主人の怒り<フィオニア視点>

報告をすべく、深夜にルシアン様の元を訪れた。

まとめておいた書類を机の上に置く。


「お申し付けの通り、各貴族を回って参りました」


レシャンテ様が淹れて下さったお茶を飲む。


「所感は」


私が書いた報告書をルシアン様はめくっていく。


「悪くないかと。

今回声をかけた貴族の8割は戻って来ると思われます。

ルシアン様の予想通り、皇国を出たものの、現在の国で丁重に扱われていない者の比率はそれぐらいでした」


それにしても、と話を続ける。


「当主様のご指示を待たずに始めてしまってよろしかったのですか?」


「…構わない。どうせ父の事だ。女帝退位までに大規模な粛清を実行する。そうなってから動くのでは間に合わない。そんな事をしていれば遅いと叱責を受けるだけだ。

それに、俺もいい加減あの愚か者共には飽き飽きしている。父からの命がなくとも、処分する」


ため息を吐くルシアン様に、思わず苦笑してしまった。


「姫が世間知らずなのは仕方ないにしても、キース様には困りましたね。まさかあれ程キャスリーン様に溺れるとは思いませんでした」


「アルト家の男の《性》なのではないか?」


そう言って苦笑するルシアン様。


ご自身の事もあってそうおっしゃっているのだろう。


当主様も奥方様をこの上なく大切になさっている。

ルシアン様は言わずもがな。異常な程にミチル様を愛してらっしゃる。


「早めに何とかしなくてはなりませんね。このままでは皇国貴族が勘違いします」


「もうしているだろうな」


「そうなのですか?」


ルシアン様からの命であまり皇都にいない為、現状を正確に把握してはいない。


「私を取り込む必要がないと判断するからこそ、レーフに取り入ろうとするのだろう」


あぁ、なるほど。

それは地味に厄介だ。


「皇国貴族が帝国皇弟の妻になりたいなど、愚かにも程がありますね。笑えない冗談です」


「兄に命を狙われた弟を支援して兄の代わりに帝位につけようという気概があるのであれば、愚かとは言わないのだろうが」


「そんな事が可能な令嬢がおりますか?」


どうかな、と答えると、私の報告書をザッと読み終えたルシアン様は、背もたれに寄りかかると、目を細めた。


「まず今回の貴族達が然るべき職務に戻るのを見れば、迷っていた者達の五割ぐらいは戻るだろう。

粛清により不足した貴族の帳尻も合うだろうし、二段階置けば、急な変化による混乱も少なく済む」


「そうですね。ですが、そんな上手く行きますでしょうか?」


「混乱は必須だ。いかにそれを最小限に止めるかしかない」


「いえ、キース様が妨害をするのを危惧しております」


ルシアン様は息を吐いた。


「問題ない。叔父はそのうち宰相の座を降りる」


そのような予定は聞いていない。という事であれば、ルシアン様の中で、計画されているという事か?

あれだけ進言したにも関わらず、未来の当主の言う事を聞かないのであれば、何がしかの罰を与えるべきだろうが。


「…ご計画がおありなのですか?」


「キャスリーンの実家がオドレイ侯爵と繋がっている証拠を得た。他にも4つ程の家と懇意にしている。それを早めに刈り取りたい。それを持って叔父にはその座を降りていただく」


「その為の準備は?」


「セラがリュドミラを使って焚き付けると言っていた」


元伯爵令嬢のリュドミラは、小説を書くのが好きで、よくルシアン様とミチル様を題材にした話を書いていると聞く。ミチル様は絶叫している事だろう。


その趣味を活かして皇都内に各貴族の不正をバラ撒いて焦りを誘発させるおつもりか。その後、小説に書かれている事実を少しずつ露見させ、動かざるを得ない状況に持っていき、処分していく。


「オドレイ達はそれで良いとして、あの短絡者のエルギンが黙っておりますでしょうか。先日広めた小説では、貴族であればエルギンとリリーの事と分かる内容と伺っております」


