第6話 マクシミリアンの涙

 空鳥そらとり女子高等学校の最寄りの花屋さんは、文化祭の二日間で一年の売り上げのかなりの部分を稼ぐ、と噂されている。もちろん真偽不明ではあるんだけど、かなりもっともらしい説だ。演劇部や吹奏楽部や軽音部――それに何より歌劇部。ステージ系の部活の発表に、生徒や保護者やOGが花束を届けるのが恒例になっているからだ。


 高校三年生の――最後の文化祭当日。今年、私は初めて花束を抱えてホールに座っている。これも今までの二回の文化祭ではなかったことだけど、歌劇部の公演を最初から最後まで見るつもりだった。白い薔薇の花束を買うことなんて、この先の人生でもないかもしれない。

 我が組の展示はお化け屋敷。公演の間は抜けられるようにシフトを調整してもらったら、マクシミリアンのファンだったっけ、と首を傾げられたっけ。違うよ、と否定しておいたけど。


 私はマクシミリアンのファンではない。私が好きなのは、武村たけむら一花いちかさんという女の子だ。友達では決してない。二学期になってから、廊下とかですれ違ってもせいぜい軽く頭を下げ合うだけだ。夏期講習の間にあったことを知ってるのは多分私だけだけど、だからといってそれ以上に関係が近づくことはない。お互い受験生だし、特に武村さんは、歌劇部の練習が大詰めでとても忙しかっただろうし。

 でも、友達ではないから全く関係がないかというと、そんなこともない。舞台の上の格好良い男役じゃなくて、泣いたり怒ったり笑ったりする可愛い女の子が好きで、応援したいと思う――その感情も、確かにある。だから私は武村さん自身のファン、なんだろう。別に誰に対して名乗ったりもしないけど。クラスの友達とも違う、部活の仲間とも違う、不思議な距離感だ。いや、私が勝手に感じているだけの片思いなんだけど。

 連絡先も交換してる訳じゃないから、卒業したら会うことさえないかもしれない。でも、というか――だからこそ、というか。好きな人の晴れ姿はしっかりと目に焼き付けておきたかった。そう思いつけるくらいには距離が近づいたなら、あの夏期講習があって良かった、と思う。




 いつもはピアノが置いてあったり、校長先生が話をしたりするステージに、今は大道具が並べられている。段ボールを切り貼りして作った街灯は、夜を表す青っぽい照明の下だと割とそれっぽく見えていた。武村さんは、今年は当然のように主役の男役を演じている。


『僕は今まで本当の恋をしてこなかった。君に会って世界が変わったんだ』

『いいえ、きっと今までも貴方は何度も恋をしたのよ。その度に前の恋を忘れてしまっただけ』

『それならこれが最後の恋になる』

『そうね、次の恋が始まるまでは』


 プレイボーイが本気で恋して、でも相手にはなかなか信じてもらえなくて、っていう感じのすれ違いものだ。ラストまでの展開は大体分かっちゃうのに、惹き込まれてしまうのだからすごい。舞台というものも、歌も音楽も、演じる子たちも。まだ全然クライマックスでもないのに、なぜか目の奥が熱くなって泣きそうになっちゃうくらい。


 武村さんはとても格好良い。でも、何もしないで、そこにいるだけで格好良い訳じゃないと知ってしまったからだ。彼女をマクシミリアンと認識していた頃だったら、別の世界の別の生き物みたいにも思っていたかもしれないけれど。

 彼女も受験生として勉強にも励んでいるし、部活の合間に恋だってするし、別れ話に泣いたりもする。そんな普通の子が、メイクをして髪を固めて、男役として隙なく格好良く舞台に立っている。その事実だけでも奇跡のようで、不思議な感動に胸がざわめくのだ。


「主役の人が、マクシミリアンでしょ?」

「そう。超格好良い」

「脚長いねえ」


 周囲の客席から聞こえる囁き声にも、心から頷いてしまう。そうでしょ、あの子格好良いでしょ、って。見た目だけじゃなくて、性格もなんだよ。それに、可愛いところもあるんだよ。皆は知らないかもしれないけど。


 そんな勝手な優越感みたいなものに浸りながら、私はずっと武村さんを見つめていた。台詞の掛け合いに息を呑み、歌声に聞き惚れ、脚の長さを見せびらかすようなダンスに目を瞠るうちに、物語はクライマックスを迎えた。主人公とヒロインの心が通って、他の登場人物からも祝福された大団円。フィナーレとして、メインの役どころの子たちが入れ替わり立ち代わり作中の曲をリフレインで歌い踊る。そして最後に、カーテンコールだ。


