飾りの王<オーリー王視点>

神に見放されし民。

それが我らオーリーの民の蔑称だ。


二千年もの昔、兄神オーリーと弟神イリダは言い争いをした。

どちらの民が優れているか。

実にくだらん内容だが、創造神に命じられれば嫌とは言えんのだろう。お互いの民は永きに渡り死力を尽くした。最後はイリダの捨て身の戦法によりオーリーは敗れる。

オーリーの大地は奪われ、毒に侵されたイリダの大地を押し付けられた。


窓から外を見下ろす。

あまりに高い位置にある為、大地はぼんやりとしか見えない。


エテメンアンキ──オーリーの大陸にイリダの民が作成した巨大高層都市。

大きさは街を丸ごと六つ飲み込める程。それが、何層にも重なり、その高さは雲にも届く、と言われているが実際は届いてはいない。だが、外から見たならこの異様な巨大建造物に肝を抜かれる事だろう。


イリダはオーリーに敵対心を抱かせない為に、オーリーの王侯貴族を取り込んだ。警戒心を抱いていた彼らだが、イリダによる退廃的な享楽を骨の髄まで受け入れてしまう。

イリダの誘惑が上手かったのもあるだろうが、一番の理由はそれでは無い。


オーリーの民の大半は人質にされた。何度も何度も、民と共にその当時の王がイリダに対して反旗を翻そうとしたが、その人質を目の前で殺されていくのだ。

次第に戦意は喪失していき、何もしなければ何も失われないと思うようになるのは当然の事だった。

最後に殺された人質は、当時の王妹だったと記されている。王族であっても、人質になる。

人質は定期的に入れ替えられるが、王族の人質だけは入れ替わらない。

余の妹も、人質として幼い頃より囚われている。王階(イリダの王族のみが暮らすエテメンアンキ最上階)にずっといる。


理不尽さに胸が焼け尽きてしまいそうだったのに、今ではこんなにも飼いならされて、己の不甲斐なさにため息すら出ない。


「アスラン様」


侍従に呼ばれる。

そうだ、今日は妹に会える月に一度の日。




余の姿を見るなり、トレニアは小走りで駆け寄って来た。


「お兄様っ」


薄めの褐色の肌、漆黒の髪、コバルトブルーの瞳。

花がほころぶように微笑む。


「息災だったか?」


「はいっ」


手に持っていたブーケが差し出される。


「いつもすまないな」


「お兄様の部屋には潤いが無いと殿下が仰せでしたわ」


潤いの意味はトレニアが思っているようなものではないのだが、下世話な話をまだ初心なトレニアに聞かせるつもりはない。笑って誤魔化す。


殿下──ショロトル・アウス・ウェウェ・ミクトランテクートリ。王位継承権は八位と低めではあるが、その優秀さは他の継承者よりも群を抜いている。本来、そのような順位に甘んじる存在ではない。

彼はトレニアを庇護してくれる事が多いが、何を考えているのか全く分からない。

血筋も現王よりも上をいくにも関わらず、継承権が低いのは、彼の気性に問題があるからに他ならない。誰にでも様々な顔と言うものがあるだろうが、ショロトルのそれは違う。

日によって気性が変わるのだ。神のように慈悲深い日もあれば、悪魔のように残虐な日もある。

その激しさゆえに、狂王子とも呼ばれている。


王となるに不適切である、と多くの継承者が王に訴えた。王自身もショロトルの二面性を知っていたのもあり、継承位を下げた。

彼は王位になど興味が無かった為、気にした様子は見せなかった。継承権保持者による足の引っ張り合いはどの時代でも常であった。


"自制出来ない僕が悪いし、王位なんて欲しくないから丁度良かった"と笑う目には、偽りも強がりも見えなかった。


底知れぬ闇を見ているようで、正直に言って好きになれぬが、トレニアの庇護者としては最高の存在だった。

他の王子や王女であったなら、トレニアは肉体も心もただでは済まないからだ。歴代の人質となった王族は、心か身体か、もしくは両方を必ず壊された。

その点、ショロトルは他の王族よりはまだ安心できる。

以前、トレニアに手を出そうとした王族の両手を、ショロトルは躊躇なく切り落とした。


"彼女は僕の庇護下にある。つまりは僕の物だ。人の物に手を出すような手癖の悪い手なんて、不要だよね?"


