051.熱中症にご注意下さい

暇で痴呆になるかも、と思えたあの空白の期間は、実は神さまが与えてくれた心の洗濯期間だったんじゃないかな、と思ってしまう程、忙しくなった。


なにしろ毎日ミルヒが来るのだ。

そして、望んでもいないのに教会に関する知識をこれでもかと私に刷り込み、ゼファス様の代わりに仕事をさせていく。

どうなのこれ?!

ゼファス様も以前とは比べものにならないくらい、屋敷に来るんだけど、仕事はしない。遊びに来るだけ。

しかも、これだけやってるのに、一向に減らない書類の山!!どんだけ溜めてたの?!

むきーーーっ!


ラトリア様はルシアンとつきっきりで仕事をしているようで、顔を見ない。生きてるカナー…。

二人が帰って来た時には私も入浴を済ませて夜着まで着ちゃってるから、会えないんだよね。

ちなみにラトリア様とロシェル様は婚約者ではあるものの、まだ婚姻前ではあるので、当然別室です。


そのロシェル様と毎日お茶をし、昼食と夕食を共にする。

なので、孤食は脱した。これは純粋に嬉しい。

ロシェル様は洋服のデザインをしたり、連れて来た専用のお針子さんにドレスを作らせたりしている。

お義母様の元にロシェル様は会いに行っては二人でデザインやら洋服やらで盛り上がってる模様。

……楽しそうで何よりデス。

なんかここに来る人、皆勝手に楽しんでる気がするのは気の所為ですか…?




今私が一番困っている事は!

ルシアンが破廉恥極まりない事です!


…今日こそは寝たふりしてやる!


枕に横向きに頭をのせると、布団をかぶって顔は半分ぐらい隠す。


「ミチル?」


ぬ!ルシアンが入って来た!


ベッドが軋む。


「…ミチル、寝てるの?」


ベッドの軋み方と、声のした方向とで、ルシアンが私の上に覆い被さっているような気がスル…!

でも!ここで目を開けてはならんのだ!


耳に生温かいものが触れて、背中がゾワゾワした。


「(?!)」


…反応しちゃいかん!いかんのだ!!


耳朶を噛まれ、それも必死に堪える。


「何処まで寝たフリをしていられるかな…」


ひぃっ?!

それを耳元で言う?!

鬼なの?!


頰にキスされる。

髪を撫でられ、こめかみにもキスされた。

顎のラインを温かくて柔らかいものがなぞっていく。


たっ、助けてーー!!


首筋をなぞるようにキスされ、時折ちりっとした痛みがする。うぅ…この前の甘えたい発言から、一体どれぐらいのキスマークを全身に付けられた事か…。

この鬼畜ルシアン!!


突然肌が外気に触れたのが分かった。

布団を捲られ、夜着の紐を解かれてしまったっぽい?!


寝てる人間を襲うなんて!と抗議したいところですが、ルシアンは私が寝たフリをしてる事を分かった上でこういう事をしてますからね…。


鎖骨の上にもキスが落ちて来て、私はもう我慢出来なかった!


「もう!ルシアン!!寝たフリをしているのですから、空気を読んで下さいませ!」


目を開けると、悪戯をしでかす子供のような目をしたルシアンが私を見下ろしていた。


ふふ、とルシアンは笑うと、私にキスをする。


「寝たフリが下手ですね、ミチルは」


はだけた夜着を直す。


「私は数えられないぐらいミチルの寝顔を見てるんですから、寝たフリなのか、そうじゃないのかなんて分かりますよ?」


なんですと?!


「私の中のルシアンはもう足りてますから、もう結構です!」


そう、あの発言から毎日…モゴモゴ

ルシアンが…モゴモゴ

………鬼畜で破廉恥なのです!爛れすぎです!


「そうですか、それは良かった」とルシアンはふわりとした笑顔を見せた。


お、分かってくれた?


「でも」


ルシアンの目から色気が滲み出て、ぬか喜びだった事が分かった…。

ですよねーーっ?!


「私はまだまだ足りない」


いやーーーーっ!!破廉恥ーーーーーっ!!




ロシェル様が布を買いに行くのに付き合うことにした。

ミルヒに捕まりたくなくて、逃げ出した、が正解!

お義母様も一緒に来ている。

二人は布を前に、あぁでもないこうでもない、と言い合ってる。

付いて来たは良いけど暇だなー、と思っていたら、燕国・ト国コーナーがあった。

まったく別物の文化だけど、皇都の人からしたら、同じように見えるのかもなー。


私は目の前の生地に触れてみる。あ、この生地。

前世で御守りを入れてる生地に似てる。


ルシアンはそろそろカーライルに戻るらしい。

個人的用事が何なのかは不明だ。


御守り、作ってみようかな。

ちょうど教皇が父親になった訳だし?

