試練<ルシアン視点>

歌い終えて少しして、ミチルの顔色が悪い事に気が付いた。


「ミチル、大丈夫ですか?」


そう尋ねると、素直に気持ち悪いと言う。

少しの事なら我慢してしまう彼女が、不調を口にするのは珍しい事だ。


エマとアウローラを別の馬車に移し、ミチルを抱えて馬車に乗り込む。

見る間に顔色を失っていくミチルに、落ち着かない気持ちになる。


水を飲むかと尋ねると、小さく首を横に振る。


「どんな状態ですか? 胸がムカムカする? 胃もたれのような感じですか?」


焦点が合わなくなっているのか、視線が彷徨い始める。


「いえ……身体の中全部が……回っているみたいな……」


そこまで言うと、ミチルは意識を失った。


振動が伝わり難いとは言っても、悪路を通れば大きく揺れる。ミチルの眠りを妨げないようにと注意しながら、眠る顔を見つめる。

冷や汗が浮かび、苦しそうな表情を浮かべている。

変わってあげたい。いつだってそう思うのに、その願いは叶わない。


顔色の悪いミチルを見ている内に、昔の事が思い出されてくる。


キャロルとかいった女生徒に襲われ、床に横たわるミチルを見た時、全身の血液が一気に抜き取られたのではないかと思った。

手加減もせず、相手が女性である事も関係なく、蹴りを叩き込んだ。殺すつもりだった。

背後で王太子妃──モニカ嬢の叫び声がしなければ、本当に殺していたと思う。

真っ白い顔をしたミチルは、絶命しているのではないかと思う程だった。


王立病院に付き添い、外傷は無いと説明を受けたが、何をかけられたのかが判明しない事には不安は拭えない。

下手な医師よりもベネフィスやロイエの方が役に立つと父が言い、強引にアルト邸にミチルを引き取った。

ミチルにかけられたのはただの水である事は直ぐに判明した。だが、ミチルが目を覚まさない。

側から離れたら死んでしまうのではないか、離れてる間に目を覚ますのではないか、相反する気持ちが鬩ぎ合った。

ミチルの側から離れようとしない俺に、父は呆れていた。


3日後にミチルが目覚めた時の、あの喜びは言葉では言い尽くせない。神など信じた事は無かったのに、あの時ばかりは神に感謝した。


心の深い傷を抉られたミチルは、その所為で声を失っていた。

ハラハラと溢れ落ちる涙が痛々しく、己の不甲斐なさが腹立たしかった。

安心させたくて、震えが止まるまで抱きしめた。

腕の中で呼吸するミチルに、安堵した。布越しに伝わる体温に、彼女が生きてる事を感じた。

全ての事から守る為に、このまま閉じ込めてしまいたい。

仄暗い欲望が胸の奥底で膨らんでいく。

欲求のままに愛を囁いた俺に、ミチルは言った。


"私も……ルシアンが……好き……"


