煉獄原城魔王召喚編 二幕 原城攻防戦 その二

 その「者」は、かつて勝成が永遠に失った「真の主君」。この稀代の英雄児のためならば、我、生涯忠義を尽くさん、と少年時代に誓った「ただ一人の男」だった。

 水野勝成はしばし、呆然と立ち尽くしていた。


 まさか。


 まさか。


 この、お姿は……馬鹿な!? 俺としたことが、キリシタン伴天連バテレンが得意とする幻術妖術にかかったか?


「よう。勝成。すっかりジジイになったものよ。わごれ如きが、鬼日向デアルカ。キンカンの名を継いで、儂を殺しにやってきたか?」


「おっ……織田……う、う、右府公……の、の、信長、さま……? まさか。まさか。嘘じゃ。これは俺が今際の際に見ている夢じゃ。夢に相違ない。殿が本能寺で討たれたなど間違いじゃ、殿は生きておられる、必ず戻ってこられると、このお姿をどれほど焦がれたことか……」


「なにを泣いておる、ジジイ! この、軟弱者が――! 水野勝成! うぬに警護を任せていた信忠のぶただはどうした? 本能寺で儂がキンカンに討たれた後、倅の信忠も二条城で討ち死にしたと、この未来人から聞いたぞ!」


「み、未来人? の、信忠さまをお守りできなんだは、わが生涯の不覚。あの時は、わが父忠重ただしげが強引に俺を連れて二条城を逃れ……その後、俺が親父と不仲になり勘当されたのも、もとはと言えば、本能寺の夜のあの一件が……!」


「そんなこと儂が知るか、糞たわけが! あの夜から何十年が経った? なぜ、信忠を守らずに逃げ仰せたわごれがおめおめと生きておる……! しかも、主である儂を討とうとは! その上、相変わらず儂の猿真似を気取り『かぶき者』とは、よくも言うたものよ!」


 信長のカン高い「声」が、水野勝成の全身を痺れさせていた。この独特の声。「覇王」の咆吼。間違いない。替え玉でも影武者でもない。信長さまだった。


 未来人・別府隼人は、この時代の人間についてはさほど詳しくないが、戦国時代の武将たちについてはネット経由でいろいろと情報を仕入れている。中には誤伝や単なる噂話などもあるが、「水野勝成」は知名度は低いが戦国好きにとっては超有名人だ。彼の経歴――伝承混じりだったが――はだいたいそらんじている。


「倅を捨てて逃げおったな、貴様」と水野勝成の顔を見て激怒する信長の耳元に、隼人はあれこれと囁いた。信長を怒らせる燃料をくべるために。信長ももう、四十九歳である。しかも本能寺で一度「死」を経験している。もしも信長が「懐かしいのう。勝成デアルカ。われにならば、わが首、くれてやってもよかろう」などと悟ったようなことを言いだしたら、自分も殺されてしまう。そして、この世界ではなぜか紅毛の男装美少女である天草四郎も。とにかく彼女を死なせたくない。日頃は小心な隼人も必死だった。


「……ええと。水野勝成は未来では戦国マニアの間で有名人です。信長公亡き後、織田家から徳川家に鞍替えした父親に勘当されまして、徳川家にいられなくなった秀吉に仕えましたが、秀吉を怒らせて殺されそうになったらしく出奔しています。そこから先は、九州で佐々成政さっさなりまさ黒田官兵衛くろだかんべえ小西行長こにしゆきなが加藤清正かとうきよまさ、立花宗茂に次々と仕官しては出奔するという主家退転の繰り返しで、あまりにも経歴が複雑なため正確な足取りは未来には伝わっていません。関ヶ原の戦いの際に父親が殺されたため、水野家の家督を継いで、以後は徳川方として戦い続け、大坂の陣では豊臣家を滅ぼす大功を挙げました。そして、現在に至ります。将軍家光はたぶん、九州大名と老中松平信綱だけに乱の平定を任せておけなくなり、家康の従兄弟で歴戦の猛将の水野勝成を岡山から九州へ出兵させたのでしょう。ちなみに御年七十五歳ですが、『正史』ではまだまだしぶとく生き続けます」


 な、なんじゃ、貴様はああああ? と水野勝成が隼人を怒鳴りつけるが、信長が凄まじい眼光で睨みつけて「黙っておれ!」と一喝するともう怒気も涸れた。


 青春時代、高天神城で聞いたあの声と同じだ。

 俺は、高天神城で信長さまから感状を頂いて、「生涯をこの殿に捧げる」と誓った。


 あの日からもう、五十年以上が過ぎている。

 五十年はまるで、一睡の夢だったかのような。


 人間、五十年、下天のうちをくらぶれば――。


 水野勝成は、自分が七十五歳の老人であることも忘れて、泣いていた。


「……殿……信長さま……俺は、俺はあんただけに仕えたかった、あんたとともに戦い、そして死にたかったんだよ……信長さま以上の『主君』など、日本のどこにもいやしねえ。ほうぼうを駆けずり回って、殿に匹敵する主君を探し続けたけど、いなかったんだよ……! 本能寺のあの夜、命惜しさに日和った親父を斬ってでも、俺は信忠公とともに二条城で討ち死にしておくべきだった! あれから三十年以上経ったのに、毎晩、夢に出てくるんだよ。地獄の業火に身を焼かれながら、信長さまが俺を『うつけ者が』と叱りつけるお姿が……! これは、俺の夢なのか? それとも」


「阿呆が。勝成、下天のすべては夢よ。ただ狂え。それが、かぶき者であろう。儂はひとたび本能寺でキンカンに討たれた。だが、こうして戻って来た――! 儂にとっての一瞬の暗転が、下天では五十年以上の時間であったらしいがな!」