……あの人の祈りって、ご利益なさそー…。


「ミチル?その生地が気に入ったの?」


「燕国の生地ですわね」


いつの間にかお義母様とロシェル様が両脇に立っていた。


「御守りを作ろうかと思いまして」


「御守り?あぁ、アミュレットの事かしら?」


あぁ、そうか。こっちの文化ではアミュレットとかタリスマンとかって呼ばれるのか。


「この布を使うの?」


「これは、御守りを入れておく袋を作る生地です」


「御守りなのに隠しておくの?」


アミュレットやタリスマンはアクセサリーの形状をしているから、外からも見えるんだよね。


「そうなのです」


単純にアクセサリーという概念が昔の日本になく、着物で持ち歩く時に紙剥き出しのお札を守るため為に布の袋に入っていたんだろうけど。


「この後、お父様の元に向かいたいと思うのです」


「それはこの御守りに関連する事なのね?」


そうです、と頷くと、お二人は私の手からさっさと布を奪うと会計を済ませた。


「その御守りのお話、詳しく聞かせて欲しいから、お茶にしましょう」


そう言ったお義母様の目がキラリと光った。


何で?!何に反応した?!


カスタードクリームの美味しいお店があるのよ、と、ロシェル様に連れて来られたお店は、お菓子屋さんなんだけど、食べられる場所が少しだけ用意されていた。


皇都にはカフェらしきものはあるものの、純粋なカフェはない。

お菓子を販売するお店が食べられる場所を提供している、といったところだ。


っていうか、皇都にいる期間は私の方が長い筈なのに、美味しいお店をロシェル様に紹介されているのは何故なのかな?

皇都のグルメガイドブックでも出てるの?


私達の前には、たっぷりのカスタードクリームが入ったシュークリームが並んでいる。

カスタードクリーム、好きなんだけど、これだけだと重いんだよねぇ。

個人的には、生クリームと合わせたタイプが好きだなぁ。


「ミチルはあまりカスタードは好きじゃないのかしら?」


「いえ、好きですわ。ただ、カスタードだけだと沢山食べられませんでしょう?それが残念ですわ」


そうですわね、とロシェル様が頷く。

お二人とも、シュークリーム一つで満足されたようだ。

コルセットきついからね!


「ミチル様の知るあちらでは、カスタードクリーム以外のクリームがあったのですか?」


シュークリームだけで言えば、シューアイスなんかもあったし、クリームがチョコレートクリームなんてのもあったなー。

それを二人に話すと、二人とも楽しそうに微笑んだ。


「その、シューアイス?この暑さでも喜ばれそうではなくて?」


あー、なるほど。

夏はお菓子の需要が減りそうだよね。

ミス●も夏の売り上げが下がるからと、キャラクターものを出したりしてたし。最終的にはかき氷になってたな。


「かき氷が食べれるようになると嬉しいのですが」


「かき氷?なんですの?それは」


「もしかしたら燕国にはあるかも知れませんが、氷を細かく刻んだものに甘いシロップをかけて食べる氷菓ですわ」


二人が同時に美味しそう!と言うので笑ってしまった。


「皇都の夏はカーライルとは比にならない程に暑くなると聞いておりますから、氷菓は良さそうですわ」


日本のように湿度は高くないけど、実は気温は結構高いんだよね。


「カテドラルの工事をなさっている方達が熱中症になったら大変ですわね」


「ネッチュウショウ?」


こっちではまだそう呼ばれてないかな?


「体温が上がり過ぎて体内の水分や塩分の均衡が崩れたりする事による、体調不良の事で、重症だと命を落とす事もあるのです」


室内にいても起きるからね。


「ミチルは医学にも詳しいのですか?」


目をパチパチさせるお義母様。なんか可愛い!


「いえ、これは医学ではないのです。あちらでは一般的に知られている事だったのです」


こういった知識は現代日本でもようやく知られてきたようなものだったから、こっちでは過去の転生者が教えてない限りは広まってなさそうだよね。


お二人も教会に行きたいというので、付いて来てもらったところ、なにやら騒がしい。


バタバタと人が走ってる。呪いがどうだの叫んでいる。


「なんだか、大変な事が起きてそうですわ」


お邪魔だろうから、また出直そうかな、と思った私を、誰かが呼んだ。


「殿下?」


ミルヒだった。


考えてみれば、ミルヒから逃げる為に外出したのに、わざわざ来てしまったよ。そしてソッコーで見つかった。


「何があったのですか?」


ミルヒは明らかに狼狽えた様子で、カテドラルの工事をしている者達数人が、突然倒れて吐き気や目眩を訴え始めたのです、と教えてくれた。


言ってるそばから熱中症っぽい症状だなぁ。


「ミルヒ、塩を混ぜた水を沢山用意して下さい。あまり入れすぎてはいけませんよ。うっすら塩みを感じる程度で結構です。それから、水と布、横になれるように敷物を用意して、その人達を敷物の上に寝かせて下さい」


