028.デジャヴ
殆ど便りを寄越さない父からの手紙は、酷く理解に苦しむものだった。
姉の婚約者が自死した為、姉は喪に服す為に北の大地にある修道院に生涯仕えるとのことだった。
確かこの修道院は、数ある修道院の中でも最も厳しいとされる院だった筈だ。
姉のことはいなかったと思うように、とまで書いてある。
っていうか生涯?!1年とかじゃなくて?!
え、何で?
姉、相思相愛だったじゃん?
婚約直後なんてそのことを私にいつもいつも自慢してたじゃない?
ミチル、貴女は一生このように愛されることなどないのでしょうね、不憫だこと…!
って。
姉の婚約者は優しさと優柔不断だけで構成されてそうな人で、いつも姉を優先にしていた。とにもかくにも姉にぞっこんだったのだ。
それが、どうしてこうなった?!
「…エマ、何があったか、知っていて?」
エマは酷く怯えた様子で知る範囲を口にした。
曰く、姉は仮面舞踏会に出入りしており、そこで新しい恋人を見つけてしまったと。
姉の心変わりを知った姉の婚約者は悲嘆にくれ、婚約者の心を繋ぎ止めておけない不甲斐ない息子を許して欲しいと父であるネメシス伯爵に遺言を残して死んだ。
息子の死とその引き金になった姉の不実さに怒り狂ったネメシス伯爵にうちの父は詰め寄られ、金銭による慰謝料を支払うことと、姉を生涯修道院に閉じ込めることでネメシス伯爵に許しを乞うたのだそうだ。
あっちゃー…。
恋人同士ならまだしも、婚約までいってるのにこれは、姉が100%悪くて情状酌量の余地はないです。
頭痛がする。
実の妹を目の敵にしていたり、何かと大概だとは思ってたけど、ここまで己の姉が愚かとは思いたくなかった。
姉が私を虐めていた理由は、幼い頃の私が可愛かったからだ。
それまでは蝶よ花よと褒め称えられていたのは自分であったのに、自分よりも可愛がられている私が許せなくなり、私を執拗なまでに虐めた。
私が醜く愚かになるにつれて、姉の虐めは収まったかのように見えたけれど、結局私を見下し、自分の引き立て役として扱うようになった。
人の心は難しいものだ。
ボタン一つ掛け違えてしまっただけで、その後の人生が全て狂うことなんてザラにある。
ちなみに姉は錯乱してフィオニア様に連絡を!と、サーシス侯爵家長男のことを繰り返し言ってたらしい。
姉は舞踏会での恋の相手はフィオニア様だと言ってるらしいのだが、会場にいた人たちは誰一人としてフィオニア様らしき人を見ていないらしい。
フィオニア様は水色の髪に水色の瞳という、かなり珍しい容姿の持ち主で、仮面舞踏会だろうと何だろうと、髪の色と仮面から見える瞳の色でバレちゃう人らしい。
仮面舞踏会の存在を潰したかった王室は、正直に答えれば罪には問わないと言ったらしいが、それでも誰もフィオニア様を見た者はいなかった。
何より、フィオニア様は数年前から皇都に行っている為、フィオニア様である筈がない、とのことだった。
接点の”せ”の字もないフィオニア様を恋人だと言い張り、フィオニア様にお尋ねいただければ分かります!なんて言い続けていれば、姉も錯乱してると思われるよなぁ…。
結果として、姉は激しい錯乱状態にあるとして、修道院に放り込まれ、それでネメシス家とも痛み分け、ということで終わるらしい。
ネメシス家としてもあまり騒ぐと、今度は己の家名に傷がつくだけだ。
女に浮気されたぐらいで死ぬなんて情けない、と。
何故フィオニア様なのか?
きっと姉は、私と張り合っていたのだろう。
侯爵家のルシアンと婚約した私と同等かそれより上にいくには、自身も侯爵以上の相手を見つけなければならない。
姉の婚約者は伯爵家だ。
だからこそ、身分を隠して参加する仮面舞踏会に出入りした。
婚約者のいる身だということを隠しながら参加し、自分を上位貴族が見出してくれると信じて疑わなかった。姉は、そういう性格だ。
怖ろしいまでに己に自信があり、その通りにいかないことに激怒する人だった。
絵に描いたようなお粗末な展開だけれども、アレクサンドリア家としてはダメージだったろう。
痛くもない腹どころか、痛んでる腹しかないのだし。
結果としてネメシス家との関係は最悪。慰謝料もかなりの額になるだろう。何しろ、跡取りの息子が死んでしまったのだから。
なんだこの馬鹿馬鹿しい程にドロついた話は…。
理解に苦しむ。
好きではなかったけど、こんな意味の分からない状態で消えた姉のことを、少しは不憫に…思う筈もなく!