声が失われていたのは一時的だったのだろう。

出ると思わなかった己の声に、ミチルは赤面させて狼狽えていた。

お願いだから、もう一度聞かせて欲しい。


この世の誰より愛しい人。俺の最愛。

愛せるだけで幸せだったのに。

俺の心にある、常に干上がった部分が訴えてくる。

ミチルに愛されたいと。


「……う……」


ミチルが身動みじろぎした。


「ミチル?」


声が届いたのか、うっすらと目が開かれた。それと同時に目尻から涙が溢れた。


「ルシアン……」


溢れ落ちた涙を指で拭い去る。


「大丈夫ですか? 怖い夢でも見ましたか?」


ぼんやりとした様子で私を見る。

まだ、夢と現実の狭間にいるのだろう。


「ルシアン……」


安心させたくて、頰を出来る限り優しく撫でる。


「ここにいます」


その後のミチルの言葉に、心臓を鷲掴みされたような痛みを感じた。


「私を……捨てないで……」


一体どんな夢を見たと言うのか。

前世なのか、ミチルとして生まれてからの記憶なのか、作り出された悪夢の所為なのか。


ミチルの身体を少し起こし、ミチルの頭を抱きしめる。


「あり得ない。絶対にあり得ません。私が貴女を捨てるなんて、絶対に」


俺の気持ちを信じて欲しい。

伝わって欲しい。


「捨てないで……」


もう一度呟き、ミチルは眠りに落ちた。




カーライルの屋敷に着くなり、ミチルを寝台に寝かせた。

顔色はいくらか良くなって来ている。

口に僅かな水を含ませれば、喉をゆっくりと通っていった。

頰に触れ、刺激を与えても目覚めない。

ミチルの身に何が起きたのか。それすら分からない自分にどうしようもなく苛立つ。


焦っても仕方ありません、と言いながら、ロイエは寝室に簡易的な机を用意し、ミチルの側にいられるよう環境を整えていく。


ミチルの側で執務を行うのは、酷く集中力を要するものだったが、少しでも気を他に向けなければ、俺の心が持たないからと、強引に書類を渡された。

アルト領の報告書を読んでも、ノウランドからの報告書を読んでも、ミチルが気になってしまう。

彼女が目覚めた時、少しでも側にいられるように、片付けられるものは片付けておかなければならないのに。


こちらに着いた二日後に、レーゲンハイム翁はやって来た。

聞けば、歌い終えてミチルが不調を訴えた為、"魔力酔い"の可能性を感じたアウローラが、直ぐに祖父であるレーゲンハイム翁に手紙を送ったとの事。

それを受け、指示を与えるだけ与え、急ぎ駆けつけてくれた。


「ルシアン様、殿下の身に起きているのは、"魔力酔い"と呼ばれるものです」


初めて聞く言葉だ。


「魔道の技が三つから成る事はご存知ですかな?」


「生成、変成、錬成の三つを総じて魔道術と呼ぶと聞いている」


左様、と答えて翁は頷いた。


「ご存知でしょうが、念の為に説明申し上げる。

生成は体内の魔力を放出して魔石とする技。

変成は物質を体内に取り込み、分解し、新たな物質に変質させる技。これは体内に不純物も取り込む事になりますから、乱用は控えるべき技。

錬成は大気中の魔素を体内に取り込み、魔力へと練り上げる技であり、錬成時には体内の魔力が倍増し、巡ります。

この際に体内の不純物は浄化されますが、この技は大変難しく、会得が困難とされています」


大気中の魔素を感じ取らねば、体内に取り込む事すら出来ない。


「アスペルラ様が御身の特異性に気が付いたのは偶然であったそうです。

普通の歌では何も起きず、女神へ捧げようと歌うと、身の内に魔力が膨れ上がる事に。

錬成術を行う事が出来たアスペルラ様は、女神への捧歌により身の内の起こった事が錬成術と同じであると気付かれ、周囲にも伝授したそうですが、効果があったのは御身だけだったと。

