皇帝として生きる<皇帝視点>

あの後、絶命したレペンスは近衛騎士達により運ばれ、秘密裏に処理される事になった。

先々帝の忘れ形見が存在した事が露見する事は良くないと、宰相と騎士団長などとの話し合いの末決まり、何もなかった事として夜には宴を開いた。

式典に参加した貴族達は、元々が皇帝派だった為、他言無用と申し付けると、一も二もなく受け入れてくれた。


すべて終えて離宮に戻った時には、深夜になっていた。


興奮状態が続いたからだろうか、眠気はなかった。


叔父である大公は死刑が決まっている。妃であり、従妹でもある正妃はレペンスの毒で死んだそうだ。

何故正妃が、と疑問に思っていた私に、リオン・アルトが教えてくれた。

正妃もレペンスもこの世にいない為、ある程度は推察するしかないが、と言いつつも、彼の説明は詳細だった。


正妃は私の元に輿入れする前にレペンスと知り合い、心を奪われていたのだろうと言う事だった。

レペンスを皇帝にする為に、あの男の言いなりになっていたのだろうと。その為に私に避妊薬を飲ませ続け、子が出来る事を妨害した。

私を殺したとして、私の子が存在すれば、レペンスが皇帝に就くのは難しくなる。

レーフの命を狙ったのも計画の一環だったようだ。レーフが皇国に行ってしまった事により、計画は狂ったようだったが、私を式典で殺す事は確定事項だったようだ。

大公を暫定的に皇帝として、正妃とレペンスが婚姻を結んでから大公を始末するか、己の出生の秘密を表に出して皇帝の地位に就くつもりだったろうと。そうしてしまえばレーフが戻って来てもなんとでもなるという考えだったようだ。

