023.少しずつ
皇帝の言葉で、私の迷いの全てが晴れた訳ではないけど、少しだけ、救われた。
悩んでるのも、苦しんでるのも、私だけじゃないって事が分かったのは大きかった。むしろ自分だけ迷って苦しんでると思ってた自分が恥ずかしい。本当に申し訳ない。
お義父様もルシアンも、祈りで全てを消すのが正解だとは思ってないんだから。
「ごめんなさい、ルシアン」
「何故謝るの?」
「何でもないの」
優しく微笑んで、おでこにキスをしてくれた。
きっと私の考えていた事なんてお見通しだと思う。
その時は来てしまうかも知れないけど、来ないかも知れない。
皆がこんなに色々やってくれてるのに、私と来たら、何処までもポンコツだ。
「ミチル、気が乗らないかも知れませんが、以前聴かせてくれた歌を、歌ってくれませんか」
私の歌で良いのなら、いくらでも歌うよ、ルシアンの為に。
「勿論ですわ」
マグダレナ様、お願いです。
この大陸で生まれ育った皆を、一緒に生きてきたト国や燕国の人達を、どうか、お助け下さい。
私の大好きな人達を助けて下さい。
お願いです、女神様。
歌い終えた私を抱き締めてから、ルシアンは部屋を出て行った。
あるかどうかも分からない答えを探しに行ったのだ。
たまに心の持っていき場所がなくて、何も手につかなくなる時がある。
今がちょうどそんな感じだった。
「奥様、お茶とお菓子をお持ちしました」
エマだった。
食欲が激減した私の元に、日に何度もお菓子やら軽食が運ばれてくる。
ワゴンにのったお茶とおにぎりがテーブルに置かれた。
エマが作ってくれたのだろうか。
俵型に握られたおにぎりが何個ものっている。
「お願いして私も握らせていただきました」
おにぎりの握り方を教えたのは私だった。
前世の記憶を思い出して、和食を食べたがった私の為に、エマは覚えてくれた。
料理長も覚えてくれた。今では創作和食も作れるらしい。
エマは私の前で跪くと、私を見上げた。
「この前、聞いてしまったんです」
ぎくっとした。
この屋敷にいるのだ、祈りの事を聞いてしまう可能性は高い。
「その所為でお嬢様が、苦しんでらっしゃる事も」
あぁ、やっぱり。
心が萎んでいくのが分かる。
「私は頭が悪いので、気の利いた事は言えません。聞いても分からない事ばかりです。
そんな私でも分かる事は、お嬢様の所為ではないと言う事です」
失礼しますと言って、エマは私の手を握った。
温かい。
「あれだけ頭の良い当主様がそれしか無いとおっしゃると言う事は、それだけ大変な状況なのだと言う事は分かります」
何て言葉を返していいのか分からない。
「ギウス国やイリダの民との戦争で命を落としても不思議はないんです。捕まったら私達女は兵の慰みものにされる可能性が高いと聞きました。魔石も生み出せない私達は、生かしておく価値はないと見做されると思います。
祈りの事がなくとも、私達は命を失う事があると言う事です、お嬢様。
それがいつなのかは、人によるだけです」
それはそうだけど。
味方だと思っていた人達に命を奪われるのとは、違う。
「戦争では、攻め込まれた側の女子供が、酷い仕打ちに合う前に自決すると聞きました。
祈りは、それなのだと思います。敵に殺されるより、味方に命を奪われた方がマシです。恐ろしい目に遭って殺される事を考えたら、天と地程の差があります。
だって、その事をこんなにも苦しんで下さっているではありませんか。私達平民の命を、心から惜しんで下さっているお嬢様達に奪われるなら、どれだけ救われるか」