止めておけば良いものを、その王族はショロトルを罠にかけようとして逆にかけられ、今度は耳を切り落とされた。


"以前僕がした警告が聴こえていなかったようだから、この耳は不要だね"


それからは誰もショロトルにもトレニアにも手出しをしない。ショロトルに下手に手を出せば自身がタダでは済まないからだ。

アレは正気と狂気の境目に立つ危うい存在だと誰もが認識している。だが、血統は現王よりも尊く、能力も高い。目には入れたくないが、目も離せない存在──それがショロトルという男だ。


ブーケに目を落とす。

王階には温室がある。様々な花が一年を通して咲き乱れると言う。

トレニアはその温室で花を分けてもらい、毎月会う度にブーケにして余に渡してくる。

花になぞ興味は無いが、唯一の肉親であるトレニアからの贈り物だと言うだけで嬉しくなる。


「これをやろう」


小さなトレニアの手の上に、螺鈿細工と呼ばれる技術で作られた宝石箱をのせる。


「まぁ……っ!」


きらきらと光に反射して淡く虹色に光るその宝石箱に、トレニアの目が釘付けになる。


「燕国の工芸品だそうだ」


「ありがとうございます、お兄様! 宝物にします!」


興奮して頰を赤らめるその姿はまだ幼く、それ故に安堵する。

トレニアは齢十三。身体的な成長は身体が丈夫でないのもあって遅めだ。十才と言っても通用する程に成長が遅い。

人質であるトレニアの役目が終わる事は無い。生涯人質として生きる。余に子が出来たとしても、人質が増えるだけなのだ。


「アスラン様、トレニア様、お時間にございます」


トレニアの日々の暮らしを、いつものように聞いていると、侍従に終わりを告げられる。

あっという間だ。

兄妹であるのに、会う時間を制限される。

トレニア自身はいつか知るだろう。己が籠の中の鳥だと言う事を。叔母上が父を呪ったように、いずれ余を呪うのだろう。

それでも良い。余を呪う事で生きてくれるなら。




オーリーの上位貴族に塗り固められた側近達は、皆、従順なイリダの犬だ。

己が家族を人質に取られる事もなく、この上ない贅沢を享受するここでの生活から奴らは抜け出せない。抜け出す気もない。

奴らは常に余を監視する。余がおかしな事をせぬように。

オーリーの上位貴族である者達が、イリダに対して反旗を翻させない為に、王である余の監視をする。

イリダはそうして、オーリーの民同士が結束を固めさせない為にあの手この手を使い、関係性を壊すのだ。

随分な念の入れ様だが、クーデターを起こさせない為には有効だろうとは思う。

民が王を慕わぬように、余に関する悪辣な噂を流す事も忘れない。

余はここで、見世物のように飼われるだけの、名ばかりの王なのだ。

……それでも。余が我慢すれば、民の命は奪われずに済む。トレニアも生きていける。




肉体に恵まれているオーリーの民を、イリダが暗殺部隊として洗脳、育成している事は父より教えられていた。

直接会った事はなかった。話に聞くだけの存在だった。


影に初めてまみえた時の余はまだ幼く、漸く十六になった、血気盛んな小僧だった。

イリダの王族が戯れに飼っていた虎を、オーリーの民の住むエリアに放ったと聞き、我慢出来ずに止めに向かおうとした余を、影が止めたのだ。

影を引き剥がしてでも向かおうとした余を、容易く力で捩じ伏せて言った。


"王が行けば反逆と見做され、より多くの血が流れます"


イリダによる理不尽さを物心付いた時から目にしていた。

王と呼ばれながら、何も出来ぬ己の不甲斐なさに、胸が焼ける。

人前であるのも憚らず、泣いた。

己の無力さを、イリダを、オーリーの神を呪った。


それからと言うもの、影は毎日のように余の前に姿を現した。イリダの影でありながら、余の前に何故姿を現わすのだろうと思っていた。余に対する警告かも知らんと思っていた。

何も話すでも無く、影は余の前に現れた。

ひと月程経った頃、影は名乗った。


"俺はドレイク。第三部隊の長をしている"


"そうか"


"ひと月の間、ずっと見ていた。いや、それより前からずっと見ていたが、お前は俺達が聞かされていたのとは大分違うようだ"


