049.私という人間
喉が、一瞬にして渇いた。
エマを部屋から追い出さなければ良かった。
ルシアンを目にしただけで、涙がこぼれる。
胸が痛い。心臓が誰かに掴まれたように、軋む。
無言のまま私を見つめていたかと思ったら、一歩ずつ、私のいるベッドに近付いて来る。
「来ないで…。」
私の言葉を無視して、ルシアンは近付いて来る。
逃げなくては。
ルシアンに向き合う準備は、まだ私には出来てない。
ベッドから出ようとするのに、熱の所為なのか、力が入らない。
でも、逃げたい。
ルシアンに背を向け、なんとかベッドから出ようとした瞬間、左腕を強い力で掴まれ、身体の向きを変えられた。
背けた顔を両手で掴まれ、嫌でも、ルシアンと向き合う形になってしまった。
「何故私から逃げるのです。」
「ルシアンから、逃げてるのでは、ないわ。」
私は、逃げたい。
私から。
「逃げているでしょう。今だって逃げようとした。」
あぁ、嫌。
「昨日、皇女の元に行ったことですか?皇女と踊ったから?だから私のことを見るのも嫌になった?」
あの時の、心が冷えていく感覚が思い出された。
指先も、つま先も冷えて、気温よりも、身体の内側が冷たく感じられた。
「何故私だったの…。」
「え?」
「ルシアンが私を求めなければ、私は平凡に生きていけたのに…ルシアンに愛されなければ…こんな…。」
きつく抱きしめていたルシアンの手が離れる。
かわりに、そっと、私の頰を撫でる。
「こんなに胸が苦しくなることも…皇女に嫉妬することも…あんな気持ちが自分の中にあることを知らないで生きていけたのに…。」
涙で、ルシアンの顔はよく見えない。
「好きにならなければ良かった…。」
言いながら心臓が軋む。
そうじゃない。そうじゃないことは分かってるのに。
私は、ルシアンを傷付けたかったのだと思う。
「それは…私を愛してると言ってるように聞こえます。」
「…愛してない…。」
愛なんか分からない。
「では、私が皇女の物になっても?」
びくりと肩が震えた。
2人が踊っている姿が思い出される。
喉の奥が震える。
ルシアンが皇女のものに、なる。
耐え切れずに目を閉じた。
もう何も見たくない。何も聞きたくない。
感触から抱きしめられたのが分かった。
強い力で、痛いぐらいだった。
右耳のすぐ上からルシアンの声がした。
「今のは不適切でした。許して下さい。」
どれぐらいそうしていたのか分からない。
私が目を開けたのに気付いて、ルシアンは少し悲しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、ミチル。
それでも私は貴女を絶対に逃がしはしません。」
泣きまくった所為だろうか、泣き過ぎで頭は痛いけど、なんだかスッキリしてる。
私はルシアンの胸に顔をぐりぐり押し付けた。
「ミチル?痛くなりますよ?」
顔をルシアンから離すと、ルシアンは私の顔を撫でた。
「ほら、鼻の頭が赤くなってます。」
そう言って鼻の頭を撫でる。
息を吸った。
怖いけど、言わなくちゃいけない。
何度か深呼吸して、手をぐっと握った。
「私は、ルシアンが思う程大人ではないし、良い人間でもないし、昨日のあれだけのことでヤキモチ焼くぐらいに独占欲が強くて、弱いのです。」
ルシアンは何も言わず、私の言葉をじっと聞いている。
「嫉妬でもやもやして、自分の中にドロドロしたものがあるって、初めて知りました。
怖かった。私がこんな人間だって知ったら、ルシアンはきっと私を好きじゃなくなる。そう思ったら怖くて、ルシアンの側にいられなくなってしまって…。」
困ったような顔になってる。そうだよね、突然こんなこと言われても困るよね。
…でも、言わなくちゃ。
「ごめんなさい、ルシアン。」
お願い、嫌いにならないで。
大きな手が私の頭を撫でる。幼い子供にそうするように。
表情は困ったままだ。
「ミチル、あの…ミチルがおっしゃったことは、既に知ってます。」
は?
「だてに何年もミチルを見ていた訳ではないんですよ?
貴女の強い所も弱い所も、知ってます。大人な部分も、子供っぽい部分も。それも含めて、私はミチルが好きです。」
ちょ。
「昨日の、皇女のことでは気分を害してしまったとは思ってましたが、まさか嫉妬してくれてたとは…。」
とろけそうな笑みでルシアンは言葉を続ける。
「貴女はこれまでどんなことがあっても公平であったし、清廉に振舞って来ました。
誰に対しても特別な感情を持つこともなく。
その貴女が、私を」
ちょっと待った!!
慌ててルシアンの口を両手で塞いだものの、すぐに手は外されて、逆に掴まれてしまった。
しまった、逃げられない!!
「こんなに想っていて下さったなんて。
今、こうして話すのも、勇気を振り絞ってらっしゃるでしょう?」
全部バレてるだと?!
「好きと言われるのも嬉しいですが、これは、胸にくるものがありますね。」
何か言い返したいのに、言葉が出て来ない。
そんな、そんな酷い。
私すっごい自己嫌悪に陥ったり、それはもう心の中ぐちゃぐちゃになったんだよ?!
「皇女と嫌々踊る私を見て、それであんな態度をなさったのですね。」
嫌々て。
随分な言われようですよ…。
「そのことだけで、当分あの顔を見ても何とかやり過ごせそうな気がします。」
あの顔呼ばわり…ちょっと可哀相になってきた…。
「でも、皇女、フェロモンむんむんの美人じゃありませんか?」
「ふぇろもん?」
「あー、えっと、なんか出てそうってことです。」
あぁ、と納得した様子。伝わった?!
「ばいんばいんだし。」
思わず己の控えめな胸を見てしまう。
「ばいんばいん…この流れでいくと、体形のことをおっしゃってるんですよね。」
そうですと頷く。
今ちらっと私の胸を見たでしょう、ルシアン…!
「それが何か。」
それが何かだと?!あのぼんきゅっぼんが現代日本にあったなら、グラドルですよグラドル!
16歳であの美貌!あのばいんばいん!!
写真集バンバン出ちゃうかも知れないですよ!?お顔もキレイなんだし!
「ミチルは、キャロルの時もそうでしたが、容姿にこだわりますね。」
「当然です。前世では"人は見た目が100%"なんていう言葉もあったぐらいです。」
なるほど?と、全く興味なさそうな反応をするルシアン。
「ただ、その理屈で言うなら、ミチルはもう少し自分に自信を持っていいと思います。」
は?
「ルシアン、いくら私のことが好きだからと言って、それはちょっと目の診断をしていただいたほうがいいレベルですよ?」
困ったようにルシアンは笑うと、「それは、ミチルでは」と言う。
何言ってんですか。
「…もしかして、ご家族や親しい方に、容姿について何か言われたことがありますか?」
ぎくりとした。
何で知ってるんだろう、この人。
前々から疑ってたけど、エスパーなんじゃないの?
「えぇ…ずっと、お姉様には醜いと言われてましたわ。太ってからはもっと…家族みんなに言われてました。」
自分で言ってて、アレ?と思った。
「思い込まされていたのでしょうね。言われ続けることで。」
太る前は、姉以外からは醜いなんて言われてなかった。
その前は可愛い可愛いと褒められていたっけ。
だからミチルは、太ってからも可愛いドレスを着て、可愛いと褒められたがってたのだ。逆効果だったけど。
「あのご両親に、ご兄弟を見ても、ミチルだけ醜くなることは殆ど無いと思います。」
え?
今更ながらに己の姿が分からなくなってきた。
確かに、両親も、姉も、兄も、容姿の整った者が多い貴族社会でも、際立って美しかった。
それなのに私だけ醜くて、居場所がなかったのに。
「ミチルは美しいですよ、本当に。妖精姫と呼ばれてるのは、本当なんです。」
頭の中が常春って意味じゃなかったのは良かったけど、私の見た目が妖精っぽいだと?
さすがにそれは褒めすぎだとは思うけど…。
ルシアンの服を引っ張る。
「あの、ルシアン。」
はい、と優しく微笑まれた。
「私の見た目は、ルシアンの好みに合ってますか?」
醜くないということが分かって良かった!安心した!
でも、最大の関門はルシアンですよ!
ルシアンは口元に手を当てると、私から視線をそらして、「それはちょっと卑怯では?」と呟く。
え?卑怯?
「え?駄目ですか?あの、ルシアンはどんな見た目が好みですか?む、胸は大きくなるか分かりませんけど、牛乳いっぱい飲みます!」
「ミチル、落ち着いて下さい。私もちょっと落ち着きたいです。」
ルシアンはずっと落ち着いてると思うけども?
じっと見つめていたら、ルシアンがため息を吐いた。
「そのままのミチルで。例え太っても、痩せても、構いません。」
えぇ?何言ってんの、この人。
こういうこと言う人が一番疑わしいんですよ。
「私はそもそも、ふくよかな時のミチルを好きになりましたし。」
「デブ専?」
「でぶせんとは、なんですか?今日は色んな単語が出てきますね。」
「今後の為に覚えておいて下さい。」
「え?今までの生活に必要な単語でしたか?」
生活には必要ないな、うん。
「デブ専とは、太った人が大好きな人たちのことです。」
ルシアンは額に手を当ててる。ちょっと衝撃的だったか?