「……殿! 死に損ねた俺は大勢の主君に仕えては失望して出奔し、最後は西軍方に暗殺された親父の跡を仕方なく継いで徳川の飯を食っておりましたが、心は常に信長さまのもとにありました! 大坂の陣では、さっさと討たれて死んじまおうと思って、狸の再三の警告を無視して自ら一番槍を……! だが、誰も俺を殺しちゃくれなかったんだ! 気づいたら、又兵衛も幸村もうっかり倒しちまって、大坂城が炎上して、豊臣家を滅ぼしちまっていて……ああ……なんでだよ。なんでこうなるんだよ……!」


 頼む、俺を討ってくれ、殿、と水野勝成は叫んでいた。


「俺はどうにも強すぎるんだ。俺を殺せる者は、猪武者の俺よりもはるかに強い英傑。将に将たる武人。信長さま、あんたしかいない」


「デ、アルカ。ならば、討ってやろう。殊勝な心がけよの、鬼日向よ!」


 待って。待って。待ってください! と別府隼人が必死で二人の間に割って入る。

「ここで水野勝成を討っても、形勢不利はなにも変わりませんよ、信長公! 短気は損気です! 老将は大事にするべきですよっ! 佐久間信盛さくまのぶもりを追放した結果、畿内の軍権を握った明智光秀に謀叛されたばかりじゃないですか!」


「うるさいぞ小僧。佐久間は本願寺も攻めずに茶会ばかり開いておったから高野山へ追放したのじゃ! キンカンのほうがはるかに出来がよかった故」


「その日本人離れした徹底した能力主義もいいですが、絶対に謀叛しない譜代の老臣はたとえ無能でも大事なんですよ! 信長公の失敗を教訓にした家康は、外様の大藩は遠隔地に追いやり、重要拠点には譜代と徳川一門を配置するという狡猾な国割りを実施して幕府を安定させたんですよう! あと、外様は決して幕閣に入れず中央の政治に口出しさせないとか、いろいろと手を打って」


「ケッ。外様と譜代にそのような格差を? 陰湿な国造りじゃの~。そもそも、信玄坊主にビビって糞を漏らしとった腹黒狡猾狸とこの一代の天才児の儂を一緒にするでないわ、未来人! これ以上騒げば、うぬの首から刎ねるぞ!」


「仰せの通りですが、ここは水野勝成を『雇い直す』べきです! 水野勝成にとっては信長公は大昔の主君ですが、本能寺から戻ってこられたばかりの信長公にとっては、彼はなお『家臣』ですよね? ですよね? だったら、再雇用しましょうよ! 水野軍を丸ごと、戦場でゲットするんです! それで、幕軍に反撃できますよ! 歴戦の勇将にして家康の従兄弟の水野勝成が寝返ったとなれば、寄せ集めの幕軍は大混乱です! 少なくとも今日一日、本丸は守りきれます!」


「……ほう。それは……逆転の一手デ、アルナ」


 本能寺で儂を殺し倅の信忠を殺したキンカンを、この手でブチ殺す。

 これが、再臨した信長の「行動原理」となっている。


 そもそもすべては別府隼人の怪しげな法螺話が発端で、信長としてはどうにも謎の未来人の小僧(もう二十代だが、戦国の世の二十代とは精神的にも肉体的にも「若さ」が違う)に操られているようで癪に障る。


 が、転びキリシタンの小娘に手違いで召喚されたあげく、このまままた焼き殺されるのは叶わぬ、絶対に生き延びる、二万七千の一揆勢ことごとくを犠牲として用いてでも、と信長は決めていた。


「死」に慣れるどころか、信長はいよいよ「生」に執着していた。

「天下布武」があと一歩で瓦解した、無念、と呟きながら死んだ直後に、縁もゆかりもないキリシタンの百姓一揆勢と謎の未来人の小僧だけが戦力で、十二万の幕軍に総攻めを喰らって落とされかけている原城でなんとか生き残って「天下布武」をやり直さねばキンカンを殺せないという絶対に無理筋な難局に放り込まれた。


 普通に考えれば九分九厘死ぬが、黙って死ぬ信長ではない。

 本能寺でも、「相手が惟任これとう日向では是非に及ばず」と口先では悟ったことを言いながら、見苦しく最後の最後まで抵抗し続けた。「やはり天国も地獄もなにもなく、人間が死ねばなにも残らぬ、魂の不滅などは嘘で死の先はただの虚無デアル」と自ら身をもって知った今となっては、いよいよそうだ。


「水野勝成よ! うぬぁ、またしても命拾いしてしもうたぞ! 儂に従え。今この場で、第六天魔王織田信長軍に寝返れ。いや、織田信長のもとに『帰参』せよ! 狸はもう死んでしもうたのじゃろう。狸の子ならまだしも、孫にまで忠義を尽くす必要などあるまい! 死ぬのならば、儂のもとで儂のために戦って死ねい! 儂が、貴様の死に場所を与えてやるわ! その身を犠牲にしてでも儂を原城から落ち延びさせい! この、キリシタンを狩って日ノ本を鎖国しようとしておるクッソつまらぬ徳川の世を儂が徹底的にブチ壊してやる故。元亀天正の世を、かぶき者の時代を取り戻してやる故。よいな!」


 水野勝成はこの「下知」を聞いた瞬間に、全身を震わせながら、


「う、うおおおおおお! 仰せの通りに! 殿! これより水野勝成、『返り忠』を果たしまする! 必ずや殿をこの窮地より脱出させますぞ、こんどこそ……こんどこそおおおおお! あの夜、本能寺にこの俺がいたならば、明智光秀如きに殿をやらせはしませんでしたああああっ! 邪魔な親父も、もういない! わが天下無双の武を、こんどこそ証明いたしまする!」

 と「寝返り」を宣言していた。

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