第29話 ナミの心の声

 ナミは両腕に抱えた食材を、何とかアパート「グリーン・ルーフ」に持ち帰る。

(これで、最後の階段だ……)

 スーパーの所からここまで、どれくらの階段を上って来ただろうか。数えきれないほどの階段を上ってきていて心が折れそうになっていたが、アパートの階段を上ってしまえば部屋はすぐである。ナミは自分を心の中で励ましながら、何とか最後の階段を登り切った。

「はあ……」

 ようやく最後の階段を登りきると、足の太ももに疲労感を感じた。足の裏は疲労を通り越して痛い。踵のないパンプスを履いていたが、それが足の痛みを余計に引き起こしているようだった。

(早く、靴脱ぎたいな……)

 ナミは部屋の前に荷物を持ってくると、全て下ろしてその場に置いた。

(楽になった)

 そう思って、肩掛けの小さな鞄から部屋の鍵を取ろうとした時、見えた手首にはビニール袋が食い込んだ痕がきっちりと残っていた。肌の柔らかい内側は、鬱血してしまっていた。

「……」

 それを見つめていると、ナミは急に頭が冷えてきて、自分のやったことが馬鹿馬鹿しくなってきた。こんなに買っても、一人暮らしで使っている冷蔵庫に入りきるわけがないし、だからといって腐る前に使い切るわけもない。だったら、何故お金もかけて、苦労と体の痛みを我慢して、こんな買い物をしたのだろうかとここにきて思ったのである。


 ――これは、あの子への償い?美味しいものを作って、償おうとしているの?


 突然、嫌な声が耳に聞こえた。

 誰のものかは分からない。だが、ナミを責めている声があるような気がしたのである。

(……そんなんじゃない)

 心の中で否定をすると、嫌な声は嘲笑うように続けた。


 ――そうだったねえ。だって、今の自分を知っている人と会いたくなくて、何も考えずに買っただけなんだから。


(……そう。私はただ、適当にカゴに食材を入れただけ)


 ――でも、勿体ないことをしたと思わない?こんなにたくさん買ってどうするの?


(それは……)


 ――あなたって馬鹿よね。ユイカを大切にするはずが、傷つけて、辛い思いをさせて。もしかしたら嫌われたかもしれなくて。だからこそ、彼に近づきたくなくて。でも、ユイルと会うにはユイカが必要だから、傍に置いておきたくて。


 声の言っている事は、正しかった。

 ナミの今の心の中のそのものだった。


 ――勝手だよね。私って。ホント、嫌な女。


「……」

 途端に、ナミの胸のあたりにひりひりとした痛みを感じた。体が痛いのではない。自分の苛立ちに心が焼けているかのようだった。

 ナミはその苛立ちに身を任せるように、力任せに鞄から鍵を取り出すと力を入れて鍵穴にねじ込み鍵を開ける。そんなことをしなくても開くことは分かっているのに、どうにもことができない。

 そしてナミはドアノブを捻ると、足で蹴飛ばしてドアを開け、足元に置いてあったビール袋を取ると、ボールを思いっきり投げるがごとくそれを部屋の中に投げ入れた。ビニール袋は宙を舞ったが重力に従って落ちていき、可哀そうな音を立てて床に着地する。

 しかし、ナミの暴走は止まらない。

 もう一つのビニール袋も同じように投げて、次に段ボールも放り投げた。吹っ飛んだ段ボールは派手な音を立てて、廊下に転がる。入っていた中身は全部外に出され、ジャガイモやカボチャがコロコロと転がった。

 そして最後に、持っていた鞄も投げた。ナミの鞄はほとんど何も入っていない。思い切り投げたので、廊下の突き当りにあるドアに派手にぶち当たって、静かに床に落ちた。

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