「あの、先程から会話が微妙にズレている気がするので、軌道修正させて下さい。」
はい、どうぞ。
「私は容姿うんぬんではなく、ミチルの内面を好きになったのです。ですから、ミチルが健康を害さないのであれば、どのような容姿でもいいんです。」
このパーフェクトな見た目でそれを言うのか?!嫌味か?!嫌味なんだな?!
「何故そこで怒るのか分かりませんが…私がミチルを見た目で愛してるのではないことだけは、理解していただけると嬉しいです。」
さぁ、熱が上がったみたいですから、少し寝て下さい、と言われてベッドに寝かされた。
なんか誤魔化されたような気もしなくもない…。
でも、いいや。
頭も痛いし、熱上がってるし、言いたいこと言えてすっきりしたから寝よう。
目が覚めると真っ暗だった。
喉が渇いた私は、隣の部屋の私専用ダイニングキッチンに移動する。
今何時なんだろう。おなか空いたな。
普段は蝋燭の灯りがメイン照明だけど、寝る時間だからと蝋燭を消してしまった後用に、魔石による照明器具も付いてる。
便利!
熱はだいぶ下がってるみたいだけど、高熱だったからなのか、全身ダルい。
スポドリ飲みたいわー。
なんだっけ、電解質。
とりあえず水と、塩と、砂糖と、出来たらクエン酸…ないな。
あ、レモン。よし、これを搾ろう。
水だと冷たいからお湯にしておこう。
自家製スポドリを飲んでいたところ、ドアが開いた。
ルシアンと目が合った。
「ミチル?起きていて大丈夫なんですか?」
いつも思うんだけどさ、どうしてルシアンってこう、神出鬼没なの?
私、もしかして身体にマイクロチップとか埋め込まれてない?大丈夫?
あぁ、でもそしたら迷子になっても大丈夫だな。
「喉が渇いたのと、おなかが空いたのです。」
ルシアンは私の横に座ると、おでこに手を当てた。
「大分下がりましたね。眠る前のこと、覚えてますか?
かなり高熱でしたが…。」
「…なんだか…無茶苦茶なことを言った記憶がありマス…。ごめんなさい…。」
…思い出すと色々恥ずかしい…。
「いえ。ちょっと、刺激的でしたが、色々と。」
そう言って苦笑するルシアン。
うん、そうだよね。
淑女にあるまじき、胸がどうのだの宣ってしまったからね…あぁ、あれやっぱり夢じゃなかったのか…。
スポドリを飲み終えたので、冷凍してあるひじきごはんを解凍しておにぎりにして食べようっと。
「ルシアンは、お仕事をなさってたのですか?」
「はい。片付けておきたいことがいくつかありましたから。」
「ルシアンもおにぎり食べますか?」
いただきます、と笑顔が返って来たので、ルシアン用に2つと、自分用に1つ。計3つを解凍する。
その間にお味噌汁でも作っちゃおう。
冷蔵庫の中に豆腐があったので、豆腐のお味噌汁を作ったら、さすがに疲れた。
うん、やみあがりにはここまでが限界です。
解凍したひじきごはんでおにぎりを3つにぎり、豆腐のお味噌汁と一緒に出すと、嬉しそうにルシアンは食べ始めた。
「ルシアンは、私の作ったごはんを、美味しそうに召し上がりますね。」
「えぇ、美味しいですし、ミチルが作ってくれたということが嬉しいので。」
「ルシアンはちょっと私のこと好き過ぎです。」
ふふ、とルシアンは笑った。
おにぎりを食べて満腹になったので、目が覚めた時用にもう1杯スポドリを作ろうとしたところ、ルシアンが私の横に立った。
そうだ、この人、見てるの大好きな人だった。
「お湯と、塩と、砂糖と、レモンですか?」
「そうです。運動後や病気の時なんかに飲むと、汗と一緒に失われた栄養素を摂取出来るので、いいんですよ。いつもは水ですが、身体が冷えてしまうので、今回はお湯です。
少し飲んでみますか?」
「はい、ひと口いただけますか?」
飲んだ感想は、「飲みやすいですね」だった。
何か考えてる顔だなぁ。
こんなにいつも頭使ってて疲れないのかなぁ。
「さぁ、ミチルはまだ良くなってる途中ですから、もう寝ましょう。」
「はーい。」
ベッド横のサイドテールにスポドリを置き、ベッドに横になった。
私が眠るまでと言ってルシアンは付いて来て、髪を撫でてくれた。
「おやすみなさい、ミチル。良い夢を。」
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