061.魂の澱
懐かしい夢を見た所為なのか、姉に虐められた事を思い出したからなのか、頭が痛い。
「ご主人様、どうなさいましたか?」
私の前に、ほうじ茶が入ったカップを置きながら、アビスが尋ねてきた。
「…少し、頭が痛いの」
思わずため息がこぼれる。
っていうか、今日は頭痛の所為でため息ばっかり吐いてる気がする。
鈍い痛みだから、耐えられない痛みではないんだけど、頭痛というのは人を不快にさせる天才だと思う。
あまり薬に頼るのはよくないんだろうけど、頭痛が起きると脳が炎症を起こして、翌日までその炎症が続くから、それを防ぐ為にも頭痛薬は飲んだ方が良いとか何とか、テレビの中で女医さんが言ってたのを思い出す。
「クロエに用意させましょう」
アビスはお辞儀をして部屋を出て行った。
夢の内容を思い出す。
なんかアレ、凄い重要っぽくなかった?
子供過ぎてあの時の自分は全然分かってなかったけど、しかもすっかり忘却の彼方にやっていたけど、祖母の名前が本当は別の名だったとか、レイというのが何なのか分からなかったけど、家が代々継ぐ名前だとか。
偶然なのかもだけどさ、いや、偶然だと思いたいって言うか…。
あー…頭痛が増してきました…。
アビスがクロエを伴って戻って来た。
…クロエが持ってるピクニックにでも行きそうなあのバスケットは何なんだろう。
「奥様、甘いのと苦いのと酸っぱいの、どれが良いですか?」
甘いのと苦いのは分かるけど、酸っぱいって何?!
レモン味とか、そう言う事カナ…?
そこはかとなく怖い…。
「…甘いのでお願いします…」
挑戦出来ないへたれですんません…。
クロエはバスケットをゴソゴソさせて、中からキャンディ包みされた飴?みたいなものをくれた。
しかもめっちゃ良い笑顔で。
怖さが増してきた。
でも、アビスも止めないし、だ、大丈夫だよね?!
どう見ても飴にしか見えないものが包まれていて、それを恐る恐る口に含む。
…………甘いッス。
美味しいのが、また何となく怖い。
クロエに対するイメージの所為だと思われる。
「ありがとう、クロエ。この甘さは蜂蜜かしら?」
「左様にございます。奥様のご希望の味がございましたら、次からご用意致します」
「大丈夫よ…」
有害でなければ…。
そしてこれは本当に頭痛薬なんだろうか…。ただの飴なんじゃ…いやいや、クロエがただの飴を持ってる筈がない…。
皇城に着いた時には痛みを忘れていた。
飴じゃなかった、確かに頭痛薬だった。
砂糖が高価だからあれだけど、薬が苦手な子供にも喜ばれそうだよね、こんなに甘くて美味しい薬だったら。
「教皇聖下から届きました書類はこちらになります」
机の上にアビスが書類を置く。
教会から届く書類は、ゼファス様がおっしゃっていたようにだいぶ減っていた。
ゼファス様の大変さが緩和してるといいんだけど。
「ご主人様、エスポージト伯が面会を希望しておりますが、いかがいたしますか?」
エスポージト伯?
誰だっけそれ?
最近登場人物が多くて頭が混乱してきてるけど?
「魔道学研究院の院長です」
あぁ、あの人!
アビスと同じ魔王側の人ね!
「カーネリアン先生もいらっしゃるの?」
いえ、エスポージト伯のみのようです、とアビスは簡潔に答えた。
院長が単体で私に用?
何だろう?
「空いている日に約束を入れておいて下さい」
万年筆でサインを書いていく。
「いえ」
いえ?
顔を上げてアビスを見る。
「先程、エスポージト伯が登城し、ご主人様への面会を希望しております」
えぇ?!
アポなし?!
「要件次第ではお会いするわ」
伯爵ともあろう人が、アポなしで会える訳ない事ぐらい分かっているのに来たということは、緊急事態かも知れない。
「要件は承っております。
孤児院について、ご相談したいとの事です」
さすがアビス。出来る。
孤児院の事?魔道学研究院の院長が?
全然結びつかないんだけど?
