第52話 恋焦がれた人
ナミが呟いた声が聞こえなかったのか、若い警察官は突然現れた人物に尋ねた。
「あなたは誰ですか? 関係がないなら、早くお帰り下さい。見世物じゃないので」
すると、ユイルは柔らかい笑みを浮かべて言った。
「私は関係者です。あなた方が探している、ユイカ・イルクラナスの父親です」
警官二人は顔を見合わせ、中年の方が彼に聞いた。
「それを証明するものは?」
「ありますよ」
ユイルはジーンズの後ろのポケットから黒い革の財布を取り出すと、そこからユイカの保険証を出して見せた。そこにはユイカの名前だけではなく、父親である彼のユイルの名前も記載されてあった。
「本物のようですね」
「ああ……」
警官らはひそひそと話をし、彼がユイカの父親であることを確認するとこんなことを尋ねた。
「イルクラナスさん。あなたが、ユイカ君の父親であることは分かりました。しかし、我々の元にはユイカ君が行方不明になっているからと、探してほしいと連絡が来ているのです。これはどのように説明されるおつもりですか?」
それはナミも知りたいことだった。それさえなければ、ナミはこんな風に誘拐犯の疑いをかけられることもなかった。
「お恥ずかしい話です。今、妻と別居中なんですよ」
「別居?」
「ええ」
ユイルは頷いた。
「育児のことで意見が合わず、揉めておりました。怒りがピークに達した妻は、私と息子を追い出したのです。それなのに、いなくなってみれば警察に行方不明届を出して、沢山の人を巻き込んで迷惑を掛けてしまったというわけです。申し訳ありません」
そう言って、彼は警察官に軽く頭を下げた。
「しかし、届出を出したということは、どこに行くか仰っていなかったのでしょう? 奥様はさぞ心配されているのでは?」
「まあ、そうかもしれません。でも、どこに行くかは置手紙に書いていきましたよ。妻が読んだかどうかは、分かりませんが。
そういうことなので、ここからは家庭の問題です。巻き込んでおいて申し訳ないですけど、手を引いて頂けませんか?」
警官二人は顔を見合わせると、ユイルに尋ねた。
「それは構いませんが届出を出した奥様には、ユイカ君がどこにいるかは伝えますがよろしいですね?」
「ええ、勿論。でも私はここから別の場所へ移動する予定です。賃貸アパートを探すのに時間が掛かるので、幼馴染の部屋に泊めさせてもらっていただけですから」
「そうですか。部屋は決まりましたか?」
「もう少しかかりそうなので、決まり次第、私の方から警察の方へ連絡を差し上げると宜しいですか?」
ユイルの提案に、若い警官は安堵した様子を見せた。
「そうして頂けると助かります」
「じゃあ、そうします。どちらに連絡するといいでしょう?」
「では、電話番号を申し上げますので、何かに書きつけて下さい」
「分かりました――」
こうして警察官とのやり取りは無事に終わり、ナミは誘拐犯扱いされることもなかった。
ナミとユイルは警察官の姿が、「グリーン・リーフ」の敷地を出るまでじっと見ていた。強い雨だったので彼らの姿は良く見えなかったので、いなくなったと思った後も、暫く虚空を眺めていた。
ただナミはその内にユイルのことが気になり、そっとそちらの方に視線を移す。
そこには、ずっと待っていた幼馴染の背中があった。
髪は今までの記憶の中で一番長く、体つきもしっかりとしている。
「……」
ナミは恋焦がれた人の背を見ながら、複雑な気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
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