「気位の高いリリーは、あの内容に恥じて外に出ぬ筈だ。エルギンそのものは動けぬよう、不正の調査の為に財務官を仕向けている」


私達は知らなかった。リリーの精神状態が既に常軌を逸していた事を。それによりあちらの行動が予想以上に早まった事を。

仕向けた財務官はエルギンそのものの足止めはしたが、エルギンはルシアン様のご友人である二条殿の乳兄弟を誘拐し、ルシアン様の足止めを命じた。

エルギンの目論見は二条殿が直ぐにルシアン様を解放した事で外れるが、オドレイ達がエルギンの策を知って便乗し、ルシアン様の足止めをはかる。

我らにとって一番予想が外れたのは、騎士団をまとめるキンスキー家がオドレイの言いなりになった事だった。

騎士団長であるキンスキーは高潔な人間として有名だった。だからこそ、オドレイの下に入った事は俄かには信じ難かった。

それにより、ミチル様がいらした休憩室前に立つ騎士と巡回する騎士はその場を離れるよう指示され、門番がミチル様の護衛騎士の足止めをした。

それでも、ルシアン様は兄のセラフィナがミチル様の側を離れるとは思っていなかったようで、何かがあっても、そこで守りきれると考えてらっしゃったようだ。

何故あの時、兄はミチル様の側を離れたのか。いくらミチル様にワインをかけた令嬢が兄や護衛騎士にしか話さないと言ったとしても、そんなものに素直に従う必要はない。


兄があの時、正常な判断が出来ない状況であった事を、クロエが突き止めたが、ルシアン様はそれでも兄を許しはしなかったし、兄もまた、己を許さなかった。

ミチル様だけでなく、兄もまた、薬をオドレイの手の者に飲まされていた。ずっと前から、兄の元に届けられていた紅茶は、頭の回転を鈍らせる類いのものだった。




「キンスキー卿、お話をお聞かせいただいても?」


騎士団長であり、キンスキー家当主の前に座ったルシアン様は、射抜くような目でキンスキーを見つめる。


私とルシアン様は深夜だろうが気にせず、キンスキーの屋敷を訪れた。

バレた事を観念したのだろう、キンスキーは受け入れ、私達はサロンに通された。


「オドレイに脅されていたのだ…!仕方がなかった!」


悲鳴のようにキンスキーは叫んだ。縋るような視線を向けるものの、ルシアン様の表情は変わらない。


何故キンスキーがあのような指示をしたのかは調べさせた。

好色であるエルギンは、薬を用いるなどして、淑女に不埒な真似をしていると噂されていた。そして概ね噂は事実だった。

キンスキーの妻もその被害に遭っており、その事実を同じように調べたオドレイに脅しのネタに使われた。


「それで、他の婦女子が、貴方の妻と同じ目に遭う事を予見しておきながら、唯々諾々と言いなりになったと言う事ですか?」


キンスキーの目が揺れる。


「…このような方が皇国騎士団長とは」


「すまないとは思っている…でも、それが知られたら、妻は…妻のアンナが自死してしまうのではないかと思うと逆らえなかった…。

私は、私はどうすれば良かったんだ…」


「死んで下さい、キンスキー卿」


ルシアン様ははっきりと言った。

あまりの言いようにキンスキーは驚きを隠せず、見開いた目のまま、ルシアン様を見た。


「何故驚かれるのです?貴方の理屈で言えば、愛する妻を自死から守る為なら、他の婦女子を犠牲にしても、他人が傷付いても構わないのでしょう?

私の妻も、未遂に終わったとは言え、その事が広まればその心の傷から自死してしまうかも知れない。それは私としては絶対に防ぎたい。その為にも、貴方には死んでいただきたい」


ルシアン様は話を続ける。


「この事が知られれば、貴方は罷免になる。

高潔で名が通っていた貴方が騎士団長職を罷免されれば、何故なのかと誰もが疑問に思うでしょう。

奥方は嫌でも、自分の所為で夫はオドレイに脅され、罪に加担し、騎士団長職を罷免されたのだと言う事を知るでしょうね…そうなれば結局同じなのではありませんか?

