049.初めまして院長
今日はモニカと王子がカーライルに帰る日。
私とルシアンで二人を見送る。
モニカは私の手をぎゅっと握った。
「楽しかったですわ、ミチル」
……そうでしょうとも。
あれだけ人目を憚らずに王子とイチャコラしてれば、良い思い出にもなったでしょうとも。
私が生温い目で見ていると、二人とも赤い顔をした。
私の視線の意味と、心当たりが有りすぎてとても気まずそうである。
王子が咳払いする。
「二人とも、これからも大変だと思うが、息災で。
カーライルにて無事を祈っている」
取り澄ました王子の言葉にも、つい、シニカルな笑みを浮かべてしまう。
「ミチルは屋敷のあちこちで仲良さげに戯れているお二人に困って、部屋に閉じこもってましたからね」
そう言ってルシアンが私の腰に手を回す。
おや、珍しくルシアンが皮肉めいた事を…。
まぁ、二人がいるからと、特定の部屋以外でのいちゃいちゃは拒否したからね。
最初は二人に好きにさせておいてと言っていたルシアンも、自分が制限されているのに二人がイチャラブしてるからイラついていたのかも知れん。
モニカの顔がゆでダコのように真っ赤に染まり、王子の耳が赤くなった。
「……申し訳ない……」
モニカが何かを言おうとしたが、レシャンテがお時間ですな、と言った為、王子にエスコートされて馬車に乗り込んだ。
「お気を付けて」
二人を乗せた馬車は、あっという間に屋敷の庭を通り抜け、消えて行った。
これで、部屋に隠れる必要もなくなったぞ!
きっとこれまで通り部屋にいるだろうけど、いいの!
自発的ひきこもりなの!
ルシアンが私のこめかみにキスをする。
「さ、日差しが強いから中に入りましょう」
手を引かれて屋敷の中に入る。
見送りが終わったら、ルシアンは皇城に出仕する。
とにもかくにも忙しいらしい。
…どうでも良いけど、ルシアンの後任ってちゃんと来るんだよね?
あれから、私は出仕していない。皇族になってしまったしなぁ…(遠い目)
ルシアンに皇城に来ると貴族達に纏わり付かれて大変な思いをする事になるから来ない方が良いと言われた。
贈り物攻撃は未だに続いてる。あれはおべっかだけではなく、己の罪を暴かれるのが怖くて、っていうのが大きいんじゃないかなー。
暇だし、クロエに頼んで、この大陸の植物を採取してきてもらって、魔石を抽出して、ミチルを駄目にするクッション作りのパウダービーズとして溜めようかな。
カーネリアン先生に魔道研究院に誘われているものの、ルシアンが貴族達の粛清がもうちょっとかかるから、待っててと言われているので、行けない。
それは素直にカーネリアン先生にお手紙に書いて送った。
ルシアンをお見送りした後、部屋でお茶にする。
「その院長をこちらに呼び付ければよろしいのでは?」
アビスが言った。
私の前にほうじ茶ミルクティーが入ったカップが置かれる。私が好きだと知ってから、淹れてくれるようになった。
湯気がゆらりと立ち上る。暑いんだけどね、ほうじ茶ミルクティーは熱い方が好きです。
「ご主人様は皇族となられましたのです。ご主人様を研究院に呼び付けるなど、不遜です」
え、それこそ皇族になってすぐに権力を振りかざす嫌な奴に見えるけど?
いや、それが正しい事は分かってるんだけどね?
「ですが、私は魔道研究院の准研究員ですし」
私から行くのが筋のような…。
おずおずとアビスに言ったら、バッサリ切り捨てられた。
「皇族になられた瞬間に、准研究員ではなくなっております。皇族が特定の機関に属するのは後々問題となりますので」
あぁ、なるほど。
あれ? でも、それだとゼファス様は?
「皇族が教皇になる事は遥か昔はよくある事だったようですので、教皇聖下におかれましては、何も問題ございません」
神の代理人はオッケーなのか。そりゃそうか。
「お立場が変わられて戸惑われておられるでしょうが、慣れていただく必要がございます」
はい、分かっております、アビス先生。
分かってはいるんですけど、生粋のモブですし、生まれ付いての皇族でもない訳なので、何か難しくありません? 私の立ち位置…。
「先日、ご主人様がレシャンテにおっしゃられた件ですが」
? 何か言ったっけ?
