第58話「ラスト・ウィッシュ」
一歩足を踏み出す度、全身を駆け巡る熱は強くなり、それと同時に今までの少ないながらも、輝いていた思い出が、走馬灯のように駆け巡った。
最初にこの世界に立ち上がった時、パンドラを抱きとめた時、シエラの手を握った時、怒り、悲しみ、喜んだ時。
全てが今のリュウトを創り、ここに収束する。
そしてついに、〈
物々しい機械群が占める部屋の奥に、パンドラはいた。青白く光るリングに両手と腹部を拘束され、壁に磔にされた彼女は、部屋が鳴動する度に苦悶の表情を浮かべた。
彼女が磔にされている壁には、絵画が描かれていた。多数の黒い人型の物体と、それに立ち向かう一人の女性の絵だ。
その髪は白く、どこかパンドラに似ている。だが、今は絵画をじっくり観賞している場合ではなかった。
パンドラを拘束している輪に触れた途端、触れた個所からバチっと火花が散って、リュウトは小さく悲鳴を漏らした。
「これは……」
『
「でも、突破出来るんだろ?」
『オレの全ての力を両腕に集中させれば、強引に突破できるだろう。しかし、痛覚の抑制もできないし、ウィルスの進行も……』
リュウトはパンドラを見た。彼女は今苦しんでいる。このままでは死んでしまうかもしれない。
何をすべきかは明白だった。
「やってくれ。どうせ俺は長くもたないし」
『リュウト、お前……』
「勘違いしないでくれ。俺は今できる最善のことをしようとしてるだけだ」
『ああ……分かってる』
そしてクラークはリュウトの両腕に自らの身体を集中させ始めた。リュウトの身体を覆っていた影がもぞもぞと動き、腕に移動する。
『いいか。始めるぞ』
「やってくれ」
額に汗が浮かぶ。クラークに覆われた手がじっとりと汗ばむのを感じる。
深く息を吸う。その次の瞬間、全身の神経が焼かれるような痛みに、リュウトは叫び声をあげた。ウィルスが全身を蝕んでいるのだ。
『リュウト! リュウトしっかりしろ!』
奥歯をがたがたと鳴らしながら、うずくまって自らの身体を抱く。
もう何もかも終わらせてしまいたい。そんな考えが頭をよぎる。だが、頭を振ってその考えを遠くへ押しやった。
ここまで来たのは全てを諦めるためではない。始めるためだ。
リュウトは歯を食いしばって立ち上がり、一つ目の輪の解除に取り掛かった。両手でがっしりと掴み、力いっぱいに引っ張る。クラークのおかげで輪の拒絶反応は起こっていない。
そのまま輪を引きちぎり、次の輪を解除する。その時咳き込んだ拍子に口から血が溢れ、手で口を押さえた。
鉄の味が口腔に広がる。内臓に深刻なダメージを受けているのだ。
だが、リュウトは構わず続けた。クラークも、もはや何も言わない。二人の間に言葉はないが、心は強く結びついていた。
痛みも、悲しみも、二人で分かち合っていた。
そうして二つ目の輪を破壊し、最後の輪を掴んだ。今や鼻からも血が流れ、リュウトの顔は血まみれになっていた。パンドラの目が開かれていないのが幸いだった。もし今のリュウトを見れば、彼女を怖がらせてしまうだろう。
意識が混濁し始め、視界がかすむ。
手の感触はしっかりと伝わっているが、何を掴んでいたのだろうか?
そもそもどうしてこんなことをしているのだろうか。
寒い。とても寒い。
それでも、一心不乱に掴んだ輪を引っ張った。
「うおおおおおおお!」
輪にひびが入り、ついに砕けた。それと同時に全身から力が抜け、壊した反動で後ろに倒れる。
かすみがかった視界の先に、パンドラの姿が見える。拘束具のスパークで輝くその姿は、とても神々しく見えた。
後悔がないと言えば嘘になる。まだ色んなことをしたかった。もっと世界を知りたかった。
もっと、パンドラと一緒にいたかった。
ゆっくりと倒れていく中で、パンドラに向かって手を伸ばす。
そして、暗闇が全てを覆った。
◇◆◇
クラークは自分の身体をリュウトの腕から分離した。力を使い果たし、こぶし大の球形になってしまったクラークは、コロコロと転がってリュウトの顔に近づいた。
その顔は血だらけだが、どうしても死んでいることが信じられず、一見眠っているようにも見えた。
「リュウト……オレのせいだ……本当にすまなかった……」
今更悔やんだところでリュウトは生き返らない。今やリュウトは、完全に死んでいた。しかもシエラにも連絡が取れない。
もしかしたらシキにやられてしまったのかもしれない……
だが、結果的にこの宇宙は救われた。しかしその代償はクラークにとって、あまりにも大きすぎるものだった。
それに、シエラが本当にやられてしまったのだとしたら、ここにシキがやってくるのは時間の問題だ。そして今のクラークには戦う力は残されていない。そこで倒れているパンドラを助けることは――
しかし倒れていたはずのパンドラは、すでにそこにいなかった。クラークは目を疑った。彼女が自力で動けるはずはない。
ならば一体何が起こったのか?
「久しいわね。クラーク」
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