私が大公を先に断罪した為、更に予定は大きく狂ったろうが、レペンス自身は間違いなく皇族の血を引く為、最終的には本懐を遂げられただろうと言う事。


私やレーフを狙っていた存在がずっと見つからなかったのは、正妃に心酔した者達が、勝手にその場の考えで行動を取っていたからなのだそうだ。

一貫性のない攻撃、人を変えても必ず漏れる情報は、そう言う事だったのだ。

一種の洗脳状態という奴だよ、とリオン・アルトは言った。

美しく高貴な身分の正妃が、自分だけに見せる弱みと誤認する。正妃の憂いを取り払いたいと思っての行動。自分だけが正妃を救えると思い込んで行動する。

そんな事が可能なのかと疑う私に、リオン・アルトは言った。

人間というものは思っている以上に単純に出来ていると。自分だけが特別だと思うと、多少の事は気にならなくなってしまうものなのだと。


離宮の最奥に運び込まれたレーフの元に向かう事にした。

どうせ眠れぬのだし、レーフに報告しようと思った。


この時間ならば、誰にも邪魔されずに、泣いても許されるのではとも思った。


守るつもりが、結局死に追いやる事しか出来なかった兄が会いに行っても、喜びはしないだろう。

謝ったところで、そんなものはレーフの為にならない事も、結局のところそれは自己満足でしかない事も分かっている。

分かっているが、レーフを前にして謝りたいのだ。レーフの顔を見たい。

憎んでる振りをして、満足に話も出来なかった。成長する姿も遠巻きにしか見られなかった。

私の役に立とうと様々な事を学んでいた事も、武術に励んでいた事も知っている。

褒めたかった。ありがとうと言いたかった。


ありとあらゆるものから守ってあげたかった。

身体が弱く、まともに部屋から出る事の出来なかった私に、いつも草花を持って来てくれた、太陽の香りをさせて私に抱き付くあの眩しい笑顔を守りたかった。

それだけだったのだ。

私にもっと力があったなら、私がもっと賢ければ、レーフを守れただろうに。


部屋の中央に、棺が置かれていた。

棺の横に立っていたレーフの侍従のレーニエは、私を見るなり、冷たい床の上に平伏した。


「ご苦労だったな、レーニエ」


「勿体ないお言葉に御座います。殿下をお守り出来ず、申し訳ございません。いかような処分も喜んでお受け致します」


レーフが幼い頃から仕えていたレーニエ。少しそそっかしい所があるのだとレーフは笑って言っていた。


「そなたはもう休め」


平伏したまま、レーニエは首を横に振った。


「……頼む。レーフと二人にして欲しいのだ」


レーニエは顔を上げると、部屋を出て行った。

いなくなったのを確認してから、棺の横に腰掛ける。


眠っているかのように見えるレーフの顔。

22歳という年齢に相応しく、精悍な顔立ちだ。

リオン・アルトの息子、ルシアン・アルトと本当によく似ている。だからこそかの者の命を狙った訳だが。

彼よりは、レーフの方が男らしいか。


そっと手を伸ばし、頰に触れる。

……冷たい。


「……レーフ……」


冷たい肌に、父上と母上のご遺体と対面した時の事を思い出した。


血の気が感じられない肌に、二度と開かない瞼。

信じられず、お二人の身体を揺らした際に、父上の口から空気が漏れて、生きていると思った私が皇宮医に言えば、皇宮医は申し訳なさそうに、言った。


肺の中に残っていた空気が出てきたのでございましょう、と。


あの時の絶望は、今思い出しても、胸につまされる。

家族をいっぺんに失ったと思った。

レーフも怪我をして意識を失い、高熱を出していた。

父上と母上に、レーフを連れて行かないでくれと祈りながら回復を祈った。


祈りが通じたのかは分からない。

レーフは助かった。

そう、それなのに私は愚行を繰り返した。だから、女神は私からレーフを取り上げたのだ。


「レーフ……お願いだ……目を……目を開けてくれ……」


涙が溢れる。


「愚かな兄を罵ってくれ、憎んでくれ。だから、目を……開けてくれ……」


レーフの顔を抱き締める。レーフの冷たい頰に私の体温が奪われる。


「私の命を……私の命などいらぬから……レーフッ……レーフッ……お願いだ……っ。

女神マグダレナよ……! 私の持てる全てを捧げるから、レーフを……弟を生き返らせてくれ……!!」


こんな、死に損ないの命では代わりにならない事は分かってる。分かっているが、それしか、私が捧げられるものはない。


答えはない。当然だ。分かってる。分かっているのだ。

でも、私にはもう何も残っていない。


だらりと棺から落ちたレーフの腕に、もう戻らないのだと、失われてしまったのだという実感が迫る。


これからも、事あるごとにレーフの死を思い知らされる事だろう。

思い出す度に、書類などで目にする度に、私の中のレーフが死んでいくのだ。嫌という程に、思い知らされるのだ。


おまえが弱く愚かだから、愛する弟も守れなかったのだと、助けられなかったのだという事を。


「自害なさるなら、お手伝いしましょうか?」


背後からルシアンの声がした。


「……無粋だとは思わぬのか」


「むしろ親切心で申し上げておりますので、心外です」


レーフの遺体を棺に戻し、袖で涙を拭いた。


「まだ、死なぬ。レーフを埋葬せねばならぬ」


レーフを心安らかに眠らせてあげたい。


振り返ると、ルシアンと見知らぬ者が二人立っていた。

どうやら異国の者のようだ。


「その者達は?」


二人は頭を下げた。


「私は源之丞・高畠と申す者です」


源之丞と名乗った男を、もう一人の異国の男は一瞥すると名乗りを上げた。


「……某は多岐 言綏ときまさ。燕国国主、日生ひなせ一族に仕える者にございます」


「燕国の者達を連れて来た意図は、何か」


ルシアンを見る。


「兄弟の感動の再会を見守ろうかと」


これが、感動だと!?


あまりの言い様に、怒りが込み上げる。


「弟の遺体との対面が、感動のものの筈があるものか!」


冷えた身体で帰って来たレーフとの再会が、感動などと。


「それで、陛下は今後どうなさるおつもりですか?

皇帝として国政に勤しまれるのであれば、良い人物に心当たりがありますので、明日にでもご紹介しますが」


「貴様!」


ルシアンはいつもこうやって、私の神経を逆なでする。

私がこの男にして来た事を考えれば、優しくされる道理がない事は分かっている。

私の試みが上手くいっていれば、ここに、棺の中に横たわっていたのはレーフではなく、ルシアンだったのだ。

家族から引き離され、異国に遺体のまま奪われて。


「問題が山積みなのに、弟にべったりという訳にもいきません。すべき事をなさってから、殿下にべったりなさっては如何ですか?」


「国の事など、どうでも良い。レーフにいずれ譲ろうと思うからこそ、国をより良い方向へと考えただけだ!」


私が無茶苦茶なのは分かっている。

この男が私を責めるのも、筋は通っている。

今だけでいい。ほんの僅かでいい。レーフの死を悼む時間が欲しいだけなのに、それすら許されないのか。


「…………国の事など、どうでも良い?」


源之丞という燕国の男が私を睨んだ。


「ルシアン殿の命をずっと狙っていた貴方に、物を申したく、こうして無理やりついて来ました」


その目には怒りがこもっていた。


「私は、国の規模こそ違えど、貴方に近い立場の人間です。国を保つ為に、時には民に犠牲を求める事がある事も、理解しているつもりです」


だが、と言葉を区切る。


「ルシアン殿を身代わりにしようとした事は、国を守る為ではない。ただ、貴方がそうしたかったからなのですね。その為に、貴方は皇帝だけが許される影を、私益の為に使った。

