ロマーシカの国<ロイエ視点>

この男と会うのは2度目だな、と思いながら対面した。

向こうも記憶に残っているのだろう。私を見て眉間に皺を寄せ、部屋の中央のソファに腰掛けるリオン様を見た。


「こうしてお会いするのは初めてだね、スタンキナ伯爵」


リオン様はにっこり微笑まれると、正面に座るよう促した。スタンキナは一瞬迷ったようだが、座るとため息を吐いた。


「…不可解な点が多いとは思っていた」


何も言わず、リオン様は紅茶を口に運ぶ。帝都ヴァースラで購入した、帝都にしかない紅茶だ。


「何処から私は貴方の策に嵌められていたのか、アルト公爵」


「雷帝国にスタンキナ有りと言われた貴方が、なかなか気付いてくれないものだから、少し寂しかったよ?」


リオン様はふふ、と笑った。


「本題に入らせてもらう前に」


そう言ってリオン様は私に目配せをした。私は頷き、すぐ側の扉を開ける。

何が出て来るのかとこちらに目を向けたスタンキナの目が大きく見開かれ、腰を浮かせた。


「まさ…か…」


声が震えていた。


「…リュドミラなのか…?」


私の横に立っていたリュドミラは頷いた。


「お父様…」


そっと背中を押してやると、リュドミラはスタンキナに駆け寄り、抱き着いた。

スタンキナはリュドミラを抱きしめる。


「おまえは死んだと色んな者から聞かされていた。生きていたとは…!」


ふふふ、とリオン様は笑うと、「種明かしをするから、座ってくれるかな?」と言った。


スタンキナはリュドミラとカウチに並んで腰掛けた。


「説明をしても受け入れてもらえないだろうと思ったからね、信じてもらう為に先に再会していただいたんだよ」


リオン様が説明を始められたので、私はスタンキナとリュドミラに紅茶を淹れて、二人の前にカップを置いた。


「さて、何処から話そうかな。

この種明かしには、私の予想が多分に入るという事をあらかじめ伝えておくよ。

ただ、ほぼ間違いない事実であると約束しよう」


カップを置いたリオン様は微笑んだ。


「私の元に、スタンキナ伯爵の愛娘、リュドミラ嬢をマグダレナ教会で匿っているとの報告が届いてね。

カーライルに入り込もうとしたスタンキナ伯を阻止してから、さほど経ってはいなかったと思う」


スタンキナの失敗をイェン・ライ大公が責め立て、スタンキナ伯爵領を取り上げるべきだ、と声高に喚き散らしていたという。

皇帝はスタンキナから爵位を奪い、領地を没収し、リュドミラを召し上げた。ただ、皇帝はリュドミラを汚したりはしなかった。スタンキナとリュドミラを守れなかった事を詫びた。その後、皇弟により城から逃がされたリュドミラは帝都から離れた街に逃げ果せると、マグダレナ教会で匿われる。