後に、血を引く御子の歌にも同じ効果があると知ったアスペルラ様は、ラルナダルト家の血を守る事を決定なさいました」


納得して頷く。


「錬成術を行うと、魔力が活性化されて体内を巡る速度が上がり、それにより酔ったような症状を引き起こします。これが魔力酔いです。

殿下は魔力を増幅させると思われる宝石を身に付けてらっしゃったとの事ですから、通常想定される倍の量の魔力が体内を駆け巡ったものと思われます。

魔力酔いは人によって程度は異なりますが、長くても1〜2日。殿下は増幅させる宝石を身に付けてらっしゃいましたから、2〜4日はかかるかと」


「魔力酔いは何度も起きるのか?」


レーゲンハイム翁は首を横に振った。


「少なくとも、女神の涙を所持したイルレアナ様が、初回以降に魔力酔いを起こした記憶はありません」


「理解した」


だが、予想に反してミチルは4日経っても目覚めなかった。

不意に、ミチルには魔力の器が二つある事を思い出した。

二つある魔力の器の魔力が、宝石の効果で純粋に倍になったのであれば、魔力酔いに回復する期間も単純に倍となり、7〜8日要すると言う事だ。

……そうであって欲しい。このまま、目覚めないなどと言う事になったら、あの時歌う事を願った自分をどう罰すれば良いのか分からない。




「ミチルが魔力酔いで寝込んでいるんだってね?」


突然屋敷を訪れた父をサロンに通す。

挨拶もそこそこにそう言われる。

あいも変わらず、全て見知っているようで、苛立つ。


「気にする事はない。公家を継ぐ者の通過儀礼だ」


そう言って紅茶の香りを楽しむ。


「父上、魔素と言うのは他の大陸にもあるものですか?」


「ないね」


もう少しで掴めそうな気がする。


「ミチルが回復したら、レーゲンハイムの者達が祈りを捧げさせようとするだろうから、好きにさせなさい」


ミチルは普通と違う。魔力の器を二つ持つ。

これまでとは違う筈だ。再び歌わせた場合、また魔力酔いを起こす可能性はゼロでは無い。


「魔力酔いと言うのはね、本来正しい呼称ではないのだよ、ルシアン」


ベネフィスに向けてカップを持ち上げる。ベネフィスはカップを受け取り、速やかに紅茶を注いで父の前に置いた。


「アレは軌道の構築だ」


「軌道の構築?」


「体内に魔力を通る軌道を作る事で、スムーズに魔力が増幅され、循環するようになる。

魔導値は器の容量だ。増えはしない。だが、錬成する事で器を起点と終点とする円が生成される。擬似的に器が大きくなると考えれば良い。

ミチルは元々器を二つ持つ。持っている魔力は我等の倍だ。その魔力を更に倍にしたものが体内を巡るように構築されたのだよ。時間もかかると言うものだ。

普通に生きる分には錬成などする必要はない。変成により器が汚れたとしても、魔石を消費すれば済む。

錬成をして大量な魔力を必要とするのは、皇室と公家だけだからね」


父の言う通りであれば、ミチルが今後魔力酔いを起こす事はなさそうではあるが……。


「ミチルに歌わせるのは教会にしなさい。ミチルの助けになるだろうからね」


教会にミチルの助け?

……女神像に嵌め込まれた宝石は、その為にあるのか?