「こちらの署名が終わりましたらお会いしますわ」
「かしこまりました」
皇族専用サロンに案内してもらって、院長と対面する。
院長は深々とお辞儀をする。
「エスポージト伯、ご機嫌よう」
「突然の申し出にも関わらず、お目にかかる時間を賜りました事、感謝申し上げます」
私はソファに腰掛け、院長にも着席を勧める。
「孤児院の事でお話があると聞いてますが、どういった事ですか?」
寄付金でしたら喜んで、と言いたいところです、えぇ。
冬になったら寝具も更に必要になるし、燃料も必要になるし。
「殿下は孤児達を医者に診せたいとお考えなのだと伺いました」
「…それはどなたから?」
別に秘密にはしていないけど、外に知らせてもいない筈の内容を、何故院長が?
「フローレスから相談を受けました。私とフローレスは従兄弟なのです」
伯爵家同士。身分としては縁戚関係にあっても不思議はない。
そして世間は狭い。
「そうなのですね。その件について、有効な話をエスポージト伯がお持ち下さったのなら嬉しいのだけれど」
「殿下、私が子供達を診ます」
伯爵が?!
「私の父は医者です。幼い頃より、医者になるべくして育てられました。結局医者にはならず、魔道研究員になったのですが…健康診断ぐらいなら、私にも可能です」
「それは大変ありがたいけれど…貴方にメリットはないでしょう?」
貴族は基本、メリットがなければ動かない。
アビスが私と院長の前に紅茶を置いた。
「……私の母は、変成術が大変得意な人でした」
突然院長のお母さんの話が始まった。
院長の顔があまりに真剣だから、何も言えず、院長が続きを話すのをじっと待つ。
「毎日変成術をしていたのではないかと思う程、私の記憶の中の母は、変成術を行っていたのです」
カーネリアン先生は、変成術はやりすぎてはいけないと言っていた。
変成術で消費した魔力は回復が遅いからって。
それを、毎日のように?
「魔石の作成は魔力を排出する行為ですが、変成術は物質を分解して体内に取り込み、同じ構成要素を持つ物に再組成して排出する事です」
頷く。
「変成術を行う為に魔導値が80とされている理由が、何だかご存知ですか?」
「変成術を行うのに連続して、出し続けなくてはならない魔力量が80だと聞いています」
私の言葉に頷いた院長は、模範解答ですね、と言った。
「ですが、本当は、もっと低くても変成術は行えるのです」
"マグダレナの加護"でも、カーネリアン先生も、魔導値が65あれば良いって言ってたな、そういえば。
「50あれば、出来るのですよ、変成術自体は」
え?そんなに低くても平気なの?
「連続して魔力を放出し続けないと、どうなるかご存知ですか?」
「…本来変質すべきものが体内に残り、魔力の器に蓄積していき、繰り返すうちに術者は死ぬと教えられました」
院長は首を横に振った。
「本当は、死なないのです」
「え?」
死なないの?
嘘なの?
何で嘘を教える必要が…?
「魔力の器は魂そのものです。魂に不純物が混じる事で魂が汚れていき、最終的に穢れた存在になるのです」
穢れた存在?
「皮膚が黒ずみ、髪がごっそりと抜け落ち、黒目が小さくなり、痩せこけて骨と皮だけのようになり、腹だけが大きく膨らみ………運が良ければ絶命します」
運が良くて絶命?
なにそれ、なんなの?
っていうか凄いな、その肉体の変化…。
「運が悪ければ、その姿のまま、理性を失います。
穢れのない魔力を求めて人を襲うようになります」
「そんな…」
「亜族に、なるのですよ」
亜族に?!
あれは、人がなったものなの?!
「魔導値が足りなければ、早い段階で亜族になります。
亜族になった人間は、もう2度と戻りません。永遠に亜族の姿のままで生きると言われています。
……私の母も、亜族になってしまいました」
「…お母様は、魔導値が低かったのですか?」
「いいえ」と答えて院長は首を横に振り、もう一度、「いいえ、十分すぎる程に、魔導値はあったのですよ。110はあったのですから」と答えた。
ざわり、と気持ちがざらつくのを感じた。
どういう事?
魔力が回復する前に変成術をした所為って事?