はい!と返事をすると、ミルヒは周囲の聖職者に声をかけて教会の奥、居住スペースに駆けて行った。


「ミチル様、なにが起きているのか、お判りになったのですか?」


「多分ですけれど、先程お話した熱中症だと思いますわ」


戻ってきたミルヒに案内され、不調を訴える人達の元に向かう。


「ミチル殿下がお越しです」


体調不良で横になってる人達が居住まいを正そうとするので、慌ててそれを止める。


「そのままでいいですわ。不敬とは見做しませんので安心して下さい。それから、直答を許します」


次々と運ばれて来た塩を含んだ水を、皆に飲ませていく。


「しょっぱい!」


「うぇっ!」


口ぐちに不満を訴えるが無視する。

気持ちは分かるけど飲んでくれ。


「皆さん、汗は出てきましたか?」


「!」


「汗が出てくる!」


ふむ、やっぱり熱中症だったようだ。


見渡したところ、痙攣とかを起こしてる人はいなさそうだったので安心した。意識がないとかだと、私にはどうしようもない。それはもう、予防とか対処とかじゃなく、治療で、私には無理だからね。


「殿下、この水は聖水なのですか?身体が、突然楽になりました!」


聖水と来ましたか!

でも、今の皆には聖水かもね?


「いいえ、塩を混ぜただけの、普通の水です。皆さんの体内の均衡を整える為に飲んでいただいたのです」


とりあえず汗が出るようになって、体温調節がいくらか可能になったとは言え、まだこれで治った訳ではないからね。


全員横になってもらって、水で濡らした布を額にのせていく。


「2〜3日は安静にして下さい」


「工事が滞りますから、それは無理です、殿下」


ミルヒが言った。


「安静にさせなければ、下手をすればこの者達の中には命を落とす者も出て来るでしょう」


職人達の顔色が悪くなる。


「この者達は技術を持つ者達なのでしょう?そう言った者達を2〜3日休ませるだけで、貴重な人材が失われないのなら、休ませるべきです」


ミルヒは困った顔のままだ。


「私からお父様にはご報告しますわ」


足音がして、誰かが勢いよく部屋に駆け込んできた。


「呪いが出たってのは、本当か?!」


立派な体格をした、いかにもおやっさんな人が部屋に飛び込んで来た。

私とミルヒをみて、慌ててその場に跪く。


「ミルヒ、この者は?」


「工事を請け負っている商会の長の、グーマです」


なるほど、責任者なんだね。

それにしても、この巨体でグーマとか、熊か?熊なのか?ダジャレで付けられた名前なのか?


さっきこのおやっさん、呪いが出た、って言ってたけど、もしかしてこれまでにも起きてた熱中症は呪いって呼ばれてたって事?


「グーマ、私はミチル・レイ・アレクサンドリア・アルト・ディス・オットーです」


私が名乗ると、グーマは頭を床にこすりつけた。

ちょっとちょっと、禿げるよ?!


「この者達の身に起こった事は呪いではありません」


「へ?」


間抜けな声を上げたグーマは顔を上げて、不敬だと思ったのか慌てて頭をまた床に付けた。


「グーマ、頭を上げて下さい。それから直答を許します」


グーマはミルヒを見る。ミルヒが頷くのを見て、恐る恐る顔を上げた。


「人間の身体の中には水が巡っている事は知っていますか?」


「はい、汗をかきますんで」


「汗は体温を調節してくれるものです。身体の中からあるものが失われると、貴方達が呪いと呼ぶ症状になり、下手をすれば死にます」


グーマが頷いた。

これまで、熱中症が原因で死んだ職人達は少なくなかったのだろう。


「それを回避するのが、塩です」


「塩?!」


思わず上げてしまった声に、グーマはぺこぺこと頭を下げた。


「そう、塩です。人間の身体は色んな栄養素を必要としますが、塩もその一つです。取りすぎはいけませんが、取らないのはもっとよくありません。

塩が足りないと人間は汗をかけなくなります。

ですから、水分を補給する際には、不味くとも塩を少し入れて下さい。

明日と明後日は工事を中止して、ゆっくり休んで下さい。この件については私からお父様にはお伝えしておきますから、心配する必要はありません」


グーマは呆然とした顔で私を見ていたかと思うと、ボロボロと泣き始めた。それからまた頭を床にこすりつけた。


なんで?!


「ありがとうございます!ありがとうございます!」


これまでも、そうやって手塩にかけた弟子が死んじゃったのかもな。


気が付いたら、休めと言っておいた職人達まで、頭を床にこすりつけてた。


何で?!


動揺を顔に出さないようにして、ゆっくり休むようにと言って部屋から逃げた。

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