それぞれの思惑 其の一<源之丞視点>
思ったよりも早くにホルヘ殿とアドリアナ殿は私を再訪した。結論が出たのだろうか。
ホルヘ殿はちらりとアドリアナ殿を見る。
アドリアナ殿の顔色は良くない。
「二条、私は貴方を信じる事にしたわ」
戦争に対する拒否反応は、アドリアナ殿の方が強かった。
そのアドリアナ殿がオメテオトル殿の要求を飲むと言う。
「戦争は反対よ。馬鹿げていると思う。命の奪い合いなんてしたってお互いが憎しみ合うだけ。苦しむのはいつだって下の人間なのよ」
吐き捨てるように言うと、アドリアナ殿は手に持っていたハンカチを強く握りしめた。
「私には守りたいものがあるの。その為なら使えるものは何でも使うと決めた。王族に協力したくないのは今でも変わらないわ。でも、そんな事言ってる場合じゃないの。好き嫌いしている場合じゃないのよ。だから、覚悟を決めるわ」
そう言って私を見据えるアドリアナ殿は、確かに覚悟を決めたのだろう。迷いの無い目をしている。
ホルヘ殿はアドリアナ殿から私に視線を向けた。
「オレも二条を信じる。困った時には助けて欲しいと言いながら、信じないなんて都合が良すぎるからな」
二人をショロトル殿の元に連れて行く話になるのかと思っていたら、予想に反して二人は拒んだ。
「オレ達は結構顔が知られている。ここには燕国に関する研究に協力してもらう為に口説きに来ているんだ。
晴れて二条には協力を取り付けた、と言う事にする」
「私が研究施設に足を踏み入れると……?」
そんな事が許されるのか?
「外部の人間が入れるエリアがあるんだ。そこに来てもらう事になる」
成る程。
そのような場所があるのか。
「承知した」
アドリアナ殿は口元にハンカチを当てている。やはり今日は体調が悪いようだ。
私の視線に気が付いたのか、アドリアナ殿は顔を上げて微笑んだ。
「ごめんなさい、二条。大丈夫よ」
「随分と具合が悪そうだが……」
アドリアナ殿は笑った。
「そうね、今日は久々に調子が良くないわ。
あのね、二条、私、子供がいるのよ、ここに」
そう言って己の腹部をアドリアナ殿は撫でた。まだ膨らんではいないから、言われなければ分からない。
「身篭っておるのか?」
そうよ、と言って嬉しそうにアドリアナ殿は微笑む。
「相手は兵士なのよ。不器用な人でね、少し子供っぽいんだけど、真っ直ぐな性格なの」
「二条、聞かなくて良いぞ。アドリアナの惚気は長い」
呆れた様子のホルヘ殿からして、きっと何度もその話を聞かされているのだろう。
「失礼ね」
つん、とアドリアナ殿が口を尖らせた。ホルヘ殿は笑い、私も笑った。明るい話題に束の間、空気が和らぐ。
「アドリアナ殿のお相手が兵士であるから、戦争を回避したいと言う思いもあるのだな?」
「えぇ。前の恋人を失って、辛くてたまらなくて、自棄になっていた私を助けてくれた人なのよ。もう二度とあんな思いをしたくない。私情を挟んで申し訳ないけど、戦争が回避出来ないなら、何としても被害を最小限に食い止めるわ。絶対に、彼を戦争になんて行かせない」
その様子に、ルシアン殿を思い出す。
妻であるミチル殿を深く深く愛し、その為なら己の手が汚れる事すら厭わない友。
恋は人を愚かにもするが、強くもする。心の軸が定まり、迷いを払拭するだけの力を持つ。
アドリアナ殿の進む道は間違う事はないだろう。そう思ってホルヘ殿を見ると、私の視線に気付いて頷かれた。
きっと、アドリアナ殿が道を間違えようとしたなら、ホルヘ殿が軌道修正するであろう。ホルヘ殿が間違えそうになったらアドリアナ殿が正すであろう。
二人は愛を囁く関係ではないが、良き関係だと思う。
私が道を踏み外そうとしたなら、きっと言綏が止めるだろう。何を置いても止めてくれるだろうと思う。
