040.駒

サロンに行って来いとセラに言われて来てみたら、お義父様がいた。

何故。


そして、笑顔が怖いです。


「この前は素敵な贈り物をありがとう、ミチル」


手で座る場所を示されたので、促されるままに座った。

見なかった事にしてサロンを出る事は失敗した。


「いえ…あの…」


「うん?」


「何故、お義父様が皇都にいらっしゃるのですか?」


紅茶を優雅な手付きで口元に運ぶと、「ほら、季節が変わる前に掃除をしておいた方が、新しい季節を心地良く過ごせるからね」と言って微笑む。


これは…絶対に今回の事でお怒りで、わざわざ皇都に来ちゃったに違いない。

掃除と表現されたものの事を考えると頭痛がする。


この様子からして、私の事も怒ってる。

間違いない。


「ミチルには色々と伝えておく事があるよ」


「…はい」


両手をぎゅっと握り締める。


「何から伝えるとミチルの心に響くかな。

そうだね、やっぱりセラの事かな」


ぎくりとした。


「お義父様、セラは…」


「ごめんね、ミチル。これでも私はアルト一門を率いる宗主なんだよ。ほんの僅かな判断ミスで、小さな穴も大きな穴になる。

貴族社会とは、そういうものだ。

……さて、何か言いたいかね?」


何も聞く気はないとはっきり言われてしまってまで、反論は出来なかった。


「…いえ、ございません…」


「聞き分けが良くて助かるよ」


そう言ってお義父様はにっこり微笑んだ。


「セラは今回の掃除が済んだらカーライルに連れて帰る。ミチルの専属執事はアビスが就くから、安心すると良い。見知らぬ人間はミチルも嫌だろうからね。

あぁ、アレクサンドリアはちゃんと見ておくから心配しなくて良いよ」


セラが、私の執事から外れる…?


「それから、キースの体調が良くないからね、カーライルに連れて帰って療養させる事にした。女帝退位まではルシアンが宰相代行を務める」


先日夜会で見かけたキース先生は、奥様と笑顔で話していて、健康そのものに見えたのに?

…何かあったのだろうか…でも、それをこの雰囲気の中、尋ねる事は出来ない。


「考える必要はないよ。今回は時間をかけないからね。

直ぐに結果が出るから楽しみにしているといいよ」


時間をかけない?それは、直ぐに行動に移すし、結果が出ると言う事だよね?

…違うか、もう、行動は始まってるという事か。

楽しみには…出来そうにない…。


「あぁ、そうそう。一番大事な事を伝え忘れていたよ」


嫌な予感がする。

私はお義父様の顔を見た。


「ミチル、ゼファスの養子に入りなさい」




ゼファス様の養子になる為の手続きやら、簡易的な儀式?めいたものは、来週早々に行われる事になった。


自室に戻ると、セラはさっきと同じ場所に座っていた。

声をかけようとしたら、セラがこちらを向いて言った。


「説明するから、そこに座ってちょうだい」


セラの正面に座る。


「リオン様から、ワタシがカーライルに戻る事は聞いたわね?」


頷く。

セラからもこうして言われると言う事は、本当に行ってしまうのだ。


「本来であれば、教団にミチルちゃんが誘拐された時にワタシは執事を外されてもおかしくなかったの。それをミチルちゃんが許してくれたから、特別にリオン様がお許し下さったのよ。

今回はワタシが全て悪いわ。状況を過信し過ぎた。その所為で主人であるミチルちゃんに怪我をさせた。もう少しで消えぬ傷を付ける所だった。

怖かったでしょう?