そして私の妻の事も多くの者に知られる事になる。例え未遂であっても、後ろ指を指される」


キンスキーが絶望した顔になる。

そんな当たり前の事も考えられなかったのだろうか?


「罷免される前に、今回の騒動を防ぎきれなかった己の不甲斐なさを恥じて職を辞し、自死していただければ、貴方の名は高潔なままで済むかも知れませんね?

あぁ、ただ職を辞するだけでは意味はないと思います。次の騎士団長は再発防止を命じられ、何があったかを調査するでしょう。そうすれば貴方がした事は明るみになる。高潔な方のゴシップは、暇を持て余した貴族には堪らないでしょうね。

そうなれば貴方の愛する妻はどう思うんでしょう?

自分と同じように、媚薬を使われて婦女子が穢されそうになった。その企みに、その事で苦しんだ事を一番よく知っている筈の夫が加担した事を知ったら?」


キンスキーの唇が恐れで震えている。

ルシアン様はそのまま畳みかけていく。


「その心情は察するに余りある。自分の為に夫は悪事に加担した。そんな夫を愛したいと思うのに、その所為で傷付いた女性がいる。例え未遂であっても、心に傷を負うものです。貴方の妻は、貴方を汚らわしいと思うかも知れない」


青ざめた顔のキンスキーは、復唱するように、汚らわしい…と呟き、己の震える両手を見る。

…そろそろ、キンスキーは落ちるだろう。


ルシアン様は、優しい視線をキンスキーに向ける。キンスキーは怯えた目でルシアン様を見つめた。

優しい声で、ルシアン様は言った。


「貴方が自死していれば、さすがに死んだ者の罪までは暴かないでしょう。秘密はそのままに貴方の愛する妻は生き続ける。

いかがですか?ご一考いただく価値はあると思いますが」


何かを話そうとして口を開いては閉じる事を2、3度繰り返した後、キンスキーは絞り出すような声で言った。


「…分かった」


ルシアン様はにっこり微笑んだ。


「あぁ、この事を件の貴族達に話したり、逃げようとなさったら、私が貴方の妻を殺します」


キンスキーは俯いた。握りしめた手は小刻みに震えているままだ。


立ち上がったルシアン様はキンスキーを睥睨して言った。


「絶対に逃がしはしない。貴方が私に殺されまいとして妻を自ら手にかけたとしても、私は貴方を許しはしない」


キンスキーは両手で顔を覆った。




数日後、キンスキーは騎士団長職を辞し、自死した。

遺書などはなかった為、何故キンスキーが死なねばならなかったのかについて噂はたったものの、その噂も長くは続かなかった。

ミチル様が皇族籍に入る事が発表されたからだ。貴族達の関心がそちらに移ったのは至極当然の流れだった。

むしろ貴族達は、己のした事がどのように己に跳ね返ってくるかに怯え、その為に上位貴族や公爵家に取りなしを頼むのに必死で、キンスキーの事などどうでも良かった。

キンスキーの妻は亡き夫の亡骸を抱え、領地に戻って行った。

ルシアン様の読み通り、新しく就任した騎士団長は、キンスキーの行った罪に気付きはしたものの、それを黙して語らず、キンスキーの名は守られた。


兄であるセラフィナは、ルシアン様にミチル様にワインをかけた令嬢を始末するよう命じられた。

拒否するかと思われたが、兄は承りました、とだけ答えると、屋敷を出た。

令嬢は入った修道院で、自死した姿を発見される。

遺書には、罪を償う為に修道院に入り、神に祈っていたものの、祈れば祈る程に己のした罪の重さに耐えきれなくなったと記されていた。

令嬢の遺体に外傷はなく、遺書の存在もあった事から、自死を疑う者はいなかった。


「キースを先に処罰しておいて良かったよ」


そう言って当主様は苦笑した。


「そうでなければ、ルシアンにキースが始末されてしまう所だった。我が息子ながら、容赦ないなぁ」


クレッシェン公爵邸のサロンで、私は当主様に呼ばれて、酒に付き合っていた。


「当主様がキース様を可愛がられている事をルシアン様はよくご存知です。さすがにそれはないのでは?」