「是非にお願い致す、アドリアナ殿。
勿論よ、と微笑むアドリアナ殿は美しかった。
オメテオトル殿とはどう面会したものと思い悩んでいた所、迎えが来た。
オーリーの民では無い、イリダの民の影。
影は全てオーリーがしているのかと思っていたが、オメテオトル殿は持っているのだと言う。王の直系のみに仕える一族だそうだ。
前回と同じように階層を二つ上がる。
以前と異なるのは、今が昼間であると言う事だ。その為、周囲がよく見える。外観まで煌びやかな建物がずらりと建ち並び、歩いている者は一様にゴテゴテと着飾っている。
そんな中、地味な服装に種族的な外見も手伝って、私は目立つのだろう。遠慮の無い視線が刺さる。
裏口から入り、廊下を少し進んで階段を上がる。相も変わらず沈むような踏み心地の絨毯である。
部屋に入ると既にオメテオトル殿はいた。先日と同じカウチに腰掛け、背もたれに寄りかかっている。
今日もゆったりとしたスカートをはいている。
「ようこそ、二条様」
「お招き感謝する、オメテオトル殿」
正面の椅子に座るよう促される。
失礼すると断りを入れてから腰掛けると、オメテオトル殿は微笑んだ。
「その後、いかがかしら?」
粗方こちらの動向を知っているであろうに、このように質問する意図は、私を試す為であろうか。
「私は交渉は苦手だ。嘘も演技も出来ぬ。次期公方を目指す者としては恥ずかしい限りではあるが、向かぬものは向かぬ。腹芸は言綏に任しておる」
ふふふ、とオメテオトル殿は笑う。
彼女と私の前に白く濁った甘い匂いのする酒──テパチェの入った杯が置かれる。
「素直ね……。嘘ばかりの世界で生きてきた者同士の筈なのに……貴方のその気性は不思議だわ」
「……愚かなだけだ」
兄達や言綏のように
己にないものを無理に纏った所為で、疲れただけであったが。
「素直なのと愚かなのは違うわ」
そう言ってオメテオトル殿は私を慰める。
気を遣わせてしまったのが分かり、素直に感謝の言葉を口にすると、ゆるりとした笑みを浮かべた。
「お気遣い感謝する」
賢しく振る舞えぬとしても、人として愚かにはなりたくないとは思う。
「お二人は貴君に協力する事を約束してくれた。ご存知ではあろうが、心から受け入れての事ではないのをご留意頂きたい」
勿論よ、と頷くと、先日と同じ白い酒を飲む。
「これまでの事を考えれば、よく協力する気になってくれたと言いたいぐらいよ……本当に、ありがたいと思っているの。あの二人が手伝ってくれる事で成功率がかなり上がるのだもの」
どれだけの知識やら技術をあの二人が持っているのかは分からないが、レジスタンスの長であると言う事は同じ考えを持つ者が複数人いると言う事に他ならぬし、率いるだけの力を持つと言う事でもある。
「今後は何かない限りはこうして会うのは控えるつもりでいるけれど……貴方に付けている影──ネグロに言ってくれれば会えるよう段取りをするわ」
「了解した」
これを、と厚みはそんなにない資料を渡される。
「マグダレナ侵攻に名乗りをあげている者達の一覧よ。
そろそろ勢力図が書き変わる頃だから、分かり次第また渡すわね」
一覧を受け取ってもピンと来ない私を見てオメテオトルは笑った。
「まだこちらも準備途中なの。最終的には残念な人達を戦地に送り込む訳だけれど、途中経過をお伝えした方が良いかと思ったのよ。それにこの一覧には王侯貴族以外も載っているの。下級国民の名前もね」
アドリアナ殿が喜ぶ情報に違いない。
「
「いいのよ、私も何の罪もない下級国民を戦地に送り込みたくはないの」
そう言って微笑むオメテオトル殿は、優しさに満ち溢れた笑顔をしていた。
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