本当、謝ってすまされる事じゃないって分かってるけど、ごめんなさい、ミチルちゃん。何もなくて本当に良かった…」


絞り出すようなその声に、どれだけの後悔があったのかが、伺い知れた。


セラの目から涙が溢れる。

それから、テーブルに付くのではないかと思う程に深く頭を下げた。


「セラ…」


そんな事ないとは言えなかった。でも、私だって悪かった。リリーが入室した時に逃げれば良かったのだ。


「…カーライルに戻ったら、何をするのですか…?」


ハンカチをセラに差し出すと、それを受け取り、涙を拭く事なく、握りしめた。


「…リオン様の執事をなさってる、ベネフィス様…ロイエのお父様ね、ベネフィス様の下に就くわ」


それなら…私の執事じゃなくなっても、また会えるかも知れない。それだけでも、嬉しい。もう2度と会えないのは嫌だった。それは嫌だった。


「そうなのね…」


セラは立ち上がると、私の横に立ち、片膝を立てて跪くと、私を見上げた。

その視線には、強い決意が感じられる。


「ミチル様、しばらくお側を離れます。

ですが、必ず御身の元に戻って参ります」


手を差し出すよう促されたので、そっと手をのせる。


「私の魂もこの身も、御身に捧げたもの。

必ず、貴女様を守る力を得て戻ります」


手の甲にセラの誓いの口付けが落とされた瞬間、涙がこぼれた。


「…必ずですよ…必ず私の元に…戻って来て下さい…」


セラは私の手を離すと、にっこり微笑んだ。


「勿論です、我が君」


耐え切れずにボロボロと涙をこぼす私に、セラはいつものように呆れた顔になり、さっき私が渡したハンカチで涙を拭いてくれた。


「淑女なんだからこんなみっともなく泣かないの。

まったく、しまらないわねぇ」


「ゔ…っ、だっで…セラが…」


セラがいなくなるのに、微笑むなんて出来ないよ!!


「少し離れるだけって言ったでしょ。すぐ戻るわよ。

本気だすわ、ワタシ」


そう言ってウインクするセラ。


なにその、オレはまだ本気出してないだけ、みたいな発言。


「ベネフィスって…お義父様の側にいつもいらっしゃる人よね?どんな人なの?」


いつもお義父様の側に影のように寄り添っていて、執事なのもあって基本的に喋らないから、どんな人なのかさっぱりわからない。


「寡黙ね。リオン様に話しかけられれば話すけど、基本的に話さないわ。自発的に話す時は大概物騒な事しか口にされないわ」


え…何ソレ。


「まぁ、ミチルちゃんにはあんまり関係ないと思うわ」


「それ以外は?」


「ルフト家の人間だから薬物には詳しいわ。特に毒物に」


ひぃ………。

ロイエも毒物が得意だって言ってたな…。

アサシン集団…。


「ベネフィス様は武術の達人でもあるわよ」


「武術?剣術ではないのですね?」


「いつもいつも帯剣してる訳じゃないでしょ?執事だから帯剣はそもそも許されないし。だから、自分の身一つであったり、その場にある物を瞬間的に武器にして戦闘する事を得意とされているの」


ガチですね…。

ガッチガチですね…。


「それから、暗殺のプロでもあるわ」


「え……」


今、なんかサラッと言った。

こっそりアサシン集団とか揶揄して言ってたけど、本物だった!!


「諜報なんかもこなされるけれどね。

あぁ見えて、ロイエもそのように訓練されているのよ」


ルフト家は執事として主人のあらゆる面をサポートする。

その中には汚れ仕事も当然入るのか…。


サーシス家の役割は何なのだろうか…。

フィオニアは諜報が得意なように見える。ルシアンの代わりにあちこちに行ってる訳だし。

セラはサーシス家の人間だ。ある意味畑違いの筈だ。


「セラ、それは、セラの心に反するものなのではないですか?」


多分だけど、セラは私の姉を罠に嵌めた一人だと思う。

あの話の流れからして、そうとしか思えない。

知らない振りをしたけど。


セラはラトリア様と同じで、人を傷付ける事に抵抗を感じるタイプだ。

暗殺は、襲われて反撃した結果殺してしまったのとは違う。明確な殺意と目的をもって相手を殺しに行くのだ。


「その所為でミチルちゃんに危ない思いをさせたのよ、ワタシは。好きとか嫌いとか、そんな事言ってたらミチルちゃんの側にいられないもの。

決めたのよ、ミチルちゃんの側にいる為に、どんな事でもすると」


「私は、セラにそこまでしてもらえる程の人間ではないですよ?!」


セラが私の元に戻って来てくれるのは凄い嬉しい。でも、それでセラに望まぬ事をさせるのは嫌だ。


おでこにデコピンされた。


「いたっ!」


突くだけではなく、遂にデコピンに…!


「それを決めるのはミチルちゃんじゃないわよ。

勘違いしないで。ワタシが、そうしたいのよ」


そこまで言われてしまったら、もう何も言えないよ。

それにさっき、何も知らないで絶対戻って来いって言っちゃったよ…。


「……セラ、ありがとう…」


そう言うと、セラは微笑んだ。とても、キレイな笑顔だった。その笑顔を見て、本当に自分から離れて行ってしまうのだなと実感して、胸が痛くなった。




本を読んでいた所、ドアをノックする音がした。


「奥様、レシャンテにございます。少し、よろしいでしょうか」


レシャンテ?