 まずは一年生の部員から、ひとりずつ前に出てお辞儀をしていく。役になりきったままの子、素を出して可愛い仕草を見せる子。友達なのか、一年生でも花束や何かしらのラッピングをもらう子もそこそこいる。それから、照明や音響や衣装係の子を挟んだりしつつ、次第に上級生、それも、重要な役の子が出てくる。その頃になると、舞台の前は花束を抱えた人で混雑していた。


「マクシミリアン待ち? すごっ」


 そう、きっと武村さんに花を渡したい人が詰めかけている。他にもファンのいる子もいるだろうし、終演直後の熱気はホール内の冷房を無意味にしてしまいそうなほどだった。


 このままじゃ押し出されちゃう。前に行かなきゃ。制服の波をかき分けようともがく私の耳に、ホールを揺るがす歓声が響いた。ああ、武村さんが、出て来たんだ。

 舞台に設置された段を、花束を持った人たちが駆け上がる。私も、遅れないように続く。武村さんと同じ舞台に、一瞬だけど立てるんだって、そんなことにドキドキしてしまう。


『今日は、沢山の人に来てもらって――』


 歌劇部部長の、ヒロイン役の子の挨拶が歓声と騒がしい足音で掻き消される。舞台の真ん中には大きな花束が咲いたようだった。皆が押し付けた花束を両手で抱えた武村さんだ。顔もほとんど見えないくらいのボリュームになっているのに、その隙間にさらに花やプレゼントが押し込まれていく感じ。あまりに量も数も多いから、袖から紙袋を持った子が走り出て来るほど。紙袋幾つかに、先に渡された花を収めた隙をつくように、私は武村さんの前に辿り着くことができた。


「お疲れ様! すごく良かった!」

「あ――ありがと……!」


 といっても、私が言えたのはひと言だけ。眩しい照明の中、次々とファンが押し寄せてくる中で、顔を認識してもらえたかどうかは分からない。でも、私の目には彼女の顔がはっきりと焼き付いた。

 汗に光る額。上気した頬。アイラインが滲んでいるのは、でも、汗だけではなくて――


「マクシミリアン、泣いてる……」

「マクシミリアンも泣くんだあ」


 驚いたように、あるいは感慨深げに。花束を渡し終えて客席に戻る子たちが呟くのが聞こえた。男役は泣かないものだとでも思っていたんだろうか。それとも、彼女たちが知る武村さんはしっかりしたイメージだったりしたんだろうか。


 そうだよ、泣くんだよ、と。私も舞台から降りながら心の中で頷いた。「マクシミリアン」だって他の女の子と同じなんだよ。三年を賭けた部活が終わったんだもの。そりゃ、感無量だよ。涙も出るよ。


 カーテンコールまで終わったとあって、客席は次の演劇部だったかの発表に向けて人が入れ替わりつつある。舞台上でも、主に制服姿の裏方の子たちが散らばった花びらを掃き寄せたり、大道具を搬出し始めたりしている。

 そんな中で、武村さんの周りにはまだ人が絶えていなかった。花を渡そうとする子たちだけじゃなく、衣装を着たままの演者の子たちも、彼女に抱きついていた。武村さんも男役の演技はかなぐり捨てて、ヒロイン役の子の胸に顔を埋めて――泣いている。


 ああ、でも今日の涙はとっても綺麗。まだ着いたままの照明を浴びて、輝く涙は宝石のよう。去年、マクシミリアンが踊りながら汗を散らして、私の心臓を打ち抜いた時を思い出す。あの時と同じときめきが、私の息を止めてしまう。失恋の悲しみや憤りからの涙じゃなくて、あの時も一生懸命さが素敵だったんだけど、やりきった後の清々しい表情で流れる涙は、とても綺麗。私だけが見るんじゃもったいない、これは――舞台の上だからこそ、なんだろう。

 彼女は、やっぱり遠い人だ。スポットライトを浴びて輝くのが似合う人。私は彼女と同じ空気を吸うことはできないけれど、見ることができて良かった。来て、良かった。


 彼女はとても綺麗で格好良くて可愛くて――私は、とても好きだ。

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マクシミリアンの涙 悠井すみれ @Veilchen

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