獅子と猫<アスランの影 ドレイク視点>

オメテオトルと名乗ったそのイリダの王族は、少し低めの、掠れた声だった。

すらりと長く伸びた手足は、美しいマーメイドラインのドレスがよく似合う。

顔も美しく、儚げな雰囲気だ。


「私はイリダの王族なの。だけど、今のイリダとオーリーの関係性は不健全だと思うのよ……」


気怠そうにそう話されるその話を鵜呑みにする訳にはいかない。相手はイリダ。それも王族だ。息を吐くように嘘を吐き、人を欺く事になんら良心の呵責も感じない奴ら。


「貴方は明日、第三部隊の長になるわ……」


第三部隊の長と言う事は、王を監視する役に就く事を意味する。

己の保身の為に妹姫を人質に捧げる事を何とも思わず、派手に暮らし、イリダからの恩恵を欲しいままにしている、我らオーリーの王。


「また、会いましょう」


言われた通り、オレは王を監視する第三部隊の長になった。そこで見たものは、噂とは真逆の王の姿だった。

質素で、鍛錬に精を出し、書物を読む。

イリダの王族からの、爛れた遊びも断り、慎ましく生きる姿は、とても王のものとは思えない程に禁欲的だった。


人質として差し出されたと言われるトレニア姫は、兄を心から慕っていた。

アスランの目は間違いなく妹を慈しんでいたし、そのような不遇な境遇に甘んじさせている事に苦しんでもいた。


オーリーの民が聞かされる王の話とはなんだったのかと思う。同名の別人がいるのではないかと疑った。




ひと月程経った頃、暇を持て余したイリダの王族が、オーリーの居住地域に虎を放った。

こう言った事は時折あった。暇つぶしだの娯楽だの言って、反発した民を炙り出し、処刑するのだ。そうやって民の心を折る。

奴等イリダは打算的であり、狡猾で抜け目がない。


虎が放たれた事を知ったアスランは剣を手に部屋を飛び出そうとした。

まさか、止めに行こうと言うのか?

オレはアスランを止めた。影として監視している為、姿を見せるべきではない。だが、止めなければ王が反逆したとして、王ではなく、民が処刑されるのだ。

止めなければ大量に民が処刑される。止めれば民の心がより王から離れる。

分かってはいる事だが、イリダの奴らのやり方の非道さには反吐が出る。

止められたアスランは、声を出さずに泣いた。強く噛み締めた為に、唇から血が滲んでいた。

民への被害を最小限に抑える為に、被害が出ていても忍耐を求められ、その所為で己の名誉は地に落ちる。

それを、成人したばかりのアスランは強いられ、受け入れた。己を犠牲にしてでも、民を守ろうとした。


翌日もアスランの前に姿を見せ、名乗った。

アスランは、そうか、と抑揚なく答えた。

その翌日も姿を見せると、アスランは呆れたように言った。


「そなたは余を監視する為の影であろう。何故姿を現わす。知られれば罰せられるのはそなたではないのか?」


「知られはしない」


「そうか」


必要以上に話す事はなかった。姿を見せたままの状況が続いた。

アスランは、書物を読みながら言った。


「民はどのように過ごしているのか」


少しずつ増えていった会話は、民の事が殆どだった。

オーリーが置かれた境遇を知る度に、アスランの眉間に皺が寄った。

民の事、妹姫の事、オレの事を話すようになった。

アスランは自分の事を話したりはしなかった。




オメテオトルから呼び出された。

以前と同じように気怠そうではあるが、いくらか機嫌が良いようで、うっすらと笑みを浮かべていた。

本当に美しい顔だと思う。


「アスランは、良い子でしょう?」


オレは答えなかった。オメテオトルが何を考えているのかがはっきりしない。

静かに笑ってオメテオトルは言った。


「前にも言ったけれど、今のこの状況は困るの……。彼の為にもね」


オメテオトルの言う彼が誰かは分からない。

だが、同感だ。

この歪なイリダとの従属関係は、いずれアスランの心を殺す。

オレはアスランが王の器であると思っている。だからこそ、オメテオトルの話に耳を傾けようと思った。

戯言であれば相手にしなければ良い。


「貴方はアスランとオーリーの為に。私は彼の為に」


何をすれば良いのかと問う。


「ただでさえ限りある資源だと言うのに、愚か者達が気にせずにエネルギーの無駄遣いをしていた結果が出たのよ。近い内に王命が研究院に下るわ……」


「命を受けたとして、資源を短期間で成長させる事は不可能です」


大丈夫よ、と答えてオメテオトルは微笑んだ。


「研究者の誰かが言うわ。マグダレナ大陸の事を。

貴方達は、その研究に従ってくれれば良いのよ。そうすれば勝手に話は進んでいくわ。

来るべき時まで、貴方はアスランとトレニアを守ってくれれば良いの……」




ある時、皮袋を渡された。かなりの重さがある。

これは何だと問えば金だとアスランは言った。


「これで、困っている者を助けてやってくれないか」


今年は例年にない飢饉だった。オーリーは食べるものさえ満足に足りていない。

その事はアスランには伝えていなかった。アスランが気に病む事は分かっていた。


「……要らぬ物を処分したは良いが、使い途がない。

余はここからは出られぬ。周囲も裕福な者達ばかりだ。

その点、そなたの周りなら有効に使える者もおるだろうからな」


この話は終わりとばかりに鍛錬場に向かおうとするアスランに、尋ねる。


「助けるにして、おまえの名は出すか?」


「いらぬ。ドレイクの名でくれてやれ」


「嘘は嫌いだ」


アスランは少し考えた後、ケッディからと言え、と言ってその場を去って行った。


食材や薬を購入し、オーリーの民が住む階層に向かう。

飢えに苦しんでいる者、怪我をしている者、小さい子供を抱えている者に配ったら、あっという間になくなった。

オレは感謝される度にケッディからだと言って回った。


その事をアスランに報告すると、眉間の皺が消えて、目尻が僅かに垂れた。


「そうか」


それからも、アスランは金銭をオレに渡して来た。その金銭を手に入れる為に、会いたくもないイリダの王侯貴族や、オーリーの上位貴族達とも付き合うようになった事にオレは気付いていた。

アスランに関する悪評は増えた。それを伝えても表情を変えなかった。

今更一つ二つ増えたとして、何の不都合も無い、と。


自分を犠牲にしても、民を何とか助けたいと言うアスランの思いは、知らぬ間にオーリーの民に伝わっていた。


「なぁ、ドレイク。ケッディってのは、王なんだろう?」


ぎくりとした。否定しようとしたが、周囲の奴らは苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「おまえが第三部隊の長になって間もなく、ケッディなんて名前から配られるんだぞ」


ケッディとは猫という意味だ。アスランは獅子を意味する。アイツはきっと、飼い慣らされた猫のようなものだと己を皮肉ったのだろう。


「安心しろよ、王に迷惑をかける気は無い。ありがたくいただくよ」


周囲も頷く。


「オレ達が下手に騒いだら、王の苦労は水の泡なんだろう? いくらなんだって、分かるさ。

イリダがどれだけ糞な奴らなのかぐらい」


そうだ、とか、まったくだ、と言った声が上がる。


「いつか、その気になったなら、オレ達は命をかけて戦うよ、ケッディの為にな」


胸が震えた。


アスラン、おまえの気持ちは伝わっている。

おまえの苦しみも、分かってもらえてる。


オレは、絶対におまえを本当の王にしてみせる。

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