こしたにもかかわらず、ガラシャをしばらく遠ざけておくに済ませて、離縁しなかった。


 そのガラシャは関ヶ原の戦いの際に西軍に囚われかけたが、自分が人質に取られたら夫がどうなるか、と危惧して事実上自害した。「事実上」というのは、キリシタンは自害を禁じられているから家臣の手を借りたのだ。


 ガラシャを失った父・三斎は「信長公のお怒りが、わが最愛の妻を奪った」と思い込み、老いてもなお、「信長公、申し訳ござらぬ。すべては光秀一人がやったこと。細川家は決して関係ござらぬ」と日々織田信長公の「帰還」を恐れ続けている。「信長恐怖症」にかかっていたと言っていい。しかも、藩主の座は忠利に譲ったが、この三斎はまだ生きている。肥後の八代で隠居暮らしをしているのだ。島原から海路で天草を抜ければ、その先に八代がある。


(八代の父がこのことを知ったら、どれだけ取り乱すか。余ではとても対処できない)


 細川忠利は、老いてなお異常性格者とも言える戦国武将の気風を残していた父を恐怖していた。幼い頃に「信長恐怖症」も父から伝染されているので、二重の恐怖がこの時彼を襲ったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます