094.死ぬ程愛して

部屋に入り、灯りをつける。

カギをかけて、一人用のベッドの上に座る。

さっきまであんなに眠かったのに、今は後頭部がぼんやりするぐらいで、眠くない。

頭が痛い。

心臓が痛い。胸が苦しい…。


体育座りして、膝に頭をのせる。

堪えてたのに、涙が出て来た。


私、ルシアンに色々してもらってたのに、私自身は何もしてあげてないもんね。

努力も、愛情表現もきっと足りなかったんだろうな。


一人でも、頑張らないとな…。


……生まれ変わっても、やっぱり私一人で生きていく運命なのか…。


ガチャッ、とドアが音をたてた。


「!」


開けようと、ガタガタとドアが揺れる。


「ミチル…!」


ルシアンの声。


「…っ!」


「開けて下さい、ミチル!」


悲鳴みたいな声だった。


開けたほうがいいのは分かってるのに、どうしていいのか分からない。


その後、ルシアンが私を呼ぶことはなかった。

一瞬の気の迷いだったのかな…。

そう思った瞬間、ドアが蹴破られた。


「!!」


え、ドア…。


ルシアンは私のいるベッドまで来ると、有無を言わさず私を抱き上げると、さっきまでいた夫婦共有の部屋に連れて行き、ドアにカギをかけた。


え…何…?

何が起きてるの…?


そのままベッドに座らされ、今度は目を逸らすことなく、じっと見つめられる。


「…今日、王太子妃になったモニカ様を見つめる貴女の表情は、とても、幸せそうでした。

今まで、私は貴女のあんな顔を見た事がない。」


苦しそうなルシアンの表情。


え、そんな顔、したかな…。

あぁ、えぇと…うん、幸せそう、って言って、ルシアンに笑いかけたっけ。


「私の記憶の中の貴女は、無表情か、困ったような顔か、羞恥で顔を赤らめてるか、泣いてるか。

笑って下さる事もありましたけど、心から微笑んでるのは、見た事が無い。」


そんなことない!多分!


私の両腕を掴んで、私を直視するルシアン。


あまりのことに、涙が止まった。


「貴女の事ばかり考えてる。貴女の事を好きになった時からずっと。

最初は、貴女の側にいられればいいと思った。でも、ジークやジェラルドが貴女の側にいるようになったと聞いて、堪らなかった。許せなかった。何故、自分は皇都なんかにいるんだろうと。

全て放り投げて貴女に会いたかった。でも、それだと貴女から直ぐに引き剥がされてしまうのは明らかだった。


…だから、婚約を一方的に承諾させた。貴女の父が愚かで良かった。貴女を愛している父だったら、直ぐには婚約させてなどくれなかったと思う。

婚約者になって安心したのは一瞬で、卒業まであと5年もある。その間に貴女が他の誰かを求めたら、貴女を他の誰かが求めたら…!

そう思うと頭がおかしくなりそうだった。


貴女の側にいる為に、貴女の関心のある事には全て取り組んだ。貴女と一緒にいる為に必要なら、何でも。

苦にはならなかった。貴女に近付けるのだと思ったから。

昇級試験に合格して、カーライル王国に戻れる事になり、貴女にまた会えるようになった時も、私は不安で堪らなかった。

貴女がキースに恋していたのは分かっていたけれど、キースが貴女を受け入れる事が無いことは分かっていた。

でも、離れてる2年の間に既に貴女の心が誰かに移っていたら?


高校入学からはずっと、貴女に近付こうとする者がいないか、見張ってました。誰も貴女に近付かせたくなかった。

もし誰かの事を想っていたら、その相手を殺そうと思っていた。

でも貴女は誰かを想っている風ではなかった。だから、私を少しでも意識してもらいたくて、貴女の婚約者は私なのだと思い知らせたくて、口説き続けました。


貴女に初めて口付けた時、貴女の側にいられればいいと思っていた私の思いは、形を変えて。

それまでは貴女が愛してくれなくても、貴女の側にいられればいいと思ってた。

でも、貴女が私の名を、少し恥ずかしそうに呼んだ時に、止められない程の独占欲が湧きました。

名前を呼ばれれば呼ばれる程、貴女の瞳に私が映り込む度に、想いが止められなかった。


キャロルが貴女を襲った時、学園内の事でなければ、殺していたと思います。

皇女もそうです。私から貴女を奪おうとする奴は全て排除する事にしました。


それから、私は私が思っていたよりも早くに貴女の身体を手に入れて。

貴女が私の腕の中で流す涙に、心臓が打ち震えました。

堪らなかった。私だけを感じている貴女に、狂喜した。


貪欲にも、私は貴女に愛されたいと思った。

貴女の心まで欲しくなってしまった。

少しずつ少しずつ、貴女を囲い込んで、たとえ卒業までに貴女の心を手に入れられなくても構わなかった。

閉じ込めて、私だけを見るようにして、いつか私を愛してくれたらと思っていたのです。


卒業が近付いた頃、セラの手伝いもあって、貴女の気持ちが思っていた以上に私に向いている事が分かって、嬉しくて堪らなかった。

このままいけば、貴女を私だけの物に出来ると、そう思っていました。


でも、今日の貴女の、私に見せた事の無い笑顔と、幸せそうだと言った言葉に愕然としました。

あの瞬間、私は永遠に貴女を手に入れる事が出来ないのだと思い知らされて。

私は、貴女から奪うだけで、貴女に与える事が出来ない。貴女を幸せに出来ない。

…私に愛を囁く他の女性の心なら容易く手に入るのに。

貴女だけが欲しいのに、貴女だけ、手に入れられない。

…それでも、私は貴女を手放せない。」


胸が、震える。


「愛しています……愛しています、ミチル…!」


悲鳴のように愛を叫ぶルシアン。


視線を逸らせなくて、じっとルシアンを見つめていたら、震える手で、ルシアンが私の両の頰をそっと包み込んだ。


「ミチル…愛してます…。」


顔が近付いてきて、私は目を閉じた。

唇に、柔らかい感触がした。

まるで、初めてキスしたような気持ちになった。


目を開けると、唇が触れていないだけで、ルシアンの顔はすぐそばにあって。


「愛しています…。」


唇が重なる。

目を閉じたとき、涙が溢れた。


何か言わなくてはと思うのに、私は本当に駄目で、ルシアンの心に響きそうなことを何一つ言えない。


だけど、ルシアンが思い違いをしてることだけは、訂正したい。


「…ルシアンは、私から何も奪ってませんわ。」


ルシアンが首を横に振る。


「貴女から、家族を奪いました。貴女が逃げられる場所を奪ったのは私です。」


「むしろ助けていただいたと思っておりますのに。

私を憎む姉のことも、そうなのでしょう?

両親が突然引退したことも、両親が残した借金のことも。

兄はよく分かりませんけれど。」


血を分けた家族よりも、本心が何処か別の所にあったとしても、私に優しくしてくれたのは、他でもないアルト家で。助けてもらったと思いこそすれ、奪われたなんて思ったこともない。


「貴女との婚約だってそうです。本当だったら、今日、ジークの横にいたのは貴女だったかも知れない。

ジークは貴女の事を好きだったのだから。」


それは、ない。

100%ありえない。

断言する、絶対ない。


「物珍しかっただけですわ、きっと。」


私はきっと、言葉が足りない。

態度も。


「もしあのまま、王子が私を好きでいたとしても、私は好きになりませんわ。」


確かに王子はイケメンだ。王道イケメンで、キラキラしてると思う。

でも、目の保養にはなっても、恋愛感情を持てそうな気がしない。1ミリもしない。


「理想と違いますし、王子も、ジェラルド様も。」


美少年は確かに目の保養になるけど、だからって好きにならないよ。


「そんなのは、分からないでしょう。理想通りじゃなくとも好きになる事はあると言ったのはミチルですよ。」


良く覚えてるね?!


「それは可能性の話ですし、そんなことをおっしゃられても、興味ないのだから仕方ないではないですか。

私はずっと皇都にいたルシアンに振られたときの対策しか考えてませんでしたし。」


目の前のイケメンよりも、皇都にいる厚底メガネのことしか考えてなかったんだから仕方ないじゃないか!

大体あのときの私、普通にデブってましたし!恋にうつつ抜かす前にやることが山積みだったの!


「振られるって、前も言ってましたが、ミチルは本気で言ってるのですか?」


「1年生のときの私とルシアンの間に、そんな甘い空気はなかったではありませんか。

あのときのルシアンは私に好意を口になさったことはありませんでしたし、婚約してからだって、お手紙を下さったこともありませんでした。

それで、ルシアンが私のことをどう思ってるのかなんて、分かる訳ありません。

婚約を祝って開かれたアルト家主催のパーティにすら来なかったのはルシアンですよ?むしろ嫌がってるとしか思えません。」


私の言葉に、ルシアンが言葉を失う。


「それは…そうですね。確かに私の想いを信じられなくても当然です。」


ルシアンは右手で自分の顔半分を覆った。


「高校で戻られたルシアンは、以前とは違って、誰もが振り返るような容姿になってますし、別人のように私に甘い言葉をおっしゃるし。

騙されてるのかと思ってました。」


今度は両手で顔を覆ってる。


「私のことを無表情とおっしゃいますけれど、ルシアンだって無表情ではありませんか。

それに私のは、必死にこの顔を保ってますのに。」


貴族の令嬢として!

それが崩れるのが、ルシアンにぐいぐい来られたときぐらいだっただけで!


「大変なのですよ?この無表情を保つの。本当は笑ってしまいそうなのを、必死に口の中を噛んで耐えたり、悲しいことを思い出したりして。」


「そうなのですか?」


そうです、と答えて頷く。


その結果が人形姫という別のあだ名に繋がっていたことをこの前知って、衝撃だった。

令嬢とは言え、もうちょっと笑っていいらしいよ?!


「私達の結婚式の時、私を全然見ようとしなかったのは、何故ですか?」


えぇっ?!

そんなの、決まってる。


「それは、顔がゆるんでしまいそうだったからです。」


本当は見たかったのを必死に耐えたのに!

