転職のススメ<ステュアート視点>

アルト宰相補佐官に初めてお会いした時の印象は、何でも持っている苦労知らずの美丈夫、だった。

鳴り物入りとまではいかないまでも、皇国貴族を差し置いて、名門クレッシェン公爵家に養子入りした、アルト公爵の実の弟、キース・クレッシェンが宰相職に就いた時には、皇国が踏みにじられたような気持ちになった。

しかも補佐官とし、キース・クレッシェンの甥であるルシアン・アルト伯爵までもが着任した。

同僚のウォード・フローレスは、世継ぎの御子や、その後見人である方々がそれを良しとされているのだから仕方がないよ、と諦めた口調で言っていたが、私は納得出来なかった。

お二人の働きぶりを目の当たりにして、私は直ぐにその考えを改める事になったのだが。


宰相補佐官は、以前皇国の学院で学ばれていたとの事だが、昇級により異例の速さで学院を卒業し、母国のカーライル王国に戻られていたのだそうだ。

宰相補佐官は私より年下なのだが、そんな事も気にならない程に優秀だった。

判断は的確で早く、前任のツォード・オドレイとは比べものにならない。


順調に仕事が片付いていき、充実した毎日を過ごしていたところ、突然宰相補佐官が帰国すると言う。


「まだ補佐官としての職務に就いたばかりではありませんか。何故帰国されるなど…」


動揺する私に補佐官は言った。


「卒業式に出席する」


まだ学生だったのか…!!




聞けば、帰国してから母国の学園に2年間通い、その途中で噂の転生者と婚姻を結ばれたのだという。

噂では補佐官が婚約者を溺愛し過ぎて婚姻が早まったとの事だったが、補佐官はあの容姿に家柄と才能を持つ。

相手の令嬢は伯爵令嬢だという。令嬢が補佐官を皇都の貴族令嬢に取られまいとして婚姻を早めたのではないかと勘ぐってしまう。

転生者という存在は初めて知ったが、その知識を自国のものにする為、高位貴族との結婚が望ましいらしい。

補佐官は次男であり、本来嫡子ではなかった為、転生者の取り込みの為に婚約者となったのではないかと思われた。

それがどういった経緯か、嫡子になり、その才能がある故に皇室の建て直しに協力を請われたと。


補佐官の妻は伯爵位もお持ちだそうだが、本当に自分で領地経営をしてるとも思えない。その為の教育を受けて来なかった普通の令嬢が、簡単に領地経営など出来る筈もない。

ウィルニア教団の薬物を中和する薬にしたって、たまたまというのもありえる。


あの年齢にして冷静沈着で、感情の乱れが一切ない補佐官が、女性を溺愛して、それが過ぎて婚姻が早まったなどと信じられなかった。

だが実際に結婚生活を送っているのであれば、自ずと答えは見えてくる。


補佐官は、この結婚を望んでないに違いない!と。




一ヶ月後、補佐官は皇都にお戻りになられた。

良かった、これで職務を遂行出来る…!

そう思った私は、信じられないものを目にする。


補佐官が妻を連れ立って執務室に来たのだ。


愚かで醜いに違いないと思っていた私の前に現れたのは、華奢な身体に、白皙の、美しい女性だった。

アッシュブロンドの髪は艶やかで、優美に結い上げられ、エメラルドのような深い緑の瞳に、淡く色付いた唇は形良く、どんな声なのだろうと考えてしまう。

人形姫だとか妖精姫だと呼ばれているというのは聞いていたが、比喩でも嫌味でも何でもなく、その通りの見た目なのだ。


驚いた事に補佐官は己に妻を引き寄せ、見たこともない優しい表情になり、笑顔になった。


「私の妻の、ミチル・レイ・アレクサンドリア・アルトです。本日より私の補佐として登城する事になりました」


補佐?!


補佐官ともあろう方が、いくら妻を溺愛しているとは言え、そのような公私混同をなさるとは…!


「失礼ですが、足手まといになるのでは?」


なんとかそういった事は止めていただかなくては!


