028.女神の涙と甘いキスにキス

直ぐにギウスを離れるのかと思ったら、賠償に関する書類を調印するまではここにいるとの事だった。


廃れてしまった教会跡に、ルシアンに馬に乗せてもらってやって来た。

祈りを捧げに行くと言ったら、祖母が一緒に祈ると言って付いて来た。祖母は何処にいても祈りを欠かさなかったと言うから分かるんだけど、何故かセオラまで付いて来た。祖父も。


城から馬の脚で30分程走った頃、教会跡地に到着した。

ボロボロだ。


ルシアンに支えてもらいながら馬を降り、崩れて天井も無くなっている教会に足を踏み入れる。

壊れて、片腕を失った女神像が、佇んでいた。

胸には赤い宝石が嵌っていた。これが有るのと無いのとでは随分違うので、残っていて安心する。


祖母は女神像の前に立ち、私に横に立つよう促す。

隣に立つと、祖母は眩しいものを見るように目を細めた。


「こうして、レイと共に祈りを捧げられる日が来るなんて、思いもよらなかったわ。

ラルナダルトの歌は、私で途絶えると思っていたから」


そう言うと女神像に向き直り、手を合わせ、頭を垂れた。

私も同じように手を合わせ、頭を下げ、歌う前の祈りの言葉を祖母に続いて捧げる。


「"女神マグダレナよ、我らを作り給いし慈愛の女神よ。天地あめつちことわりを定めし尊き女神よ"」


「"女神マグダレナよ、我らを作り給いし慈愛の女神よ。天地あめつちことわりを定めし尊き女神よ"」


「"御身が与え給いし慈しみ、深き愛を、ここに御身を讃える歌にてお返し致します"」


「"御身が与え給いし慈しみ、深き愛を、ここに御身を讃える歌にてお返し致します"」


顔を上げ、感謝の歌を歌う。

祖母の少し低い声と、私の声。


魔素が喜びを表すように踊り、体内に入る。

身体の中で魔力になったものを歌と一緒に排出すると、女神像の宝石も復唱して、反響していき、大地に吸収されていく。


歌い終え、息を吐く。

泣き声が聞こえて、びっくりして声の主を探すと、セオラだった。

セオラは泣きながらその場に跪いていた。


「奇跡だわ……!」


教会周辺の緑が戻っていた。丈の高い植物は無いけれど、地面に草が生えている。

祖母も歌ったからだろうか? 前よりも凄い効果のような気がする。


「ニヒトから聞いてはいたけれど、凄いわ」


辺りを見回しながら、祖母は感心したように言った。


「そうだわ」


祖母は何かを思い出したらしく、雫の形をした七色の宝石を差し出した。


「レイの名を継いだのだから、貴女が持つのが相応しいものよ。女神マグダレナが、愛し子のアスペルラ姫に授けた女神の涙よ」


魔力を倍増させるという、女神の涙。

アンクもあるし、と受け取るのを躊躇っていた私の手に、祖母は強引に握らせた。


手の中にあって、光に当てている訳ではないのに、女神の涙はキラキラと自ら光を放っている。

人が作ったものではない、女神が愛し子に与えたもの。

いくら愛し子の子孫だからと言って、私が持っても良いんだろうか?


「アスペルラ姫は皇都を離れてしまったから、ラルナダルトの一族はアンクに増幅石を嵌める事が出来なくなってしまったの。それを補えるようにと、女神が与えて下さったものなのですよ」


私の心の迷いに気付いたのか、祖母が教えてくれた。


その理屈だと、私は既に皇宮図書館でアンクに増幅石を嵌めてもらってる訳で、更に女神の涙までいただいてしまうと、持ち過ぎな気がするけど?


「名を継いだ者が代々女神の涙を受け継ぎ、女神に祈りを捧げて来ました。兄が名を受け継いだけれど、当主としての仕事が忙しく、私が代わりに祈っていたのですよ。

……兄は長い眠りに就く前に、私に名を継がせました。その名は今、貴女にあります。

アンクもあるのでしょうが、女神の涙も持っておきなさい。いずれ、貴女の力になるでしょう」


「お祖母様は、何故私に"レイ"の名を下さったのですか? 兄も姉もおりましたのに」


祖母はうふふ、と笑った。


「ラルナダルトの血を一番強く引いているのは貴女だったし、贔屓はいけないと分かっていても、貴女が一番可愛かったものだから」


祖父も頷いている。

ルシアンも何故か頷いている。いや、君が頷くのはちょっとおかしくないか?


「私としては、あのままラルナダルトの歴史に幕を降ろすつもりでいたのだけれど、やっぱり、残したいと言う気持ちが消せなかったのでしょうね。貴女に継がせてしまったの。

私にとって大切な名が、可愛い孫の中で生きるのだと思ったら嬉しくて、ラルナダルトは私の中で消せないものだと分かったのですよ。

だから、幼い貴女を残してソルレと旅に出たのです。失われた女神との絆を取り戻したくて」


失われた女神との絆?


「"杖"を取り戻したかったのです」


あぁ、だから敵国のギウスに?