匿ったシスターは、アルト家の間者で、すぐにアルト家にリュドミラの事を報告し、沙汰を待った。

リオン様はリュドミラをカーライルに亡命させると、アルト家で匿った。来たるべき時まで預かる事に決めて。

果たしてレクンハイマーことスタンキナをルシアン様が捕縛なさり、逃したのは、リオン様の命ではない。


「貴方を生かして逃したのは私の判断ではないよ」


スタンキナは眉を顰めた。


「ルシアンが決めた事だ」


「……そうか」


「ルシアンにもリュドミラ嬢の事は伏せていた。私自身、どうするか決めあぐねていたからね。存在がバレてしまったので、そなたの元で匿いなさいと押し付けていたんだよ」


楽しそうに微笑むリオン様を見て、リュドミラがどんな扱いを受けていたのか心配になったのだろう、スタンキナはリュドミラを見た。そんな父親に、リュドミラは微笑んだ。


「皆様にはとても良くしていただきましたわ。特に奥様には大変失礼をしてしまったのに、本当によくしていただいたのです」


「奥様というと」


スタンキナの言葉を遮るようにリオン様が補足する。


「ベンフラッドが手を出そうとした、うちの可愛い可愛いミチルの事だよ」


スタンキナは項垂れると素直に謝罪した。


「あの時の事は、本当に何と詫びていいか分からぬ。あの俗物は皇女の願いを叶えるだのと嘯いていたが、単純に慰む相手を欲していただけだ」


リュドミラがあからさまに不快そうに眉を顰める。


「そう言えば、ベンフラッドは今?」


「楽しい夢を見ているのではないかな」


あれを楽しい夢と表現して良いものか悩む所だが。


ミチル様を穢そうとしたあの男は万死に値する。

私はこれまで効果が強過ぎて実験出来ないでいた薬物の被験体として、ベンフラッドを遠慮なく用いた。

個人的な負の感情の所為で、薬物の検証が拷問に近くなってしまった事については、己を御せていない事だと後になって猛省した。後悔はしていないが、実験内容が偏った事については反省している。


痛み、幻覚、幻聴、さまざまな感覚に苛まれて、元々フィオニアにより狂わされていた記憶は、熟れて腐り果てた果物のように、グズグズになっていった事だろう。

日々、実験の前に名前を問うのだが、最後の方はもう、言葉を発する事すら危うい状態だった。


それ以上、ベンフラッドの事をスタンキナは聞いて来なかった。興味もないだろう。聞かれても顔を背ける気ではいたが。


「話を戻そうかな。

皇帝はリュドミラ失踪後、あぁ、皇弟の証言で死亡した事になっているんだけれどね、次々と令嬢を召し上げていたようだ」


「そうらしいな。その上で殺していたと」


「いや、殺したのは皇帝ではないよ」


リオン様がカップに視線を落とされた。そろそろなくなりそうである。私は失礼しますと声をかけ、カップを下げ、新しいカップに紅茶を注いだ。


「更に言うなら、正妃でもない。

皇帝は己に子が出来ない事で、正妃を真っ先に疑った。何を以って疑ったのかは不明だけれどね。後宮内の側妃達は正妃の実家、イェン・ライ大公と繋がりのある家ばかりだ。だから、まったく繋がりのない家の令嬢を突然召し上げた。とは言っても、何の罪もない家を選んだ訳ではないようだよ。痛む腹を探られては困る家の令嬢を選んだようだ。結果として、令嬢は死んだ。誰かの手によって」


心から信じ忠誠を誓った存在が、常軌を逸した行動を取っている事に、スタンキナは失望し、同時に安心もしていた事だろう。己が反旗を翻してレジスタンスを率いる事に、何ら良心の呵責を抱く必要はないのだから。

それが、足元から少しずつ崩されていく。


「何人か召し上げて、全て殺された事で、皇帝はそちらの線を探る事を諦めた。これ以上被害が増える事を良しとしなかったのだろうね。

結果として、皇帝は誰かが自分に子が出来ないように企てているのだと結論付けた」


「まさか、皇弟殿下か?」


「レーフ殿下は、兄と正妃の仲が良いと信じて疑ってないような子だからねぇ。幸せな子だ」


リオン様はそう言って、カップの中にロマーシカの花を落とし、紅茶の熱で醸されたロマーシカの香りを楽しまれた。


「彼が帝位を狙うのなら、妃を娶る筈だろう。それなのに彼は娶らなかった。わざわざ、未来の皇帝に相応しい令嬢を妃にせねばならぬと嘯いて。そんなもの、後からどうとでもなるだろうに」


皇弟の言は確かに過ぎるものが多かったが、それに伴う行動は殆ど取っていなかったようだ。誰もが口だけだと思っていた事だろう。言葉だけを鵜呑みにする程貴族達は愚かでは無い。

口では帝位を狙うようなことを言って、離反の意思ありと思わせていても、皇弟はどの家とも必要以上の付き合いをしなかった。妃を娶れば嫌でもその貴族の派閥と繋がりが出来る。妃が一人もいない、あえて誰とも繋がろうとしない皇弟が口だけなのは明らかだったのだ。

その意思がないものをわざわざ担ぎ上げるような、リスクを背負うのは得策ではない。本人にその意思がなければ、いざとなった時に蜥蜴の尻尾切りよろしくと、見捨てられるのは想像に難くない。