「罪を犯した貴族から没収した資産を皇室の物とするのはいかがなものかとおっしゃられました」
あぁ、言いましたね。
あれはね、何度考えてもいかんと思うのよ。
「アレクシア姫が被害に遭われた者達への賠償に充てる事を正式にお認めになられました」
え?!
あんな、お茶の間での発言がいつの間に姫の元に?!
「レシャンテは素晴らしい案だと思ったようで、直ぐに旦那様に報告したのでございます。旦那様も良い案だと判断なさり、姫に上奏なさったようです」
そ、そうなんだ…。
でもまぁ、被害者への賠償とか、大事だもんね。
うん、良い事だね。
「これにより、姫とご主人様の人気が国民の間で高まっているようです」
なんで?!
「何故私の人気が上がるのですか…? まさか…私の名前が出ているのですか…?」
アビスは無表情のまま頷く。
ジーザス!!
いや、悪い事じゃないんだけど、私の名前いらなくない?! 姫だけでいいでしょ!
「元々、ウィルニア教団の薬物中毒を治す為の治療薬を作った人物として、ご主人様は皇国全土でも有名ですので、今回の事もすんなりと受け入れられているようです」
「あ、アビス、今なんとおっしゃったの?」
アビスが首を傾げる。
「何故、私がウィルニア教団の薬物中毒を治す薬を開発した事になっているのですか?!」
大きい声がハシタナイとか、この際どうでも良いです!
「当主様のご指示で、アレクサンドリア領で中和に使用する植物の育成をご指示なさいましたでしょう?」
それは、頼まれたからオッケーしただけで!
お…………お義父様ーーーーっ!!
あの腹黒めーっ!!
「どうしたんですか? 私の女神」
ルシアンからの謎の枕詞、久々に聞いた。
ってか女神て! 罰当たりな!
忙しすぎるルシアンとは最近、食事を一緒に摂れない。
孤食は寂しい。正確には、皆に見守られながら一人で食べる食事なんだけどね…。
貴族ですからね、普通なんですけどね。
寝る時までには帰って来てくれるので、一緒に眠れるし、朝食も一緒に食べれるんだけど…。
ルシアンにお弁当作りたいって言ったらアビスに駄目って言われちゃうし。
セラがいかに私を甘やかしてくれていたかが、よく分かる。
アビスは執事として正しいんだと思うんだけど…私、このままだと、ボケそう。二十歳を待たずして痴呆になりそうです、えぇ。
「元気がありませんね」
そっすね。
ボケにいかにして逆らうかを真剣に模索中ですよ。
私の頰にルシアンは自分の頰を付けてくる。
「ごめんなさい、ミチル。寂しい思いをさせて」
カーライルに戻ったとしても、ルシアンは忙しいままだろうな。そうすると、孤食も継続な訳で。
アレクサンドリアの事があるから、今よりはマシかも知れない。カフェもあるし!
でも孤食は変わらないんだろう事は確実…。
同じ立場の人間がいれば孤食は解消されるんだけど、同じ立場…? つまり家族だよね。
「……子供?」
私の呟きに、ルシアンがピクリと反応する。
しまった!
子供が欲しいんですか?じゃあ、愛し合いましょうね、とか言われたらどうしよう!!
ルシアンは私の頰を両手で押さえた。
やはり、その気になってしまわれた?!
いや、貴族ですから、子供は絶対に産まなくてはいけないんだけどね?!
何と申しますか心の準備がっ!
「努力します」
やっぱり!!
「もうちょっと待って下さい。少しずつ、側にいられる時間を戻していきますから」
……アレ?
予想と違う反応だぞ?
ルシアンを見ると、ちょっと焦っているような?
「ですから、子供はもう少し待って欲しい」
……ルシアン、子供にまで嫉妬するタイプかも。シアンにすら嫉妬するし。
前世でも、子供に奥さん取られたって思って拗ねる旦那は一定数いたみたいだしな。
このヤンデレがそう思わない筈もないな、うん。
「まだ、新婚なのに」
そう言ってルシアンは私をぎゅっと抱きしめる。
この新婚の定義は、何かの時に私が話したんだよね。
結婚して3年間は新婚だけど、子供が出来ると新婚ではなくなる、という奴。
ルシアン、新婚の響き結構気に入ってるのかな。
「本来であれば、新婚期間中は心置きなくミチルとの蜜月を堪能する予定だったんです」
そうなんだ…。
適度な甘さは望ましいんだけど、ルシアンの言う蜜月は私の思うのとは違う気がスル。
「私達、色々と巻き込まれておりますものね」
えぇ、とルシアンが頷く。
「明日から執務室の皆さんにはこれまで以上に働いていただかなくてはいけませんね」
にっこり微笑んだルシアンの笑顔は、黒かった。
…執務室の皆さん、ごめんなさい。
みなさんの職場がブラック化するのは私の所為です、えぇ。そして、どうか生き残って下さい…。
南無。
*****
カーライル先生が屋敷に来て下さった。院長連れて。
私の知らない所でアビスとやりとりしたみたいで…。
まさか本当に呼び付けるとは!!