「ですがギウスの置かれたあまりの酷さに、私は"杖"を彼らから取り戻すのを諦めました」


セオラを見て祖母は頭を下げた。


「ごめんなさい、セオラ」


突然の祖母の謝罪に、セオラは何の事だか分からず、戸惑っている。


「何を謝るの? イリーナ」


「"杖"を取り戻せば、祈りの儀式が皇国で復活する。そうすれば貴女達ギウスの民は生きる為の糧を得られたのです。ですがそうすれば貴女達が帝国や皇国に攻める事は分かっていました。

だから敢えて、取り戻さなかった」


あまりの事にセオラが固まる。


「貴女の事は大切に思っていますが、私は皇国公家の人間。女神に仕える者です。守るべきはマグダレナの民なのです」


はっきりと言い切る祖母に、私も硬直する。


女神に仕える者。

責務として、苦渋の決断を下す事に、祖母は躊躇わない。


「……でも、見捨てる事も出来なくて、歌っていました」


そう言って苦笑する祖母。

セオラの目から涙が溢れ落ち、首を横に振った。


「違う……私こそ、イリーナのその力を手放したくなくて、城に閉じ込めたのだもの」


「私を憎んで良いのよ、セオラ。貴女が悪い訳でも無力なのでもないの」


泣いて首を横に降るセオラの肩を、祖母が優しく撫でる。反対側の肩に、祖父が手を置く。


「ギウスは民の命と引き換えに、帝国や皇国の下に位置する事になるでしょう。ですがこの大陸で生きていくのならば、皇国の下に付いた方が良いのです。そうしなければ、生きていけない」


ギウスの民は魔力の器を持たない。

彼等は大地に魔力を注ぐ術が無い。


「帝国と皇国公家が裁定を下すなら、ギウスは滅びるでしょうが、アルト公がいらっしゃるのであれば、そこまで酷い事にはならないでしょう」


セオラが縋るような目でルシアンを見る。

祖母は頷く。


「アルト家は怒らせてはいけない家だけれど、世界の均衡を崩すような愚かな真似をするような家ではありません。戦争を仕掛けた者として、贖わねばならぬものはあるでしょうが、それを弁えれば道理の通らぬ事はしないでしょう」


……牽制、かな。


私の記憶の中の祖母は優しい人だった。いや、今も優しいんだと思うんだけど。

凄いね。こうやって牽制かけちゃうんだね。さすが公爵家出身、と言うか皇女が母親なんだもんね。


「……イリダ戦への参加が義務付けられると思います」


イリダ戦──。

ギウスにあるものは民の命だけだから……?


ルシアンを見ると、髪を撫でられた。


「何故イリダが?」


珍しく祖父が喋った。シドニア公に負けず劣らず、祖父もあまり喋らない。


「端的に申し上げれば、この大陸を征服する為です」




教会からギウス城に戻った私は、充てがわれた部屋の窓からギウスという国を見下ろしていた。


アレクサンドリアから運び込まれた大量の野菜は、ギウスの民達の胃袋にあっという間に消えたと言う。


それにしても、この国は平地が多いな。


「何を見ているんですか?」


後ろから抱き締められる。温かい。

顳顬と頰にキスされる。


「この国は平地が多いですね」


「古ディンブーラの穀倉地帯と呼ばれていた場所です。騎馬が主のギウスにとっても、良い土地でしょうね」


なるほど。


「ギウスによる侵略戦争が始まり、帝国も皇国も蹂躙されました。

彼等は多民族を生かすと言う考えがありませんでしたから、搾取されるのみのマグダレナの民も、オーリーの民も、自然と数を減らしていきました」


教会も、打ち捨てられていたもんなぁ……。


「その上、カーライルは攻め込まれていますからね、イルレアナ様があのように判断されてもおかしくない、好戦的な国民性です」


教会でのやりとりが思い出される。


祖母の、ギウスを助ければマグダレナが犠牲になる。それを防ぐ為に放置したと言う言葉。

祈りだけでなく、命の選別は誰かによって行われている。


「……大丈夫ですか?」


ルシアンは全部お見通しだ。


「……ずっと、決められないでいました。ようやく、覚悟を決めた所だったのです」


私を抱き締める腕に力が入る。


「私は本当に、愚かですね。私ばかり選択を強いられているいるのだと思っていたり……そんな事ないのに。

祖母まで、別の形で選択をしていたなんて知りませんでした」


「愚かではありません。それは貴女の優しさです。

貴女はいつもそうです。爵位に関係なく、身分に関係なく、相手に向き合って来た。

だからこそ、貴女は屋敷の者達にも愛されているし、皇都の民にも愛されています」


慌てて首を横に振る。


「そんな大層な事はしておりませんわ」


優しくはないと思うんだけどな。貴族らしくない自覚はあるけど。


耳にキスされる。


「私としては、その優しさを独り占めしたい」


ドキッとする。


釣った魚に餌をやらない日本人男性、とかよく聞いたけど、ルシアンは溺れる程に餌をやるタイプですね。それで溺れかけている所を捕獲する、って言う荒技の持ち主だと思うんですよ。