俺の考えている事などお見通しなのだろう。父はにっこりと微笑んだ。


二杯目の紅茶を飲みきると、父は立ち上がった。


「あぁ、そうだ。ミチルが歌う姿を一度見てみたい。そなたもおいで」


「分かりました」


父が去った後、寝室に戻った。

ミチルは眠ったままだ。

横に腰掛け、頰を撫で、髪を撫でた。


「ミチル……」


早く、目覚めて欲しい。

目覚めて、俺をその瞳に映して欲しい。声を聞きたい。名を呼んで欲しい。

触れれば体温を感じる事は出来る。でも、それだけでは足りないと思ってしまっている。

貴女がいないなら、この世なんて滅んでしまえば良い。

貴女だけがいれば良い。


眠るミチルの唇にキスをしても、ミチルは目覚めない。

分かっている。

それでも、何かのきっかけで目覚めるのではと、思ってしまう。


「愛しい人」


額に額を重ねる。


「ミチル」


目を開けて。




8日目。

目覚めるのではという期待から、朝からずっと寝台に張り付いていた。

いつもと同じように彼女は目覚めた。

目覚めてくれた。


「ミチル……良かった……」


良かった。このまま目覚めないのではという不安は、常に俺を苛んでいた。


ここが何処なのかを確かめるように、周囲を見渡している。意思を持って動いている姿に安堵する。


抱き起こし、水の入ったグラスを差し出すと、両手で受け取り、口を付ける。


「水を飲みましょう」


嚥下する度に白く細い咽喉が上下する。


「このまま、目を覚まさないかと思いました」


熱を持っていた身体には、冷たい水は心地良いだろうが、飲み過ぎて身体を冷やしてはいけない。

グラスを手から取ると、ほんの僅か未練があるような視線を向けて来た。

後で、温かくて栄養のある物を用意させよう。


頰を撫でると、気持ち良さそうに目を細める。

その表情に胸が疼く。

額に額を付けると、目を閉じた。

額を離すと、目を開けて、私を見る。


「どのぐらい寝てましたか……?」


「一週間です」


息を呑む。

自分ではそんなに長く眠っていたなど、分かる筈もない。


「心配させてしまって……ごめんなさい……」


白く細い手が、俺の頰に触れる。離したくなくて、彼女の手に自分の手を重ね、その体温を感じたくて目を閉じた。


「本当に良かった……」


ずっと気になっていたのだろう、質問をしてくる。


「ここは……?」


「カーライルに戻って来ました」


納得したようで、何度か頷いた。


「随分と魘されていました」


熱がある際は悪夢を見やすいと言う。

過去の記憶がミチルを責め苛んだのでなければ良いが。


立ち上がり髪を撫でる。


「ミチルの目が覚めた事を知らせてきます。

汗をかいたでしょうから、湯浴みをして、消化しやすい物を食べましょうね」


何となく不服そうな顔をする。

ミチルの事だから、子供扱いされたと不満なのだろう。

頰を撫でてから部屋を出て、待機していたエマとクロエにミチルの湯浴みを命じた。




ロイエが運んで来たトマトリゾットを、スプーンに掬ってミチルの口に運ぶ。

嫌がるかと思っていたが、予想に反して大人しく口にしてくれた。

美味しいのか、口に入れると、口角が上がる。

その可愛さに見惚れていた所、ミチル自ら口を開けてきた。


あまりの事に一瞬目を疑ったが、間違いなく口を開けて次のひと口を催促している。

リゾットを掬い、口に運ぶと、美味しそうに食べる。

胸が疼いて仕方がない。

催促をされたのは初めてだが、こんなに嬉しくなるものだとは思わなかった。


「可愛い……いつにも増してミチルが可愛い……!」


思わず口にすると、ミチルの顔が少し赤くなるが、知らぬふりをして食べている。

食べ終えた頃合いを見てスプーンを口元に持って行くと、進んで食べてくれる。


「はぁ……こんな日が来るなんて……」


もっと沢山食べて、早く元気を取り戻して欲しい。


ミチルは食べる姿すら可愛い。柔らかい筈のリゾットすら一生懸命咀嚼している。

何故こんなに可愛いのか不思議でならない。


ため息が出てしまう。

これ以上直視したら冷静さを失う。そう思って顔を少し逸らすと、ミチルが顔を覗き込んで来た。


可愛すぎる……。


冷静にならなければ。

手で顔の左半分を隠す。呼吸をする。

気を付けないと抱きしめたくなってしまう。


それにしても、目覚めてからのミチルは、刺激が強い気がする。

いつもなら食べさせようとするとまず抵抗をするし、自ら催促するなんてあり得ない。

今の顔を覗き込むのも初めてだ。


もしかして、これは……。


「ちょっと……今が現実なのか自信がなくなって来ました……もしかしたらミチルが目覚めるのを待ち焦がれている内に意識を失って見ている夢なのかも……」


自信がなくなってきた。


服を引っ張られる。見るとミチルが引っ張っている。

またしても胸が疼く。

しかもまた、リゾットを催促している。

あぁ、可愛さに目が潰れそう。


もう夢でも良い。

でも、夢でなければ良い。現実であって欲しい。


「もっと食べたいです」


リゾットを口に運ぶ。

本当に美味しそうに食べる。


「美味しい?」と尋ねると、まだ少し熱があるのか、潤んだ目で頷いた。


「ルシアンが食べさせて下さるから、より美味しく感じます」


顔に熱が集まる。

やはり夢なのかも知れないという考えが過ぎる。

先程から、いくらなんでも、煽られ過ぎだと思うのだ。

いくらミチルが煽りの天才だとしても。


「夢なら覚めないで欲しい……」


リゾットを食べ、お茶も飲み、ひと息着いたのか、ミチルが私に頬ずりをしてきた。


これはもう、何かを試されてるとしか思えない。

俺の何を試しているのか。

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