皇帝と皇弟の関係性は、悪化しているように表面上見えていたが、そうではない事は皆の知る所だった。

だが、一変して皇帝は皇弟の命を狙い始めた。


皇弟もしばらく耐えていたが、最終的には雷帝国を出た。

己の存在がある事で、兄の心が乱れる事を望まなかった。


「皇帝がレーフ殿下の命を狙い始めたのは、ちょうど令嬢達を召し上げるのを止めた頃だね。

己に子が出来ないと悲観した皇帝が、己の地位を奪われまいとして、実の弟に直接的行動に出たと思われているが、実際はレーフ殿下の食事に毒が混入されていると、報告が上がったからだよ」


皇族は毒物に耐性を付けられるのが通常だが、全ての毒の耐性など付けられる筈もないし、普通の毒が効かぬと知られて、もっと強い毒を仕込まれてはひとたまりもない。

目前に、皇帝の在位15年を祝う催しが予定されていた。

そこでは皇帝と、皇弟の双方が毒味を通さずに飲まなければならない酒が供される。女神に捧げられる酒だ。皇族以外は飲めない。

その酒に強い毒を仕込まれれば皇弟は死ぬ。

そうさせない為に、皇帝は皇弟の命を狙っているように見せかけた。ただ、貴族達には本当に狙っているように見えていたようだ。

慕っているのは弟だけで、兄である皇帝は権力に目が眩んで、弟を狙い始めたのだと。それは権力の歴史の中でよくある事であったし、賢帝といわれた男も、己の地位が危なくなったらなりふり構わなくなったのだと思われた。

リュドミラを始めとした令嬢達を殺したのは皇帝だと思われていたのも、そう思わせる要素になった。

カーライル王国に攻め込む事を諦めきれない風を装って、再度イェン・ライ大公に皇帝は命を下した。

皇弟は雷帝国を出た。カーライル王国との関係性が悪化して、雷帝国との人の流れが途絶えるように仕向けたかった。皇弟が戻って来られないように。追っ手が皇弟を追いづらくなるように。

ディンブーラ皇国の女帝が愚物である事は、皇帝もよく知る所だ。辺境の属国のようなものと侮っているカーライル王国と雷帝国がぶつかった所で歯牙にもかけないだろうとの判断だった。


叔父であるイェン・ライは小物であるが、小物であるからと行動に移さない訳ではないし、だからこそ軽はずみな行動に出る事も考えられる。担ぎ上げられても困るのだ。


皇帝として判断しかねたのは、自身が皇帝になる意思が叔父にあるのか、それとも皇帝の祖父として権力を欲しているのかといった所のようだ。

どちらにしろ、帝国にとって薬にならぬ存在である。

排除に踏み切ったのだろう、カーライルを取れと再度命を下した。


ホラ吹き大公と呼ばれて有名なイェン・ライ大公は病気を持ち出して逃げた。それからずっと大公の居城から出ていないと言う。

父である大公のあからさまな態度に、正妃は立場を失う。

それまで欠かさず毎日お茶を共にしていたにも関わらず、皇帝は正妃の元を訪れない。せめてと献上される、身体の弱い皇帝の為にと取り寄せられた薬も、返されているという。

大公の息がかかった側妃達も同様に、皇帝の寵愛を得られていないと聞く。


「ご静聴ありがとう、スタンキナ伯」


スタンキナは両手を握りしめ過ぎて指が白くなっている。


「…私は…あのお方の…何を見ていたのか…」


顔色を失っているスタンキナの肩に、リュドミラが手をのせた。


「お父様…」


「どうも皇帝陛下は、大切な存在を遠くにやって守る傾向にあるようだね」


スタンキナの瞳が揺れる。動揺しているのだろう。


「私は身内に手を出されるのが何より嫌いでね。」


ふふふ、とリオン様は笑った。


「本当なら皇帝を消してしまいたいのだけれどね、私も悪魔ではないからね。

両親を殺され、弟まで狙われ、自身の子を持つ事すら妨害された皇帝に同情もする。後でお礼はさせていただく予定ではあるけど。

今はかくも愉快な演劇のシナリオを書いた人物に、花束を差し上げたい。もう、舞台は終わる」


だからね、とリオン様は言葉を切り、スタンキナを直視し、冷徹な声で言った。


「私の駒となれ、スタンキナ」


スタンキナは自然と頭を垂れていたようで、我に返り頭を上げ、目を見開いてリオン様を見る。

そんなスタンキナの様子に、リオン様は微笑んだ。


「これからよろしくね、スタンキナ」

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