奮闘したものの、宰相閣下の命令という事で、それに従えないなら自分の元で働かなくて良いと補佐官から言われてしまい、私は撃沈した。


それから、補佐官の妻が挨拶をされたのだが、控えめながら美しい微笑みと、その美しい声に私達は呆然とした。

挙句、補佐官が、妻の髪を撫でている…!


補佐官が妻を溺愛し過ぎて婚姻を早めたのは事実のようだ…。




結論から言うと、アルト宰相補佐官の妻に対する私の認識は全て間違いだった。

次々と執務に必要な道具を変成術で作り出し、有益な業務分担方法を発案した。かと言って出しゃばる事なく、我らの職務を補佐して下さる。


お茶の提供や、小腹が空いた時用にと手を汚さずに口に出来る菓子などを用意してくれたり、他の執務室への届け物など、時間を取られるものなどを代行して下さった。


業務の優先順位が決まった事で、無駄に残って職務をする事がなくなった。

これには家庭持ちの同僚達が泣いて喜んでいた。


とても、仕事がやりやすくなったのだ。


女性だからと下に見ていた己の視野の狭さと思い込みを恥じた。有能さとは、性別に比例しないのだと思った。


補佐官はきっと、見た目だけで妻を選んだのではないのだな…!


愚かにも何度か奥方に噛み付いてしまった己を恥じ、謝罪したところ、奥方は優しく笑顔を返してくれた。

何と素晴らしいお方なのか!さすが補佐官の奥方!




皇国の貴族の腐敗は身に染みて分かっていた。

分かっていたが、ここまでとは、と思わざるを得ない。


宰相閣下を通して世継ぎの御子である姫を操り、政を思うままにしようとした上位貴族達は、遂に姫の怒りを買った。


上位貴族筆頭だった、エルギン侯爵家、オドレイ侯爵家が犯した罪を問われて処罰された。

オドレイ侯爵の言いなりになっていた伯爵家も同時に。

一度にこんなにも多くの上位貴族が処罰されて皇国は大丈夫なのかと不安に感じていたら、女帝即位後に皇国の行く末を憂いて隠居したり、諸国に移住していた、かつての皇国貴族が続々と戻って来たのだ。

補佐官があらかじめ声をかけていたのだそうだ。

なんと言う深謀遠慮!!

人員は過不足なく配分されていった。むしろ、エルギン家やオドレイ家の腰巾着がいなくなった事でやりやすくなった部分が多かった。


宰相閣下は病にかかられたという事で、クレッシェン公爵との養子縁組みを解消し、母国に帰られる事が決まった。

代わりに補佐官が宰相代行をお勤めになられる事になった。

お仕事ぶりなどはなんら心配ないが、新たな補佐官は立てないという。

お一人でこの量を処理なさるのは、どう考えても無理なのでは?!

そう思うのだが、顔色一つ変えず、粛々とすべき事をただひたすらに片付けていかれる補佐官、もとい宰相代行はもはや人ではないような気がする。


宰相閣下の下で働いていた者達と、補佐官時代の我らが混じった事で、あちら側があからさまに嫌味を言ってくるようになった。

我らはひたすらに職務をこなした。

宰相代行は何もおっしゃらない。助けていただきたいという気持ちもない訳ではないが、そもそもそんな下らない事でお手を煩わせるのもどうかと我らは思ったのだ。

あの方はとにかくお忙しいのだ。

補佐官がまた就けば、我らはそちらに戻るのだろうし、必要以上に諍うのは得策ではない。


「ムルギ」


宰相代行が名を呼んだ。


ムルギと呼ばれた彼は、伯爵家の次男で、宰相閣下の元で人員を束ねる役を任されていた。


「お呼びでしょうか、宰相代行」


得意げに私をちらりと見るムルギに、苛立つが、我慢しなくては。何故私を見る!