ちらっと見えた姿だけで気絶しそうなぐらい格好良かった!

鼻血が、とはちょっと言いたくない。

そこは淑女としての境界線って言うか。


「…先日、ロイエのキャラメルで、私がルシアンのことをどう思っていたのか、全てご存知になったのかと思っておりましたのに。」


「それは、憎からず思って下さってるとは理解しましたけれど。」


「あれだけ好き好き言いましたのに、憎からずな訳ないでしょう!」


「好きと愛は違いますよ、ミチル。」


?!

愛してるって言わなかったから伝わってないってこと?!


「慕ってると同じようなものです。」


そんな!!


「もう!死ぬ程好きですのに!」


信じらんない!

あぁ、もう!この朴念仁!!


「死ぬ程…?」


呆然とした顔で私を見るルシアン。

顔が熱いけど、もうこのまま、言い切ってやる。


「好きでもない方の為に、課題とか、真剣に取り組む訳ないでしょう!」


ルシアンの馬鹿!!

馬鹿ばかバカ!!


ルシアンの顔がほんのり赤い。

いつもいつも赤面させられる気持ちを思い知るがいいですよ!


「ルシアンが好きです!好きで好きで、どうしようもないぐらい好き!

…あぁ、好きでは駄目なのでしたっけ。もう…っ!

愛してます、ルシアンのことを愛してますっ!」


こうなったら自棄だ自棄!

言いまくりですよ!

またセラに暴走とか言われてもいいもんね!

暴走だろうと何だろうと、私からすれば立派な愛の告白ですよ!


駄目!

もう恥ずかしい!!

両手で顔を隠す。


「ミチル、顔を見せて。」


「嫌です。ルシアンなんて知りません!私もう寝ます!」


逃げるように布団に潜り込もうとしたところを、後ろから抱きすくめられる。


「駄目。今日は寝かせない。」


「なっ!」


必死に抵抗するも、強く抱きしめられて、身動きも出来ない。


「愛されていたのだとようやく知れたのに、寝かせる訳ないでしょう?」


寝かせない宣言は心底恐ろしい!!


「それは、ルシアンが誤解していただけで!」


「私を愛しているのに、私に抱かれるのは嫌?」


ひ、卑怯!

耳元でそんなこと言うなんて、卑怯だ!

大体、そういうことを言いたかった訳ではなく!


「ねぇ、ミチル。愛し合いましょう…?」


顎を掴まれ、顔をルシアンの方に向けられると、キスをされた。


「私を愛して。」




遅くに目覚めた私に、セラが痛むらしい頭を押さえながら言った。


「簡単に何があったのか教えてもらえると助かるわ。」


「えっ。」


動揺する私に、セラが人差し指で鼻の頭をつついた。


「普段使わないミチルちゃん用の部屋の扉が、どなたの仕業か分からないけれど壊れていてね?」


「あぅ…。」


冷や汗…。

そうだった…深夜に破壊してた、あのイケメン。


「それから、おめでとう?」


えっ?!イキナリ何の祝福?!


「ワタシ、あんな幸せそうなルシアン様を見たの初めてよ。ミチルちゃんが愛でも囁いてくれたのかと思って☆」


「……っ!!」


恥ずかしさに顔が熱い。


セラがにこにこしながら、淹れたばかりのお茶を私の前に置いてくれた。


「…ねぇ、セラ。

好きって言葉では、気持ちは伝わらないものですか?」


私の質問に、セラは、なるほどねぇ、と答えた。

いや、答えになってないよ?


「価値観の違いだったのね。

ミチルちゃんの知る世界では、好きには愛が含まれるのね。

ワタシの価値観、多分こっちでは、好きは、関心がある、あなたに恋情を持ち始めてます、ぐらいのものね。

相手の事を心から想っている場合は、愛してると口にするわよ。」


そ、そうなのか…だからいくら好きだと言っても、ルシアンは私の気持ちが手に入らないって思ってたんだ。


「しかもミチルちゃん、態度にも出さないものね。」


「私の心を読まないで下さいませっ!」


うぅ…全面的に私が悪いみたい。


「あぁ、でも本当に良かったわ。これで監禁もなくなりそうだし。微妙なボタンのかけ違いも解消されたし。

心置きなく、皇都に行けるわね☆」


さらっと監禁とかが会話に混じるこの不穏さ…!

とは言え、それも私の愛情表現の至らなさなのか…!


「次の月の日に、出発する事が決まったわよ。」


次の月の日って、明後日?!

いや、準備はしてきたけど、そんなすぐに?!


「何を驚いてるのよ。

ルシアン様が皇都からお戻りになられて、半月は経っているのよ?皇都からはいつお戻りになられますかと、矢のような催促が来てると言うのに。」


必死ですな。


セラの淹れてくれたお茶を口にする。

ほんのり甘くて美味しい。


皇都…ルシアンに振られたら行こうと思っていた国。

まったく違う形で行くことになって、人生って本当に分からない。


窓の外を見る。

あの空の向こうに、皇都がある。

私が一年程、過ごすことになる国。

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