涙が溢れる。
「ですからお嬢様、どうか最後の時までお側にいさせて下さい」
私が記憶を取り戻す前から、ずっとずっと側にいてくれたエマ。
一緒にお茶を飲んで、和食を教えて。淑女らしく無いと叱られた事もあった。
ルシアンとの恋を応援してくれたエマ。
「……エマ……!」
エマに抱き付いた。いきなり抱き付かれて戸惑っていたけど、エマも私を抱き締めてくれた。
ありがとうエマ。
確かに私が祈りの仕組みを作った訳ではない。でも、選択肢が私にはある。祈らないと言う選択肢がある。
私を、許してくれてありがとう。
将軍を失い、主戦場がギウスに移ったとは言っても、それで戦争が楽になる訳ではなかった。
場所があちらのホームになると言う事は、地の利が向こうにあると言う事だから。
こちら側の指揮は、帝国軍の将軍が取っていた。
お義父様はイリダの事に専念していた。何度も何度も、私がいた世界の兵器の話を聞かれた。
現代の武器を教えるなんて、とんでもない事だとは思う。とは言っても大したものは知らないんだけど。
それでも、こっちに無い、明らかに文明の流れを無視したものを伝えるのだ。良い事の筈はない。
身を守る為に仕方なかったと正当化する気はない。でも、間違っているとも思わない。
ギウスとの戦争は春に始まり、梅雨に入り、夏に突入しようとしていた。
主戦場が変わってから二ヶ月が経過していた。
戦争の指揮を執る人が変わった事が大きかったようで、当初の予定より長引いている理由だった。
「どうやら族長が交代していたようでね。新族長はどうしてどうして、なかなかの戦上手なようだよ。
さすがギウスと言った所かな」
いつものように笑顔を浮かべたまま、お義父様は言った。
「陛下とクーデンホーフ、シドニア、オットー、エヴァンズがこちらに向かっているそうだ」
クーデンホーフ公は口調が体言止めで、武人みたいな印象があるから、分かる。
シドニア公は見た目がドワーフみたいな感じで、ハンマーとかお好きですよね? って聞きたくなる容姿で、強そう。
シミオン様は守護者だからね、ご本人はさておいても、暗躍しそうと言うか。
ちらりとオリヴィエを見ると、視線に気付いたらしく、苦笑された。
「父の事でしたら心配ありません。あぁ見えて、かなりの剣の使い手なのですよ。若かりし頃はクーデンホーフ公に剣を教授するぐらいの腕前であったのです」
クーデンホーフ公、めっちゃ強そうだよ?隙ナシって感じで。身体なんて服の上からでも分かるぐらいにマッチョで、騎士ですって言われた方がしっくり来るのに。
そんなクーデンホーフ公に、あのぽっちゃりで、笑うと目がなくなるようなエヴァンズ公が剣を伝授?
そう言えば、オリヴィエって剣を誰に習ったんだろう?
……人って、見た目じゃないんだね……。
そう言えば、ルシアンは父と兄は何でも一番だって言ってたけど、お義父様って強いの?
私の脳内イメージは、睨むだけで人なんて瞬殺しそうなんだけど。
じっとお義父様を見る。お義父様が笑う。
「熱い視線を向けていただけるのは光栄だけどね、私は戦場には行かないよ。私は軍師だからね」
前線に立つよりは諸葛亮孔明タイプだとは思うけど、軍師って言うより魔王だよね?
「軍師なのは、主人が前線に立つと大変な事になるからです」
珍しくベネフィスが言った。
大変なコトってナニ?
「こらこら、余計な事をミチルに言わなくて良いよ。
優しいお義父様と認識されてるんだからね。そのイメージを壊さないで欲しいなぁ」
……いや、優しいと思った事はありませんけど?
