045.あなたは私の全て
──ミチル
誰かが名前を呼んでる。
この声は、祖母……?
誰……?
──ミチル
ルシアン……?
ルシアン、そこにいたの?
良かった。
目を開ける。
身体を起こそうとして、あちこちが軋む。
痛い。
なんとか身体を起こすと、私に覆いかぶさるようにしてゼファス様が倒れている。
「ゼファス様?」
額から赤い液体が頰に流れている。
揺らしてみたものの、反応はなく、かくん、と音をさせるように首が傾く。
心の中がざわざわする。
見渡すと、要塞のあちこちが壊れていた。試作艦の砲撃で壊されたのだろう。
公家の人達も倒れている。
ゼファス様、祖母、セラ、オリヴィエ、アウローラ、銀さんが、私を守るようにして倒れている。
……倒れ、息絶えていた。
「…………っ!」
全身の血の気が引く。
これは、ナニ。
どうしてこんな。
信じられなくて、視線を彷徨わせる私の耳に、名前を呼ぶ声がした。
──ミチル
祖母だ。この声は祖母だ。
生きてたんだ!
祖母を見る。
ぴくりともしてしない。
とても、声を出したとは思えなかった。
──ミチル
もう一度、私を呼ぶ声がした。
違う……祖母じゃない。
祖母は私をミチルと呼ばない。
私に名を譲ってから、ずっと、"レイ"と呼んでいた。
祖母じゃない。
「……どなた……ですか?」
──私はマグダレナ。貴女達を作りし者です。
「……マグダレナ様……?」
呆然とする私の前に、巨大な光の球が現れる。
女神マグダレナ……?
そんなまさか、と思うのに、本能が理解する。
目の前の光が女神そのものなのだと。
──ようやく貴女に声が届きました。これまでも、声を掛けたいと思っていたのですが、私への祈りが足らず、夢に干渉するぐらいしか出来なかったのです。
これまで見続けていたあの夢は、祖母の夢を見ていたんじゃなくて、マグダレナ様が私に語りかけていたの?
千年間、この大陸ではまともに祈りが捧げられていない。
大地に魔力を送り込む事しかやってない。
女神の力が、信仰と言うか、魔力によるものなのだとしたら、女神には全然力が無い事になる。
──ミチル、この大陸は愚か者によって、そう遠からず滅びます。愛し子の貴女だけでも、助けたい。
光が柔らかく揺れる。
──私と共に、行きましょう。
女神と共に、行く? 何処へ?
私一人で?
「マグダレナ様……皆、死んでしまったのですか?」
──いいえ、今はまだ、この周辺のみです。考えなしに魔力を吸い続ければ、この大地から私の加護を受けし者は存在しなくなります。そうなれば誰も大地を潤す事は出来ません。滅びは、間違いなく訪れるでしょう。
魔力を大地に送らなければ、何も育たない。草木も、動物も、全部。
生きていけない。
脳裏にルシアンが浮かぶ。
ルシアン、ルシアンはもう、死んでしまったのだろうか?
爆撃で? それとも、魔力を奪われて?
「ルシアンは……マグダレナ様、私の夫はもう……?」
声が震えた。
諦めが心を一瞬にして真っ黒に塗り潰すような、そんな感覚がした。
光は一度揺れた。
──ミチルの伴侶であるあの者は、生きています。
「!」
嬉しくて、思わず腰を上げてしまった。
──ですが、助からないでしょう。
これをご覧なさい、と言う声と共に、水の球が目の前に浮かぶ。そこに、ルシアンがいた。
「ルシアン!」
ルシアンは生きていた。額と口から血が出ている。浅い息をしながら、顔を上げていた。何かを見ているように見える。
水の球が角度を変え、ルシアンの全身が見えた。
「!!」
ルシアンの膝から下が、両脚共になかった。傷口から血が流れている。
それなのに、ルシアンは腕だけで進もうとしていた。
「……何処へ……」
──貴女の元でしょう。
「私の……元……?」
──貴女との約束を守る為に。
ルシアンの言葉が思い出される。
"貴女のいる場所に何かあれば、駆け付けます"
胸が熱く、苦しくなる。
こんな状態になってまで、私の元に来ようとするなんて。
進む度に痛みに顔を歪ませながら、それでも進もうとする姿に、涙が止められなかった。
「マグダレナ様……私、約束をしております……。死ぬ時は、一緒だと……」
見れば分かる。
ルシアンは助からない。
それなら、私も一緒に死にたい。
この状況に酔ってるのかと言われたら、否定は出来ない。
そんなのどうでも良いって思えてしまう程に、心がルシアンでいっぱいになっていた。
──良いのですか……?