姉の婚約者は本当に姉のことを思ってたんだなぁ、それとも当てつけかなぁ、と思ったりもしたが、考えても仕方がないことだと思った。
っていうか姉の婚約者も死ぬなよ、あんな女の為に!とは思うけど、こればかりは仕方ない。好きなものは好きなんだろうから。
ただ、やっぱり少し可哀相に思えて、白い百合の花をエマに買ってきてもらい、姉の婚約者の冥福を祈った。
姉は自業自得なのでこの際どうでもいい。
この手の恋愛脳の所為で前世の私は死んだのだから。
さすがにトラウマとかにはなってないんだけど、以前にも増して嫌悪感はあるんだよね。
火遊びを越えてるな…。本人は真実の愛とか言ってたに違いない。
恋愛脳は簡単に真実の愛を見つけ出すからな。
おまえの真実はいくつあるんだ、っていう。
度を越した恋愛狂は修道院で少し頭を冷やすといいと思う。まぁ2度と恋愛も出来ないのだろうけど。
それで…どうしてこんな状況になってるのかなと、私はルシアンとキャロルを見て思う。
クラスメートに呼ばれて廊下に出た私は茫然としてしまった。
忘れっぽい私は、キャロルを見た時に、一瞬誰だっけこの美少女?と思う程に、存在を忘却の彼方に追いやっていた。
最近影薄かったしな、この人、ヒロインなのに。
ただのビッチかと思いきや、意外にも一途で、今でもルシアンを想っていたらしい。
ただの執着なのか、その境目は不明だ。恋も一つの執着だよね、と思いながら、ルシアンに寄り、水に濡れてしまった顔にハンカチを当てる。
何でか知らないけど、ルシアンはキャロルに押し倒された挙句、馬乗りになったキャロルに水をかけられてしまって、つまり水も滴るいい男状態です。
「ルシアン様!この香水はミチル様が自分に好意を向けさせる為の媚薬です!正気を取り戻して下さい!私はここにいます!」
お前こそ正気を持てよ!と思ったが、唖然とし過ぎて言葉にならない。
そうでした、ここにもいましたよ、恋愛脳…。
恋愛脳の人って何でこんなに己に自信あるんだろ。
私はここにいます、ってどういうことなの。
私が贈った香水が実は媚薬で、その所為でルシアンがキャロルに見向きもしなくなったってこと?
いやいや、その前から見向きもされてなかったと思うのは私だけですか…?
あぁもー、頭が痛いデス…。
「媚薬だとしても問題ありません。それより退いて下さい。」
ルシアンはいつものように冷たい視線をキャロルに向けて言った。
淑女が男性の上に馬乗りとか…もう嫁に行けないんじゃないか、この子…。
貴族相手じゃなきゃ大丈夫か…?
キャロル的にはルシアンのお嫁さんになるから、ルシアンの上に馬乗りはOKとかそういう?
しかも媚薬の所為でおかしくなってるルシアンを助けようとしてるから問題ないとか?
頭大丈夫か?!
でも…!と抵抗するキャロルを、モニカと愉快な仲間たちが現れて引き剥がし、何処かに連れて行った。
モニカ、めっちゃ怒ってた。激おこだった。
モニカ様を怒らせるなんてとんでもない…!
「…大丈夫ですか?ルシアン。」
大丈夫です、と答えながらルシアンは私のハンカチを受け取り、顔に付いた水を拭っていく。
「大丈夫です。でも、着替えないといけないので、先生に許可をいただいて一度寮に戻ります。」
確かに、襟とかもびしょびしょだもんな。
一体どれだけ水かけたんだよ、キャロル…。
これもう、普通に傷害罪で捕まるレベルだよ…。
「お風邪をひかないといいのですけれど…。」
バタバタと王子とジェラルド、C組の担任が来て、ルシアンに話を聞き、モニカたちが消えた方向に向かって走って行った。
「ルシアン、ごめんなさい。」
「何故ミチルが謝るんです?」
「私が香水を贈ったりしたから、こんなことになってしまって…。」
「普通の人はこんな事になるなんて考えませんから。気にしないで下さい。」
そうだけど、あんな異常思想の人間が側にいてルシアンをロックオンしていたのに、短慮だった。
ほぼキャロルのことは終わったものと思ってて、皇女対策だけ考えていた。
「早く着替えて来て下さいませ。」
水が滴っていい男だけど、風邪ひいたら大変だ!
頷くとルシアンは寮に向かった。
イケメンは本当に大変だ…。
そう思っていた私に、頭から何かかかった。
キャーッという悲鳴。
「貴女みたいな魔女を、ルシアン様の側に置いておけないわ!」
キャロルの叫び声だった。
まだ何か、キャロルが叫んでる。
分からないけど、激しく罵倒されてることだけは分かる。
突然心臓の鼓動が激しくなって、全身が心臓になってしまったみたいに、脈打った。
頭の中が真っ白になって、手が震える。
指先が冷たくなっていくのが分かる。
息が出来ない。
逃げなくちゃと思うのに、足がすくんで動けないまま、キャロルに肩を掴まれた。
「い…や…っ!」
何とか絞り出した声は力なくかすれてしまった。
更にまた何かがかけられる。
制服が肌にはりつく。気持ち悪い。
キャロルの腕を剥がそうとするのに、力が入らなくて掴めない。
しっかりしろ、私は、こんな弱い人間じゃない筈。
でも、キャロルを見るのが怖い。目が、私を見る目が。
「ミチル様!」
モニカの叫び声が遠くに聞こえる。
キャロルの手に、キラリと光るものが見えた瞬間、目の前が真っ暗になり、私はその場に崩れるように倒れた。
この状況、前もあった。
あぁ、そうだ、前世で私が刃物を突き刺された時と同じ。
遠くに聞こえる声と、全身から力が抜けていく、この感じ…。
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