煉獄原城魔王召喚編 一幕 魔王召喚 その二

 織田信長公!?


 そんなはずはない。桶狭間に「海道一の弓取り」今川義元を討ち、尾張から美濃を経て上洛を果たし、足利幕府を滅亡させ、叡山に火を放ち、一向宗の総本山・石山本願寺を屈服させ、戦国大凶の武田家を滅ぼした「覇王」織田信長が、天下統一まであと一歩に迫りながら京の本能寺で自らの家臣・明智光秀に討たれたのは、もう六十年近くも昔の話である。


 その織田信長公が生きているはずはないし、生きていたとしても年齢は百歳を越えているはずだった。が、「信長」を名乗るこの男は、明らかに若い。やはり四十代、せいぜい五十歳。有り得ない。


 有り得ないが、その奇跡が現実に起きている。

 森宗意軒が、声を震わせた。


「……術式になにかの過ちが? 魔王るしふぇるを召喚したはずが、よもや、織田信長公を……前右府様を召喚してしまうとは……? 四郎さま。儀式は失敗でございますじゃ! 異界へ開いた穴、どうやら、われらが意図せぬ世界へと繋がってしまった様子……!」


「では、過去から信長公を呼び出してしまったというのか?」


「わ、わかりませぬ! 拙者の見識を持ってしても! 魔術とは人智を越えたものなれば」


 森宗意軒へ向けて、織田信長が哄笑しながら銃口を向ける。


「ほざけ、ジジイ。手違いでこの儂を呼び出し、あまつさえ小娘の使い魔として使役しようなど、笑止千万よ。しかも、根切りにされておる最中の百姓一揆側で儂を戦わせようとは! よりによって伊勢長島で、越前で、一向衆門徒を老若男女ことごとく根切りさせたこの儂に、壊滅寸前の一揆に加勢しろと? とんでもない茶番だのう。本能寺で焼き殺されたあげく、一揆勢の百姓とともにもう一度焼かれるとはなあ。まさしく臍が茶を沸かすとは、このことよ」


 森宗意軒は(殺される)と悟り、目を閉じた。正面に、織田信長。陣の外には、幕府軍の水野兵たち。すでに逃げ場はない。


「お待ちください、信長公。宗意軒の罪ではない。儀式を行ったのはこの私、天草四郎だ! 私こそが、このキリシタン一揆の総大将である!」


「ほう。南蛮人と日ノ本人の混血か、小娘。儂を倒したキンカンは、尻の穴の小さい男だったの。一向一揆の再来を恐れて、キリシタンを禁教としたか? 貴様、なにゆえ男装しておる?」


「あ、明智光秀は信長公を殺した直後、すでに秀吉に討たれております! われらキリシタンを追い詰め蜂起させしは、天下人・秀吉から政権を奪った徳川家康が開いた江戸徳川幕府! この原城を攻め立てている敵兵は、徳川家に仕える幕軍にございます! 今、幕府の頂点に立ち天下を治めるは、三代将軍徳川家光……!」


「……儂が死んでから瞬きひとつほどの時間も経っておらぬのに、下天では数十年が過ぎ去ったか。サルがキンカンを殺し、狸が天下を奪い取った……? デ、アルカ。そうか。あの吝嗇家の竹千代がのう。ははははは! しかし儂が天下人であっても、宗教一揆勢は根切りにするであろうよ。あいつら、死ねば極楽に行けると顕如坊主に吹き込まれておったから、油断も隙もない。長嶋では儂の弟たちをずいぶんと殺してくれたからのう。焼き尽くし殺し尽くす以外、片付ける手段はなかろう」


「もはや私は悪魔に魂を売りましてございます。ただただ、原城の民の命を救いたいのみ。キリシタンの信仰は捨ててございます。信長公。どうか、ご加勢を……!」


「……断る。百姓一揆なんぞに加勢して、儂になんの利がある。るしふぇるなどと間違えられて呼び出された儂は今、激怒しておるぞ。ようやく『無』に還ったと思うておったのに、立て続けに二度も焼き殺される云われはないわ! そうそう。四郎とやら。死後の世界などは畢竟、坊主どもパードレどもが信者を洗脳するために放り出した虚妄よ。いざ死んでみれば、『ぱらいそ』も『地獄』もなかったぞ。あるのはただ、漆黒の虚無のみじゃ――」


「……では……神は……でうすは……キリシタンが信ずるぱらいそは……」


「おう。冥土の土産に教えてやろうぞ。ぱらいそなどどこにもなく、でうすなどどこにもおらぬ。神がおるとすれば、本能寺での死から蘇り肉体を持って原城に再臨したこの儂こそが神よ――いやさ、今の儂は自然の摂理に逆らいし第六天の魔王か。信玄坊主へ吹いた冗談が、誠になったか」


「……では私は、間違っていたのですね……大勢の民を、犠牲に……」


「信仰なんぞ、すべては人間が頭の中で拵えた戯言にすぎん。気にするでない、小娘。むしろ幸運ではないか。人理を超えて蘇った真の魔王とこうして邂逅できたのだ。最後に奇跡を見られたのだ。この儂がいちばん嫌いな言葉じゃがな、『奇跡』などは――!」


 信長が、銃口を四郎の額へと向け直す。

 森宗意軒が(「本能寺の変」の直後から呼ばれたのであろう、気が立っておられる。そも、この地上に己よりも偉大な存在はない、と神仏すら畏れなかった信長公が、安土城に己を祀る寺まで建てたこのお方が、見ず知らずの四郎さまのために戦ってくれるはずもなし)と絶望し、膝からくずおれた。


「では死ね。なに、儂もすぐ虚無に還る。もはや死ぬことには慣れた故」


 この時。


 四郎も森宗意軒も聞き覚えがない若い男の声が、突然信長の背後から飛んできた。

 間違って召喚された人間が、「もう一人」いたのだ。

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