34、カチューシャ

「お疲れ様です、西条くん」


 淀岸高校のグラウンドは、ゴールデンウィークまっただ中にも関わらず大勢の人で賑わっている。

 今日は淀岸高校のサッカー部が他校と練習試合を行っていた。


 丁度試合が終わり両校が挨拶を交わした後、観戦席に駆け寄ってきたサッカー部のエース、西条徹に、可憐は微笑みかけながら手持ちのタオルを差し出した。


「ありがとう、相沢さん」


 徹は受け取りながら爽やかな笑みを浮かべる。

 その笑みに、周りに同じように集まっていた女子生徒たちは黄色い声を上げながら、同時に可憐に嫉妬の眼差しを向ける。


 西条徹と付き合うことになってから、可憐にはこういった類いの視線が注がれることが多くなった。

 気にしてもきりがないので気付いていないふりをしているが、実のところ同性からの敵意というものは中々に堪えるものがある。


「ん、どうかした?」


 すると、表情が暗くなってしまっていたのか、顔の汗を拭っていた徹が首を傾げた。

 可憐は慌てて笑みを張り付けて「な、なんでもないよっ」と顔の前で両手を振る。


 訝しみながらも、徹はそれ以上の追求はしなかった。


「それで、どうだった? 俺のプレーは」

「凄くかっこよかったですっ」


 徹の問いに、可憐は即座に答えた。

 サッカーのことは詳しくないけど、徹が今日集まったプレイヤーの中でも頭一つ飛び抜けていることはわかった。

 今日の試合で三得点決めているという結果も、そのことを裏付けている。


 可憐の言葉に「そっかそっか」と徹は満足そうに頷きながら、持参していたスポーツ飲料に口を付ける。

 ゴクッゴクッと豪快に喉を鳴らしながら、半分ほどを一気に飲み干した。


「この後、十五分ぐらいミーティングがあるんだけど、それが終わったら今日はもう終わりなんだ。少し遊びにいかない? 遠出はできないけどさ」

「遊びに……」


 可憐は徹の提案を浮かない様子で反芻する。


「やっぱり、今からじゃ遅いかな?」

「い、いえっ。……その、そういえばハルたちも今日遊園地に遊びに行っていることを思い出したんです」

「……へぇ、あの二人が」


 徹は僅かに笑みを浮かべると、再びスポーツ飲料を飲んだ。

 それから何やら思案するように空を見上げて、少しからかうような声音で言った。


「じゃあ、俺たちも遊園地に行こうか」

「ええっ!? 今からですか?」

「冗談だよ、じょーだん」


 今から遊園地に行ったところで、着く頃には閉園時間が差し迫っているはずだ。

 それに彼自身、直前に遠出は出来ないと断っていたものだから完全に虚を突かれた可憐は思わず大きな声を上げてしまった。


 そんな可憐の姿を見て、徹は悪戯っぽく笑う。

 かと思えば、可憐から視線を切り、青空を見上げながら眉を寄せた。


「遊園地に行きたいわけじゃないのは、わかってるしね」

「え?」


 徹の呟きは、周囲の雑踏にかき消された。

 訝しげに見上げてくる可憐を見下ろしながら、徹は元の笑みを刻む。


「駅前にパフェでも食べに行こうって言ったんだよ」


     ◆


 揚羽とのデートは、時間を重ねるごとに際限なく楽しいという感情が増幅していく。


 朝の時点で、というよりもゴールデンウィークが始まった段階から十分すぎるほどに楽しみにしていたものだから、その興奮も天井に達していると思っていたけれど、そんなことは全然なかった。