誠に申し訳ない!!
初めて会う魔道研究院院長は金髪にミッドナイトブルーの瞳の、冷たい感じのイケメンだった。
名前はガブリエーレ・エスポージトというらしい。
ガブリエーレという名前、似合ってる。親はよく分かってるね。
伯爵位をお持ちのようです。
「初めまして、エスポージト伯」
アビスには、皇族としてのお振る舞いを、と言われてしまったので、私から話しかけなくてはいけない。
気持ち上から。
こういった話し方や所作を、姫は短期間で身に付けたって言うんだから、本当凄い。
私、無理!
院長は深々とお辞儀をする。
「ご尊顔を拝する栄誉に浴しましたる事、女神に感謝致します」
おぉ、声もイケメン。
院長の一歩後ろのカーネリアン先生がその場でカーテシーをする。
私が先に座って、手でソファに座るよう促すと、二人はそれぞれ別のソファに腰掛けた。
エマが紅茶を運んで来てくれた。
飲み物って、困った時の誤魔化しに使えていいよね!
「少しはお慣れになりましたか?」
カーネリアン先生が意地悪く言った。
私がまだ全然皇族としての諸々に慣れていないのを分かっていながらこの質問ですよ。
「なかなか、思うようにはならぬものです」
紅茶をひと口飲む。
「殿下、質問させていただく事をお許しいただけますか?」
院長の言葉に頷く。
「植物から魔石を抽出する方法は、どのようにしてお気付きになられたのですか?」
雑談すっ飛ばして魔道の話とは。
さすが院長。魔道馬鹿なんでしょうかね。
皇室主催の夜会で食べた海老から、前世の記憶が蘇り、人の身体が危機的状況であると判断した時の反応を話した。
「なるほど…人体とはそのような判断を下すのですね…大変興味深いです」
院長は顎に手を当てて何やら考え始めた。
「研究は進んでいますか?」
カーネリアン先生に尋ねると、先生は少しだけ困ったような顔になり、首を横に振った。
さぞかし難しいんだろうなぁ…。
難病を治す薬か…。
「魔道研究院の院長しか読めない貴重な資料を拝読させていただいたのですが、いくらか進捗はあったものの、決定打には欠けると申しますか」
院長しか読めない本なんかあるのか!
…あ、そういえばあの本の続き、知ってるかな?
「"マグダレナの加護"という本を読んだ事はありますか?」
「いえ」
カーネリアン先生も首を横に振る。
うーん、そうか…。
「その本が何か?」
「上下巻のようなのですが、下巻が見つからないのです。魔道について私の知らない事が書いてあるので、是非読んでみたいのですが、古い本でもあるようなので、もう存在しないのかも知れません」
「魔道の本にしては珍しい題です。題だけ聞くとマグダレナ教会が出した本のように思えます」
確かに。
「言われてみればそうですね。お父様に尋ねてみます。
ありがとう、エスポージト伯」
とんでもございません、と院長は頭を下げる。
「その本にはどのような事が書いてあるのですか?」
「魔道そのものの話、といったところでしょうか」
魔力とは、とかそんな基本的な事が書いてあったり、魔力がそもそも女神から与えられたものだとか、そういう。
女神から与えられた、だから"マグダレナの加護"というタイトルなのかも知れないしね。
そうなると、院長が言うように、マグダレナ教会が出した本だったのかも。
植物から採取した魔石を二人に見せたり、それについて話しているうちに良い時間になって、お茶会はお開きになった。
「またお越し下さい。自由にならない身ですので、退屈しております」
と小声で言うと、院長と先生が笑った。
大分、院長とは話せるようになった。表情も見せてくれるようになったし。
また会えるのが楽しみである。
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