もう一つの"名"<ゼファス視点>
読み終えた手紙は破いて捨てた。
「アルト公からのお手紙ですか?」
ミルヒが尋いてきた。
「……何処までがリオンの思い通りなのだろうかと、考えると腹が立つ」
はは、と笑うと、ミルヒは全てではないでしょうか?と答えた。
「全て?」
「あのお方が道筋を一つしか考えていないなど、あり得ないではありませんか。常に三つも四つも、いえ、もっとかも知れませんが、罠を張り巡らせているお方だとおっしゃっていたのはゼファス様です」
この男は、いつもぼんやりしているようで、たまに核心を突く。
「……そうだな」
塩バターキャラメルを口に入れる。
褒美にミルヒにも一つ渡す。甘いものが好きなミルヒは笑顔で礼を言った。
私がミチルを可愛がっている事すら、リオンからすれば、シナリオ通りの可能性が高い。
だからと言って、ミチルを遠去ける気は無い。
あの不思議な娘は、するりと人の中に入り込んで来る。
媚びもしない。
誰に対しても、真っ直ぐに触れてくる。
かと言って貴族らしからぬ、というのでもない。
転生者としての知識は素晴らしいが、過去の転生者に比べれば小振りな知識と言える。
ミチル自身では達成出来ないものが殆どで、だからこそこの世界の人間としては良い。
強過ぎる力は依存を生み、成長を遅らせる。甘えから考える事を止めてしまう。
ミチルの対極、とまではいかないが、知識、力、実現力の全てを持っていたのが、八代目女皇イルレアナ・フセ・ディンブーラだ。
彼女も転生者だった。
人よりも多くの魔力を持ち、祈りを安定させ、新たな仕組みを作り上げた。
魔力を増幅させる宝石の精製方法を生み出し、各地に教会を建て、宝石が埋め込まれた女神マグダレナの像を配した。女神像が皇家と公家による祈りを受け止め、増幅させるように。
神器を作り出し、皇族と公家への復権に成功した。
偉大なる女皇──。
祈りを安定的に捧げられない状況の皇家と公家を侮る者達が現れ始めた頃、イルレアナは八代目女皇として即位した。
偉大と名高い女皇のスタートは、お世辞にも盤石とは言えなかった。
自分も皇族であると名乗る不届き者も溢れ、自分の方が女皇に相応しいとのたまう者もいた。
イルレアナが暗殺されそうになった事も、一度や二度では無い。
血を守る為にと多く生み出された皇家の血を、逆に絞り込む必要が出てきたし、イルレアナは自分が女皇として最も相応しいと思わせる必要があった。
その為に、血筋を曽祖父母まで遡り、皇家の者がいる場合は皇族として認定され、その証としてアンクが渡されるようにした。
例え皇家の血を引いていても、遠過ぎては意味がないと明確に線引きした。血の濃さは祈りの儀式において重要である。引いていれば良いと言う訳ではない。
皇族を選定しただけでは反発を生むだけである。
イルレアナは、正統性を示す必要があった。
その為にも、祈りを完璧な物にしなければならない。
編み出されたのは、魔力を増幅させる宝石。
誰もが持ってしまっては意味がない。それを持つのは、皇帝に即位した者と、公家の当主のみ。
その選別を何処にするか。
女皇は、
イルレアナは、"名"を与える事にした。女神から賜ったという体にして、皇帝となる者と、公家を継ぐ者のみに与えられる"名"。
"名"を
魔力を一時的に増幅させる事には成功したが、これは身体に負担を強いた。魔力を体外に持つ事は不可能である。増えた魔力は体内に一時的とは言え保持しなくてはならない。増幅させ過ぎた事により、命を落とす者も現れた。
これでは本末転倒である。
倍程度の増幅が、負担が無いという結論に達した。
"アンク"だけでは駄目なのだと考えたイルレアナは、身体に負担をかけずに魔力を増幅させる手法を考え始めた。
生み出されたのは、魔力を吸収して増幅させる物──"天秤"だった。
本来の天秤とは違う動きをする"天秤"によって、魔力は数倍に増幅される。"天秤"により倍増された魔力に"杖"が共振し、放出する。
これにより、魔力そのものは大陸全土に及んだが、魔力量までは増やせない。
それを補う為、"天秤"と同じように魔力を増幅する宝石──増幅石──を製造した。
女神マグダレナを身近に感じられるようにと、各地に教会を建立し、赤い宝石──増幅石──を胸に懐く女神像を配置した。
皇家と公家の祈りが教会に届き、女神像の増幅石により倍増され、魔力は大地に吸収されていく。
大陸各地に教会が建立された時には、即位から十年の月日が経過していた。
即位十年の記念式典で、女皇イルレアナは、公家の力を借りず、単独でもって祈りを完遂した。
反イルレアナ派は活動の自粛を余儀なくされた。これ以上動けば自分達の立場が危うくなると考えて。
イルレアナは苛烈な性格だった。
自らに敵対した者達を決して許す事なく、粛清した。
イルレアナは、最後に一つの"名"を追加する。
オットーはイルレアナから"番人"としての役割を与えられていた。
従来、公家に与えられる"名"は一つだけだが、オットー家はもう一つ持つ。
「ミルヒ、皇宮図書館に行く支度を」
「かしこまりました」
ミルヒは部屋を出て行った。
リオンが企てた謀はもうじき達成される。
女神が己が民を守る為に作ったもう一つの祈り。
八代目女皇が作った、祈りを大陸全土に渡らせる為の装置。
この二つを組み合わせる事で、マグダレナ以外の民はこの大陸から完全に排除される。
それは多くの民の命を奪う事になる。
アレは、その優しさ故に最後の決断を渋る可能性がある。
でもこの計画だけは完遂しなくてはならない。
リオンとルシアンが、イリダを完全に排除出来る術を見つけ出せない限り、祈りによる排除は覆せない。
イリダの文明レベルは我らマグダレナの比では無い。
二人とてそれは分かっている。その上で祈りを使わずに、暫定的にでも排除出来る術があれば、延命出来る可能性がある。
だが、それは叶うまい。
扉の向こうから、ミルヒが声を掛けてきた。
「ゼファス様、馬車の準備が整いました」
「今行く」
アレは決断しなくて良い。
苦しむ必要はない。その為にもルシアンに名を継がせようとしたのに。
いつものように、笑っていればいいのだ。
その決断で、例え私が遠去けられたとしても。
それでも良い。
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