守られていた事を知るという事<源之丞視点>

ルシアン殿のお父上に強引に連れて来られたカーライル王国は、辺境の国とは思えぬ程に栄えていた。

整備された王都は見事だった。

道路は平らで馬車が必要以上に揺れる事もなく、平民向けの教育施設があり、治水整備もされており、活気があった。


聞けば、一年前は特定の豪商だけが暴利を貪るような状況だったのを厳しく取り締まり、ギルドを創設して民の声が王室に届きやすくするなど、試行錯誤を繰り返しているとの事。

住みやすそうな国だ。内情を知らない私が言うのもなんだが、そう思う。

それぐらい、街の人々に笑顔が多いのだ。


ルシアン殿がおっしゃるには、悪意を持った商人が取り締まられて、それまで不遇だった者達の環境が目覚ましく向上されている現在が、一番幸福感を感じる時だろうと。

ただ、それがある一定に達すると、民はそれを当たり前と感じ、別の不満を口にするものだと。

良い方向に慣れるのは早く、人の欲望は限りがないもの。それは、私も知っている。

そうなってからが、民の心が試される。

急激に経済状況だけ成熟した場合は、民の心が伴っていない。心が育っていない状態で富だけ得た場合は、民度が下がるものだ。

この国はその局面に直面している。


カーライル王国は皇国圏内の他の国に先んじて、心の教育というものを行っているらしい。

人と人の繋がりが希薄になると、ウィルニア教団のような、心の隙を突くような集団に囚われやすくなる。

そうならない為に、ギルドや教会が協力体制を作っているのだそうだ。

かなり難しい事だと思うが、その変わった考えには正直に驚いた。民の心に目を向ける国など、正直に初めて見た。

民は生かさず殺さず。これが燕国で言われる民を御す為の言葉だ。民とは勝手なものだからだ。為政者の苦労を考えず、もっともっとと、際限なく要求してくる。そういう生き物なのだと教えられてきた。

だから、カーライル王国の成そうとする事は、私には驚きでしかない。


それとは別に驚いた事が、ひっきりなしにルシアン殿の命が狙われる事だった。

屋敷にいる際は問題ないのだが、少しでも外に移動しようとするとその隙を突いて襲われる。


アルト公が教えて下さったのだが、雷帝国の皇帝が己の弟が何者かに命を狙われている為、他国で死んだ事にしたいらしい。ただそれだと相手が諦めてくれないだろうからと、皇弟にそっくりなルシアン殿の命を狙い、死体を持ち帰ろうとしているようだとの事だった。


これには私も腹に据えかねた。

いくら弟が可愛かったとしても、いかがなものか。

君主として政治的混乱を収める為に多少の犠牲を払う事はあるだろう。そう言った考えは為政者になるべくずっと教育されてきた。至極もっともだと思う自分もいる。

こうしてその大きな目的の為に犠牲にされる、個別の命について考えた事はこれまでもあった。あったが、それが目の前で行われると、仕方ないとは思えなかった。

こんなにも、理不尽さを感じるものなのだと。

立場が違えば、こんなにも感じ方は異なるものなのだと。頭では分かっていた。分かっているつもりでいた。

その実、私は分かっていなかった。

支配される側の理不尽さと、だからこそ許される甘え。支配する側の苦悩と傲慢さ。逃げる事は許されない責務。

正解はないのかと、思わず呟いてしまった私の言葉に、アルト公は笑った。


「ある程度の正解は、先人のした事で分かるだろうね。生きている人間が変わろうと、文化が進もうと、人の心の本質は変わらない。

ただ、同じ事を繰り返す愚かさと、そこから学び取る事も出来る賢さの両方を人は持っているからね。それがどちらに作用するかによっては、歴史は輝きもするし濁りもする。時には正解も誤解になる。

人の営みはいつも同じように見えて同じではない。

毎日毎夜見る空と星が同じではないように。今年も咲いた花が、去年とは異なるように。

学びなさい、考えなさい、悩みなさい。それこそが、生きているという事なのだから」


ルシアン殿が羨ましいと思った。こうして、導いてくれる存在がいて。

ただ、アルト公は大きすぎる存在な気がした。ルシアン殿の兄上も、ルシアン殿も、お辛くはないのだろうか。

そう尋ねると、ルシアン殿は静かに微笑んだ。


「以前ミチルからもらった言葉があります」


奥方から?


「完成されたものも美しいけれど、完成を目指す姿もまた美しい、と。

私は父や兄のような完成形にはなれないかも知れません。でも、それで良いのです。私は私でいたい」


慰めの言葉だ。けれどそこに悲壮はなかった。

自分は自分でしかない。それを受け入れる。ただ、それだけの事なのに、存外難しい事なのだ。

己をありのままに受け入れ、用に応じて変えていくというのは。


私が、持てない決意だった。

私は変わる事が怖い。兄に嫌われている事も怖い。かと言って死ぬ事も出来ない臆病者だ。




私はルシアン殿を守る為、移動の際には常に側にいる事にした。

これにはルシアン殿が苦笑していた。


「源之丞殿に何かあった場合、問題が大きくなってしまいますから」


「兄が二人おりますから、私に何かあっても大丈夫です。それに、燕国は大国ではありません」


雷帝国との間に問題があって困るのは、燕国だ。


「だからこそ困ります。帝国が困る分には構いませんが、燕国に何かあったら、ミチルが悲しむので」


「それは由々しき事です」


「ですから」

「全力でお相手する所存」


ルシアン殿の言葉を遮って私は言った。


奥方を危険な目に遭わせた事への償いとして、私はルシアン殿を守ると決めた。友であるルシアン殿を守りたいという気持ちもある。

ほんの僅かに、自分を変えられるのではないか、という思いもまた、卑しい私にはあった。

要するに私は、きっかけを欲していたのだと思う。


「過分な護衛ですね」


皇弟と違い、私は実の兄に命を狙われてきた。

側室の子である兄にとって、正妻の子である私は目の上のコブだ。

公方家嫡男として生まれた私は、武士ではあれど武術を身に付ける必要などなかった。毒を盛られ、命を狙われ、美しい女人による色仕掛けと、枚挙に暇がない。


そんな私を見かねた母が、ディンブーラ皇国への遊学を決めた。勧めたではなく、決めた。

断る事も出来た。だがそうはせず、ディンブーラ皇国に来た。つまり私は逃げた。

嫌になって。


強引に連れて来られたカーライル王国だったが、皇都にいた時よりも、目の前の世界が広がっていくような気持ちがした。


辺境であるが故の、周辺の大国の脅威、皇国圏内での立ち位置、突出した資源がない中で、いかに国益を産む物を生み出していくか。

何を守り何を育て何を諦めていくのか。

短期的、中長期的な目線での展望。

机上だけでは見えない実際の事柄は、私が思っていた以上に生々しいものがあった。燕国にいたら、皇都にいるだけなら決して見なかっただろう事。

私は良くも悪くも守られて、目を隠されていたのだなと実感する。ただそれは、己の意思で何とか出来るものだ。

だから、私も悪いのだ。そして私は幸運なのだ。こうして気付く機会に恵まれたのだから。

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