 隣で楽しそうにしている揚羽を見ると、アトラクションの待ち時間なんて全く苦にならない。

 どころか、いっそ永遠に続いてくれてもいいとさえ思えてくる。


 きっと、ボクの気持ちが整理できたからだと思う。

 自分の気持ちに向き合えたから、これまで彼女への後ろめたさから知らず知らずのうちに抑えていた感情の蓋が外れているんだろう。


 ……それはそれで、少し不安にもなる。


「ハルくん、どうかした?」


 お昼を過ぎ、人の数が一層増していく広い道を歩きながら自分と向き合っていると、隣に並んでいた揚羽が覗き込むようにして声を掛けてきた。


「っ、な、なんでもないよ。それより次は何に乗ろうか!」


 思わず一歩後ずさりながら、慌てて話題を転換する。


 自分の気持ちに整理がついて、そしてその気持ちを白状することを決意したとはいえ、ボクが今考えていたことを知られたらきっとからかわれるに違いない。


 ボクの強引な話題転換に揚羽はさして気にした様子もなく、んーっと唇に指を添えながら空を見上げた。


「……可愛い」

「ふぇっ……?」

「いやほら、あの人が付けてる猫耳のカチューシャ、可愛いなぁって!」


 緩んだ口元から漏れてしまっていた。

 顔を真っ赤にしてボクを見上げてきた揚羽から顔を逸らし、その先にたまたま目に付いた女性を指して言う。


 この遊園地のマスコットキャラクターである猫の妖精の耳を模したカチューシャを頭の上に付けている。

 街中であれば二度見してしまうかもしれないその装いも、ここであればむしろ雰囲気を一層盛り立てる。


 ボクの苦し紛れの弁解――一体何を弁解しているのかわからないけれど――に、揚羽はむっと不満そうに頬を膨らませた。


「そんなこと言って、あの女の人に見惚れてたんでしょ。女の子とのデート中に別の人を見るなんて、ハルくんダメなんだー」

「心配しなくても揚羽しか見てないよ。あ、噂をすれば……」


 道の端に並んでいる車を模した売り場の一角に、猫耳のカチューシャを見つけた。


 隣で立ち止まった揚羽をよそに、売り場へ近付くと、猫耳カチューシャを一つ手に取り財布を取り出す。

 遅れてボクの元に近付いてきた揚羽の頭に、奇襲のように買ったばかりのカチューシャをはめてみた。


「っ、ハ、ハルくん……!?」


 恥ずかしそうにカチューシャをいじいじと触る揚羽を無言で眺める。


 ……遊園地って、本当夢の国だよなぁ。


 普段よりも大人っぽい服装と、それでもいつも通りのツインテール。それに猫耳のカチューシャがとてもよくマッチしている。

 端的に言って可愛いを超越した何かになっている。


 妖精。そう、妖精だ。


 もうこの遊園地は揚羽をマスコットキャラクターにした方がいいんじゃないかな。

 いやでもそうしたらこうして揚羽と遊園地を回ることができな――。


「ハルくんってば!」

「っ、ご、ごめん。えっと、なんだっけ」

「もう! 人の頭に急にこんなの載せておいて、なんだっけはないよっ。もう知らないから!」

「ち、違うんだ! その、思っていた以上によく似合ってたから、つい見惚れてしまったというか、意識が飛んでいたというか……」


 どうやら本気で怒ってしまったらしい。

 慌てて胸の内を曝け出すと、揚羽は唇を尖らせた。


「そ、そんな、こんなのが似合ってるって言われても、子どもっぽいって言われてるみたいで、全然、ぜんっぜん嬉しくないからっ」


 ボクから顔を背けた揚羽は、そのまま売り場に足早に進み、店員に「こ、これと同じのをもう一つくださいっ」と注文していた。

 受け取りを済ませた揚羽は、その手に猫耳のカチューシャを携えてボクの元へ戻ってきた。


 ……揚羽が何をしようとしているのか、理解できてしまった。


「ハルくん、屈んで」

「……いやぁ、男に猫耳っていうのは、似合わないと思うんだけど」

「いいから屈むっ。あたしだけこんな格好、不公平だもん」

「……はい」


 大人しく僅かに身を屈める。

 頭の上にそっとカチューシャが載せられて、僅かに締め付けられる感触がある。


「うん、いいよ」


 許しを得たので顔を上げる。


 揚羽は暫くボクの顔を眺めてから、「……うん、ハルくんが言ってたこと、ちょっとだけわかったかも」と呟いた。

 全くもってよくわからないけれど、ともかく機嫌は直してくれたらしい。


 内心で安堵していると、突然手を掴まれた。


「次、行こっ」

「う、うん」


 半ば引っ張られるようにして、しかしすぐに隣に並び歩きながら、人の波の中へ再び身を投じる。

 どのアトラクションに乗るかを話ながら、ボクは思った。


 これって、傍から見たらただのカップルだよなぁ。


 実態はそういうわけではないけれど、だからこそ、ボクの決意は一層強まった。

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