珍しい。


本を閉じつつ、どうぞ、と声をかける。


ドアが開き、レシャンテがワゴンを押しながら入って来た。


「先日、当主様より頂戴した小豆で、料理長がヨウカンなるものを作りましたので、お持ちしました」


「まぁ、ありがとう、レシャンテ」


ほうじ茶を淹れようと立ち上がると、レシャンテが私を止めた。


「たまには、私めも奥様にお茶を淹れさせていただきとうございます」


「ありがとう、レシャンテ。お言葉に甘えるわ」


座り直し、レシャンテがお茶を淹れるのを見学する。


「奥様は、ゼファス様のご養子になり、皇籍に入られると伺いました」


「はい、お義父様からそう言われました。

ですが…そんな事が許されるのでしょうか…」


「皇位継承権を持つ訳ではありませんから、やって出来ない事ではないでしょうが、あまり聞く話ではありませんな」


ですよねぇ…。


「ただ、それが通る、という事がそもそもあり得ない訳です」


そもそもあり得ない、という言葉の意味は、分かっているようで、まだ私の中には入ってきていなかった。


レシャンテは手慣れた手付きで食器棚からお皿とフォークを取り出すと、羊羹をのせ、私の前に置いた。

湯気を立てているお茶が入ってカップも。


それから私の正面に座るレシャンテ。


「…あの…レシャンテも一緒に食べませんか?」


「よろしいのですか?」


「勿論です」


嬉しそうに目を細め、いそいそとお茶を注ぎ、お皿に羊羹をのせ、私の前に腰掛ける。


「初めて見るお菓子で、どんな味なのだろうと気になっておりました」


羊羹とお茶、似合うね、レシャンテ。

あと縁側が揃えば完璧!


「キース様の奥方であるキャスリーン様の事は覚えてらっしゃいますか?」


「えぇ、先日お見かけしたわ」


キース先生の体調が良くないと、お義父様は言っていたけど、詳しく聞ける雰囲気じゃなかった。


「亡くなられました」


え?

頭がついていかない私を気にせず、レシャンテは続けた。


「正確に言えば、キース様から死を賜りました」


「…どういう…事なのですか…?」


緊張が走った所為か、咽喉がはりついたように、乾く。


「簡潔に申し上げれば、汚泥の如く皇国の貴族の腐敗は進んでおりましてな。キャスリーン様に心を奪われていたキース様は、そのお気持ちを利用されていたのです」


感謝祭の宴で見た二人は、とても仲睦まじくて、お互いに想い合っているように見えたのに、キース先生が利用されていた?


「この言い方は正確ではありませんな。

キャスリーン様も利用されたのです。皇国の貴族達に。

エルギン一門への罰が軽いのも、キャスリーン様がキース様にそう願った為だと聞いております」


そんな事、許されるの?


「無論、許されない事にございます。

ですから、キース様は、当主様から罰を賜りました」


ゾワッとした。

罰が何かは分からない。

でもきっと、私が思うより酷い罰を受けたのだろうと思う。


「…キャスリーン様の、ご一族はどうなったのです?」


「須らく、当主様より報復を受けております」


冷水を浴びせられたように、体温が引いていく。


「それは…」


…あぁ、そうだ。

私は好意的に受け止めていたけど、私の実家だって、離散させられたではないか。

姉も、両親も、その立場を追われた。


アルト家を出て別の家に養子に入ったとは言え、キース先生も、ラトリア様も変わらずにアルト家の人間として動いているのだ。


今回の事でアルト家を裏切ったキャスリーン様は、裏切り行為により殺された。

その片棒を担いだのだろう、キャスリーン様のご家族は崩壊の憂き目にあった。


「…お義父様は、私を使って皇国貴族を粛清なさるおつもりなのですね」


私が、ゼファス様の養子になり、皇族になる。

普通なら絶対にあり得ない事だ。そんな事を他の皇族が許す筈はない。でも、それが罷り通ると言う事は、この国の皇族はもう、お義父様の言いなりであるという事をこの国の貴族に思い知らせるのにちょうど良い。


しかも、私は嫌がらせにも遭い、今回の事もある。

皇族に対する不敬が適用される。簡単に、罪に問える。

先日お義父様から届いた、皇国貴族達の不正を事細かく調査した報告書もある。


私の夫であるルシアンが宰相代行として、粛清を行う。

きっと、類を見ない程の規模の粛清が行われるだろう。


「…奥様、お強くなられませ」


好きな筈の羊羹は味がしなかった。砂を噛むようで。

僅かに、あり得ない鉄の味がして、気持ちが落ち着かなかった。


「そうでなければ、若様の隣にいる事は叶いません」


…ルシアン…。

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