第32話 信頼している大人

 ジェシカは思考を現実に戻し、ナミの質問に向き合う。

「……酷いことってどんなこと?」

「キャンディーを……のど、に……詰まらせたり……そういうことです」

(成程……。そういうことがあったのね)

 それを聞いて、ナミがどうして自暴自棄になっていたのかが何となく想像がついた。

「それは、故意で?それとも偶発的に?」

「突然のこと、です……」

「そっか……」

 彼女は、少し考えてから答えた。

「だったら、それは酷いことをしたことには入らないんじゃないかな」

 ジェシカは、自分がナミと同じ状況だったらどう思うかを考えた。それから、自分が子供の立場だったらどうだろうか、とも考えた。

 状況によってその答えは違うだろうが、大体においてキャンディーを詰まらせるという行為は、子供が動きながら、遊びながら食べているからこそ起こることである。つまり、親が見ていれば防げる場合が多い。

 そう思うと、ジェシカ自身が同じ状況にいたら、今のナミと同じく「酷いことをした」と思うだろう。「ちゃんと見てさえいれば」「注意してあげていれば」と悔やむのも無理はない。子供に苦しい思いをさせたくないと思うのは、親であれば思うことであるからだ。

 だが、ナミの場合は少し違う。

(あの子は、ナミの子じゃない)

 ナミは「信頼している大人」と言った。ならば、ナミは親ではないのだ。

(誰かに預けられた子……)

 だとすると、その責任は重い。他人の子供を見ているというのは、最初は楽しいかもしれないが、命と向き合う場面が出ると、それほど恐ろしいものはない。きっとナミは、あの子の喉にキャンディーが詰まったとき、とても怖いを思いをしたのだろう。そう考えると、自ずと答えは決まっていた。

「え?」

 ナミは聞き返した。

 聞こえていただろうが、間違いがないか確認したいようだった。

「信頼している大人に酷いことをされたことには、入らないんじゃないっていったの」

 ナミの目が少しだけ大きく開かれる。暗闇の中に一筋の光を見つけたような、そんな表情をしていた。

 ジェシカは言葉を続けた。

「まあ、勿論その子のことをちゃんと見ていてあげていれば、そんな苦しい思いをしなくて済んだだろうけど」

「……そう、ですよね」

 ナミは俯いた。

 だが、「これでいいんだ」とジェシカは思った。責任を感じすぎるのは良くない。だからその重い気持ちを解消するために、「酷いことではない」と言った。しかしナミが見ていなかったことは、反省すべき点である。それだけは分かって欲しい、とジェシカは心の中で思った。

 きっと、ナミのことだ。もう、同じことは繰り返さないだろう。

「で、その子は無事なの?」

 ジェシカが優しく聞くと、ナミは小さく頷く。

「そっか。良かったね」

「良かった……?」

 ナミはゆっくりと顔を上げて、ジェシカを見た。

「そりゃそうでしょ。生きてたんだもの。ナミがちゃんと処置したってことじゃない?」

 すると、ナミは顔を歪めて強く首を横に振った。

「私は……何も……何もできなかったんです。通りがかりの人が助けてくれて、そうじゃなかったら、私はあの子を……」

 彼女はぎゅっと服の裾を握った。握った手に力が入りすぎて、白くなっていく。その手にジェシカはそっと触れた。

「ねえ、ナミ。あなた自分のことをすごく責めているのよね。防げたことを防げなかったし、処置も出来なくて、不甲斐ないって思っているんでしょう?」

 すると、ナミは小さく頷いた。その際に、ぽろりと涙が零れ落ちた。

「だけどね、そんなのはどんな親にだってあることだよ」

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