「はい」
ルシアンの元に向かう為に、マグダレナ様に水の球を返す。マグダレナ様は受け取らない。
──……もし、貴女が命を差し出したなら、この者を救えると言ったなら、どうしますか?
「え……?」
──ミチル、貴女にしか出来ない事ですが、貴女が望むなら私はこの者を助けられます。勿論身体の損傷も無かった事に出来ます。ですが、その代償として貴女は命を落とします。
差し出していた水の球を引き寄せて、球の中のルシアンを見る。
あまりのその痛ましい姿に自然と涙が溢れる。
「代わってあげたいです……こんなに……痛そうで……苦しそうで……」
苦痛に耐えながら、それでも私の元に来ようとしてくれるその姿に、胸が満たされていく。
「生きて欲しい……ルシアンはきっと、望まないと思います……でも……何よりも大切な人なのです……」
手の中にあった水の球が、ポシャンと音をさせて消えた。
──歌いなさい、ミチル。心を込めて歌うのです。
「歌、ですか……?」
予想もしなかった答えに驚いていると、光がふわりふわりと揺れた。
──貴女の魔力の器を全て解放します。他の者には出来ませんが、転生した事で身の内に二つの魂が存在する貴女なら耐えられるでしょう。
魂が二つ存在する?
え? じゃあ、私の中にミチルっているの?
──前世の記憶を取り戻した際に、貴女達の魂は混じり合って一つになっていますが、魂の総量は二つ分になっているのですよ。
私がミチルを封印してるとか、押し込めてるとか、そう言う事かと思ったから、ホッとした。
──魔力の器は、魂の数。そうは言っても二つが人の魂の限界です。それを一時的に解放する事によって、私の力そのものを貴女の中に入れる事が出来るのです。
女神の力を私の中に?
──先程アレクシアを見ていて気付いたでしょうが、魔力の器の上限値を超えるのは負担を伴います。アレクシアは己の限界値に触れる魔力を身に受け続け、滅びの祈りを捧げたのです。
八人の魔力をその身に受け、祈りとして捧げ続ける。
かなりの負荷がかかっていたのは、目の前で見ていたから分かる。
──この大陸に漂う魔素を歌う事で吸収し、魔力として私に捧げなさい。そうして捧げられた魔力を使い、私は貴女の望みを叶える為に力を振るいましょう。貴女が大切に想う者を助け、災いを運ぶ者を退ける為に。
私は頷いた。
滅びの祈りは失敗した。だからまだ、平民達は命を奪われていない。
この近辺には関係者しかいないようにしたってお義父様は言ってた。きっとお義父様は魔力を吸う機械の存在を知っていた。ここでの被害は今の所抑えられている筈。
だから、マグダレナの民も結構な数が生き残る。
それにルシアンが、助かる。
きっとルシアンは怒る。絶対に怒る。私が生きてたらお仕置きされると思う。
でももう、それは叶わないだろうな。
それでも。
立ち上がり、女神の雫と、ルシアンからもらったアレキサンドライトの雫を手の中に握り込む。
息を吸い込む。
祖母から教えられた歌を、歌う。
魔素が私の周りに集まってくる。
ゆっくりと渦を巻くようにして、私の中に入ってくる。
皆は爆発もあったのだろうけど、魔力を奪われてしまったのだと思う。
でも、私は器が元々二つあったから、大丈夫だったんだろう。爆発からも、皆が身を呈して助けてくれた。
身体の中で魔素が魔力へと錬成されて、器に満たされていくのが分かる。一つ目の器が満ちて、二つ目の器も満ちていく。
私から溢れた魔力は、そのまま目の前の光の球──マグダレナ様に吸い込まれていく。
光の中に、美しい女性の姿が見えた。
マグダレナ様の指から赤い光が溢れ、私に注がれる。光は私の身体を泳ぐように進み、太腿の付け根辺りで止まった。途端に焼けるように熱くなる。
器が解放されたのだと、分かった。
続けてオレンジ色の光が入って来て、おへその下──丹田の辺りで止まる。
さっきと同じように熱くなる。耐えられなくはない程の、熱による痛み。
緑色の光は胸の辺りで。青い光は咽喉。七色の光が頭頂部。
全ての器が解放されたのが、分かる。
身体の中が一つの線で繋がったような感覚。
──器は全て解放しました。後は魔素を取り込み、魔力に変え、全てを私に捧げるのです。
歌いながら、これまでの事を思い出す。
走馬灯って奴だろうか。
両親と兄姉から愛されなかった子供時代。
私を愛してくれた祖父母。
入学式で思い出した前世。
必死にやったダイエット。
ルシアンとの出会い。
図書館でしか会えなかったけど、楽しかった。嬉しかった。
憧れと恋の区別が付いてなかったキース先生への思い。
モニカや殿下、ジェラルドと乗馬をしたりと、友情を育てた。
ルシアンとの婚約を疑って、一喜一憂して。
そんなものも、ルシアンとの再会でふっ飛んで。
毎日毎日、甘い言葉を口にしてぐいぐいくるルシアンにタジタジしてた。
キャロルに襲われて、それが済んだと思ったら皇女が出て来て。皇女対策に学生結婚なんかしちゃったりして。
皇女と手を組んだウィルニア教団の教皇に誘拐されて貞操の危機を迎えそうになったりもした。
でも、ルシアンが助けてくれた。
卒業したら今度は皇都で過ごす事になって、令嬢達から嫌がらせを受けて、媚薬まで……!
