煉獄原城魔王召喚編 一幕 魔王召喚 その四

 むろん、学問的にはこの説は単なる「奇説」にすぎず、ほとんど詐欺のようなものだが、この時代の誰も検証できない。


「ふん。狸とキンカンが手を組んで、幕府を開いただと? 証拠はあるのか?」


「あります! 徳川幕府下で、主殺しの謀叛人であるはずの明智家がどれほど優遇されているか! 三代将軍の名は、家光です! 徳川家では名に代々『家』の一文字を用いますが、明智光秀と被る『光』の文字を用いているのはいかにも不吉で不自然ですよね? しかもこの家光を育てた乳母、春日局かすがのつぼねは、光秀の側近だった斎藤利三さいとうとしみつの娘なんです! 家康がわざわざ明智家の重臣の娘を、未来の将軍の育成役に抜擢したんです! おかしいと思いますよね、普通? 徳川家は信長公と同盟関係にありましたから、明智家は不倶戴天の敵のはずじゃないですか? すべて、幕府を家康や本多正信ほんだまさのぶとともに仕切っていた天海の正体が明智光秀であれば、説明がつきます!」


 将軍の乳母が、斎藤利三の娘だと? それは――不自然デアルナ、と信長が食いついた。狸は儒学好きで小心者。剣呑な謀叛人の娘などを己の孫に近づけるはずがないわ、と。


「――キンカンが、生きている……? しわいだけで小心な狸が幕府なんぞを開いて国を統べられるのは妙だ、まして狸亡き後も二代目三代目と幕府が続くものかとは思っておったが、キンカンが知恵袋としてついているのならば、有り得る話デアルナ。じゃが――腑に落ちんのう。儂のせがれは。織田家の家督を譲った信忠は、どうなった?」


「そ、それは俺だけでなく、同時代人の森宗意軒さんもご存じのはず。有名な話です。信忠公は、父・信長公が本能寺で討ち死にしたと知って京の二条城に籠城し、明智軍と戦って同日に討ち死にしています! そうでなければ、光秀を討ったとはいえ外様の秀吉が織田政権から天下を簒奪できるはずもありません! あ! そうそう! 柴田勝家も秀吉に討たれました!」


 宗意軒が「すべてその通りでございますじゃ。そのお方、誠の未来人かと。ならば光秀が天海を名乗り黒幕として幕府を差配しているという奇怪な話も、あるいは」と信長に告げる。


「……儂のせがれはみな不出来で、信孝と信雄は救いがたい阿呆よ。とりわけ信雄はな。まだ出来がましな嫡男の信忠さえ生き延びておれば、儂が倒れても織田家は揺るがぬと思うておったが……信忠め……うつけよの……老いぼれた儂など捨て置いて、京から逃げればよかったものを。金ヶ崎で儂がやったように……ならば勝家をもってしても、サルを止められなんだは道理か……では、別府とやら。信忠の嫡男、三法師はどうなった? 三法師こそが織田家の直系、正統後継者であろう」


「さ、三法師さまは、天下を統一して関白となった秀吉のもとで大切に育てられ、岐阜城主に。父親代わりだった秀吉に恩を感じていたのでしょうか。徳川家康率いる東軍と、秀吉亡き後の豊臣政権の官僚たちが率いる西軍とが天下を賭けて戦った『関ヶ原の合戦』の際に、西軍に味方しました。ですが敢えなく東軍に敗れて、高野山へ追放――」


「……高野山は、叡山に続いて儂が焼き払おうとしておった糞坊主どもの牙城ではないか」


「はい。三法師さまは配流先の高野山からも追放されて、若くして亡くなられました。自害したとも、高野山の僧侶たちにいびり殺されたとも。一応、嫡子がいたという伝承もありますが、物証は残っておらず、事実ではないかと」


 幾多の珍説・奇説・伝承のどれが「事実」でどれが「虚構」かは、別府隼人には判断できるはずもない。だが、ともかく「信長公に戦う理由を与える」という一点を目的として、隼人はこれらの無数の説の真偽判断を「使い分ける」ことにした。


 そういう意味では、ポケットに入れっぱなしにしていたスマホを原城に持ち込めたことは隼人に有利となったかもしれない。キリシタン伴天連から南蛮渡来の最新の道具を続々と献上され、機械細工の仕組みまでいちいち調べていた信長は、スマホがこの時代のものでは絶対に有り得ない精巧な機械だとすぐに見抜いたからである。


「デ、アルカ――織田家の直系は三法師で絶えたということか。キンカンが謀叛しなければこの儂が全山ことごとく焼き尽くしてやったものを、糞坊主どもめが! 佐久間信盛さくまのぶもりを高野山へ追放した儂の業が、孫に還ってきたとはの。わが直系を絶やしたのは、狸とキンカンか――その狸が開いた江戸徳川幕府に、いまだにキンカンが居座っておるのならば」