余の事をこき下ろす噂が意図的に流されている事は知っていた。だから驚きもせず、そうか、とだけ返した。


ドレイクは余に、王としての矜持だとか、そんな事は一切言わなかった。

ただ、話をした。

色々話す内に、オーリーの民の実生活を知る度に、余の生活は自然と質素になっていった。

少しずつ手元に資産を貯め、それを定期的にドレイクに渡した。オーリーの民の生活の為に使って欲しかった。

元々華美な物は好まぬ質だったのもあり、それについて訝しがられる事はなかった。

ドレイクが、王の名で配るかと尋ねてきたが、断った。

もしイリダに知られれば、酷い目に遭うのは民だった。

余は嫌われたままで良い。ただ、少しでも民を助けたかった。焼け石に水程度にしかならぬ事は分かっていても、それでも何かしたかった。ただの自己満足だった。




*****




イリダの資源が危機的状況にあると教えてくれたのはドレイクだった。

エテメンアンキは最上階以外は壁面に面した位置でなければ太陽の光が入らない。その為に昼でも灯りを必要とした。油によるランプが灯せる範囲は狭く、常に燃え続ける為に熱を生み出し、においもあった。

イリダの動力源は木材による火力発電が主だった。いくら資源を大事に使ったとして、森などは一朝一夕で育つものではない。

確実に、着実に資源は減っていった。

イリダの大陸は、まだ毒が抜けきっていない。当然の事だ。毒を浄化する濾過機能を持つ自然は永きに渡る戦いで消費され、もはや見る影もない。


資源が枯渇するのに二十年もかからないだろうと、イリダの下級国民からなる研究者は言った。

王侯貴族は言った。それを何とかするのがそなた達の仕事であると。


イリダと交易をするト国と燕国から、マグダレナの大陸は緑豊かで大変美しい大地だと言う話を聞きつけ、研究者が燕国の協力を得て、マグダレナの大陸に渡った。


マグダレナの大陸には三つの国が存在した。

一つ目はディンブーラ皇国圏。いくつもの国が存在し、宗主国としてディンブーラ皇国がまとめ上げている。

二つ目は雷帝国。皇帝による専制君主制を取っており、それぞれの領地を皇帝が任命した貴族が治めている。

三つ目はギウス国。オーリーとイリダの混血の子孫がマグダレナの民から大地を奪って作り上げた国である。


研究者達は歓喜した。

マグダレナ大陸のあまりの資源の多さに。

この資源をイリダに売ってもらおうと研究者は考えたが、イリダの王侯貴族の答えは、それ程までに美しい大地なら、マグダレナから奪えば良いと。

奴らは世界はイリダの物だと信じて疑わない。

女神マグダレナは神イリダの妹なのだから、マグダレナもイリダの下に準ずるべきだとほざいた。


しかし、それは頓挫する。

マグダレナの大陸に渡った研究者達が揃って身体を壊し、研究を続けられない状況に陥った。

彼らは皆、身体の内側から毒に侵されていた。


イリダの王侯貴族にとって、我らオーリーも、下級国民も、道具であって人ではない。

研究者が何人死のうと構わず、マグダレナの調査は続いた。

調査を続けるうちに、ト国から入り込んだ者達は見つけられてしまうようになり、皆殺しにあった。

研究者では弱くて話にならぬのかも知らんと、オーリーから影を送り込んだが、全て殺された。

入手していた情報も全て消されているようだった。


我らはディンブーラ皇国に潜入する事を諦めた。資源はディンブーラ皇国の方が多くある為、出来れば皇国に入りたかったが、それは断念した。

燕国経由で雷帝国に入り込む事には成功したが、毒に侵される事だけは防げなかった。

無理をせず、少しでも多くの情報を入手する事、資源を持ち帰る事に専念した。


転換を迎えたのは、魔石の存在を知った時だった。

高額で売り買いされる魔石を手に入れた研究者が、帰りの船の中で魔石とは何なのかと燕国の人間に尋ねると、驚くべき事を聞かされた。

魔石とはマグダレナの大陸にのみ存在する石であり、動力源になり得るものなのだと。


持ち帰った魔石は、これまで我らが採取していた資源とは比べものにならないエネルギーを持っており、一つで木1本分の熱量を持ち得た。

研究者達は魔石に夢中になった。


燕国国主の次男は、イリダに持ちかけた。

必要であれば、燕国で魔石を用立てるので、それを買わないかと。

魔石が何なのか、どうすれば入手出来るのかが徹底的に調査されていった。


潜入した者が数ヶ月しか大陸に滞在出来ない為、調査は思うようには進まなかった。

大凡の事を知り得るのに二年が経過していた。

それから詳細部分に至るまでに更に五年の月日を要した。

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