……え? 誰が溺れるかって? 私ですね、えぇ。


「……ルシアンが今日も甘いです」


でもルシアンのこの甘い言葉が、嬉しくて、幸せで、何て言うの、もう普通の身体に戻れない……。

……我ながらちょっとあかん表現だった、うん。


「そうでしょう?」


ふふ、と笑う声が耳元で聞こえる。


「貴女が何処にも行かないように、心を繋ぎ止めておきたい」


顔が熱くなる。


「何処にも行きませんわ」


ルシアンを置いて何処に行くって言うんだ。


「約束して下さい、私を置いて何処にも行かないと」


「行きませんわ」


私自身が、ルシアンから離れる事なんてあり得ない。離れたって精々、同じ屋敷内の部屋が良い所だ。

離れる気なんて無いし、離れたく無い。


「……安心させて?」


?!

声が激甘になったぞ?!


「安心?」


振り返るようにして顔を見ると、少し意地悪な顔をしている。鬼畜スイッチがオンされているぞよ。

何故! 私は今日、何も抵抗してないぞ?!


「ミチルを甘やかすのは堪らなく好きですが、ミチルに甘やかされてみたいなと思って。心が満たされて、安心出来ると思うのです。だから、甘やかされて、溶けてみたい」


私が!

ルシアンを!

甘やかす?!

しかも溶かす?!

いかにして?!


ちょっ、グーグ●先生! 恋人? 違うな、旦那さんを甘やかすって何すれば良いんですか?!


「そっ、それは、どうすれば良いのですか…?」


「キスして?」


お、押忍!

とりあえず、本人の望みを叶えるのが、一番だよね?!


顔だけじゃなく、身体もルシアンに向き合って、キスをする。


「もっと」


ルシアンの破廉恥ギアがトップまで入っちゃってますよ!


キスをする。


「もっとして、ミチル」


あああああああ、ルシアンが溶ける前に私が溶けるー!!


うっとりした目を向けて来る。

イケメンのうっとり顔って、ヤバイ! 視覚の暴力だと思うよ……!!


思わずため息が出てしまう。

ルシアンは、いつもどストレートだ。


自分の気持ちが伝わって欲しいから、オブラートに包まないんだとかそんな感じの事を言っていたような。


気持ち。

私のルシアンへの気持ち。


好きは言って来たけど、多分多くはない。

態度にだって、あまり出してないし。

ルシアンが沢山言葉をくれるし、態度に表してくれるから、それを受け入れてばかりで、満足してしまって、自発的なものは圧倒的に少ない。

しばらく会えなかった後のバーサクぐらいで……。


求められて、愛されている実感で、私は幸せだけど、ルシアンからしたら、自分からばっかりで、気持ちが一方通行なのではと不安になる気持ちも分かる。


ルシアンの顔をまじまじと見つめる。真剣に見つめ返されて、ちょっと怯む。

手のひらで頰を撫でると、眩しそうに目を細める。その表情に胸がぎゅっとする。

もう片方の頰も手で包んで、キスをする。


目を開けると、蕩けそうになっているルシアンと目が合う。甘くて美味しそうな、蜂蜜のような色。


「ミチル」


ルシアンの唇がまぶたに触れた。目が溶けるー。


甘やかされたいんじゃなかったっけ? ……なんて意地悪は言わないよ。


唇が重なる。

ルシアンのキスは甘い。いつも甘い。唇になんか甘いもの塗ってるんじゃないかと疑った程。


唇が離れた後、はむ、とルシアンの唇を甘噛みしてみる。

ふ、とルシアンは笑うと、腰に腕を回してきた。


「駄目ですね」


「?」


「ミチルに食べられたいと思うのに、ミチルが欲しいと言う欲求が、抑えきれない」


この肉食男子めっ!


そっと、ルシアンの耳元に顔を寄せる。


「……抑えないで下さいませ」


素直に言おうではありませんか。敢えて言おうではありませんか。

今、無性に、ルシアンに食べられたい。食べたい欲求はバーサク時に出ますが、今は逆ですね。

自らは食べに行かないけど、食べられたい。完全受け身ですが心はバッチコイ状態です。いえ、言い過ぎました。あまりガンガン来られると困ります。ソフトぐいぐいでお願いします。


ふふふっ、と笑う声と同時に抱き締められる腕に力がこもる。


「言葉にするのが苦手なミチルが」


不意に身体を壁に押し付けられる。

おお、壁ドン。

俺様ルシアン降臨か?!


唇を強く押し付けられる。


「初めて言ってくれた」


前に食べてって言った事あるけど、あれ、言い間違いだもんね。ルシアンはそう言うのカウントしてくれないからね。


「……頑張りました……」


顔が熱いよ。

ルシアンの蕩けた笑みは継続中である。


「可愛い」


顔のあちこちに落とされるキスに、溶けそうになる。

ぎゅっとルシアンに抱き付いた。


「ルシアン……好き……大好き……」


噛み付くようなキスに、胸が締め付けられる。


「愛してます、ミチル」


甘いキス。

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