 儂が虚無より蘇りし理由はあった。この手で光秀を討ち、徳川幕府を壊してくれるわ、と織田信長は猛禽類の如き獰猛な笑みを浮かべながら、「おお、天に奇怪な黒い雲が」「本陣に稲妻が堕ちた!」「伴天連の邪法を四郎が操っているのでは?」と怯えつつも総大将に叱咤され、蛮勇を奮って再び本陣へと突入してきた水野兵の一人を、種子島で射殺した。


 魔王召喚の際の手違いから夾雑物として「ついでに」召喚されてしまった未来人が、信長公を動かした! オランダでも明でも見たことのない異様な服装といい、同時代の百姓町人では知り得ぬ無駄な歴史知識といい、彼が操作する面妖な南蛮機械といい、どうやらほんものの未来人! 森宗意軒が、四郎の手を取り「奇跡が起こりましたぞ」と頷く。


「天草四郎。別府隼人。あと、胡散臭いジジイ。幕府をブッ潰す理由はできた。食い詰めて飢えた一揆勢を率いて今さら天下布武の事業を一からやり直すのは業腹ではあるが――儂はこれより、儂と倅と孫をブチ殺したあの腐れキンカンの息の根を止めてくれようぞ! サルに敗れておきながら、ようも恥も外聞もなくおめおめと生き延びおったの、あのしたり顔のキンカンめが……! しかし、一つだけ条件がある――!」


 この世の王は、でうすでも、るしふぇるでもない。冥府より再び蘇りしこの儂こそが全能の「神」であり「魔王」である、儂を使役するのではなく貴様ら下僕どもが儂に仕えるのだ、さもなくばここで貴様ら全員討ち果たす、貴様らが本気で儂を魔王として崇めぬ限りこの絶望的な戦況を打開するなどできぬ故、と信長は抜刀しながら宣言していた。


「承知いたしました、魔王。私の魂はすでに、悪魔に売り渡しております。これより魔王の忠実なる家臣として一揆衆を率います。隼人さま、魔王を説得していただいて感謝の言葉もありません。ありがとうございます……あなたは、天から遣わされたお方かもしれません」


 四郎は、別府隼人に好意を抱いたらしい。誰にも制御できない「魔王」織田信長を、奇妙な機械と弁舌とで説得し、一揆軍の味方につけてしまったのだ。文字通り、原城に現れた「救い主」に見えているのだろう。髪の毛が赤い。どうやら西洋人とのハーフらしいけれど、とにかく凄い美人だ、と小心者の隼人は戸惑う。


「て、天からではなく、地獄からの使者と思いますよ、四郎さん。で、でも、あ、あ、天草四郎が女性だという説は……未来でも……聞いたことが……なんで男装しているんです?」


「……そ、それは、一応、『神の子』を演じるためです……イエスは男性でしたし、女性が『神の子』というのはキリシタンとしては都合が悪く……私が男装して『美少年』を装うのがいちばん効果的ですじゃ、と森宗意軒が。で、でも、み、妙ですね……この時代の人々にはバレないものなのですが、魔王とあなたにはすぐにわかってしまうんですね」


「見ればわかりますよ! そもそも『お前、女だったのかー』は歴史あるあるなんです! 未来には、上杉謙信うえすぎけんしん女性説だってあります! それどころか、織田信長公が女体化されている戯作も腐るほど大量に……待てよ……? この世界は、俺が生きてきた世界とは違う別次元。無限に存在するマルチバースのひとつなのでは? そうか。ここは天草四郎が女性で、しかも原城落城寸前にアンチキリストに堕して織田信長公を召喚した並行世界……!」


 儂が女体化? なにを言うておる? と隼人を睨みながら、信長が「全員武具を取れい! 本丸に乗り込んでくる奴ばらを皆殺しじゃ!」とカン高い声で一喝していた。


「未来では、信長公のその高い声と髭の薄さと華奢な身体と甘い物好きと森蘭丸好きのために、織田信長公女性説もあるんですよ。謙信女性説ほど古くはありませんが!」


「デアルカ! 蘭丸好きがなぜ、儂の女性説に繋がるのじゃ? そもそも世界が複数あるのでは、織田信長も複数おるということ。この儂の値打ちが下がるではないか。まあよい! 敵兵の旗印は三河の水野じゃな! おい、水野勝成! およそ五十年ぶりじゃのう。まだ生きておるか? 生きておるのならば、儂の前に顔を出せい! うぬの主君! 織田、信長である! キンカンでもあるまいし、わが前に顔出しせぬまま主君の儂を討とうとは、無礼であろう! それで、かぶき者か!」


 雷神の如き怒声が、原城本丸に響き渡った――!

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