「クレッシェン宰相の元で働いていた者達に申し付けておく事がある」


そう言って宰相代行は万年筆を机の上に置いた。


「な、なんでございますか」


思っていたのと違う展開なのだろう、ムルギの声が僅かに掠れる。他の者達の表情にも動揺が見える。


「これからもそのような下らない行いを続けるのであれば、そなた達はこの室には不要だ」


さっ、とムルギの顔色が悪くなる。


「私に必要なのは、皇国の為に働く人間だ。どちらが上だなどといった、下らない事に意識を向けているような者は職務の妨げにしかならない。時間の無駄だ」


宰相代行は万年筆を手に取り、「話は以上だ」と言って職務に戻られた。


ムルギは少しの間その場に佇んでいたが、己の席に戻ると、俯きがちに職務に取り掛かり始めた。




休憩時間になり、暗い雰囲気の執務室にいるのが辛かった私とウォードは図書室に足を踏み入れた。


いつもここにいると噂の雷帝国の皇弟殿下はいなかった。

代わりに長い黒髪を後ろで束ねた、存在感のある紳士がソファに腰掛けていた。


私達の視線に気付いたらしく、その紳士は顔を上げた。


「おや」


グレイの瞳が優しく細められる。


「ステュアート伯爵家次男のゲイリー殿と、フローレス伯爵家の三男のウォード殿かな?」


ウォードに視線を送ると、首を横に振る。

彼も知らない御仁のようだ。


「はい、その通りです。あの…」


ふふふ、とその紳士は微笑んだ。


「息子がお世話になっていると聞いているよ」


その言葉にピンときた。

アルト宰相代行のお父上、アルト公爵!


その影響力はディンブーラ皇国圏内全土に広がると言われている。本当か嘘か分からないが。


「二人とも中々見所があるとルシアンから聞いているよ」


宰相代行がそんな風に…。


感動していたところ、公爵はにっこり微笑んだ。


「とは言え、君達は皇国では日の目をみないだろう。

どうだい?君達さえ良ければ、ルシアンがカーライルに戻る際に一緒に来ては?」


「!!」


「皇国は貴族の入れ替えにしばらく時間を要するだろうし、これまで外にいた優秀な人材や元々爵位が高い者達がルシアンの施策により戻って来ている。そうなると君達の今の立場は微妙になるよね。ルシアンは皇国の人間ではないからね」


ぎくっとした。

敢えて目を背けていた事だった。


「ルシアンは君達の才能と熱意がこのまま埋もれる事が勿体ないと言っていてね。ルシアンがそこまで褒めるのも珍しいからね。勧誘に来てみたんだ」


公爵は立ち上がると、私とウォードに微笑んだ。

笑顔なのに、凄みを感じるというか。


「考えてくれると嬉しいよ」


図書室を出て行こうとする公爵の背中に向けて、私は叫んでいた。


「ゲイリー・ステュアート!是非、宰相代行の下で働きたいです!」


ずっと考えていた事だった。


私は新しい補佐官が来たら煙たがられるだろうと。

前のオドレイの時もそうだった。煙たがられて、遠ざけられ、雑用ばかりを押し付けられる。雑用とて必要な事だと分かっている。悔しくてたまらなかった。

でも、それは私自身が悪いのだ。

私は貴族としての、当たり前の腹芸が出来ない。言葉を隠す事も出来ない。

頭の中では分かっているのに、いざとなると出来ないのだ。

その所為でこれまでどれだけの人間と喧嘩別れした事か。

上官に目を付けられる事も多々あった。


宰相代行の下での仕事は、やり甲斐を感じられる。

こんな私の事を使って下さる。

この先こんな方にまた巡り会える可能性はほぼない。

だから、私は付いて行きたい!


公爵は振り返って微笑んだ。


「ありがとう」


「わ、私は…」


ウォードはそこまで言うと俯いた。


「少し、考えさせていただけないでしょうか」


公爵は鷹揚に頷いた。


「勿論だよ、人生に関わる事だからね、よく考えてくれて構わないよ」


公爵が図書室から出て行った後、ウォードはため息を吐いた。


「ゲイリー、こんな簡単に決めてしまって、後悔しないのかい?」


「ウォードもよく知ってるだろう。私が口下手なのを。それでも私を使って下さる宰相代行の下でこれからも働きたいのだ」


険しい表情のウォードに笑いかける。


「ウォード、君は私と違う。不遇は長く続くまい。皇国でもやっていけるだろう」


何も言わず、ウォードは手をぎゅっと握りしめた。




何があったのかは不明だが、その日から宰相代行の職務をこなす速さが加速し、我らは争っている暇などなかった。

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