あれは、心の傷になった。多分、ずっと消えない。
お義父様が魔王で、魔王がお義父様で。
お義母様は実は最強で。
大規模な粛清が行われて、ゼファス様の養女になって。
ラトリア様やゼファス様と軽口を叩きながら皇都の事に取り組んで。木工とか石工ギルドの人達とも仲良くなった。
ロシェル様のデザインした服を来てスイーツ食べたり。
そうかと思えばルシアンが帝国皇帝から命を狙われるようになって。
祝祭も作った。フローレスやステュアートとも仲良くなったし。文房具作りも楽しかった。
院長との出会いも、カーネリアン先生を助けられた事も、良い思い出だ。
帝国の皇位継承問題を解決したと思えば、祖母が実は皇族だった事が判明して。
レーゲンハイム家の皆と知り合って。
公家の人達も、なんだかんだ良くしてくれた。下心ありだったとしても。
ギウスが帝国に戦争をしかけて。
それでアレクシア様を庇ったフィオニアが、魔力が枯渇した所為で重篤になって。
セラが帰って来て。
祖父母と再会して、ようやく平和になるかと思ったらイリダに狙われるようになって。
戦争が起きた。
──そのまま歌い続けなさい。歌い終えた時、私の祈りが貴女を通して、貴女の願いを叶えます。
私の、願い。
出来たら、罪のないマグダレナの人達が皆、生き返って欲しい。ここにいる公家の人達、祖母、ゼファス様、セラ、オリヴィエ、アウローラ、銀さん、平手打ちしちゃったけど許してくれたブラコンの陛下、割りを食ったのに、自分の命と引き換えに民を助けようとしたギウスの族長。
祖父はルシアンを守るって言ってた。きっと、あの要塞にいたんだろうな。ロイエ、アビス、お義父様、参謀のベネフィスにデュー。レシャンテ、元気かな。
イリダの、オメテオトルとか言う人は、何を願いたかったんだろう。
私を通してマグダレナ様を呼び出して、何をお願いしたかったんだろう。
良くは分からないけど、もし、どうしようもない願いじゃないなら、叶えば良いのに。
皆が幸せな世界になって欲しい。
戦争なんてしなくて良い世界になって欲しい。
……ルシアン……怒るだろうな。
許してくれないかも知れない。
それぐらい勝手な事をしてるって思う。
ごめんね、ルシアン。ごめんなさい。
許してくれるとは思わないけど、許してもらえたら嬉しくて泣く。
あぁ、本当に。
こんな事なら、もっともっと、言えば良かった。
好きで好きでたまらないって。
何もかも好きなんだって。
もっと触れれば良かった。
恥ずかしくて死にそうなんて言ってる場合じゃなかった。
こんなに、好きなのに。
いつでも思い出すのはルシアンの事ばっかりなのに。
ルシアンの事言えないぐらい、私の頭の中はルシアンでいっぱいだった。
虹色の魔石の効果が本当なら、生まれ変わっても会えるのなら、ルシアンの奥さん……いや、贅沢過ぎか、彼女……許してもらえない可能性もあるな……下手したら友達も難しいかも知れない……。
そうしたら、そこはもう、モブとして割り切って、ストーカーに……。
でも、出来たら、許されるなら、ルシアンに愛されたい。
生まれ変わっても、ルシアンに愛されたいと願ってしまう。
愛してます、ルシアン。
愛してます、誰よりも。
生まれ変わっても、ルシアンを愛しています──。
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