「魔導値が多ければ、亜族にはなりにくい。ですが、変成術を行えば少しずつ溜まっていくのです。ワインの澱のようなものが」
少し前に、カーネリアン先生が、私に変成術をあまりやってはいけないと、強く訴えた事が思い出された。
「先生は…ご存知なのですか?」
「勿論。カーネリアン一族の呪いとは、亜族になってしまう事なのですから」
先生は、一族特有の難病を治したいのだと言っていた。
魔道に秀でた一族は、日常的に変成術を行う。
魔導値に関係なく汚れがたまっていったのだろう。
「変成術を行う事で亜族になるのなら、変成術そのものを行わないようには出来ないのですか?」
「今更、亜族になるから変成術は禁止ですと、言えますか?それに、日常的にやらなければ亜族にはならないのです…」
それは、確かにそうだけど…。
でも、続けていれば必ずなるのであれば、何処かでやめなければ。
「もっと早い段階でその事実を公開出来ていたなら、話は違っていたのかも知れません。
ですが、もはやそれも叶いません。私とカーネリアン女史は、ずっと亜族になってしまった人間を元に戻す研究をしていたのです」
カーネリアン先生とその一族の話を、何故院長がしているんだろう。こんな大事な事なのに。
「………先生はご無事なのですか?」
院長の目をじっと見つめる。院長は目を逸らす事なく答えた。
「カーネリアン女史も発症しました。
彼女はもう歩けません。来年の今頃には、絶命するか、亜族に成り果てるか」
指先が冷たくなる。
私はぎゅっと手を握りしめた。
「私に出来る事であれば何でもします。
本来このようなお願いが許されるとは思っておりません。おりませんが、殿下、どうか私にお力をお貸しいただけませんか。亜族を人に戻せなくとも、進行を止められる術を、私と一緒に探していただきたいのです」
そう言って院長は頭を下げた。
咽喉がはりつくのを感じた。
「何故、私に…?」
「殿下はこれまでにも魔力の器や植物から魔石を抽出するなど、私達では思いも付かないような発想で発見されました。もしかしたら、何か、何でも良いのです、きっかけを思い付いていただけたらと」
私の身体が強張ったのが分かったのだろう。
アビスが冷たい声で言った。
「エスポージト伯、殿下はお忙しいお方です。本日のところはお帰り下さい」
アビスとオリヴィエに促されるようにして、院長は退室させられて行った。
ようやく落ち着いたと思った頭痛が、また戻って来る気配がする。
「ご主人様、どうぞお気になされませんように」
「そうです。あのような無理難題を姫に言うなど、正気の沙汰ではございません」
護衛中は滅多に喋らないオリヴィエが、私に声をかけた。
胃がしく、と痛んだ。
たまたま発見した事で、分不相応の期待を寄せられて、その気持ちが嬉しいどころか、プレッシャーにしかならない。
そこで何とかしなくちゃ!となれるのがヒロイン達、メインキャラクターで、私のようなモブには重荷にしかならないって言うか…。
「…ありがとう、二人とも…」
「お茶を淹れ直しましょう。ひと呼吸なさって下さい」
私は頷いた。
院長が話した内容が頭の中をぐるぐる回る。
マグダレナの民にしかない魔力。
その魔力を外に出せば魔石になり、他の物質を通して別の物に組成する事が変成。
その変成は魂そのものである魔力の器に汚れを蓄積させる。魔導値が小さければ、直ぐに汚れでいっぱいになって、亜族になってしまう。
魔力の器が大きければ、汚れが溜まるのに時間はかかるものの、変成術をし続ければいずれは器がいっぱいになって亜族になってしまう。
ただ、変成術そのものも、そんなに頻繁に、それこそカーネリアン一族のように行わなければ、器が汚れでいっぱいになる事はなく、亜族にはならない。
カーネリアン先生はそれこそ、癖のように変成術を行っていた。
そうやって着実に器に汚れを溜めてしまったのだろう。
分かっていたのに、何故止めなかったのだろうか。
発症から一年で、亜族になってしまうという。
亜族になると恐ろしい姿になり、運が良ければ死に、運が悪ければ亜族として理性を失い、永遠にその姿で彷徨い続ける。
頭がズキン、と痛んだ。
先生を助けたい。
もしかしたらあの図書館に行けば、何か分かるかも知れない。
だけど今の私は、ルシアンの事も考えなくちゃいけないし、この国の事も、考えなくちゃいけない。
ドアをノックする音がした。
オリヴィエがアビスに目配せをする。アビスは私のすくそばに立ち、頷いた。
ドアの外には、レーフ殿下が立っていた。
「宰相の執務室に行ったら、サロンにいると聞いたのでな」
「…ご用件は」
アビスが尋ねる。
「私なりの、答えを考えた。それを聞いて欲しくてな」
「アビス」と私が呼ぶと、こちらを向いたので、私は頷いた。
オリヴィエがドアを開け、殿下を中に招き入れた。
殿下は先程まで院長が座っていた、私の正面に座った。
座って間もなく、殿下の前にアビスが紅茶の入ったカップを置いた。
二人の間に、紅茶の良い匂いが広がる。
殿下は私を真っ直ぐに見据えて言った。
「私は、死ぬ事にした」
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