ちらりとベネフィスを見る。
お義父様もベネフィスを見る。
ベネフィスは目を閉じた。こう言う所ロイエそっくりだ。いや、ロイエがベネフィスに似たのか。
「陛下達がここに至るまで、二週間はかかるだろうね。
さすがにそれまでには戦況は好転していると信じよう」
意外や意外と言うべきなのか、二週間経っても状況は好転しなかった。
ギウス軍は、奇襲をしかけて来る事が多かった。機動力を存分に活かした戦術に、帝国軍は翻弄された。
簡単に言えば相性が悪かった。
大軍であるが故に動きが鈍い帝国軍に、少数精鋭で機動力を駆使したギウス軍。
多勢のメリットを活かさなければいけないのに、そうしようとすれば陣を崩されると言う有り様だと言うから、敵もやるもの、と言った所である。
アレクシア様達が帝国領の南端の街に到着するのに合わせて、私達も帝都から移動した。
私自身は非戦闘員だけど、お義父様達と一緒にいた方が安心なので、付いて来た。ルシアンから離れたくなかったと言うのも大きい。邪魔だろうけど。
……そう言えば、皇国の女皇と帝国の皇帝が直接会うのって、結構凄い事なんではないかな。
和平条約こそ結んでいるものの、関係は良好と呼べるものではないのだし。
「アレクシア陛下、お越しにございます」
既に領主の館で待っていた皇帝は、今回の為に特別に誂えた二つある簡易玉座の片方に座っていた。
扉が開き、エヴァンズ公にエスコートされたアレクシア様が食堂にやって来た。後ろにはクーデンホーフ公。
エヴァンズ公はニコニコしているけど、クーデンホーフ公は眼からビーム出せそうな程鋭い眼光で皇帝を見ている。
その威圧に、皇帝の近衛隊も神経を尖らせるのが分かる。
皇帝が立ち上がり、段から降りるとアレクシア様に手を差し出した。
「ようこそ、帝国へ」
予想もしなかったのだろう、戸惑うアレクシア様は、エヴァンズ公を見た。エヴァンズ公は変わらずにニコニコしたまま頷いた。
……以前のアレクシア様なら、あんな風に戸惑った様子なんて見せなかったように思う。相手が自分と同じ皇帝だから、接し方に戸惑っているのだろうか?
「初めてお目にかかりますわ、皇帝陛下」
皇帝に手を引かれて、アレクシア様は片方の玉座に腰掛けた。皇帝も着席する。
お義父様は何処にいるんだろう?
呼び出した張本人が不在とか。
隣に立つルシアンに視線を送ると、首を横に振られた。
知らないらしい。
皇帝はアレクシア様の緊張を解そうと、当たり障りの無い話を振るんだけど、アレクシア様の返事は素っ気ない。
これは流石に、帝国皇帝に対して無礼に当たる。
クーデンホーフ公もアレクシア様のそんな態度に、何とも言えない視線を向ける。皇帝の近衛達も、アレクシア様に対して無遠慮に視線を向けている。
あぁ、良くないな、と思っていたら扉が開き、お義父様が入って来た。
「おや? 話が盛り上がっているかと思って来てみれば、随分な雰囲気だね?」
直球でそれを言えるのって、お義父様とゼファス様ぐらいだよね……。
「いつもなら他愛ない話をするのだけどね、戦況は芳しくない。本題に入らせてもらうよ」
帝国の将軍であるソコロフにお義父様が視線を向けると、大男の将軍の顔色が悪くなる。
「ギウスの特性は伝えてあったし、かつてギウスに大敗を喫した帝国が、その対策を取っていないように見えるのだが……何か別の意図があっての事かな? ソコロフ将軍?」
「いや……」
目が泳ぎ始めた。
脳筋タイプに見えるし、考えてなかったんじゃないかな。
しかも前半戦の帝国内での戦闘はずっと帝国に有利に進んでいたし。
「陛下、次から軍の指揮を私に預けていただけるかな?」
「それは……!」
将軍が食い下がろうと声を上げる。
「先程の私の質問に答えていただいて、それが納得の行く内容ならばね、私もこんな分を弁えない事は言わないのだけどね?」
何も言い返せないと言う事は、策はあっても自信がないか、策そのものがないか。
「将軍。自分の策でどれだけの兵士が命を落としたのか、貴方は正確に把握しているかな?」
「……500ぐらいだったかと認識している」
「3200だよ、将軍」
即座にお義父様が切り捨てた。
全然数字が違う。
「兵士の数を正確に把握せずに策を練れるとは、将軍は大変優秀なのだね」
将軍はもう何も言えなくなっていて、青い顔をして俯いた。その様子に皇帝がため息を吐いた。
「ソコロフが甘い見立てで、まともに策を講じていなかった事に関しては、後日罰を与える事とする。
アルト公、帝国軍と皇国軍の総指揮をするだけの策がそなたにはあるのか?」
「次の戦いは帝国軍だけで十分だね。策の内容はこの場で話す気はないが、間違いなく勝つとは言っておこうかな」
ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。帝国の近衛兵達がお義父様を緊張した面持ちで見つめる。
「敗けるつもりで戦争に臨む者はいないだろう?」
そう言ってお義父様は笑った。
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