それはどうだろうね、とおっしゃると、ワインを口に含んだ。


「叔父だからと顔を立てただろうに、キースはあの調子だったろう。ルシアンは絶対に許さないよ」


キース様が当主様から賜った罰は、記憶を奪うものだった。薬を飲んで記憶を失ったキース様の精神年齢は10代前半で、ルシアン様やラトリア様の事も忘れてしまった。

薬の副作用なのか、下半身が不自由になってしまわれたキース様は、ベッドの中で日々を過ごされている。


記憶を失っただけでは、キース様がキャスリーン様を失った苦しみから救われるだけで、何の罰にもならない。

その状態をルシアン様が許す筈はない。

だからこそ、当主様は先にキース様の下半身の自由を奪ったのだ。


「今回は、そもそものキースの行いが原因だ。兄として許してあげたいという思いもなくはないが、許せる範囲はとうに超えていて看過出来ない。その被害にあったルシアンにも当たり前だけど許せとは言えない。

一族を束ねる長としても、弟だから罰が軽いと思われるのも困る。

それに私はキースも可愛いが、ルシアンが可愛くて仕方がないのだよ。どちらかを取れと言われればルシアンを選ぶよ」


当主様がルシアン様を溺愛しているのは、誰が見ても明らかだ。ラトリア様の事も大切にはなさっているものの、同じ息子とは言え、温度差を感じる。


「兄セラフィナへの罰が軽すぎるのではと言う者がおります」


「そんな愉快な事を言っている者がいるのか。それは是非、セラと一緒にベネフィスの下に付けてあげようではないか。泣いて喜ぶ事だろう」


「後ほどリストをお渡しします」


「ベネフィスの事を知らぬ者がそんなにいるとはな。

まぁ、たまには良いかも知れんな。カーライルで安穏と暮らしている馬鹿共には良い薬になるだろう」


当主様は頷くと、ワインを飲み干した。


「当主様、私もベネフィス様の事をよく存じ上げないのですが、兄はベネフィス様の元でどのような事をするのでしょうか?」


「そうだね。

まずベネフィスは毒物を常食する。薬物への耐性を付ける為、薬物も摂取する。その正常ではない状態で完璧な結果を出せるように訓練されるのが、基本だろうね。

レシャンテからベネフィスはそうやって仕込まれていたし」


毒物を常食?

薬物を摂取した状態の訓練?


「ロイエもそれをやっていると言う事ですね。さすがと言うべきか異常というべきか…」


色々と大丈夫なのだろうか。

あぁ、でもあの一族は耐性があるか。


「クロエもやっているよ。趣味で」


趣味、ね…。


「ベネフィスは今回の事をとても怒っているからね、セラは性根から叩き直されるだろうし、常に命を狙う訓練を施すだろう。まぁ、普通なら、3ヶ月持たないんじゃないかな。もしかしたら命を落とすかも知れないね」


「兄をミチル様から離すおつもりでその訓練を?」


訓練という名の処罰だろうか。

そんな気がしてきた。


「いいや?心からミチルの元に戻れるようになって欲しいと思っているよ?」と言って笑顔になるが、大変胡散臭い。


「セラは元々心の弱い子だからね、何処かで躓くとは思っていた。今回の事で、変わってくれるといいんだけど」


「もしそうならなければ?」


「当主の妻に仕える執事として不適格の烙印を押すだけだよ、当然」


当主様は言葉こそ優しいけれど、その辺の判断は誤らない方だ。


「それであれば納得です。いくらミチル様がお許しになられても、特定の人間だけが満足な罰も与えられないのであれば、周囲の不満も募るもの。一族の結束という意味で、兄がミチル様に可愛がられている状況は憂慮しておりました」


兄の事は大切だが、私が最優先しなくてはいけないのはルシアン様だ。

主人の足を引っ張るなら、兄にはミチル様から離れていただく必要がある。

直接お側に侍るだけが忠誠ではない。離れていても、やれる事はある。

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