どれだけの影が命を落としたか分かりますか? 貴方がそうやって弟の死を悲しむように、貴方の命令の為に命を落とした影の事を考えた事はありますか? 影であろうと何であろうと、自然に生まれた存在はいない。必ず親がいる。兄弟もいるかも知れない。例え家族の記憶がなくとも、影同士、仲間の情もあるかも知れない。

ルシアン殿だってそうです。貴方の為に生まれてきた訳ではない。

今だって、家族と離れてこんな遠くまで来ている」


この男の言う事など言われなくとも分かっている。

分かっている。


……分かった気でいたのかも知れない。そこまで、深く、一人ひとり想像して考えた事はなかった。

言葉というのか、概念として理解はしていた。


チエーニの顔が思い浮かんだ。


「国は君主だけで成り立つものではない。民のいない国など国ではない。君主がいなくとも国は成り立つかも知れない。むしろ、貴方のような君主ならいない方が良い。

大切な者を失って悲しむのは結構です。でも、貴方が導かねば民はどうやって生きていくんですか。しばらくは家臣達が何とかしてくれるでしょう。でも、そんな状態が長く続けば国はどうなりますか。

貴方が生きているように、民も生きている。心があるし、命があります。民は王を選べない。貴方がどれだけ愚王でも、この国で生きていくしかないのですよ。

その民に向かって、国などどうでも良いと、貴方は言うのですか」


返す言葉がなかった。

何を言っても、言い訳にしかならないと分かったからだ。


「……私は殿下が羨ましい。

腹の違う兄が二人いますが、私は彼らに憎まれています。理由は私が正室の子だからです。

兄に可愛がられた記憶も、まともに話した記憶もない。

命を狙われ、その度が過ぎてきた為に、燕国から逃げ出しました」


私とレーフの関係は珍しい。

同じ父と母から生まれ、帝位を弟が狙う事もなく。

叔父やレペンスはさておいても、あからさまな政敵がいないのは、かなり稀有な事は分かっている。


「私の為に、心から涙してくれる存在など、母上ぐらいでしょう。ですが、一人でもそんな存在がいるだけでもありがたい事です。我らのような立場では、実の親にすら疎まれる事も珍しくない。

殿下もそうでしょう。貴方のやり方は色々と良くなかった。でも、間違いなく貴方は弟の事を思って考え、行動した。殿下は幸せな人だ」


涙を堪えきれなかった。


源之丞の顔から怒りが消え、彼は息を吐いた。


「貴方は私と違って頭もあるし、その立場もあるのです。殿下のような存在を生み出さない為に、皇帝として精進下さい」


深々と頭を下げて源之丞は言った。


「生意気を申しました。お許し下され」


「……いや……ありがとう。

私はまた、過ちを……繰り返す所だったのだな……」


このまま死んで、レーフの元に行きたいという思いはある。逃げたいという思いも。


「何処まで……出来るかは分からぬが……皇帝として、民を導く事を……誓おう……」


「是非、その治世の手伝いを私にもさせて下さい、兄上」


息が止まった。


今、聞こえた声は、何処から……?

ルシアンを見る。首を横に振る。

源之丞は微笑んでいる。その隣の男は源之丞を見つめている。

……と言う事は、今の声は……?


恐る恐る振り返ると、レーフの目が開いていた。


「……レーフ……?」


レーフが微笑む。


「あまりに兄上が泣くので、女神に追い返されました」


そう言って、棺の縁に手をかけ、ゆっくりとレーフは起き上がった。


「レーフ……」


レーフを抱き締める。さっきと違って、温かみを感じる。


まさか、本当に生き返ったのか?


何と声をかけて良いのか分からなかった。ただ泣きながら抱きしめる私の背を、レーフが優しく叩いた。


「ただいま帰りました、兄上」

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